●受難、現在進行形 4
透き通る蒼穹に、一つの太陽と四つの月。その下に広がるのはパズルのピースを適当に組み合わせたような大地だ。森が茂っているかと思えば、その隣には砂漠。かと思えばすぐ近くに火山帯。統一性の全くない【ちぐはぐ】な世界。それが〝クライン〟である。
そんな〝クライン〟にある街は、現在四つ。どれも未だ正式名称は与えられていない。
まず、昔から〝クライン〟に存在していた『中央区』。ガイスト・メルゼクス事変より以前から〝クライン〟に流れ着いた人々が暮らしている。半年前の争乱で一番の被害が出た地域でもある。ガイストとメルゼクスの両者はこの地区に居城を構えていたのだ。
中央区の北東にあるのがオーディス派の街。安直に『北東区』と呼ばれているが、別名<鬼攻兵団>ともいう。同様にウォズ派の街は中央区の北西にあるため『北西区』というが、こちらも俗称があって<ミスティック・アーク>とも呼ばれている。その他勢力の街『共和区』は中央区の南に位置しており、『南区』と称されることもある。全体を俯瞰すると三角形を描いているのがわかるだろう。
<鬼攻兵団>と<ミスティック・アーク>と『共和区』はそれぞれ中央区を介して繋がってはいるが、それぞれの境界線上には厳重な防衛戦が張られていて、移動は容易ではない。街の全体は不毛の大地に囲まれており、野獣や盗賊などが出没するため、こちらを通るのも骨が折れる。
とはいえ鷹晃やマルグリットほどの有名人となれば、関所を通るのはそう困難なことではなかった。ガイスト・メルゼクス事変からまだ半年だが、彼女らがガイストを討ちメルゼクスを追いつめた事件は早くも〝クライン〟の歴史の一ページとなっている。関所に立つ人間の中にも鷹晃達と肩を並べて戦った者達が多く、それぞれの街への移動に関して特に問題はなかった。
問題があったのはむしろその後である。
鷹晃は早速、北西区の<ミスティック・アーク>を訪ねていた。善は急げ、ということである。本当なら鷹晃一人で向かいたかったのだが、マルグリットがどうしても駄々をこねるので連れてきていた。スターゲイザーはいつもの如く、その能力を生かして情報収集を行っているし、ガルゥレイジには〝プリンスダム〟の監視兼警護を指示してある。動けるのは実質二人だけだった。
「くれぐれも滅多なことは口にするものではござらんよ、マルグリット殿?」
「まかせるがいい鷹晃! この余にかかれば交渉の一つや二つ!」
「いやいや、喋らなくても良いと言っているのでござるよ。お願いでござるから」
「む、むぅ? そうなのかね……?」
やんわりと気勢を削がれて、寂しそうなマルグリットだった。
ガイスト・メルゼクス事変が終息してから、〝クライン〟では革新的な技術交換が行われ続けている。様々な世界の様々な時代から人々が集まっているのだ。そこには明確な技術の違いが生じる。技術者たちは各々の知識や理論をぶつけ合いながら、技術革命と呼ぶべき現象を現在も進めている。あるいは未来の超技術。あるいは太古の喪失技術。そういったものが混ざり合い、融合しながら技術力を高めつつある。
そういった事情もあって、どの街も歴史の坩堝のような様相を示していた。例えば木製の家の隣に、特殊構造材製の建造物があったり。例えばコンクリートの建物の裏手に、大きなテントがいくつも張られていたりする。
いずれは技術水準が確定されて違和感のない光景が生まれることだろう。その時にはきっと『これぞ〝クライン〟独自の文化!』と豪語するに足る風景が眺められるに違いなかった。人々がそれぞれの世界に帰る術を見つけられなければ、の話であるが。
そうしなければ文句を言うのでマルグリットと手を繋ぎながら、鷹晃は歪なパズルのような街を歩く。初期の頃は元の世界に戻りたがる人々による暴動が相次いで発生していたが、今ではほとんどの者が大人しく毎日を過ごしている。諦めたのか、前向きになったのか。どちらにせよ生きていかねば埒が明かない。生きるためには働かなければならない。そのためには人はいくらでも精力的になれるのだ。
二人は喧噪の絶えない市場を通る。ここを通り抜ければウォズのいる城塞にたどり着く。
「ほほう、あの馬鹿女でもそれなりに統治の才能はあるようだな。景気が良いではないか」
「ウォズ殿もオーディス殿も、元々の世界では王だったのだから当然でござろう」
鷹晃達の住む共和区は、中央区の暫定政府の統治を受けている。<ミスティック・アーク>と<鬼攻兵団>はそれぞれ自治区という扱いだ。現在、自治区の二つは中央区の暫定政府と手を結んで〝クライン〟全体の社会機構の建築に協力しているが、その一方ではどちらも政権を握るために反目し合っていた。かつてはメルゼクスが腰を据えていた最大権力の座は、今は空である。近い将来、ウォズかオーディスのどちらかがそこに座るというのは、決して難しい想像ではない。
規模は小さいが、まるで戦国時代のようだ、と鷹晃は思っている。群雄割拠とは、今の〝クライン〟には実に似合った言葉ではないだろうか。いまや〝クライン〟最大の英雄と言えば鷹晃だが、そうでなくともガイスト・メルゼクス事変によってこの時空の狭間に呼び込まれた人々は誰もが英雄になる素質を持っているのだ。例えばすぐ隣にいるマルグリット・フォン・ガイエルシュバイクもそうだ。彼は多人数を相手取る実力ならば鷹晃を優に凌ぐ。スターゲイザーの知謀は計り知れないし、単純な戦闘力だけを比べるならガルゥレイジは間違いなく〝クライン〟最強だろう。
そう、その気になれば鷹晃とて人々を結集し、第三の勢力となって天下を目指すことだって可能なのだ。
と言っても、実際には元の体に戻るため東奔西走しているだけでそんな余裕など全くないのだが。
市場は耳が割れんほどの声と音に占領されていた。作物はともかく、鉱石などは鉱山が拓かれたりしているわけではないので、ほとんどの物が拾得物だろう。街の周辺には他の世界から流れ着いた物が所狭しと転がっている。その中から発掘してきた物を並べているのだ。
武器を並べている店もあった。〝クライン〟にはまだしっかりした警察機構がないため、基本的には自分の身は自分で護らなければならない。そのためのものだった。
マルグリットは甘そうなお菓子を見ては目を輝かせるが、すぐに貴族の矜持がそれを邪魔して表情を引き締めさせる。ころころと変わる百面相がとても可笑しかった。
鷹晃は適当に飴を一袋買い、マルグリットに与えた。レアメタルを加工して作った貨幣『ラグ』を代金分、店主に渡す。
「よ、良いのかね鷹晃? よ、余は別にそのようなもの欲しかったわけではないのだが……」
照れるマルグリットに鷹晃は微笑み、手に飴袋を握らせる。
「ウォズ殿の所で大人しくしてもらう駄賃でござるよ。遠慮は無用でござる」
ぱっ、と少年の顔が花開いたようだった。
「そうか、なるほど! 流石は鷹晃だ、よくわかっているではないか! 余のような高級貴族は見返りを求めているわけではないが、その好意にはそれ相応の報償があって当然──」
照れ隠しにくどくどと言い並べようとするマルグリットを黙らせるため、鷹晃は袋から飴を一つ取り出してその口に放り込んだ。
マルグリットは異物感に口を閉じて、目をぱちくりとさせる。だがこれで沈黙すると思っていた鷹晃は、勿論甘かった。
「すごいぞ鷹晃! お前が選んだだけはある! すごくおいしいぞ!」
「そ、それは良かったでござるな……」
先程からマルグリットが口を開くたびに、周囲の人々が何事かと視線を向けてくる。彼の声は市場の騒音の中にあってなお、よく響くものだったのだ。
まるで子供である。確か年齢は鷹晃とそう変わらず、十五か十六だったはずなのだが。貴族の生活では甘やかされ過ぎてあまり精神が成長しないのかもしれない。
あんまり恥ずかしいので、鷹晃はマルグリットの手を引いて足早にウォズの元へ向かった。