●白と灰色と黒 3
炎の女神、とかつてはそう呼ばれていた。ならば今は『炎の魔神』とでも呼ばれるだろうか。
魔剣デストリュクシオン・アンペラトリスを手に、炎に全身を包んだマルグリット・フォン・ガイエルシュバイクは傲然と笑った。
手加減、躊躇などといった言葉と彼の精神は、地上と雲ほどに関係が薄かった。鷹晃が傍にいれば窘められることもあるが、ここに彼女はいない。
ここにいるのはマルグリットと、額から二本の角を生やした褐色の肌を持つ男、その背後に並び立つ数人の男達だけだった。
アントン・フライスにオーディスの遺体を確認させろと迫り、案内されたのはどうやら訓練場らしき空間。色彩は打ちっ放しのコンクリートの灰色で、天井が高く、大勢で球技が出来るほど広かった。そこで待っていたのは誰でもないオーディス・アールストレーム。ただし、生きている、というのが頭につく。
オーディスは異相だった。巌から削りだしたような豪快な顔造り、額から伸びる螺旋型の二本の角、巨大な犬歯、そして褐色の肌。黄金を砕いて眼窩にはめ込んだかのような双眸は、まるで見知らぬ怪物のようである。鋼の筋肉を持つ巨体には防具などいらぬ、とばかりに素肌にシャツとズボンという出で立ちだった。見間違えるはずがない。こんな男、〝クライン〟どころか全時空世界を捜してもそうそう見つかるものではない。
にかっ、と男は太陽のように破顔した。
「よおチビジャリ。元気だったかぁ? つーか相変わらずちっこいなぁ!」
大きく口を開いて豪快に笑う。ガルゥレイジの声が地響きなら、この男は激雷だ。どちらにせよマルグリットにとって耳障りなことこの上ない。
「はっ! やはり生きておったかこの下郎が! 卑しい者はやることまで腐っておるな! 余と鷹晃を騙すとは愚劣にも程があるぞこの卑怯者! 貴様らの罪、万死に値するわ!」
声も高く啖呵を切る。言葉とは裏腹に彼の口角は釣り上がったままだ。正直なところ、マルグリットは嬉しくてたまらなかった。はっきり言ってしまえば、幼稚な精神の発露だった。マルグリットはオーディスが嫌いだ。さらに言えば、この〝クライン〟において鷹晃以外の者に存在する価値を認めていなかった。ましてやここ最近は破壊衝動を抑える日々が続いていて、欲求不満もはなはだしいところだったのだ。
今というこの時は、またとない絶好のストレス解消の機会だった。
「おーおー、俺はいっぺん死んじまったからなぁ、あと九九九九回死ななきゃならねえってか? たまんねえなぁ!」
マルグリットの台詞を子供の戯言のように、オーディスは派手に笑う。彼は右手の親指で自分の胸をさすと、
「しかしよぉマルグリット、俺ぁ念のために一回死んだんだぜ? こう、熱刃ってーのか? あいつをここにブッ刺してよぉ。なのにおめぇらと来たら確認もせずに帰っちまうんだもんなぁ。フライスの奴が念のために追い返したっつーんだけどな、俺としては残念でしょうがなかったぜぇ?」
体格に似合わず茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせる。いつもの事ながら、この偉丈夫には明るさしかない。この性格こそが<鬼攻兵団>を支えている男柱なのだろう。天衣無縫がオーディスという男のカリスマだった。
しかしマルグリットはそんな些末事に興味はなかった。愛剣を振り上げ、切っ先でオーディスを含めた男達を指す。
「黙れ! いけしゃあしゃあと賢しげな口を利くな! 貴様がどんな小細工を弄していようが余には関係ない! 余の大切な鷹晃をたばかった罪を心底から悔いて煉獄に墜ちるが良いわ!」
勁烈なマルグリットの感情が噴き出したかのようだった。少年の全身を覆っていた炎が爆発的に勢いを増した。
炎。それがマルグリットの誇る異能だった。その火炎は彼の意志の望むがままに動き、その戦意の向かうものだけを焼き尽くす。火力と火勢はそのままマルグリットの感情の強さに比例する。そして、そんな彼の意志は何よりも強く、その矜持は誰よりも高かった。
怒濤のごとくふくれあがった炎が、巨大な壁となってオーディス達に襲いかかった。
躊躇いも迷いも容赦もない攻撃だった。鷹晃がいない今、マルグリットを制する鎖は存在しなかった。
「──ッハァッ!」
迫り繰る炎の顎を前にオーディスは笑った。喜色を満面に炎竜の吐息を迎え撃つ男は、マルグリット以上に戦いを好む戦鬼だった。
「歯ぁ食いしばれよぉォォォッ!」
背後に控える五人の部下にそう叫び、オーディスは両腕を前へ突き出した。すでにその腕には音を立てて空気を焼く雷電が迸っている。指示通りに部下達がそれぞれが手にした武器を構えた、その刹那、光が炸裂。
巨大な雷撃が槍となって大気を貫いた。
『!?』
オーディスの雷撃もまた、炎と稲妻の違いがあるだけで、意志によって生まれ出ずものだ。見た目は炎の壁と雷の槍の激突だが、それは互いの意志の衝突でもあった。
生物のように蠢き迫る猛火の勢いを、雷撃の剣は殺したかのように見えた。マルグリットとオーディスの意志は拮抗した。だがここからは力の質がものを言う。直線的でしか有り得ないオーディスの雷撃を、炎は呑み込むように包み込み始めた。マルグリットの火炎は変幻自在だ。雷撃の影響圏外から敵に向かって手を伸ばす。
「フハハハハハ、フハハハハハハハハハ──!」
マルグリットから勝利の確信に満ちた哄笑があがる。彼は絶好調だった。この開放感、この快感よ。溜まらなくて貯まらなくて堪らない。久々に最高の気分だった。両腕を広げ、喉を反らし、迸るままに笑い声を高めるマルグリットだった。
さりとてオーディス側も百戦錬磨の戦士集団である。そんなことはお見通しだ、とばかりに背後に控えた者達が各々の獲物を宙へ突き上げた。それぞれには魔力、あるいは魔術、それらに類したものが込められていたらしい。迫る炎の舌を不可視の力で遮る。マルグリットにしてみれば小癪な話だった。
<鬼攻兵団>は主に戦士の集団であるが、だからと言って魔術師や異能力者がいないわけではない。それは魔術師集団である<ミスティック・アーク>も同様で、生粋の戦士がいないわけではない。どちらも少量ながら、主流と反する者達を孕んでいる。それぞれの理由は様々だが、やはり一番多いのは個人的に反目している相手が向こう側にいるから、というものだ。嫌いな奴と一緒にいたくない、それだけで魔術師集団を抜けて戦士軍団へくる者もいるのである。だから<鬼攻兵団>の者が魔術兵装や概念武装を所持していてもなんら不思議ではない。
ただ不愉快なだけだ、とマルグリットは断じる。
「しゃらくさいわァッ!」
ライトブルーの瞳がたぎる戦意で輝きを増した。青白い光はもはや恒星のそれに等しい。全身から湯水の如く湧き出ていた紅蓮の炎が一変してその色彩を蒼へと転じた。蒼い炎はその見た目に反して紅よりも遙かに高い熱を持つ。オーディスの雷撃とほぼ同じ色と化したマルグリットの蒼炎はさらに膨張する。コンクリート造りというこの部屋にも防護結界が張られているのだろうが、それすらも溶解させる勢いだ。オーディスの部下達の武器も、熱に負けて歪んでいく。オーディスが〝クライン〟最強の男だとするならば、今のマルグリットは最恐の少年だった。
だが最強の戦士と呼び称された男とて、まだその実力の全てを発揮しているわけではなかった。
野獣のごとき咆哮が褐色の喉から生まれた。
「! ! ! ! !」
声と言うよりも空気の爆発だった。威力を持つ音声がオーディスを中心にして大気を揺らがせる。並の人間ならばそれだけで魂を吹き飛ばされかねない。だがここには弱い者はいなかった。オーディスの部下達は彼の雄叫びに鼓舞されたかのように武器を持ち直し、同じく強く声をあげた。これが意志の戦いであることを思い出したのである。
オーディスの雷撃も太さを増す。獰猛に歪んだその顔は獣じみた雷神だ。
再び炎と雷が拮抗する。しかしそんな最中、マルグリットはせせら笑いを見せた。当然である。あちらは六人だが、こちらはたった一人なのだ。優越感が波となって全身を巡る。それはさらに自信へと転化される。そして自信は炎を烈火に変えるのだ。
高らかに笑う。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハッッ! 消し炭になって灰燼に帰すが良いッッッ!」
そう宣告するマルグリットはまさしく悪魔が乗り移ったかのようだった。追い打ちとばかりに魔剣を振り上げる。爆炎の色彩に含まれる漆黒の刃、目にも鮮やかな血の如き赤の紋様、魔界の名工が手にかけたのような禍々しい形状。名前をデストリュクシオン・アンペラトリス。意味はマルグリットのかつての通り名と同じ〝破壊の女帝〟である。
魔剣を構えたマルグリットの姿に、オーディスの部下達は目に見えて怯んだ。魔剣に関する噂を聞いたことがあるのならば、無理もない話だった。この剣こそがかつてガイスト・メルゼクス事変における集中突破作戦の際、敵軍に塞ぎようのない穴を開けたのだから。時代の英雄・御門鷹晃の覇道を切り開いた剣だった。
流石のオーディスも不味そうに顔をしかめた。
「余と鷹晃の究極の愛を見たまえッ! これぞ愛の炎ぉぉォォォ────────ッッ!」
冥土の土産にするには嫌すぎる台詞だった。それと共に炎の魔剣が振り下ろされる。
蒼炎の火勢がさらに加速を上げて破壊の波動となった。その瞬間だった。
全ての力が断ち切られるようにして消え失せた。
「──!?」
愕然とする他ない。炎が消え、稲妻が失せた。全ての異能は残滓も残さず消え失せた。
異常事態だ。
不気味な静寂が急速に室内を満たしていく。
「──何だ!? 何だというのだ!?」
抗議の声をマルグリットはあげた。誰に向けてでもなく、全てに対して。捻り曲がってはいるが素直な感性を持つ彼は、疑問の思いを叫びに変える。
「一体何が起こったというのだ!?」
その声はひどくよく響いた。見ると、オーディス達も狼狽しているようだった。部下達は互いに顔を合わせて何かを言い合っている。ただ、オーディスだけがにやにやと笑みを顔に貼りつけて、何もない中空を眺めていた。
「!」
その瞬間、気付く。かつてこれに似た感覚を味わったことがあると。そう、それは半年前。脳裏に浮かぶのは不愉快な錬金術師の男だ。
「……これは、『封印の概念』とやらか! どういうことだ貴様! 何故こんなものを用意している!? いつからメルゼクスの手先になった!?」
ガイストに『封印の概念』を与えたのはメルゼクスだったという。ならば、これをオーディスが使用したということは、つまりそういう事だとしか考えられない。
「余や鷹晃の命を狙うだけではなく、そこまで堕落したか! この下衆がァッ!」
本気で心底から怒りが衝き上がった。その思いのままマルグリットは怒声を叩き付ける。
これにはオーディスのにやつきも弾け飛んだ。
「おいおいそんなに熱くなるなって、誤解だ誤解! 流石の俺もメルゼクスなんかたぁ手ぇ組まないつーの! 気色悪ぃこと言うんじゃねえって!」
「ならばコレはどう説明するというのだ! 名前も地に落ちた外道の所行ではないか!」
マルグリットの追求に部下の一人が何か言い返そうと口を開いた。が、オーディスはそれを手で制すと、そのまま指を後頭部にやってボリボリと音を立てる。
「なんつーかなぁ、どう説明したらいいもんか……」
その煮え切らない態度に再びマルグリットが爆発しかけた時。突然、訓練場と思しき空間に張り巡らされた結界が崩壊した。
『!』
その場の全員が状況を呑み込むより早く、マルグリットの背後からコンクリートの切断される音が響いた。
刹那、マルグリットは顔に満面の喜びを浮かべた。本能的に何事が起こったのかを悟ったのだ。
咄嗟に息を呑むと、その名前は口を衝いて飛び出した。
「鷹晃!」
そして応えるように、凛と響く声が。
「マルグリット殿! 無事でござったか!」
振り返る。
視線の先には灰色のコンクリートを切り裂き、刳り抜いて出来た穴がある。そこに立つのは、すらりとした長身の影。
長い黒髪を高い位置で結った、きりりとした印象の少女。剣呑な刀を両手に握ってはいたが、その顔にはおだやかな微笑みがあった。御門鷹晃。マルグリットが生涯唯一人と信じる、愛しい人物だった。
マルグリットの全身が感動に打ち震えた。スイッチが入ったように少年の瞳から感涙が溢れ出る。
「お……おお……! 鷹晃……! 余を救い出しに来てくれたのかね!? 余は、余は感激だァ────────ッ!」
両腕を広げて駆け出した。今なら鷹晃が胸に迎え入れてくれると思った。そう今こそ、彼女と熱い抱擁を、
「オーディス殿!? 生きておったのか!」
避けられた。
「のをををっ!? 鷹晃ぁッ!?」
勢い余って止まれず足下のコンクリートに躓き派手に転倒した。鷹晃の懐に飛び込むつもりでいたため速度が並ではなかった。マルグリットの世界が目まぐるしく回転する。
「──ぶほぉうっ!」
そして顔から着地。凄まじい衝撃が目の奥に火花を散らした。
「……ぐふっ……た、たかあきらぁぁぁ……!」
コンクリートの白い粉塵にまみれ、誇り高き貴族は報われぬ愛に慟哭するのだった。




