●ガイスト・メルゼクス事変 2
場所は〝プリンスダム〟の裏手にある広場だった。
その少女はシュトナと同じような格好をしていた。違いを挙げるならば服に走るラインの色だろう。シュトナのナースウェアは黒地に青のラインが入っていたが、少女のは赤だった。それ以外ではオーバーニーソックスもキャップも、そして銀色の装飾などもほぼ同様だ。どちらにせよ危険な香りがするナースだった。
そんな彼女は、腰に届くほどの黒髪を振り乱して戦っていた。右手には、赤熱する鉄のような色を放つ光の剣。熱刃と呼ばれている物だろう。左手には、黒光りする小型拳銃。鷹晃は詳しくないが、少なくとも六発以上は発射出来る物だろう。
戦っている相手と言えば、薄汚い灰色の布を頭からすっぽりかぶった実に怪しい人物だった。見間違うわけがない。ガルゥレイジだ。戦っていると言っても彼は何もせず、少女の攻撃を身軽に避け続けているだけだったが。
素早く振り下ろされる熱刃を、容赦なく撃たれる弾丸を、ガルゥレイジは怪物じみた動きで回避する。ほとんど体を動かすことなく、そのくせ異様に俊敏に大きく避けるものだから端から見ていて不気味も良いところだった。
焦れた少女が叫ぶ。
「っンもおっ! チョコマカしない、のっ!」
可愛らしい声だが、やっていることは殺伐に過ぎた。地面を蹴ったかと思うとまるで疾風のように宙を飛び、ガルゥレイジへ突進する。躊躇いのない動きだ。
速い。
縦横無尽に熱刃が走り、空中に光の軌跡を残した。
鷹晃から見ても見事な剣裁きだった。しかしガルゥレイジの敏捷性はその上をいっていた。幽鬼のようにゆらりとその姿が揺らめいたかと思うと、いつの間にか剣閃の届く圏内から遠く離れた場所にいる。少女はそこをさらに拳銃で撃つのだが、それもまた難無く回避されてしまう。
鷹晃がようやく制止の声をかけられたのは、その時だった。
「待たれい!」
男であったときよりも甲高い声が凛と放たれた。戦闘の流れを遮断するには十分な声量だった。少女とガルゥレイジがぴたりと動きを止める。油断のない少女の視線が鷹晃に向けられた。そのサファイアブルーの瞳が見開かれ、
「あ、危ないですよ! そこにいる人は変態ですから貴女みたいな美人が近づくと妊娠しちゃいますよ! 今すぐボクがこてんぱんに退治しますから安全な場所に避難しといてください!」
慌てた口調でまくし立てる。あんまりな言われように鷹晃はガルゥレイジに同情した。もっとも彼自身は全く気にしていないだろうが。
鷹晃はむしろいきり立った少女の方を、暴れ馬を宥めるように言った。
「落ち着いて欲しいでござる。申し訳ござらんが、そこの者は拙者の連れなのでござるよ。決して曲者ではござらん。剣を収めてくだされ」
「??? ご、ござ……おさる?」
鷹晃は時折何でもないようなことで刀を抜きたくなるのだが、今のような瞬間がその時である。元々、今の鷹晃の口調は半ば意識してのものであって、本来のものではない。幼い頃から武士や侍といった存在に憧れていて、剣術や武士道を学んでいたのが、〝クライン〟に来ることで解放されたのだ。つまりは歴とした武士でも侍でもなければ、言葉遣いも正しいものではない。そのため、その点に関することを妙な風に弄られると、侮辱されたかのような気がしてくるのだ。無論、自分の勝手な思い込みだと言うことを彼女は理解しているので、それによって理不尽な対応をしたことはないが。
「あー……その人は私の知り合いで……です。怪しい人物ではござ──ではないので武器をしまってもらえないでござ……ないでしょうか?」
敢えて鷹晃はそう言い直した。ただし、久々の言葉遣いと内心の複雑さも相まって、ひどくたどたどしく微妙な表情で。
「…………」
ぽかん、という顔をする少女。どうもこちらの言葉をうまく理解出来ていないようである。無理もない話だ。怪しんでくれと言わんばかりの不審人物を、突然現れた女が『私の知り合いです。怪しくありません』と言っても説得力はほとんどない。
「……へ? あ、えと、うぇ? し、知り合い、ですか?」
武器を下ろそうとしない、と言うより、少女は構えたまま固まってしまったようだった。困惑に顔に貼り付けて、鷹晃とガルゥレイジを何度も見比べる。
ここが押し時である、と鷹晃は判断した。背筋を伸ばし、鋭く一礼する。
「拙者、御門鷹晃と申す者。貴殿が属する〝プリンスダム〟から警護の依頼を受けた者でござる。そこの者はガルゥレイジと申す拙者の身内。決して貴殿に害をなす者ではござらん。よって剣を収めていただきたい。なにとぞ、拙者の顔に免じて、この通りでござる」
もう一度、今度は深めに頭を垂れる。すると、鷹晃の丁重な態度に驚いたのだろう、一拍の間を置いて少女は大慌ての様子で、
「へっ? うぇ、ああああいえ! そんな滅相もない! ボクの方こそお知り合いだとは知らずにえとそのご、ごごごごめんなさい!」
両手の武器を背後に隠すと、負けじと体を二つ折りにする。
鷹晃はほっと胸をなで下ろした。何とかガルゥレイジは竜になることなく、少女の方も怪我することなく事態を収束できたようだった。
「ガルゥレイジ、こちらへ来るでござるよ」
ぼろ布をかぶった不審人物は宙を滑るように鷹晃の隣へ来た。
「ご苦労だった。今日はもう良いでござるよ」
地鳴りにも似た響きが生まれる。
「御意」
ガルゥレイジは鷹晃の影の上へ動くと、そのまま暗闇に沈むように姿を消した。かつて彼がウォズから『呪術師』と呼ばれていた所以である。少女が小さく、わ、とこぼす声が聞こえた。
こちらを好奇心丸出しで見つめていた少女に、鷹晃は堂々とした態度で声をかけた。
「して、貴殿の名は? 〝プリンスダム〟の戦闘ナースとお見受けするが」
「え? あっ」
少女は尻を叩かれたかのように姿勢を正した。
「えと、ボクはエノル院長の直属で、秦伊楽那と言います。あの、すみませんでした、ボクちゃんと御門さんの事を聞いてはいたんですが、まさか──」
あんな怪しい人が身内にいたなんて、などと続けようとしたのだろう。だがその前に気付き、楽那と名乗った少女は口を噤んだようだった。
途中で舌を停めて硬直した楽那に、鷹晃は笑って対応した。
「気にすることないでござるよ。あれが怪しいのには拙者も同感でござる。何度注意しても聞かぬ困った奴でござるよ」
「あは、あははは……すみません……」
乾いた愛想笑いの後、しゅんと肩を落とす楽那。素直で良い娘だ、と鷹晃は思う。
「いやいや、こちらこそ本当に申し訳なかった。元はと言えば拙者が何の説明もなくあれを警護につけてしまったのが原因でござる。楽那殿が頭を下げる道理はござらん」
「はい……そう言って頂けると助かります……あの、さっきのガルなんとかさんにも、すみませんでした、ってお伝え下さい……」
落ち込んだまま一向に回復しない楽那にいくつか励ましの言葉をかけてから、鷹晃は思い出したようにラップハールへの面会を申し出た。折角ここまで来たのだから、ついでに報告がてら、ウォズとの話の齟齬について確認しておいた方が良いだろう。
すると、名誉挽回とばかりに楽那は勢いよく頷いてくれた。お詫びにとっておきのケーキとお茶を用意するとも言ってくれたが、それは丁寧に断った。
裏口から黒塗りの病院内に入る。廊下を歩いていてすぐ気付くことは、シュトナと同様に楽那も足音を立てないということだった。ラップハール直属だと言っていたが、シュトナもそうなのだろう。どうやら〝プリンスダム〟はその信念を貫くためにも強力な人材を幾人も抱え込んでいるらしい。あのフライスが傘下に入れようとするのも頷ける話だった。
と、落ち着いたところで鷹晃はマルグリットの事を思い出した。ここに来る途中で別れて、彼にはスターゲイザーにこれまでの経過を連絡しに行ってもらったのだが、問題なく出来ているだろうか。あの状況ですら鷹晃と一時でも離れることを渋った彼である。場所は伝えてあるから使命を果たし次第こちらへ向かって来るであろうことは、容易に予測出来るが。願わくばこちらへ来た途端、変な揉め事を起こさないようにと祈るだけである。彼なら遠慮なく〝プリンスダム〟の人々に『私の鷹晃はどこかね!? 私の鷹晃を出したまえ! 私の鷹晃を!』などと喚きかねないのだから。
楽那が院長室の扉をノックする。
「楽那です。ただいま戻りました。お客様もご一緒です」
「おう、入れ」
「失礼します」
鷹晃は数時間ぶりに黒ずくめの部屋へ足を踏み入れた。執務室では相変わらず男勝りな女性が、書類やカルテに目を通していた。
「おう、どうしたんだミスター?」
にっ、と笑う黒衣のラップハールの傍には、こちらも相変わらず表情に乏しいシュトナが控えていた。鷹晃が口を開くより早く、楽那が喋り出す。
「あ、えと、院長、実はですね、ボクが」
「迷惑かけたっつー話か?」
楽那が続ける先を見切ったかの如く、ラップハールは語を継いだ。
「ぁぅ……」
見事言い当てられた楽那は、見ていて可哀想なほど肩身を小さくして縮こまってしまった。
ラップハールは、はぁ、と息をついて手にしていた書類を机の上に投げ置いた。立ち上がりながら、
「やっぱか。あー、すまねぇなミスター。そいつは悪い奴じゃねえんだが、早とちりが多くてな。迷惑かけたんなら謝る。許してやってくれないか」
鷹晃は首を横に振った。
「気にしてないでござるよ。それに拙者の方にも非があった。謝罪もすでに受けておるから無用でござる」
言いながらラップハールの手振りでソファへ案内される。前回のこともあってか、シュトナが茶を用意する気配はなかった。
「ってことは用件はそれだけじゃねえって事だな?」
聡い、と鷹晃は思う。まだ何も言っていないのに状況だけで彼女はこちらの意図を見抜いたのだ。
「実は確認したいことがあるのでござるよ」
「何だ? 何でも聞いてくれ」
ラップハールが腰を下ろすソファの背後にシュトナと楽那が控えている。それを気にしながら、鷹晃は言葉を選んだ。
「こちらに脅迫をかけてきているのはオーディス派とウォズ派の双方なのでござるか?」
ラップハールは目を瞬かせた。
「何だよミスター、今更? それがどうかしたってのか?」
鷹晃は軽く笑って誤魔化すように、
「確認でござるよ。さらに聞きたいのだが、オーディス派とウォズ派以外からは誘いは受けていないのでござるか?」
「受けてねぇが……何なんだ一体?」
鷹晃は慎重にラップハールの目の奥を窺った。嘘をついている気配はない。純粋な気持ちで、素直に答えているように見える。
だがそれはウォズとて同じだった。魔女の表情、瞳、声を思い出すが、やはり嘘をつく者の態度だとは思えなかった。とは言え、相手の言動が本気か演技かどうかを見抜く力が自分にあるとは鷹晃も思っていない。やはり頭のよく切れるスターゲイザーに相談すべきだろう。彼ならきっと良い知恵を授けてくれるに違いないのだから。
ラップハールの訝しげな眼差しを遮るように、鷹晃はさらに質問を重ねた。
「ではこれまでにどの派閥からどんな脅迫を受けたか、どれほど被害があったかは明確になっているのでござるか?」
考えてみればまず最初に確認しておくべき事柄だったかもしれない、と鷹晃は思う。もっと要所要所を押さえてからウォズやオーディスの元へ向かえば良かった、と。
ラップハールは難しい顔をした。予想通りと言うべきか。
「流石に全部が全部を把握しているわけじゃねえが……なあ?」
背後の二人に同意を求めるように振り仰ぐ。
シュトナが眼鏡の位置を戻しながら、冷静な声を発した。
「全ての件を完全に把握することは不可能です。脅迫や暴行をしてきた人間が、オーディス派かウォズ派のどちらかだ、という明確な証拠はありません。状況証拠だけでは納得していただけないでしょうか」
冷気のような声が響き終わると、一転して楽那が少年っぽい印象を感じさせる口調で、
「あ、でもでも、ボク見ましたよ! <ミスティック・アーク>の魔術師っぽい人とか、<鬼攻兵団>の戦士っぽい人とか!」
見た、というのはどういうことか。そんな意味を込めて視線をラップハールに向けると、
「ああ、楽那は基本的に治安維持担当なんだよ。どの件も少なからず噛んでるからな。目撃談なら一番多いはずだぜ」
三対の視線が楽那に集中する。無言の催促を受けた少女は黒髪に良く映えるサファイアブルーの瞳を、うっ、とたじろがせた。まさか御鉢が回ってくるとは思っていなかったのだろう。
「<ミスティック・アーク>と<鬼攻兵団>の構成員を見たのでござるか?」
改めて問われると楽那は自信が無さそうだった。
「え、えーと、えと……多分。多分なんですけどね? 一回目の人達が逃げるときは魔術師っぽく暗い色のローブとか着てましたし……二回目の時は逆に魔術師っぽくなくて、筋肉ムキムキのごっついおじさんでした。……被害者の人が可哀想でした……」
「楽那、論点がずれています」
「あぅ。だったらシュトナが喋ってよぉ」
「お客様の前です。甘えたことを言わないように」
「ぶー」
二人のナースのやりとりをよそに、鷹晃は得た情報を咀嚼していた。少なくとも〝プリンスダム〟の女性に被害が出ているのは確実だろう。襲ったのも一度目は魔術師の特徴であるローブを着た男達。二度目は鍛え上げられた肉体を持つ集団。どちらもウォズ派<ミスティック・アーク>とオーディス派<鬼攻兵団>の構成員の特徴を捉えている。
捉えすぎてはいないだろうか?
記号的すぎる気がしないでもない。わかりやす過ぎて逆に不気味だ。まあ、オーディス派の犯行はフライスが認めていたのだから事実なのだが。ただ、やはり気がかりなのはウォズ派のことである。あるいはオーディス派がウォズ派に扮して犯行に及んだのではないだろうか。
ウォズが嘘をついているのか。ラップハールが騙しているのか。それともオーディス派が小細工を弄しているのか。考えれば考えるほど泥沼に沈んでいくような気がする。
「で、一体何を疑っているんだ、ミスターは? いくら何でも遠回りしすぎだぜ?」
気が付けば挑むような瞳が鷹晃を見据えていた。好戦的なラップハールの表情が、下手な言い逃れは許さない、と言外に宣言していた。やはり鋭い女傑だ、と思わずにはいられない。
別段、鷹晃とてひた隠しにするつもりではなかったが、口にするなら確証を持ってからにしたかったのだ。鷹晃は意を決して、ラップハール達に先程ウォズとオーディスの元を訪れて話をしたことを説明した。当然、オーディスが暗殺された件には触れずに。
まず、オーディス派に関しては犯行の確認もとれ、手出しさせないことを約束させた。後日、謝罪もあるだろう。もしかすると後になって再び傘下に参入して欲しいと話が来るかもしれないが、その時はまた鷹晃が間に立って調停役を務めることになると。
だが、ウォズ派では〝プリンスダム〟への勧誘そのものを行っていないと言われてしまった。勿論、脅迫どころか指一本出していないとも。そう言われては追及できる余地もなく、引き返してくるしかなかった。〝プリンスダム〟の言い分を疑っているわけではないが、ウォズに言い返すだけの材料が欲しくて先程のような質問をしていたのだ、と。
「ははあ、なるほどな。それでやけに遠回しな質問ばっかしていたのか。ってことはアレか? 今までのは全部オーディス派の仕業で、一部のウォズ派だと思ってたのもオーディス派がそう見せかけていただけ、って可能性が出てきやがるな」
鷹晃が言うまでもなくラップハールはその推論を得たらしい。だがそれには一つの問題点があった。
「しかしそうなると、オーディス派が何故そのようなことをしたのか、という疑問が残るでござるよ」
ウォズ派の名声を貶めたいのであれば、魔術師風の男達だけの犯行を重ねるだけで良い。しかし、実際にはオーディス派とほぼ断定出来る事件も発生している。これでは何の意味もない。目的が見えなくなってしまうのだ。
「そもそもウォズ派が私達を傘下に入れようと声をかけるふりまでするとは、考えられません」
「うーん、やりすぎだよねぇ」
そう。シュトナと楽那が言うとおり、小細工が過ぎるというものだ。
しかしそうなると一番高い可能性が、
「やはりウォズ・ヘミングウェイ氏が偽証している──そう考えた方が自然ではないでしょうか」
とシュトナが恬淡と述べる。だが、鷹晃はさらにその先のパターンを考えていた。
それはマルグリットが言っていたことでもある。
つまり、ウォズもラップハールも双方が嘘をついている、と。
根拠のない、ただの直感である。だが今の〝クライン〟は乱世だ。常に最悪の状況は想定しておいて損はない。ぬかりがあっては命を落とすことになる。
その証拠に、あのオーディスすら暗殺されたではないか。生きていくには慎重過ぎるぐらいがちょうどいい。
とにもかくにも、ここで言い合っていても埒が明かない。例え〝プリンスダム〟側の言い分に虚偽が混じっていようとおくびにも出さないに違いなかった。
「まあなんにせよ、明日にでも再度ウォズ殿を訪ねてみるでござるよ。進展があればまた報告に来るでござる」
鷹晃は立ち上がると一礼して、部屋を辞そうとした。
その時である。
壁の向こうから聞き慣れた声が、
「タカアキラァ────────────────ッッ!」
と叫ぶのを彼女は聞いた。
はて誰だろうか、などと考える必要などなかった。思い浮かぶのは一人しかいなかった。
マルグリットである。
ノックも無しに突然勢いよく扉が開いた。蹴り破られた扉と壁が不本意な抱擁に悲鳴を上げる。
飛び込んできた貴族の少年は、緊迫に額縁をつけたような顔をしていた。
「鷹晃ッ!」
「マルグリット殿? どうしたのでござる? えらい剣幕で」
「大変なのだよ! スターゲイザーの余達が家で、粉々が黒焦げで重傷なのだ!」
「「「「 ? 」」」」
マルグリットの意味不明な叫びに、四人の女性は互いに顔を見合わせた。