男の対話は肉体言語
颯太は事務的な飾り気のないテーブルを挟んで中年男と向き合っていた。中村カレンに言われた通りコンビ二入ってから迎え入れられた事務所の中、入室してからどれくらいの時間が経過したかなど考える余裕はなかった。「どうやら落ち着いてきたかな? 顔色がもどってきたよ。自称、立原楓太君。ショックを受けてるのはわかるけど続きを始めよう」
男はそう言うと缶コーヒーを一口啜った。年は三十台半ば。やせぎすの男。スーツ姿。その風貌はありふれた会社員。
事務室にはロッカーあとテーブルと椅子とノートパソコンとクーラーボックスしかなく、窓もなくて息が詰まる気がした。エアコンが冷気を吐きだす音に意識を集中して通気がされていることを度々確認した。
そこで椅子に座ってスマートホンを握りしめたままテーブルの上に置かれた名刺を見つめている。名刺には有限会社日の丸代行サービス仇討ち部仇討ち課課長、松川健人と書かれている。
「さて。君の気が済むまで電話させてあげたよね? メールだかトークアプリだか知らないけどそれも試したんだろ?」
小さく顎を引くように頷いた。
「さっきも言ったけどケータイの電波を妨害する装置は既に切ってある。電話に出ないならまだしもさ。
はっきり言われてたよね? スピーカーで私も聞かせてもらっているなかでさ」
声を出せるまで時間がかかった。
「はい……」
「立原楓太君は既に旅を中断して帰って来て寝ていると。そう言っていたよね。立原さんの奥さん。間違いないよね?」
「俺が立原楓太なんです……」
「とても芝居してるようには見えないんだけどさ。警察の人が来たら本当のこと言うんだよ?」
「もう言いました……」
「困ったねえ」
腕を組みため息を漏らす。重たい沈黙が事務所を漂う。しばらくするとノックもなくドアが開かれた。作業着を着た白髪交じりの壮年の男が入ってくる。松川は立ち上がって声をかけた。
「あ、島本さんがいらしてくれたんですか? どうも。お疲れ様です。どうでした?」
「ああ、片付けはあらかた終わったよ。ちょっと坊主と話していいか?」
「どうぞ」
「お前、生で見たんだろ? カレンの仕事。 わざわざ潜り込んだ甲斐があったな?」
目の前まで顔を近づけてくる島本から目を背けて言う。
「別に好きで見たわけじゃ……」
「嘘つくなよ? 坊主」
松川が助け船を出す。
「あ、島本さん。その子は盗撮じゃなくて巻き込まれなんですよ」
「ああ、そうは聞いてるけどよ」
鼻を鳴らしながら島本は答えた。
「まあ本当に無事でよかったですよ。吉田の話だと中村さんの指示で畑野を駐車場に連れて行ったら偶然、発見したってことなんですけど」
「え? あ、ああ、そうらしいな?。そんなことはいいからよ。ハンコくれや。生首一体、見当たらなかったけど別に構わねえだろ? 残ってたのも潰れたトマトみてえになってるし。それと一緒って事で」
「犬が持ってたんですかね。体はありました?」
「ああ。ちゃんと回収した。あと生き残りを乗せた救急車ももう出発したわ」
「じゃあ、問題ないです」
島本はクリップボードを松川に渡す。松川は軽い調子でハンコをいくつか押した。思いだしたかのように言う。
「島本さんから封鎖部に言っといてくれません? 私みたいな若輩者が言ってもどうにも……」
「てめぇで言えよ。それもお前さんの仕事だろ?」
「そうなんですけどねえ」
笑顔で話す二人を見ていたが限界が来た。付き合っていられない。
「すいません。俺。帰ります」
「悪いけどまだ君を帰すわけにはいかないねえ」
にべもなく言われて腹が立つ。怒鳴った。
「冗談じゃないですよっ! 俺の偽物が俺の家を乗っ取ろうとしてるんですよ? こんなことしてる場合じゃないんですよお、俺」
「君が偽者じゃないと私に判断できると思うかい?」
「わかったよ! 人を殺しておいてヘラヘラしてるお前らなんかかに人の気持ちなんてわかるわけないんだからっ」
のどが痛い。息が苦しい。怒鳴ったのは久しぶりだった。肩で息をしながら松川を睨みつける。涙が零れそうだ。そのことがまた悔しい。
だが松川は笑顔を崩さず言う。
「力づくはやめときなよ。私たちだって力を使われたら力で返すよ」
島本に肩を叩かれた。椅子に座ることしか選べなかった。
「それにお巡りさんに来てもらうのは君のためでもあるんだよ」
「あの、どういうことですか?」
「ほら。こちらとしては君をきちんと保護したという記録を残しておきたいし。君も嫌だろうけどお巡りさんに事情を話してさ。相談しなよ。家出なんだろ?」
「どうせ言ったって信じてもらえないですよ」
力なく言うと松川に言われた。
「そうだね。じゃあ聞くけど君が私の立場なら何ができる? どうみても未成年だ。保護者にゆだねるしかないのに君は本当のことを言わない。警察を頼るしかないだろう?」
言葉が溢れて返って発声できない。ただ睨みつける。
「まあいい。中村さんにも事情を聞こう。島本さん。ちょっと呼んで来てもらっていいですかね?」
松川が両手を顔の前で合わせた。
「あいよ。言っとくけど俺たちはカレンの味方。だからな」
島本に頭を撫でられた。思わず払いのけようと手を挙げた。気が付くと頬が冷たい。視線の先に姿見がある。他人事のようにそこに映る影を見た。島本に手を取られ、肩を抑え込まれ顔をテーブルに押し付けられている。声が降り注いできた。
「そんなに拗ねるなよ。坊主。お前なんか仇討ちの刑の盗撮犯ってことで警察に突きだしてもいいんだぞ? いや、お前、ホントはやったろ? やったよな? 仇討ちの盗撮。売るんだろ? 小遣い稼ぎか? いや、ガキの小遣いどころの騒ぎじゃねえよな。いくらで売るんだ? 八月から仇討ちの公開が始まるからな。昔みたいに百万、二百万の値段はつかねえぞ? それとも新手の度胸試しか? おいこら…… 証拠が見つからなかっただけだよな? ガキのくせして御大層なカメラ持ってたらしいじゃねえか? 盗撮しようとして忍び込んだはいいけれど仕事する前にカレンに見つかった。そうだよな!」
叫ぶ。
「違いますっ。たまたま巻き込まれて、カレンさん見かけて、あいつらに襲われないか心配で動けなかったんですよっ」
「足手まといだ。そんな細っこい体で何ができるってんだよ?」
「何もできませんよっ! そんなの自分でもわかってんですよっ! ただカレンさんが心配で一人で逃げることも出来なかったんだよっ! 悪いかよっ? このジジイっ!」
ふと体が軽くなった。
「ふん、口の悪いガキだな。どうせてめえみたいな半端もんには何もできねえんだ。危険を感じたらなりふり構わず走って逃げろ。お前が無事なのは俺たちが堅気だからだってのを忘れんなよ?」
テーブルに突っ伏したままドアが閉じる音を聞いた。
すぐにドアが開く音がする。と同時に甘くて下の上でとろけそうな香りが鼻を撫でた。顔を上げる。カレンが隣にいた。
白いTシャツにジーンズという姿。それが似合う均整の取れた長身。肩にタオルを羽織り、黒髪は濡れて艶を放っていた。そして芯の強さを感じさせる瞳と眉。事務所はシャンプ―の香りに満たされる。ほぼ目の前に下側の乳房。うっすら湿ったTシャツから肌色が透けていた。
松川はカレンの顔を見上げながら尋ねる。
「悪いね、洗髪中だったんだ?」
「そういうのいいですよ。で?」
「まあ、確認なんだけどさ…… 私がドローンで常に現場を俯瞰して見てるのは知ってるよね?」
「ええ。もちろん。あとドローンも一機だけじゃ見えないところも沢山あることも知ってますけどね」
「うん、そうだね。あと中村さん、一つ質問。業務遂行中に一般人を巻き込んでしまったときは?」
「松川さんに報告してあとは指示に従います。ちなみに私が彼の存在に気が付いたのは業務が終わってからですけど?」
「成程ね」
「ねー? そうだよね」
カレンが腰を屈め顔を覗き込んでくる。思わず目を逸らす。胸元に目がいってしまう。TシャツはVネックであり、着込んでいるのか襟首は伸び、控えめとはいえ、重力に引かれた乳房は存在感を増していた。ネックレスや下着は影も形も見当たらない。
目を奪われたことを気取られないように咳払いをした。視線をカレンの胸元から一旦外す。
「君は盗撮をしていない。ただ、どうしていいかわからなくてそこにいただけ。そうだよね?」
カレンの吐息が顎のあたりを撫る。もう頷くことしかできない。
「素直でいいね。あ、そうだ」
カレンはポケットから薄桃色の包み紙に包まれた小さな飴玉を取出した。親指と人差し指でつまむと目元で軽く振る。手を差し出してみる。手の甲にカレンの左手が添えられた。
『うおっ! 思ったよりもあったかい。むしろ熱いっ』
カレンはそっと飴を手のひらに置くとあっさりと手を放してしまった。触れられていた箇所で却ってエアコンの冷気を感じる。手をこすり合わせた。飴玉の包みを拡げようとするとカレンに制された。
「ごめんね。あとにしてくれる? もうすぐお巡りさん来るし」
頷き飴玉をポケットに入れる。ぐりぐりと頭を撫でられた。
「はい、よくできました。それじゃ、私はもう行くね」
力強く頷きで答えた。味方がいる、そう実感できるだけで不安が霧のように消え去る。視界が晴れた気がした。 松川が立ち上がる様子が明確に見て取れる。
「ちょっと待って。中村さん。あと一つ。八月からは仇討ちの刑が公開されるんだ。何度も言ったけど今までの働き方は通用しない。転職するなら今月中だよ?」
「何度も言いましたけどやめるつもりはないんですよねー」
「君だっていつまでも強くはいられないぞ?」
「そうかもしれませんけど、自分のやりたいことやれなくなる方が怖くないですか?」
「やりたいことやれるのも生きてるからだ。自分らしくあろうとして死んだら意味がない」
「心配してくれてるのはありがたいです。本当に。でも決めたんで。もう戻ってもいいですか?」
「ああ」
カレンは楓太の頭を軽く撫でるとドアを開け出て行く。入れ替わるようにりに警察官が入ってくる。白髪頭の初老の男と体格が良く髪を短く刈り込んだ若い男という組み合わせだった。思わず立ち上がり言う。
「お巡りさん。助けてください。俺の家に俺の偽物が居るんです。成りすましです。何とかしてください」
初老の警察官がにこやか告げる。
「あー、そうかい。そりゃ大変だ。ご家族は何て言ってるの? 」
「うちの母親、騙されてるんですよ。俺じゃなくてそいつを自分の子供だと思ってるんです。ほんと、俺が本物だって言うのに」
「あー、成程。成程。君のことはよくわかったから。とりあえず座って。書類作るから。ね?」
興奮を恥じ、警察官がここにいるという事実を得たことで冷静さを取り戻した。
「すいません。もうさっきから不安で不安で」
椅子に腰を降ろす。気が付くと警察官二人に挟まれていた。座っている横で警察官に立たれると腰の辺りが視界に入る。拳銃のホルダーが視界から消えない。段々と物の輪郭がぼやけて溶けだしすべてが渦となって回りだすように見えた。
『あれ? 何だこれ。世界が廻る……』
「どうした?」
松川の声を妙に近く感じる。
「だ、大丈夫です…… 俺…… ニセモノなんとかしなきゃいけないし…… あれでも母親だし……」
息苦しくシャツの胸のあたりを掴んで捩じる。いくらか呼吸が楽になった。
『だけど…… もし本当はそいつが本物の立原楓太で、俺の頭がおかしかったらどうしよう…… 俺の頭がおかしいのか、この世界がおかしいのか、たしかめかたなんたわからないよ。』
呆然と長机の上に置いた両の手のひらを見ていた。その手のひらはゆっくりと開いては急激に閉じた。その動きを繰り返してみる。他人の手が動くのを見ている気がした。
「すいません。お巡りさん。彼はショックが大きいみたいなんで。さっきは興奮していろいろ喋ってくれたんですけどね」
松川の声が随分と遠くから聞こえた。顔を上げてみる。事務机の上に置いてあったA4サイズの紙を初老の警察官に手渡している。煩わしく思いながらなんとはなしに松川の動きを追う。クーラーボックスから缶コーヒーを取り出しているのが見えた。
「お疲れ様です。良かったら缶コーヒーでもどうですか?」
若い警察官が右手を自身の目前で軽く振りながら丁寧に答える。
「すいません。お気持ちはありがたいんですが……」
初老の警察官が松川から缶コーヒーを受け取りながら言う。
「まあ、折角だからいただこうや」
そう言われた若い方も松川から缶コーヒーを受け取った。警察官二人は手首を返すように缶コーヒーを軽く振りズボンのポケットにしまった。
「じゃあ、俺が読み上げるから書いちゃって」
初老の警察官が松川の渡した紙に書かれている事を読み上げる。仇討ちに巻き込まれた場所、時間、現場に立ち入った理由、住所、氏名、年齢、電話番号等。
「じゃあ。捺印。ハンコは持ってる? 朱肉はこれ使って」
若い警察官は楓太の前に書類と朱肉をおき書類の上を人差し指で指し示す。
「あ。彼の荷物はこちらに」
松川はそう言うと黒いナイロンのブリーフケースを掲げて見せた。それから印鑑を取り出し手のひらに乗せた。我に返り印鑑を手にしながら書類を見る。
言おうとした。
「あの……」
言い終わる前だった。高くて乾いた音が響く。楓太が目線を音のした方に向けると空き缶が床に転がっていた。松川は言った。
「あっ。すいません。うっかり。もう年齢ですかね」
笑顔を浮かべる初老の警察官に目線を合わせながら松川は続ける。
「お巡りさんも忙しいんだからさ。ですよねぇ?」
おもねるように見上げる松川を見て二人の警察官は微笑んだ。どちらの警察官がわからないが背中を撫でられた。印鑑を押す。手が震えていた。
『上手く押せてますように』
祈る想いで書類から印鑑を離す。その書類には立原楓太という名前はどこにもなかった。
警察官が去ると松川はクーラーボックスから缶コーヒーを取出しテーブルの上に置いた。コーヒーを手のひらで示して言う。
「大事に飲みなよ。それ。高いんだから。あと。缶はちゃんと持って帰ること」
持ち上げて警察官の真似をして軽く振ってみると気が付いた。缶コーヒーの底には折りたたまれた紙幣が貼り付けられていた。
「俺にできるのはこれくらい。あとは自力で頑張りな」
松川は事務所のドアをあけて出て行くように促した。力ない足取りでふらふらとそのドアから出て行っく。
外に出てみると夏とはいえ早朝の空気は肌寒く思わず両腕を抱いた。夜空は黒から藍色に変わり始めていた。朝日が雲の隙間から顔をのぞかせている。目がくらんだ。目を細め俯きマウンテンバイクに跨る。日差しがハンドルで煌めく。目を細め舌を打ち、顔を上げ雲の切れ間の朝日を見る。言葉が溢れた。
「人の気持ちも知らないで……」
知らないで…… だから何なのかはっきりとさせるべきだと思った。
「いつも変わらずそこにあるんじゃねえよ」
意思を持って口にした。
朝日に向かってつぶやくと力なくペダルを踏んだ。ハンドルを切れずに立ちどまった。自宅に帰ってどうするのか? 電話をかけた時に母の声が思い出される。
『楓太はもう家で帰って寝てます。知らない番号が表示されてるけどあなたは誰なの? こんな時間になんの嫌がらせ? この番号、着信拒否しますからねっ!』
膝が震えた。ハンドルを持っていられない。ふらつく。自転車の倒れる音がする。どうでもよくなった。駐車場に倒れ込んだ。瞼を閉じる。それでも朝日が眩しい。瞼を強く閉じ体を丸め、頭を抱えて、吠えた。全力で吠えた。声が出なくなるまで繰り返す。
そして想った。
『俺、高校入ってから落ちこぼれたし、そりゃ、お母さんも嫌になるよな。代わりの子供が見つかったんならそれでいいじゃん。そうだよ、お母さんたちは新しい子供と幸せにやればいいだろっ?』
笑いがこみあげる。
『っていうか、俺の記憶がおかしいんだろうな…… だってフツ―に考えてありえないもん。こんなこと。俺の頭、壊れちゃったんだ……』
変わりなく昇り続ける太陽が涙で滲む。腕を振るって瞼をこする。涙をこそげ落とした。
『くそっ! そんなわけないよっ! 佐山を思い出すだけで苦しくなるなんて俺が俺だって証拠だろっ?』
中学の入学式のとき初めて佐山を見かけた時のことを思い出す。校門をくぐり校舎までグラウンドを歩く。風が強く、グラウンドの端に植えられた桜が砂ぼこりの中、舞い散っていた。緊張した面持ちで不安げに一人で歩く佐山。
大抵の生徒が母親が同伴しているなかで一人で歩く佐山はその美しく清潔で品を漂わせる容姿もあいまって目を引いた。一目ぼれ。目の前を通り過ぎても香りが残した余韻と艶を放つ黒髪が風と遊ぶ様、そして誇らしげにあるくその背中に心を奪われた。
声をかけることは躊躇った。母親に学生服の裾を掴まれている。隣にはまだ自分よりも背の高かった美晴とその母親が並んで歩いている。
ただ見ていた。和也が佐山に声をかけるのを。
頬を染め、和也に微笑む佐山の横顔を。
ただ見ていた。
『この思い出がニセモノのわけないだろっ! こんなに胸が苦しいのにさぁっ!』
腹の底から湧き上がるエネルギーを持て余す。
母親に息子と認めてもらえなかった。自分が何者であるか、その証明にエネルギーが注ぎ込まれる。過去の思い出を手繰り寄せる。苦い物だがそれゆえ強烈な想い出。
「クレーンゲームって人生と似てるよな」
「は? そんな難しく考えているから楓太は下手くそなんだよ」
中学三年の夏休みのことだった。クラスメイトである和也とショッピングモール内のアミューズメント施設に来ていた。目の前のクレーンゲームのなかには人気キャラクターをかたどった、手触りの良さそうなちいさなぬいぐるみのキーホルダーが底が見えない程度に乱雑に転がっている。
二人とも整髪料をつけた髪を光らせ精一杯洒落こんで、クレーンゲームをしながらクラスメイトの女子2人が現れるのを待っていた。
クレーンゲームの中を覗き込みながら言った。
「ちげーよ。テクの話じゃなくてさ。こいつらはさ。この中で守られてりゃきれいなまんまなのによ。いきなりクレーンで引っ張り出されて外に出されちまうの、どんな風に思ってんのかなって」
「いや。そういうゲームだから」
「そうじゃなくて。気が付きゃこんな世の中に産み落とされてよ。戦わされて疲れ切って死んでいくんだぜ。たまんねえよなっていう話」
「それは景品じゃなくてお前の話だろ? 受験勉強のしすぎだって。遊ぶときは遊んだ方が効率いいんだぞ? それにこいつらは閉じ込められてんの。俺は救い出して自由にしてやってんだぜ?」
和也は先ほど獲得したばかりの戦利品を楓太の鼻先に突き付け軽く振って見せた。
「こいつらにとっては大きなお世話かもしんねえだろ? 平和に暮らしていたのにって」
「負け惜しみ言うなって」
何度か挑戦しているが景品は獲得できていなかった。
「くそ」
小銭を投入口に入れた。息を止める。クレーンの動きを睨みつける。ここだ、というタイミングでボタンから手を離す。体を伸ばしクレーンゲームの横からクレーンの位置を確認する。二つ目のボタンを押し頭の中で数を数える。ボタンから手を離した。思い通りの位置でクレーンは下降を始める。
佐山が鞄に着けているものと同じキャラクターのキーホルダーを狙っていた。脳裏に佐山の顔が浮かぶ。
クレーンのアームがキャラクターに触れた。持ち上げ動きだす。取り出し口の上でクレーンは止まった。キーホルダーが大きく揺れる。感性の法則にしたがいクレーンから外れたキーホルダーは目の前で透明な壁にぶつかり落ちた。
名残惜しくそのキーホルダーを見ていると後ろから佐山の声が聞こえた。振り返る。和也と佐山が向き合っていた。佐山は和也が獲得した景品に頬ずりをしている。弾けるような笑顔だった。視線に気が付かれる。佐山が会釈した。
「ごめんね。美晴はこれないんだって」
「あ。いいよ。じゃあ3人で行こうぜ。そろそろ映画始まるだろ?」
和也と佐山は見つめ合う。佐山が和也の二の腕辺りに右手を添えた。
だからポケットからスマートホンを取り出した。
「あ、やべ。親からメッセ来てる。ソッコー帰んなきゃ。じゃあな」
うまく笑えている自分に嫌気が差していた。
思いだして苦笑いが浮かぶ。
『やっぱ、あれがきっかけだよな? なんでお前ら俺に隠してたんだよ? 俺が佐山のこと好きだって和也に相談してたからか? だったらもっと俺に言うべきだっただろ? しかも家出とかで別れるって、なんだよそれ? 和也』
声をあげて泣きたかった。だが、そうしても何も解決しないこともわかっている。横たわり体を丸める。
何かで見た胎児の画像が頭に浮かぶ。唇が震え始め、鼻先にツンとした刺激。涙が溢れ、頬を伝わる滴がやけに熱かった。
そのときだった。
「思い出して泣いてるの? つらいよね? ごめんね」
背中で聞く、優し気で、暖かいその声。佐山の声とは似ても似つかぬその声は仇討ち人、中村カレンのものだった。
「そんなところで寝てると風邪ひいちゃうぞ、なんてね。こっちで寝ようよ。心の傷も体を労わると少しは楽になるから」
そう言いながらしゃがみ込む顔を覗き込んでくる。淡い風が吹き始めた。朝の橙色の日差しが髪の輪郭を光らせ、風は髪を遊んだ。
咥えてしまった髪を耳に掛け直すとカレンは微笑む。目を奪われた。
「どうしたの? 固まっちゃって」
首を傾げながらも笑顔のままカレンに尋ねられても言葉は出てこなかった。
「ま、いいよ。話したくないなら。会社のだけどキャンピングカーだからベッドあるし。シャワー使えるし。うちの同僚が使ったあとで悪いけど」
首を振った。何とか言葉を絞り出す。
「い、い、いや、いいですよ。そ、そこまでしてもらうほどのことじゃないんでっ。じゃ俺はもう行きますから」
慌てて立ち上がった。カレンも立つ。向き合った。
「そんなに早く行っちゃうなら行っちゃうでいいけどね」
不安と期待に高鳴る鼓動に関係なくカレンは続ける。
「うん、だからね。行く前にこの汚れたシャツは着替えた方がいいと思うよ」
腹のあたりに気配を感じる。見るとカレンがTシャツの裾を引っ張っていた。
埃と汗に塗れ、薄汚れたTシャツの裾を掴むカレンの指は細く、長く、白い。その先の爪は清潔に切りそろえられ、ほんのりと光沢を放っている。
顔を戻すと小首を傾げるカレンの笑顔。何かが暴発する予感。
「あ、あ、あ、いや確かに着替えた方がいいのはわかるんですけど……」
「洗濯もできるよ? 乾燥機も着いてるし。その間、寝てていいよ。君の行きたいところで降ろしてあげる」
「いえ、俺なんて汚いままでいいんですよ。そんな優しさ俺にはもったいないですよ」
カレンは俯き頬を染めた。意を決したように顔を上げると言った。
「ううん。これは私のため。ところで年齢いくつだっけ。うちの上司からなんか記憶が曖昧みたいだって言われたんだけど」
「お、俺の記憶では十七ですけど、で、でも、俺の記憶は曖昧なんで。理論上は十八才以上である方が確率が高いです。」
「ふーん。計算早いね。勉強できるんだぁ。頭いいの、うらやましいな。あたし運動だけだから」
「あ、いえ、親にいろいろやらされてただけで。ほんとに頭がいい奴は俺みたいなばかなことしないですよ」
「ああ、見知らぬ女を助けるために仇討ちの刑に巻き込まれたり?」
「すいません。結局足手まといで。」
「ううん。嬉しかったよ。そのこと知ったとき。ほら、さっきさ、島本さんに、あ、スキンヘッドのおじいちゃんにキレてどなってたでしょ?」
「あ、いや」
「嬉しかったな。あの怖いおじいちゃんに言い返すぐらい本気であたしの心配してくれらんだなって。みんな、あたしにやらせとけばいい、みたいな空気あるから。うちの会社。」
「たしかにそうなるでしょうね」
「ま、これでも十九才の乙女なんだけどねぇ たまには守られたいっての。」
「はは、そりゃそうですね」
ひとしきり笑いあうとカレンは颯太に尋ねた。
「ねえ、友達とか彼女とかの記憶はあるの? お母さんの記憶ははっきりしてるみたいだけど」
不意に涙がこぼれた。それを自覚したら立っていられなかった。しゃがみ込んで片膝と片手を地面に着いた。
「え? やだ、なにどうしたの?」
鼻水交じりに出てきた言葉。
「お、俺、ずっと一人だったなって」
カレンの口調は平成だった。
「でも別に良くない? 私も友達いないよ。」
「え?」
「うん、別に欲しいと思わないし」
「え。だって、友達とか彼氏とか欲しくないんですか?」
「気になるぅ?」
「あ、いや、あのちょっと」
「ふふ。いらないよ。別に。こんな仕事したら長生きなんてできないし、悲しむ人が増えるだけでしょ?」
颯太はしばし絶句した後尋ねた。
「あの、カレンさんはそれでいいんですか?」
「うん。それより早くいこ?」
カレンはそうして話しを打ち切ると颯太の手を取った。その時、香りと温もりが颯太の体を奔った。思わずカレンから目をそらした。朝日を受けて白く輝くキャンピングカーが目に入る。汚れたTシャツが気になる。立ち止まるとカレン手が背中に触れられた。
キャンピングカーに乗り込む。手狭なリビングと言う印象だった。そのソファに男が座っていた。ニ十台なかば程の男が上下スェット姿でリラックスした様子で新聞を読んでいた。目の前のテーブルの紙コップからは湯気が立っている。
思わずたじろぎカレンを頼りに振り返るとそこには誰もいなかった。そして扉はすでに閉められていた。
男は後ろからよく通るうるさいほどの大きな声をかけてきた。
「お、ホントに来るとはね。カレンから聞いてるよ。上で寝てもらうんだけどその前にシャワーを浴びてくれ。あ、俺は吉田。さっきも会ったろ? 君がコンビ二に駆け込んできたとき。カレンの先輩。一応」
「あ、いや、でも、俺、カレンさん待ってないと……」
振り返るとカレンはいなかった。
「ま、突っ立ってないではやくシャワー浴びなよ。タオルも替えのTシャツとパンツも脱衣所に置いておいたから。良かったら使って」
「あ、はい。ありがとうございます。なにからなにまで」
弾かれたように行動を開始した。
頭からシャワーを浴びているうちに落ち着きを取り戻した気がする。そう思った時だった。
バタンと扉が開かれる。外気に体を覆われた。目を開ける。吉田の顔がそ目の前にある。笑っていた。体重をかけられ壁に押し込まれた。息苦しいと思ったら口を手で抑えつけられている。状況に思考が追い付かない。
「手短に答えてほしい。素直に答えてくれれば解放してやる」
頷くと口から手が離された。その手は顎の下に移動し押し込んでくる。
「な、なにを?」
声が上手く出せない。
「お前。何者?」
「た、立原楓太です。高校二年のはずなんですけど……」
「けど?」
「俺、記憶がおかしいのか俺が母親だと思ってた人に連絡したら俺のことなんか知らないって」
「仇討ちに関わった目的は?」
「な、ないです。偶然迷い込んじゃっただけです」
「カレンとの関係は? あいつに何か渡したんじゃないのか?」
「さっき出会ったばかりです。助けてもらっただけです」
「あいつの薬が切れたからお前が補充しにきたんじゃないのか?」
「し、知りません。そ、そんなこと。」
「じゃあ、なんでこんなところをあんな夜中にうろついてた?」
「一人旅の途中です」
「なんで旅に出た。女に振られたからとかぬかすなよ?」
答えなかった。佐山の顔が浮かんでいた。ただ頬に涙が伝わる。
「え、えぇ。もしかして、傷心旅行ってやつ?」
答えられなかった。ただ解放されていた。尻が冷たい。座り込んでいることに気が付いた。
「なんか、ごめんなー。君はほんとに、ただ巻き込まれただけなんだな。」
ふらふらと立ち上がり、吉田押し退けるように、服を着替え、はしごをのぼりベッドに横たわった。佐山の顔を想い描くが直ちにカレンの顔に取って代わられた。何度か繰り返しているうちに眠ってしまった。
※
「で? どうしてこうなったんだ? 説明してくれよ。どうして彼がここにいるんだ? 監禁したなんて騒がれたらどうするつもりだ?」
楓太が目覚めると階下のリビングから話し声が聞こえてきた。松川の声だった。わずかに顔を出し様子を見る。松川と吉田はテーブルを挟んで向き合っていた。
「おい、吉田。答えないか」
「俺は間違ったことはしてません。まあ社内規定を破ったことは認めます。処分はお任せします」
そう言うと吉田はポケットから飴玉を取出しテーブルに置く。
「なんだ? それは」
「カレンが立原君に渡したと思われる飴玉です。成分を調べてください。きっと覚醒系の成分が見つかるはずです」
「まだ、疑ってるのか? 我々は毎月の健康診断が義務付けられている。当然検尿の際には薬物もチェックされてる」
「今までの検査では出ない新薬かもしれません。とにかくカレンの五感の鋭さと身体能力は人間の常識を超えています」
「気持ちはわかる。だが、彼女が努力してることは認めるだろ?」
「まあ、名人だった島本さんとマンツーで稽古してるってのは聞いてますけどね」
「ああ、確かに恵まれたフィジカルを持ってる奴はいるし、周りから愛される奴ってのはいるよ。私やお前と違って」
「そうですね」
「ただ、体は使い方だし、周りからのサポートは普段の心がけ次第だよ」
「理屈はわかりますけど」
松川は苦笑いを浮かべた。
「敢えて言うけど業界トップの帝国仇討ち代行で達人資格とった私からしたら、カレンは普通に優秀って程度さ。珍しくもなんともないさ。」
「それ、よく聞きますけど、マジっすか」
「マジだよ。いずれ業界再編されたらやり合うかもしれないぞ? 」
「返り討ちにしてやりますよ」
「悪いことは言わん。恥を捨てて逃げろ。っていうか、転職しろ。まだ、24だろ?」
吉田は答えずただテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばした
「ま、簡単に納得してもらえるとも思ってないさ。ところで立原君。盗み聞きは趣味が悪いぞ?」
「えっ?」
吉田と声が重なった。
「降りてきな。立原君」
「あ、はい」
はしごを降りて吉田の隣に並ぶと松川は立ちあがった。
「君には重ね重ね申し訳ない。強引にこの中に連れ来たってわけじゃなさそうだが謝るよ」
そう言い松川は深々と頭を下げた。吉田を見るときまり悪そうな顔をして頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
二人の頭を見比べると気が済んでしまった。眠れたからかもしれない。
「あ、もういいですよ。こっちこそすいません。こんなによくしてもらっちゃって」
「じゃあ、大変だろうけどがんばって」
松川は颯太の肩に軽く手を乗せると出て行った。残された二人はなんとはなしに視線が合った。何か言わなくてはと別れを告げた。準備は簡単に終わった。キャンピングカーから降りるときに振り返って軽く頭を下げた。
「それじゃ行きます。ありがとうございました。」
「あ、わかってるかもしれないけど昨日のこと人に言っちゃだめだよ。松川さんがうまいことやってくれたからいいけど勝手に仇討ちの刑に関わるのって犯罪なんだぜ。」
「わかりました。っていうか、どっちにしろ俺、親も友達もいないんで話す相手いないですし……」
吉田はただ「そっか」とだけ答えた。それから咳払いをすると尋ねた。
「いいじゃねえか。ある意味、超自由じゃん。俺なんて親と兄弟喰わせなきゃだからこんな仕事してんだぜ?」
「あ・・・・・・ そうなんですね。」
「金がよくなきゃやらねえだろ? ま、たまに勝手な正義感とかに頭やられちゃってるやつとかいるけどな」
「カレンさんとかですか?」
「いや、あいつはもっとやべぇ」
「え? なんでですか?」
「好きで殺し合ってんだよ。あいつ。」
「え?」
「なんてな。あいつとそんな深い話したことねえよ。」
「やだな、信じちゃいましたよ。」
「ま、あいつが強いってのは確かだけどな。ほら、そろそろ行きな。じゃあな。」
「でもどこ行っていいかわかんないですよね。」
「でも行きたいところを自分で決められるんだろ? 」
「たしかに」
すっかり笑顔になってそう答えた。何でもやれる気がしていた。昨日の早朝にも同じように想ったことはすっかり忘れていた。




