●魂の剣 2
意外にも『封印の概念』は使用されなかった。後の切り札として準備しているのか、他に何か理由があるのか。警戒だけは忘れないようにしようと決めて、鷹晃は動く。
五人の敵の内、こちらへ向かってくるのはオーディス、シュトナ、楽那の三人だ。ラップハールとウォズはその後ろ。最初の位置から動こうとはしなかった。マルグリットの声が走る。
「鷹晃! 余の剣を使うかね!?」
いや、と鷹晃は首を横に振った。かの魔剣はマルグリットが手にしてこそ本領を発揮する。鷹晃が握ってしまっては、総合的には戦力の低下となる。それに、
「一つ、試したいことがあるでござるよ」
笑みと共にそう言い残して鷹晃は地を蹴った。前へ向ける視界の端で、一瞬、マルグリットのぱっと咲くような笑顔を見た。
紫電をまとった剛腕を携え、オーディスが迫る。その背後に少し遅れてシュトナと楽那。少女二人はそれぞれの熱刃と拳銃を手にしている。
さらにその奥ではウォズが黄金の魔杖を振り上げている。変幻自在の魔術が襲いかかってくる予兆だ。その隣ではラップハールが黒衣のポケットから両手を取りだし、指をもって素早く印を組んでいた。
前衛同士の彼我の距離が縮まっていく最中、鷹晃の背後でとんでもなく太い火柱が天に昇っていた。異空間にマルグリットの笑い声がこだまする。
「フハハハハハハハハハハ────────ッ!」
どうやらマルグリットは絶好調であるらしかった。炎の塔が突然穂先を下に向け、毒蛇の如く大地に向かって飛び出した。炎の龍と呼ぶべき熱量の塊が、敵側の後衛──ウォズとラップハールに躍りかかる。
あの二人はマルグリットに任せよう。そして自分は目の前の三人を相手にする。そう鷹晃は決断した。
接敵する。二本の角から稲光を発するオーディスと一瞬の対峙。金鉱を有しているような彼の双眸は勁烈な輝きを放っていた。戦闘を楽しむ、修羅の顔である。
「──ッハアッ!」
笑いながら太い腕を、魚を捕る熊のように振り下ろす。風と稲妻を巻くその手に向かって鷹晃は、
「!」
両手を手刀にして、最小の動作で突き入れた。右の貫き手。意識を集中してただ一念『断て』と。
「!?」
掌が青の光を纏った。その瞬間、鷹晃の手刀がオーディスの掌へ何の抵抗もなく突き刺さった。
「うおっ!?」
驚愕で唸るオーディスの喉。鬼の一撃は自身で止められぬほど勢いがついていた。そのまま振り抜いてしまい、自らの力でその掌を裂いた。その後の行動は本能的なものだろう。彼の身体は一時撤退を求め、仰け反った。
刃物を平手で叩いたようなものだった。真っ二つに割れた手から人間よりも赤黒い血をしぶかせて逃げるオーディスを、鷹晃は追わない。その背後からシュトナと楽那が来ている。二人の戦闘ナースはそれぞれの利き手に一振りの熱刃を構え、こちらへ飛び込んでくる。
熱波の爆発。視界の外でマルグリットの炎が炸裂したのだ。見ると、ウォズが彼の炎に対して何かしらの魔術で抵抗している。何の魔術か、と確認する前にその隣のラップハールが目に入った。ちょうど複雑な印が完成するところで、口紅を塗った唇から男らしい声が生まれた。
「身体強化術、起動!」
劇的な変化が起こった。ラップハールに、ではない。その部下であるシュトナと楽那に、である。
二人の動作速度が目に見えて速くなった。
「!?」
瞬く間に二人の姿を見失った。まるで転移したかのようだった。一瞬の残像を残して、二人は鷹晃の視界の外へ姿を消した。足音だけが鷹晃の唯一得られる情報になる。四つの足音は重なるほど連続で響いて鷹晃を取り囲んだ。
鷹晃は咄嗟に目を閉じ、耳に神経を集中させる。両手に刃を思い描き、二人の攻撃の気配を読む。
不意に気付いた。彼女らが足音を立てるはずがない。
「!」
そして開いた目の前にシュトナと楽那がいた。
「……!」
二振りの熱刃が襲いかかってくる。青と赤の光が交差して十字を描く。が、鷹晃は咄嗟に一歩引くことでこれを紙一重で避けた。
彼女たちは、鷹晃の流派で『音無』と呼ぶ技術を習得している。その動作は一切の音を立てない。足音は攪乱するための雑音だったのだ。気付くのが遅れていれば間違いなくやられていた。
身体強化。ラップハールをサポートにしたコンビネーションが彼女たちの戦術か。見事なものだ、と鷹晃は思う。人命を救うと言うことは、弱っていく生命力を逆に強化することだ。だから〝プリンスダム〟院長であるラップハールの強化術の腕は生半可ではあるまい。そして二人の戦闘ナースが持つ元々の実力。その二つが合わさった時、三人の女は百人の男に勝る戦闘力を生み出すのだ。
だが、そこまでだ。鷹晃はこの時、冷静沈着を極めていた。集中力がみなぎり、シュトナと楽那の動きがやけに遅く感じられた。
両の手刀を斬りたいと望む場所へ当てるだけで良い。青い光にうっすらと覆われた指先を、最短距離で伸ばす。熱刃が目の前を通り過ぎた瞬間、鷹晃の両手が戦闘ナース二人の手元へ吸い込まれた。
熱刃の刀身、その根本に指先を突き入れる。そこに顕現していた空間断裂の力は、いともたやすくその部分を断つ。
横薙ぎの太刀を放ったシュトナの熱刃は、そのまま刀身が向こうへ飛んでいった。振り下ろした楽那の刀身は、地面に深く突き刺さった。
「「……!?」」
二人が一斉に息を呑む。総毛立ったかのように身を震わせ、彼女たちは燕のような軽やかさで飛び退いた。
「鷹晃!」
歓喜に満ちたマルグリットの声が背中にかかった。武器無しでも立派に戦う鷹晃の勇姿に感動したのか。
武器がなければ空間断裂が使えないというのは思い込みだ、とは能力が芽生え始めた頃からずっと言われていた。能力は鷹晃自身のものであって、白洸と対にならなければ発動しないという代物ではない、と。
他の誰でもない、スターゲイザーに。後にウォズにも同様のことを言われた憶えがある。
白洸を失って初めて試してみた。上手くいくという確証はなかったが、何とか出来るという確信はあった。その結果は今この両手にある。
「ハッ! こいつぁ驚いたぜ鷹晃ぁ! おめぇいつからそんな芸当ができるようになりやがった!」
早くも手の傷が治癒しかかっているオーディスが嬉しそうに言う。鬼族だけあって再生能力が尋常ではない。ある意味、鷹晃も安心して戦える相手だった。
「ついさっきでござるよ」
軽い調子で応えて逆襲に出る。負傷した右手を左手で庇っているオーディスへ。触れるだけで切れる手刀で、さらに足を狙った。
鷹晃も長身だがオーディスはさらに大きい。したがって彼の脚部は狙いやすかった。
どちらにせよ殺す気はない。状況がこうなってしまっては戦わざるを得ないが、それでも最終的には和解を目指したかった。そのためには鷹晃は不殺でなければならない。一人でも殺してしまえば和解の道は閉ざされる。だから、殺さず、勝たねばならないのだ。
自分が選んだ道が一番過酷で険しいことを鷹晃は知悉していた。つい先刻、マルグリットが提案したこの方針を『それが出来れば苦労しない』と却下したのは他でもない鷹晃自身だ。だが、やるしかない。自分たちはもうそこまで追いつめられたのだから。
オーディスのどちらかの足を切り落とすつもりで、鷹晃は襲いかかった。ほとんど不死身と言って良い肉体を持つ彼ならば、どれだけ傷つけようとも殺さない限りは回復するだろう。だから、オーディスだけはしばらく再起不能になるほど傷つけなければならない。
片手を庇いながら動くオーディスなど簡単に捉えられた。
「もらった!」
瞬時に隙を見つけ、撫でるようにオーディスの右足を太股から斬る。
が、血がしぶく前に閃光が迸り、鷹晃の全身を衝撃が駆け抜けた。
「がっ──!?」
それが、傷つけられた瞬間、オーディスが無秩序に放った雷撃だったとはすぐには気付かなかった。
「グハハハハッハッハァッ!」
豪快かつ獰猛な笑い声。それにつられて視線を向けた鷹晃は、オーディスがこちらに両手を向けているのを見た。その右手に傷は見えない。何故なら、両手とも凄まじい光を放つ雷電を握っていたからだ。
撃たれる──そう思っても雷撃で痺れた身体はすぐに動いてくれなかった。ただ、自分の攻撃の成果は見えた。オーディスの右足は確かに切断されていた。断面から果汁のごとく血が流れ出ている。鷹晃の空間断裂は正確には『斬る』のではなく『離す』ものなので、切断する際に細胞や血管を潰したりしない。そのため斬られた部位の血管は当たり前のように血液を流して、外にこぼしてしまうのだ。
空気を掻きむしるような音を立てて紫電がオーディスの両掌に凝縮する。それが爆発する直前、
「鷹晃ぁ────────ッ!」
マルグリットの青白い炎が来た。
「「!?」」
横殴りの突風のようだった。左から来た怒濤のごとき烈火に鷹晃とオーディスは呑み込まれる。
「ガァアァアァアァアァ──!?」
オーディスが野獣の咆哮のような叫び声を上げる。超高熱の炎に全身を炙られているのだ。肉と血の焼け焦げる匂いが一瞬で周囲に充満する。一方、鷹晃は無事だった。マルグリットの炎はその心が望むものだけを焼くのだから、彼女が傷つくはずもない。
巨大なバケツをひっくり返したような大量の水が降ってきた。ほとんど瀑布だ。天から落ちてきた水の壁がマルグリットの炎を遮る。ウォズの魔術だろう。膨大な水蒸気が発生して周囲は白い闇に覆われた。
ただでさえ雷撃に灼かれて身体全体が熱いというのに、沸騰した水蒸気を浴びては全身が火傷でただれて死んでしまう。痺れる身体に鞭を打って鷹晃は脱出を試みた。
真っ白なもやを抜けると、そこには炎の軍神のごとき姿のマルグリットがいた。愛剣デストリュクシオン・アンペラトリスを振り上げ天を突き、その全身を極太の青白い火柱が包んでいる。炎は生きているかのようにうねり、捻れながら天へ昇り、途中で何十本もの鞭へと別れている。その大小様々な炎の鞭は、十六人のウォズを相手にしていた。
対多人数戦闘はマルグリットの十八番だった。自由自在かつ強力無比の火炎。それでいて敵味方を選別が出来るとくれば、戦う者にとっては実に理想的な武器と言えるだろう。
幾十もの炎は蛇のように動き、龍の如く暴れ回る。鷹晃との戦いと同じように十六人に別れたウォズはそれぞれがそれぞれの魔術を行使して抗戦しているが、意外にも苦戦しているようだった。以前であれば変幻自在かつ比肩しうる者のない魔力は、マルグリットの炎を容易に超える力を見せつけたというのに。
「フハハハハハ、ハハ、ハハハハハ────────ッ!」
狂気に呑まれたかのような笑い声が、マルグリットの口から生まれては炎と共に天に昇る。もしかすると彼の精神状態が異常に高ぶっているおかげだろうか。
鷹晃のよそ見もそこまでだった。
「!」
背後から水蒸気を突っ切って現れた二つの人影がある。
黒衣の天使だ。
シュトナと楽那はどこから持ち出したのか、新しい熱刃を片手に携え、もう片方に拳銃を構えていた。その素早さを生かして近距離で引き金を引くつもりだ。線の攻撃である熱刃が無効化されたため、点の攻撃に変更したのだ。
まだ痺れの抜けきらない鷹晃の身体では対処しきれない。だから彼女は叫んだ。
「マルグリット殿!」
それだけでもう二人の心は通じる。鷹晃の呼び声に応えるように、炎が飛んできた。
「「!」」
音もなく鷹晃に接近してきた二人は弾かれたように飛びしざった。が、それでも引き金を引くことを忘れない。鷹晃に向けて出来る限り連続で発砲した。
青白い炎が鷹晃を包み込む。敵にとっては脅威だろうが、鷹晃にとっては守護の衣だ。拳銃から撃ち出された弾丸は、鷹晃に届く前に炎と熱に呑まれて消えた。
ウォズが風を起こしたのか、煙のように立ち上っていた水蒸気がばっと晴れる。そこには黒こげになったオーディスが倒れていたが、すでにその表面ではもの凄い勢いで体液が泡立ち、肉体の再生が進められていた。
そして不意に来る脱力感。
『!?』
電源を切られたかのように全ての能力が力を失った。
マルグリットの炎が消え失せ、十五人のウォズが姿を消し、残った一人が大地に降り立つ。ラップハールの肉体強化の効果も消えたのか、シュトナと楽那の動きが止まる。例外はオーディスで、その肉体再生は止まることなく続いていた。
「おやおや、いつの間に剣が無くとも戦えるようになっていたんです?」
スターゲイザーの声が響いたことで『封印の概念』が使用されたということを確信した。
「どうやって使ってくるかと思えば……オーディス殿が回復するまでに時間稼ぎでござるか」
鷹晃は質問を無視して、逆に問い返した。
「もしくは他の方にも危機が及べば。ガイストは使い方が下手だったんですよ。上手く活用するなら、必要な時だけ使用するべきだったんです。自分の力まで抑えてしまうんですからね」
一方、スターゲイザーは素直に答える。余程、今の状況に自身があるのだろう。打破されない、という自負が。
「肉弾戦なら私共も引けを取るつもりはありません」
これまで無口だったシュトナが冷たい声で言った。意味を無くした熱刃と拳銃をその場に放り捨てる。
「ボク達二人が揃っていれば、院長の強化が無くても無敵だよっ!」
同じく武器を手離した楽那が格闘の構えを取った。鷹晃は二人の構えからその種別を見分ける。おそらく、シュトナが足技主体で、楽那が取っているのは拳闘の構えだろう。似ているようで、やはりどこか正反対の二人だった。
「では、オーディスさんが回復するまでその二人のお相手を願いましょうか。ウォズさんはそのまま休憩を。マルグリット様もどうぞ遠慮無く」
「ふざけるな! 誰が休憩などするものか!」
「剣を持っているといってもそれはただの増幅器ではありませんか。どうせ役に立たないのですから、大人しくしていた方が賢明ですぞ?」
「貴様──! 姿を見せていないからと言って図に乗りおってぇ……!」
スターゲイザーの見え見えの挑発にのって頭に血を上らせるマルグリットを、鷹晃は制する。
「落ちつくでござるよ、マルグリット殿」
「しかし鷹晃!」
「怒る価値もござらん。マルグリット殿の思いが勿体ないだけでござるよ」
「む……」
我ながら少しはマルグリットの御し方を覚えたようだった。こう言えばマルグリットが大人しくなる、というのが何となくわかる。
やや痺れが抜けてきた身体で、鷹晃は空を見上げた。何処にいるともわからないスターゲイザーに語りかける。
「スターゲイザー殿、一つ約束して欲しいことがある」
片手を上げて前面のシュトナと楽那に掌を向ける。話が終わるまで少し待って欲しい、と。
スターゲイザーは一瞬だけ沈思したようだった。微妙な間を置いてから、
「出来る約束ならば、ね」
と返してくる。話に付き合うことでも時間稼ぎになると考えたのだろう。
鷹晃は言った。
「この戦い、拙者達が勝っても負けても二度とおぬしたちに手を出さないと誓う。その代わり、そちらもそうして欲しい」
「ほう? これはこれは、勝つ気満々ですな」
嘲弄するように笑うスターゲイザーの声に、鷹晃はさらに声を重ねた。
「でなければ互いに血で血を洗うことになるでござる。おぬしと拙者は、かつては衣食住を共にした身。それだけは避けたい。約束してはもらえぬだろうか?」
真摯に訴える。これは紛れもない、鷹晃の本心だった。
スターゲイザーはつかの間、沈黙した。何かを考えているようにも、ただ迷っているようにもとれる数瞬。それを置いて、彼は頷いたようだった。
「よろしいでしょう。ただし、あなた方が勝てば、の話ですがね。こちらの目的は散々説明したでしょう。危険要因は取り除かなければならないんですよ」
「ありがとう、恩に着るでござる」
鷹晃は微笑んだ。
そんな彼女の表情に、その場にいるほとんどの者が驚き、目を見張り、息を呑んだ。
この期に及んでまだ笑うのか──と、言葉にならない声が聞こえるかのようだった。
確かに笑うような状況ではないのかもしれない。だが鷹晃は安心していた。それが反故にされるとは微塵も考えていない。和解への道がかすかでも開いたことを、ただ喜んでいた。良くも悪くも、それが御門鷹晃という人間の特徴だった。
そして笑ったまま、
「では、いざ尋常に勝負するでござるか!」
自信に満ち溢れた表情と声で、そう宣言した。




