●魂の剣 1
安息の時間はそう長くは続かなかった。
「さて、そろそろ休憩時間は終わりでよろしいかな?」
北西区の片隅、建物の隙間に身を潜めていた鷹晃とマルグリットの耳に、突然そんな声が響いた。
「「!?」」
二人は素早く立ち上がって周囲に視線を振りまいた。聞こえてきたのはスターゲイザーの声だった。間違いない。が、声はすれど姿は見えない。
「おのれスターゲイザー! 姿を見せぬとは卑怯だぞ!」
鷹晃の予想は当たっていた、というべきだろう。『封印の概念』の力をスターゲイザーが持っている限り、もう二度と彼は鷹晃達の前に姿を見せないだろう。
鷹晃は駄目で元々と、一応和解案を提示する。
「スターゲイザー殿、拙者達はどうしても戦わねばならぬのか? 話し合いで手を打つことは」
「できませんね。わかっているでしょう、そんなことは」
言葉の途中で冷然と却下された。
「……やはり駄目でござったか」
「ええ、当然でしょう。あなたという存在が脅威そのものなのですから。不治の病と和解することがあなたには出来ますか? 根絶するに決まっているでしょう」
スターゲイザーの言葉には容赦がない。こちらを病原菌扱いだ。関係の修復は絶望的だった。
「おのれっ! 貴様、鷹晃を愚弄するか! この裏切り者! 貴様のような奴を下衆と言うのだ! 余は貴様を絶対に許さんぞ! 正々堂々と出てくるがいい!」
「お望みとあらば」
指を鳴らす音がどこからか聞こえてきた。
刹那、周囲の風景が変わる。
「「!」」
鷹晃はこの感覚を知っている。つい数時間前に経験したものだ。あの時は目映い光に包まれての事だったが、今回は違った。周りの景色がありえない形に歪み、捻れていく。吐き気をもよおすほど不気味な感覚だった。自分の視覚が狂ってしまったのかと錯覚してしまう。洒落にならない酩酊感があった。
ぱっと開けるように目に映る光景が激変していた。そこは鷹晃には見覚えのある場所だった。
果てしなく広がる黄土色の大地。視線を遮るものなど何も無い。雲一つ無い空に、照りつける太陽。空気の手触りすら感じられそうなほど精巧な、ウォズの『異空間』だった。
役者は既に揃っていた。
右から順に、オーディス、ラップハール、シュトナ、楽那。そんな四人の上空に、長い髪とローブを翼のようにはためかせているウォズが浮かんでいる。
「本日で二回目のご招待ですわね。ガイエルシュバイクのお子様もようこそ。ここがあなた方の墓場になりますのよ」
にこやかに言ってウォズは、ふわり、と羽毛のように大地に降り立った。魔術によって飛んでいた魔女が地に降りた、ということはこれからスターゲイザーが『封印の概念』を使用するのだろう。この異空間全体に。
敵は一枚も二枚も上手だった。こちらが策を練り、新しい武器を調達する時間など許さなかった。あるいは最初から鷹晃とマルグリットの位置を把握しておきながら、わざわざなけなしの希望を抱く時間を与えていたのかもしれない。そして、それをすぐに奪って絶望させるためだけに、待っていたのかもしれない。スターゲイザーの性格を考えれば、それぐらいの演出はやってのけそうだった。
鷹晃は眼前の五人に問いかけた。
「スターゲイザー殿はどこにいる?」
「ミーローなら隠れてるぜ、ミスター」
「ラップハール殿……」
答えたのは炎のように赤い髪をした黒衣の女だった。濃すぎる紅茶のような瞳には、鷹晃が読み取れるような感情は浮かんでいない。
「何故でござる。何故おぬしが拙者を抹殺する計画に荷担するのでござるか?」
ラップハールは黒衣のポケットに両手を入れたまま、こう返答する。
「言っただろうミスター。あたしら〝プリンスダム〟は戦闘医療集団だ」
彼女の隣に立つシュトナと楽那が同時に頷いた。シュトナは冷たい無表情で、楽那はこちらを強く睨みつけて。
「あたしらには人命救助が唯一にして至高の信念だ」
昨日の会話をなぞるように、ラップハールは言い放った。その双眸に、苛烈な意志の光が宿る。
「助けなきゃならねえ奴らがたくさんいる。あたしらはそいつらを助けるために白衣じゃなくて、黒衣を着ているんだ。例え一人を殺してでも万人を救うために。その覚悟がこの黒だ」
初めて聞いた時は立派な信念だと思った。しかし、今、彼女の言う『一人』とは鷹晃のことを指す。頷くわけにはいかない。
「ミスター、あんたが生きているともっと多くの奴らが死ぬ。そういうことなら、あんたはあたしらの敵さ。恨むも憎むも好きにしてくれよ。覚悟なら出来てるんだ」
あくまで淡々とラップハールは言った。その平淡さが彼女の心の平静を、つまりは覚悟を示していた。彼女は鷹晃が何を言おうと心揺らぐことはないだろう。もう彼女は決断しているのだから。
シュトナと楽那も同様だった。彼女らの瞳は、既に死者を見るそれだった。その網膜には鷹晃の未来が像を結んでいるのだろう。息の絶えた、肉塊となった姿が。
「すると、拙者とマルグリット殿の身体を元に戻せるかもしれない、という話は嘘だったのでござるな」
これに対して、ラップハールは意外にも首を横に振った。
「いいや、それは嘘じゃねぇ。可能性なら十分にあった。あたしらは人体のエキスパートだし、こっちに来て勉強したこともたくさんある。理論的にはあんたらの身体は元に戻せるはずだった。魔法で変えられたって言っても、ただ必要な手順を飛び越えている程度だ。ちゃんと薬で戻せるし、その研究もちゃんとやっていた。図々しいが、これは信じてくれ」
そんなラップハールの言葉は、より一層鷹晃の心を重くした。彼女に誠意が見えてしまった。だからこそ彼女達はこれから、仕方なく鷹晃を倒そうとするのだ、とわかってしまった。
海水を吸った紙のように重く湿っていく心を、鷹晃は自力で支えた。つい先刻、自分に誓ったばかりではないか。他人は関係ない。自分の心こそが真実。折れるな。強くあれ、と。
目を伏せて雑念を振り払い、いつの間にか下げていた顔を毅然と上げる。ゆっくり瞳を開き、
「信じよう」
手短にそれだけ言った。鷹晃の言葉と態度をどう取ったのか、ラップハールは顔をはっとさせた。が、すぐに表情を改め、感情にカーテンをかける。鷹晃もその理由を追及しなかった。
ふと見ると、マルグリットがドーベルマンの如く獰猛な顔つきで前方の五人を睨んでいた。今にも噛み付かんばかりだ。いつもの彼ならそれこそ犬のように吼えているところだというのに。それほどまでに怒りを覚えているのだろう。感情が舌を圧して無口になるほど。
鷹晃は続けて問うた。
「ガルゥレイジはどうしたのでござる? あと、フライス殿の姿も見えないようだが……」
これは本来なら答えのもらえない質問だっただろう。だが、冥土の土産のつもりだろうか。彼らは律儀にも答えてくれた。
「あの化け物ならスターゲイザーとご一緒ですわよ、御門様」
「フライスの野郎は仕事があるってんでな、帰らせたぜ。まっ、ここにいても戦力になりゃしねえからなぁ!」
ウォズとオーディスの言葉が被さった後、巨漢の笑い声が続いた。呼吸が合ってしまったことに対してか、ウォズが鷹晃の前では滅多に見せなかった不満げな顔で、オーディスに横目を向ける。
やはりガルゥレイジはスターゲイザーに封じられている。当たり前の話だ。彼の竜としての力を、ここにいる者のほとんどが目の当たりにしている。そもそもガルゥレイジが自由ならばとっくに鷹晃に声が届いているはずだった。
「さて皆さん、お話しはそこまでにしておきましょう」
どこからともなくスターゲイザーの声が響いた。全方向から反響してきたように聞こえる。
瞬間、マルグリットに火が点いた。
「貴様ァッ! 姿を見せるがいい! それほどまでに余と鷹晃が恐ろしいかッ!」
全身から勢いよく炎を噴き出して、凄まじい形相で叫ぶ。怒り心頭に発するとはこの事だ。感情の圧がそのまま炎に及び、その色は最初から青白かった。
そんなマルグリットとは正反対の、涼しげなスターゲイザーの声。
「見え見えの挑発ですな、マルグリット様。そんなものに乗せられる私だとお思いですかな? さて、御門さん。お覚悟は決まりましたかな?」
この意地悪な問いかけに、鷹晃は堂々と胸を張って答えた。
「無論でござる」
「ほう?」
「おぬしを斬る覚悟がな」
平然と鷹晃は言った。その口元には、オーディスのようにくどくなく、ラップハールのような棘もなく、ウォズのような柔らかさもない、爽快な、それでいて不敵な笑みがあった。
刹那、隣のマルグリットがその表情に魅入られたように自失の顔を浮かべた。が、すぐに我に返ると何を思ったか、
「フハハハハハハハハハハッ! 見たか! 聞いたかスターゲイザー! 鷹晃が貴様を斬ると言ったぞ! 貴様を斬るとな! 本気になった鷹晃を知らぬとは言わせないぞ! 貴様こそ覚悟を決めるのだなッ!」
悪魔的な哄笑を上げてこんなことを言い放つ。この言葉だけ聞いていれば、マルグリットはまるで虎の威を借る狐のようだった。
どこかでスターゲイザーが満足げに頷くような気配がした。
「よろしいでしょう。では、死ぬまでの短い間、どうぞ無駄な抵抗を」
それが戦闘開始の合図だった。




