●受難、現在進行形 5
本来ならばアポイントメントが無ければ会えないのだろうが、ウォズは突然の訪問にも対応してくれた。
『ラピュタ』という名を持つ巨大な石造りの城塞は、まだ建築途中だった。それでも急ピッチで工事を進めているのだろう。外から見る分にはもうほとんど完成しているように見える。石造りなのも材料が比較的入手しやすいだからだろう、と推測出来た。
門番に名乗るとそのまま内部へ通され、案内役がつけられた。案内役の男は鷹晃の名前を聞くと──ほとんどの者がそうするように──半年前は世話になっただのと簡単な思い出話をしてから、両手で複雑な印を組んだ。魔術である。おそらくは距離や障害物を越えて意志を届けるものだろう。しばらくすると案内役は印をほどき、笑顔で言った。
「大丈夫です。こちらへどうぞ」
<ミスティック・アーク>はその名が示すとおり、ウォズを筆頭とした魔術師集団である。鷹晃自身には魔術も魔法も超能力も違いがよくわからないが、それぞれに明確な相違があるという。<ミスティック・アーク>の最大の目的は、魔術を用いて魔法を生み出す事と鷹晃は聞いている。それが名前の由来である『神秘の箱を開ける』ことなのだそうだ。ウォズに言わせればメルゼクスなどは生粋の魔法遣いであり、鷹晃やマルグリットはその産物なので、とても希少価値が高いらしい。鷹晃にとっては、欲しいものならすぐにでも譲ってやりたい価値なのだが。
案内役の後ろについて城塞内を移動する。足音が三人分聞こえるのを確認して、鷹晃はシュトナ・ラフマニンを思い出した。あの物静かな少女は足音さえ立てなかった。物静かにも程がある。やはりあれは洗練された達人のなせる技だろう、と鷹晃は思う。どれほどの実力があるのか。並々ならぬものであることは疑い得ない。しかしそんな人物が何故〝プリンスダム〟に身をやつしているのか。いくら戦闘医療集団とはいえ、あれほどの実力者が上位に立たず一人の看護師として働いているのは不自然ではないだろうか。それとも彼女の上司、ラップハール・エノルはそれ以上の実力を持っているのだろうか。素直には信じられない。
「こちらです」
案内役の声で、思索の糸をたぐり寄せていた鷹晃は現実に引き戻された。静かだと思ったら、マルグリットが城塞に入ってから一言も口をきいていなかったのである。約束をしっかり守っているようだった。
「かたじけない」
と案内役に礼を述べて、彼が姿を消すのを待ってから扉を叩いた。
返事はなかったが、代わりに扉が独りでに開いた。これも魔術の力だろうか、と感心しながら鷹晃はマルグリットの手を引いて入室する。
部屋の奥で、城塞の女主人がロングソファに寝そべっていた。
しっとりとした美しい女性だった。鷹晃のものとは質の違う髪の黒は、どんな光をも貪欲に呑み込む闇そのものと思える。その長さは常軌を逸していて、彼女の身長の倍ほどはあった。蜘蛛の巣のような形で、長い髪が蛇の如く石の床を這って広がっている。陶器のように白い肌、名工の手による彫刻のごとき美貌。けだるげな雰囲気と神秘的な空気は紙一重なのだと感じさせるこの女性が、<ミスティック・アーク>最大の魔女、ウォズ・ヘミングウェイであった。
「お待ちしていましたわ、御門様。ガイエルシュバイクのお子様は余計だけれど」
「──!」
マルグリットは体内で爆弾が破裂したような反応をした。奥の方で感情が爆発したのだろうが、鷹晃との約束を守るため咄嗟に我慢したのだろう。わかりやすいことに両の拳を震えるほど握りしめて、ウォズを睨みつける。
烈火の如き苛烈な視線を受けても、魔女は宙に浮かせた書類の表面から目を逸らさずに微笑した。
「あら、偉いのね」
「ウォズ殿、久方ぶりでござる。すまぬが、マルグリット殿をからかわないでやって欲しいでござるよ」
「御門様がそう仰るのであれば。それにしても、どういったご用でございましょう? 随分とお久しぶりな気がするのですが」
鷹晃とマルグリットは部屋に入ったはいいが、奥まで進めなかった。部屋のほとんどにウォズの髪がのたくっていて足の置き場がないのだ。そういえば、髪の毛は魔力の貯蔵庫であるから魔術師は皆伸ばしているのだ、と鷹晃は思い出した。そうしてみると案内役の彼も、男にしては随分と長い髪をしていたのだなと思う。
「実は共和区の〝プリンスダム〟の事なのでござるが」
「〝プリンスダム〟? ああ、あの気にくわない女のところ……そこがどうされたのかしら?」
「単刀直入に申すが、手を引いて欲しいのでござるよ」
ウォズがこちらへ視線を向けた。珍しいことに、何をするにも億劫げな魔女が軽く目を見張っていた。
「手を引け、ですって?」
けだるげな声が困惑の響きに変わっている。
「突然で申し訳ないのでござるが、実は〝プリンスダム〟のエノル代表から──」
ウォズは鷹晃の言葉を遮った。
「いいえ、いいえ、お待ちになって御門様。待って頂けないかしら。一体全体、何の話ですこと? 私どもは共和区には指一本すら出していませんわよ?」
「なんと?」
とすると先程の表情は、身に覚えのないことを言われて驚いていたということか。しかし、今度は鷹晃が驚く番だった。
「手を出していない、と言うのでござるか?」
話が違う、という思いがあった。ここで食い違いが発生するということは、ラップハールかウォズのどちらかが嘘をついている可能性が極めて高い。虚偽や誤魔化しは許さぬ、と声に力が入ってしまうのはどうしようもなかった。
それに応えるためか、ウォズは上半身を起こす。部屋中の黒髪がその動きに引っ張られて動いた。
「本当でございますわ。私が御門様に嘘を言ったことがありまして? 誓って私ども<ミスティック・アーク>は〝プリンスダム〟には手を出しておりませんわ」
けだるさの抜けた真剣な表情は、確かに嘘を言っているようには見えない。鷹晃はしなやかな指を顎に当てて沈思した。ウォズが嘘をついていないとすれば、ラップハールこそが嘘をついていたということだろうか。しかし、実際にシュトナが男共に襲われている場面に遭遇したではないか。となると、あれはオーディス派の連中だったと言うことだろうか。それならば説明がつく。しかし、そう、これだけは確認しておかなければならない。
「では、医療機関として引き込もうともしていないと……?」
「勿論ですわ。私、あの女が半年前の事変の時から嫌いですのよ? あのラップハールとかいう女、何を勘違いしたのか私に指揮がどうのこうのと、直接抗議してきたんですもの」
内容は聞かずとも容易に想像出来た。ガイスト・メルゼクス事変の際、ラップハールが周囲の反対を押し切り、警備も物ともせずウォズの部屋へ乗り込み、こう言うのだ。
『あんたの指揮がまずいから怪我人が増える一方だ! なんとかしやがれ!』
と。実際、当時のウォズはそう言われても仕方なかった。ガイスト軍とメルゼクス軍の戦争が始まっていたというのに、それでもオーディス派と内戦を続けていたのだから。正確には戦術指揮がまずかったのではなく、戦略思想そのものが間違っていたのだが、専門家でないラップハールにはそこまでわからなかっただろう。
とうとうマルグリットが激発した。
「ええい! さっきから聞いておれば嘘ばかり並べたて──ぶほゥッ!?」
鷹晃は何気ない動作で素早くマルグリットの口を塞いだ。
「ウォズ殿、大変失礼したでござる。知らぬ事とはいえ疑ってしまい、大変申し訳ない」
鷹晃はウォズに向かって深く頭を下げた。掌に、鷹晃なぜ謝るのかねお前は悪くないぞ、というマルグリットの叫び声が当たってはくぐもる。
鷹晃の謝罪に気を良くしたのか、それともマルグリットがおもしろかったのか、ウォズは口元に手をやってころころと笑った。
「いえいえ、滅相もございません。誤解がとけて何よりでございますわ。それにしても、一体どういう話でございますの?」
この問いに鷹晃は一瞬だけ逡巡した。話して良いものかどうか、判断がつかなかったのだ。ラップハールが嘘をついていたのならば、それはそれで処理するのだから別にかまわない。だが、あちらも嘘をついていたわけではなかった場合は、ウォズとラップハールとの間に無用の不協和音を生むことになるだろう。
話すのは真相が判明してからだ、と鷹晃は判断した。
「申し訳ない。今はまだ言えぬでござるよ。これよりオーディス殿のところへ向かうので、全てが判明すれば説明させていただくでござる。それまで待って頂きたい」
「はい。かしこまりましたわ」
拍子抜けするほどあっさり、ウォズは承諾した。鷹晃が驚いて顔を上げると、けぶるような微笑みがあった。
「……あら? どうなされたのかしら? 私、おかしな事を言いました?」
「いや、そういうわけではござらんが……随分と簡単に納得されたので少々驚いているのでござるよ……」
「まあ……」
鷹晃が、そんなに今の拙者の顔は可笑しいのだろうか、と思うほど満面の笑みを、にっこり、と浮かべるウォズ。彼女は快諾の理由をこう語った。
「だって御門様は嘘をつきませんもの。半年前の時もそう。あなたはガイストの元から生還しただけでなく、メルゼクスとの戦いからも生きて帰ってこられましたわ。覚えてらっしゃいます? あの時、御門様が私に仰った言葉」
「……?」
思い出せない鷹晃に、ウォズは微苦笑して続けた。
「おぬしは魔術師であろう? ならば祈ってくれ。さすれば拙者は魔法となって必ず生還するでござるよ──と」
「……!?」
瞬間的に思い出して、鷹晃は顔が真っ赤になるほどの熱さを全身に覚えた。
──せ、拙者はなんと恥ずかしい事を!
「素敵でしたわ、御門様。悪魔と契約する前でしたら、きっと間違いなく、私の魂はあなたに奪われていたはずですわ」
「……!」
うっとりするウォズに向かって、鷹晃はトマトが真っ青になって裸足で逃げ出すほど頬を赤く染めて、二の句が継げずにぱくぱくと口を開閉した。
あの時は切羽詰まっていたし、本気で死を覚悟していたし、その前に少しは気の利いたことを言ってみたかっただけで、特別な意味は全くなく、ましてやウォズが思っているようなつもりで言ったのではないのだ──と。そう言いたい鷹晃だったが、頭の中がこんがらがってしまって上手く喋れなかった。
こうして抑止力を失ったマルグリットが爆発する。
「さっきから大人しく聞いていれば余の鷹晃に色目を使いおってぇぇェェッ! そこになおれ! 我が魔剣デストリュクシオン・アンペラトリスで灰燼にしてくれるわ!」
文字通りである。腰の剣を引き抜いたマルグリットの全身から爆炎が溢れ出した。だが、本来なら噴水の如く湧き広がる炎は不可視の壁に阻まれたように、マルグリットの周囲を邪龍のようにうねり巡る。ウォズの部屋に常備されている結界の効果だろう。
「あらあら、ガイエルシュバイクのお子様ったら。悪ふざけが過ぎてましてよ? おいたをする子供にはきついお灸を据えないとね……!」
部屋中に張り巡らされたウォズの黒髪が、生命を得たように浮かび上がった。この世のどんな生物でも取らない動きで蠢くと、目に見えない魔力がたぎり、室内の大気をびりびりと振動させた。
両者は激しく睨み合う。
マルグリットの炎は制御可能な異能の力であるので、望むもの以外を燃やさぬように出来ている。そのおかげで焼死を免れた鷹晃は慌ててマルグリットの小柄な体を小脇に抱えた。
「ををっ!? 何をするのかね鷹晃!? 余はお前のためを思ってあの馬鹿女を消し炭に──」
「約束を違える気でござるかマルグリット殿!」
「……はうあッ!?」
言われて思い出したらしい。彼はよく『貴族精神』がどうこうと言うのだが、その中には『高貴なる者は約束を破らない』というものがあった。それ故に彼は自分の行動を的確に指摘されて大きな衝撃を受けたのである。
自己確立理論に矛盾を突き付けられて硬直したマルグリットはこれで良いとして、もう一方のウォズも完全に臨戦態勢だ。
メデューサのように髪を波立たせるウォズに鷹晃は、
「申し訳ござらんウォズ殿! 急ぐので拙者これにて!」
と引きつった愛想笑いを浮かべ、マルグリットを抱えているのとは逆の手をしゅたっと立てると、全力で走り出したのだった。
鋭くそれでいて流れるような動作で踵を返し、走り去っていく鷹晃の背にウォズはぽつりと呟いた。
「女なんかにされなければ私が奪っていたのに……口惜しいですわ」
人差し指を唇に当てて、本気で拗ねた顔をする〝クライン〟最大の魔女だった。