表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サムライ・クライン~御門鷹晃の受難~  作者: 国広 仙戯


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/20

●白と灰色と黒 1

 スターゲイザーの病室を辞した後、鷹晃はまっすぐ自分にあてがわれた部屋へと戻った。隣の部屋では『余は鷹晃と同じ部屋が良い!』と駄々をこねたマルグリットがいるはずだ。もっとも既に夜も深くなってきたところだから、もう寝ているかもしれない。


 スターゲイザーの予測では、彼は深夜にでも正体不明の敵──もしくはオーディスに再び襲われることになる。そのため、手筈では彼は今夜あの病室から姿をくらませる予定だった。


 失踪したスターゲイザーのことをすぐに報告してきたなら、〝プリンスダム〟およびラップハールは『白』となる。しかし、逆に彼女らがスターゲイザーの失踪を隠そうとしたならば──


「そんなことはない。ラップハール殿は信用出来る御仁だ」


 首を振り、自らへ言い聞かせるように鷹晃は声を出した。だが自分で歯がゆく思うほど、それは覇気のないものだった。


 本来は患者用の部屋なのだろう。無個性な個室に入った鷹晃は後ろ手に鍵をかけ、真っ白なベッドに寝転がった。


 天井を見つめ、とんでもない一日だった、と思い返す。


 悪漢に囲まれていたシュトナを助け、ラップハールから依頼を受け、<ミスティック・アーク>と<鬼攻兵団>を訪れた。ウォズには無法な脅迫や勧誘はしていないと追い返され、フライスにはオーディスが暗殺されたからそれどころではないと門前払いを喰らった。思うのは、やはりあの時オーディスの遺体と面会しておけば良かった、ということ。それによって何が変わっていたかはわからないが、少しぐらいなら今の状況は違っていたはずだ。それともあの時のフライスの態度は、それを防ぐためのものだったのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなり、思考の泥沼に足を踏み入れていく気がする。


 スターゲイザーを襲ったというオーディス。本物なのか、贋物なのか。本物だったのなら、一体どうして。贋物だというなら、どこの誰が。


 そしてラップハールとウォズの間にある温度差。ラップハールはウォズ派が傘下に入れと誘ってきたという。ウォズはそんな手出しはしていないという。どちらかが本当で、どちらかが嘘なのか。それともどちらも本当なのか。あるいは、どちらも嘘なのか。疑うことが好きではない鷹晃は、両者が素直に本当のことを言っていて、悪意ある第三者が妙な小細工をしているのだと信じたいところだった。


 敵側が各個撃破をするにあたって注意するべきはガルゥレイジと、スターゲイザーは言った。だがそういうことならば、楽那がガルゥレイジにちょっかいを出していたことはどう説明するのだろうか。彼の言うことが真実なら、楽那の行動はおかしくないだろうか。あれは、知らないからこそ出来た行動だと鷹晃は思うのだが。


 いや、それもラップハールだけが敵側と手を組んでいるのならば、この問題は意味を持たない。楽那は何も知らなかったのだろう、本当に。それなら矛盾もない。


 考えられるのは、やはりラップハールと<鬼攻兵団>だろうか。この組み合わせが現状では最も可能性が高いといえるだろう。オーディスの死は虚偽であり、それをもって彼は行動の自由を得て暗躍している──と。


 それともラップハールとウォズだろうか。二人の話の齟齬も、打ち合わせの上なら納得がいく。鷹晃を混乱させようという魂胆なのだろう。


「…………」


 ということは今こうやって色々と考えているのは、まさしく思惑通りというわけだ。鷹晃は自らの根幹である『信じる』という信念が、根本から揺らいでいることに気付いて唇を歪めた。ついさっきラップハールを信じるようなことを口にしたくせに、頭の中では彼女がこちらを騙している可能性を考慮に入れている。それは真に信じていると言えるのだろうか。


 自らの不甲斐なさを鷹晃は悔しく思う。


 それにしても何故このようなことになってしまったのだろうか。この半年間は実に平和だったのに。こんな急に、日常が一変してしまうとは。


 もしオーディスとウォズが絡んでいるのならば、その動機には思い当たる節がある──スターゲイザーはそう言っていた。それは一体何なのか。彼と彼女が、自分たちを亡き者とする理由。鷹晃にはさっぱり思いつかない。


 今一度、記憶の中の二人を思い返す。


 オーディス・アールストレームは豪放磊落を絵に描いたような男だった。小細工など弄すはずがない。何か理由があって鷹晃と敵対することになったとしても、彼ならば正々堂々と宣戦布告するに違いなかった。


 ウォズ・ヘミングウェイは魔女だが、鷹晃にとっては淑女だった。昼間のやりとりを思い出す。彼女は、鷹晃自身すら忘れていた彼女の発言を覚えていた。素敵だった、とも言ってくれた。そんな魔女が自分を騙しているのかもしれない。そう思うだけで胸が潰れそうになる。


 やはり、メルゼクス。鷹晃の脳裏にその名前がちらつく。


 あの男が糸を引いているというならば、全てに合点がいくのだ。〝クライン〟からの全時空世界の並列支配。彼はまだその野望を捨てていない。それを実現させるために、彼はこれからも障害になるであろう鷹晃とマルグリットに性転換の魔法をかけたのだ。一度の敗北ですごすごと世界の隅に引っ込むほど、大人しい輩ではない。


 だがスターゲイザーはその可能性は排除するべきだと言っていた。確かに彼の言うとおり、メルゼクスが関与している材料はまだない。そう、まだ。まだなだけだ、と鷹晃は思う。例え発端が奴の手によるものでなかったとしても、あの明敏犀利な魔法遣いがこの状況をただ座して見逃すはずがない。必ず何かしらの手出しはしてくるはず。そして、それはもう始まっているのかもしれないのだ。


「……ふぅ……」


 鷹晃はベッドの上で伸びをして、硬直しかけていた身体と思考をリラックスさせた。


 意識を切り替えよう、と決意する。うじうじ悩む必要も、迷う必要もないのだ。


 自分が信じた『これ』という道を行けばいい。そうすれば躊躇いも戸惑いもないはずだ。


 半年前にあったメルゼクスの裏切りの時と同じだ。自己を強く持てばいい。周囲がどうあろうと、心を強く持っていれば流されることは決してない。


 覚悟を決めよう。例えもし、オーディスが敵に回ったとしても。ウォズが嘘をついていたとしても。ラップハールが自分を騙していたとしても。


 決して揺らがないという覚悟を。


「……ああ、なるほど。スターゲイザー殿はこれが言いたかったのでござるか」


 不意に気付いた。正義のミーローと自らを揶揄する男は、周囲全てが灰色だと思え、と言った。それはつまり、誰が裏切り誰が敵に回ろうが当たり前だと思え、ということだ。そのつもりでいろ、その覚悟を持て、という意味だったのだ。


 気付いてみれば、直接そう言ってくれれば良かったものを、とは思うが、彼の性格を考えれば仕方のないことかもしれなかった。言葉巧みに弁舌に長けるが、それは時に本質を見えなくさせる。スターゲイザーの喋り方はそれが長所であり、短所でもあり、つまり特徴だった。


 単純な思考しか持ち合わせない自分には少々難しい、と思う鷹晃だった。


 気が緩むと、急に眠気が首をもたげてきた。不意に生じたあくびを噛み殺し、上体を起こす。


 今日はよく走ったせいで汗をかいていた。シャワーでも浴びなければ気持ち悪くて眠れそうになかった。男の身であったときはあまり頓着しなかったのだが、周囲の声もあって意識が変化したのか、女であるうちは清潔を心がけるようにしている。誰かに声をかけて浴室を借りよう、とベッドから立ち上がった。


 できれば他の女性がいないときに入りたい、と希望をつけよう。あちらには申し訳ないが、こちらとて心は男だ。身体が女だからと言って不埒な真似に出るわけにはいかない。そもそも男であった時分ならいざ知らず、女になった我が身を他人に見られると思うと恥ずかしくてたまらない。体型に自信がないとかそういうわけではなく、男であるべき自分の女の身というのは、何かとてつもなく秘すべきものであり、決して他者の目に触れさせてはならぬもののように思えるのだ。


 それ以前に、男だった鷹晃には女体というものは神秘の塊だった。この半年間、彼女は様々な男女の差異というものを思い知った。文字通り、その身を以て。中には、声をあげて驚いたこともあった。新しい命を孕むことの出来る、女性ならではの生理現象で。それらの中で女初心者とも言える鷹晃は、自らの身体的特徴や振る舞いに関して、一般的な女性との間に埋めようのない溝があることを無意識に感じていた。それ故にあまり他の女性と付き合うこともなく、女として最も重要な事柄に関してウォズから手ほどきを受けたこともある。魔女を除けば、鷹晃の知る女性はマルグリットしかいなかったのだから致し方ない。『彼』となってしまったマルグリットには到底聞けなかったのである。


 この後、鷹晃は無事に人気のないシャワー室を借り切り、身体の汗を流した。そしてベッドに入る前に、影に潜むガルゥレイジに二言三言の指示を与えると、そのまま一気に眠りについた。




 その夜。スターゲイザーは隔離された病室から姿を消した。


 すべからく予定通りだった。








 翌日の朝、鷹晃は上機嫌で北西区にある<ミスティック・アーク>の本拠地『ラピュタ』へ向かっていた。


 上機嫌なのには理由がある。昨晩、予定通り秘密裏に〝プリンスダム〟を脱出したスターゲイザーのことを、ラップハールがちゃんと知らせてくれたのだ。


 ここにはいない両性具有の優男に、鷹晃は満面の笑みを向けたくなった。やはりラップハール殿は信用出来る人物だったではないか、と。黒衣の院長は頭を下げ、謝罪してくれた。未だ正体不明の敵にさらわれたのだと思ったのだろう。鷹晃もその場では表情を引き締め、厳粛な対応をした。残念なことだが元より覚悟の上、むしろ協力を感謝したい──と。その実、内心では翼を広げて飛んでしまいたいような気分だったが。


 これでラップハールは『白』になった。だが、そうなると雲行きが怪しくなるのはウォズである。ラップハールは元より嘘を言っていなかった。すると、昨日の話のズレはウォズの空嘘によるものだったのか。それとも<鬼攻兵団>のものが偽装していたものなのか。それを今日これからはっきりさせればならない。


 今頃、北東区<鬼攻兵団>の居城である『鬼岩要塞』にはマルグリットが向かっていることだろう。フライスに面会を申し込み、オーディスの遺体を確認するために。ただし、渋々と、だろうが。彼とて状況がわかっていないわけではないが、それでも鷹晃と離れているというのは耐え難いものがあるらしい。鷹晃としても嬉しい反面、疲れを感じてしまう。彼は『彼女』だった頃から、ある時を境に、それこそ見境無く鷹晃への好意を表してくれる。むしろ最初の頃のマルグリットが懐かしく思えてくる。あの頃、鷹晃はまだ自らの力に目覚め始めていたばかりで、マルグリットは強力無比な炎を自在に操り、女だてらに剣を振り回す勇敢な戦士だった。


 思い返せば、旧メルゼクス軍の中でメキメキ頭角を現してきた鷹晃に、マルグリットが突っかかってきたのが全ての始まりだった。何故だかわからないが『彼女』は今と同じく高圧的な態度で、一方的に鷹晃をライバル視していた。そんなツンケンした態度が続いたのは、確かガイストを倒す時までだっただろうか。どうもあの時から『彼女』の態度が変わりはじめ、気付けばメルゼクスと対峙する前には『愛しているぞ鷹晃!』と臆面もなく言い放つようになっていた。変化が急すぎてついていけず、未だに劇的な態度の軟化の理由は聞けないでいる。否、正直に言うなら、聞くのが怖かった。一人の人間がああまで態度を変えるような真似を、自分はしてしまったらしい。しかもこちらを心底嫌悪していたような人物が、だ。実は未だに信じられないのだ。あのマルグリットが、自分を『愛している』などと言うのが。何か壮大で遠大な罠なのではないか、こちらが油断した途端いきなり寝首をかかれるのではないか。そんな勘繰りが鷹晃の中で渦を巻いている。それほど初期の頃のマルグリットの態度は酷かったのだ。そんな理由もあって、鷹晃はマルグリットの言う『愛』を素直に受け止められないでいる。


 例えその身が男になろうとも、今のマルグリットは鷹晃の前以外では以前の性格のままだ。いくらフライスが言葉を魔法の杖に変えて左右に振ろうとも、彼ならば力ずくで切り払うだろう。オーディスの遺体が実在するのかどうか、それだけは絶対に確認してくるはずだ。そういった実力だけは、鷹晃は心底信頼していた。マルグリット自身、よく危険な考えを口にして鷹晃を困らせるが、あれは虚勢を言っているわけではないのだ。マルグリットには大言壮語を吐くだけの力がある。ある意味、〝クライン〟におけるガルゥレイジの次に危険な爆弾でもあった。最悪、たった一人で北東区を焦土に変えて戻ってくるかもしれない。その可能性を考慮して、鷹晃は背筋が凍るのを感じた。まさかとは思うが、そうならないように祈るばかりである。


 共和区から中央区へ。中央区から北西区へ。二つの関所を顔だけで通り抜け、〝クライン〟最大の魔女の元へと向かう。


 再び『ラピュタ』を訪れた鷹晃を、果たしてウォズは好意的に出迎えてくれた。


「お待ちしておりましたわ、御門様。今日はあの小うるさいガイエルシュバイクのお子様はおりませんのね? とても嬉しいですわ」


 とろけるような甘い声で、にっこりと微笑む魔女は、今日は寝そべってはいなかった。部屋の右側にあるテーブルに腰を下ろし、香茶をたしなんでいたようだった。相変わらずその黒髪は蛇のように床を這っている。魔力の貯蔵のために伸ばして持て余しているとはいえ、こんな風にしていて傷まないのだろうか。最初はそう思った鷹晃だったが、ウォズの髪は半年前と比べてむしろ艶を強めているようにも見える。魔術で保護しているのだろうか。


 鷹晃は実直な性格をしている。挨拶もそこそこに、早速本題に入ろうとするが、


「まあ、ごゆっくりできないのかしら?」


 と悲しそうに言われては素直に頷くわけにもいかない。仕方なしに、ウォズの勧めるまま対面の椅子に腰を落ち着ける。もちろん鷹晃が出された茶を飲まないことを彼女は知っているが、それでも目の前に忽然とティーカップが現れた。以前にもあったことだ。ウォズは互いの前にティーカップを置いて会話することを何故か好む。鷹晃には理解出来ない嗜好だった。


「今日は気兼ねなくお話し出来ますわね」


 嬉しそうに言うウォズ。それだけで鷹晃はわからなくなった。この女性が自分に嘘をつくことなどあり得るのだろうか、と。


 まるで悪魔と取引して手に入れたかのような美貌で、魔性を感じずにはいられないが、それでも自分に向けてくれるこの真摯な瞳は、信用に足るのではないか。疑うことなどもってのほかではないのか。それとも、そう思うことこそが彼女の魔性なのか。


 不覚にも鷹晃はわからなくなってしまった。


「今日は、どういったご用件ですの? 昨日のことの説明に来てくださったのかしら?」


 テーブルに両肘をついて、ウォズはそう切り出した。さて、なんと言うべきか。鷹晃はしばし逡巡する。オーディス暗殺の件はもちろん言えない。<ミスティック・アーク>と<鬼攻兵団>の対立の関係の中で、片方に有利な情報をもたらせば、もう片方からの恨みを買うことになる。中立の立場を保ちたい鷹晃としてはそれは困る。だからその件だけを省き、敢えて素直に説明することにした。直線的に踏み込めば、何らかの有益な反応が得られると思ったのだ。


 ラップハールの言っていた事と、ウォズの話に齟齬があることを説明すると、魔女はきょとんという顔をした。


「つまり、私が嘘を申しているのかと疑ってらっしゃいますの?」


 鷹晃の言葉が猪突ならば、ウォズの返答も鋭いほど真っ直ぐだった。実もふたもない言い方にわずかに怯んだ鷹晃だったが、こうなったら腹をくくるしかなかった。


「有り体に言えば、そうなるでござる」


 真っ正面から射抜くような視線をウォズへ向ける。我ながら、気負いすぎているな、とは思った。ウォズの反応からすると彼女は疑われることを特に気にしていないようだった。疑うことに対して引け目を感じているのは、自分の空回りなのかもしれない。


「そうですわね……困りましたわ。どうやって証明すれば良いのでしょう?」


 のんきに小首を傾げるウォズを前にして、鷹晃はますます自らの滑稽さが浮き彫りになっていくのを感じた。これでは魔女である彼女の方がよっぽど純真で素直ではないか。急に恥ずかしくなって、鷹晃は思わずウォズを遮った。


「ああいや……気になさらないで欲しいでござる。拙者は当然ウォズ殿の事を信じておる、おそらくはオーディス派の仕業でござろう」


 オーディス。その名を出した途端にウォズの表情が一変した。不快そうに眉をしかめる。


「……あの野蛮人が……」


「うっ」


 呟くような声音を聞いた瞬間、鷹晃は地雷を踏んでしまったことに気付いた。顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかった。押し殺した声が、美女の唇から生まれる。


「……そうですのね。あの野蛮人が……そう……」


「おおおおオーディス殿にはむろんっ拙者の方から言っておくでござるよ!? うぉウォズ殿は安心してくだされ! ああいやっもしかするとオーディス殿でもなくてあのメルゼクスの仕業かもしれぬのだ! そうだそうだ忘れていた! その可能性もあるのでござるよ!?」


 しどろもどろも良いところだった。鷹晃は阿呆みたいにまくし立てて何とかウォズが過激な行動に出ないように言葉を重ねた。そんな鷹晃に、むしろ驚きの視線をウォズは向ける。無理もない。彼女の前でここまで取り乱したのは初めてだった。


 はたと気付く。焦りすぎだった。いくら引け目があったからと言って、みっともないこと甚だしい。鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見つめているウォズに、鷹晃はわざとらしく咳払いをした。


「……失礼つかまつった。つまり、今のところ話の整合性がとれない故、現在調査中なのでござる。今日参ったのは昨日の確認のためも兼ねてのこと。まだ事実が判明していないのに迂闊な事を言ってしまい申し訳ござらん。本当にまだオーディス派の仕業と決まったわけではないのでござるよ。正直、拙者としてはメルゼクスの関連を疑っているところで」


 くすっ、とウォズが笑った。口元に手をやって、見た目の割に可愛らしい仕草だった。


「そうでございますのね。あんまりお慌てになられるから、何かあったのかと思いましたわ」


 ころころと鈴の音のように笑う。しかし、不意に笑い声を収めたかと思うと、


「それにしてもメルゼクスが関係しているかもしれないとは……重要なことですわね?」


 そう言う表情は、魔法を探求する魔術師のそれだった。魔術師は魔法を会得することを目標にしているという。それはこの魔女とて例外ではない。魔法遣いであるメルゼクスの名を聞いては、黙っていられないのだろう。


 だが、鷹晃は黙って首を横に振った。


「まだ確証はないでござるよ。ただ可能性があって、拙者がそう疑っているだけで。スターゲイザー殿にも考慮に入れるな、とは言われているのでござるが……」


「あらあら。御門様はメルゼクスが関与していることを期待されているのでしょう?」


「!?」


 メルゼクスが絡んでいることを期待している──そう言われて愕然とする自分がいた。ウォズの言葉はどうしようもなく的中していたのだ。まるで鷹晃の心を見抜いたかのように。魔女が魔女たる所以だろうか。


 鷹晃は俯き、その言葉を認めた。


「そうでござるな……確かに、そうかもしれないでござる」


 出来ることならば半年前のやり直しを要求したい。それが鷹晃の偽らざる本心だった。あの時、メルゼクスさえ取り逃さなければ──と。どれほど後悔したか知れない。それなのに皆は自分を英雄と呼ぶ。そんな資格などありはしないのに。


「では良いではありませんか。期待することは決して悪くありませんわ。あの魔法遣いを捕まえることが出来れば御門様は元の世界に戻れるのですから」


 この時、鷹晃はウォズの台詞に違和感を感じた。御門様は、と彼女は言った。御門様も、ではなく。


 顔を上げ、疑問は口を衝いて出ていた。


「ウォズ殿は元の世界に帰りたくはないのでござるか?」


「私ですか?」


 ウォズは明るく答える。


「私は案外ここでの生活、気に入ってますの。そもそも魔術師は魔法を……神秘の箱を開くことを目指せれば住む場所なんて関係ありませんもの。第一、魔法に辿り着きさえすればいつだって帰れますし?」


 何でもないことのように笑って言う。魔術師のウォズらしい、実に合理的な話だった。そして彼女は話題を変えようとしたのか、さりげなく、


「ところで、聞き忘れていたのですが、今日はお一人でお越しになったのかしら?」


 どきりとした。


 ウォズの質問に、ではない。ウォズがもしそういった意味の事を聞いてきた時はどういうときなのか、スターゲイザーから聞いていたからだ。質問そのものではなく、その質問の示唆するところに気付き、鷹晃の鼓動は跳ね上がった。


 何故こんな時に『今は一人なのか?』と確認するのか。その理由は明白だった。スターゲイザーの連呼していた単語が耳に蘇る。


 各個撃破。


「……一人、とはどういう意味でござるか?」


 んー、とウォズは少し考え込む素振りをする。どう見ても演技にしか見えない。考え込む素振りであって、実際に考え込んでいるわけではないだろう。それが、わかってしまう。


 周囲の風景がゆっくり暗くなっていくのを、鷹晃は感じていた。視界を暗闇に染めるもの、それは、その名前を絶望という。


「ガルゥレイジとか言いましたかしら? あの怪物、いつも一緒にいらっしゃるでしょう? 今も一緒なのかしらと」


 にっこりと微笑んでウォズは言う。一点の曇りもない笑顔だ。まるで仮面のように。


 身体の震えを鷹晃は必死に抑え込んだ。


「何故そんなことを気にするのでござるか? あやつも茶は飲まぬでござるよ?」


 口から勝手に出た冗談は、即興とは言え出来が悪すぎた。そんな事を言いたいわけではない。そんな事を言っている場合ではないのだ。


「あら残念ですわ。今日は良い葉が手に入ったんですのよ?」


 笑顔というものはおそらく表情の中で一番作りやすいものだ。愛想笑い、泣き笑い、怒り笑い、どんな時でも人は感情を笑顔に変えることが出来る。ただ表情筋を張り、目を細め、喉を鳴らせばいい。それだけだから。


 だから鷹晃もそうした。はは、と乾いた声を立てて、


「お心遣いだけ頂いておくでござる。あやつもきっと喜ぶでござるよ」


 そんな心にもない言葉を言った瞬間だった。


「あらあら。では今日はあの怪物はいらっしゃらないのね」


 心臓が凍り付いたかと思った。


 ウォズのそれは質問ではなかった。


 ただの確認だった。


 それでも微動だにしない完璧な笑顔に、ぞくりとした。


 鷹晃は何も答えられなかった。あまりの事実に頭の中が真っ白になり、声を失っていた。


 スターゲイザーは言っていた。相手がこちらの状況に探りを入れてきたら気をつけろ。特に、一人なのかどうかを探られた時は最大限に。


 何故なら、それは機会を窺っているから。牙を研ぎ澄まし、毒を塗っているだろうから。


 ガルゥレイジが一緒にいるのかどうかを聞いてきたりなんかしたら、もう最悪だ。そんなもの、今から襲いかかるぞ、と言っているようなものだから。


 この時、鷹晃の精神世界における現実の残酷さは、一線を越えてしまった。越えてはならない境界を越えてしまった。その瞬間から、彼女の心は変わらざるを得なかった。


 覚悟はすんなり決まった。


 いっそ穏やかな心で微笑み、鷹晃は言った。


「おらぬよ。今は拙者一人でござる」


 さらりと言葉が滑った刹那、空気が一変した。


 部屋中をのたくっていたウォズの髪の毛が、ざざざざと波打った。目に見えない魔力の波動が室内を席巻する。


「──!」


 鷹晃の身体は当たり前のように動いた。椅子を蹴って立ち上がり、獣のごとき俊敏さでその場を飛び退く。


 だがもう手遅れだった。一呼吸もしない内にウォズから魔力が溢れ、部屋を取り囲む結界が強化された。


 空間が強制的に孤立化される音が響いた。それをどこか、錠の落ちる音に似ているな、と思いながら鷹晃は腰の刀に手をやる。


「……どういうつもりでござる?」


 のんびりと椅子に腰掛けてテーブルに両肘を突いたままのウォズに、聞くだけ聞いた。儀礼的なものであり、それ以上の意味はなかった。微笑をたたえたままの魔女もそれはわかっていることだろう。


 ウォズは答えず、優雅に香茶を手に取り、口を付けた。長い黒髪は生物の如く蠢き、いつでも魔術を行使出来るだけの魔力を彼女の提供する。


 くすっ、と魔女は笑った。


「残念ですわ、御門様。嘘でもあの怪物と一緒にいると仰ってくれれば良かったのに……そうすれば私が手を出さずに済みましたのよ?」


 平然と、しかも優しげに言う。罪悪感など微塵もないようだった。気軽に、まだ茶飲み種でもしているかのように。


 鷹晃はまなじりを決してウォズを見据える。


「結界を張ろうと拙者には意味がないことは知っておろう」


「ええ、もちろんですわ。斬りたければ遠慮無くどうぞ? その都度、結界を張り直させていただきますわ」


 ウォズは悪びれない。自分のしていることが何でもないことのように振る舞う。


「拙者の言ったことが嘘で、ガルゥレイジがすぐ傍にいるとしたらどうするつもりでござる」


「まあ、それは困りますわね」


 けど嘘ではないのでしょう、と言いたげにウォズは笑う。鷹晃が自分に嘘をつくわけがないと信じ切っている顔だった。そして残念ながら、それは的中していたのである。


 ガルゥレイジは〝プリンスダム〟の警護と称して目立つ場所に立たせてある。彼女のことだ、それを知ってのことだったのだろう。確信もなく行動に出るようであれば、魔女とは呼ばれない。全て知悉した上で、わざと鷹晃に波紋を投げかけたのだ。


「……一体、何が目的でござる? 黒幕は貴殿だったのか?」


「あらあら、黒幕? 何の話かしら?」


 斬り付けるような鷹晃の言葉を、ウォズはそよ風のように受け流す。


「白は切らせぬ。おぬしはどこまで知っておるのだ。拙者が一人だと知っていたということは、〝プリンスダム〟に間者でも送ったか」


「本当にそうだと思われますの?」


 のらりくらりと、逆に試すように問いかけてくるウォズ。その余裕のある態度に不気味な底知れなさを感じる。だが、呑まれるな、と鷹晃は自身に言い聞かせた。相手は魔女。演技に騙されるな。この結界の中、こちらも一人ならばあちらも一人。緊張していないはずがない。会話を頼りに平常心を保っているに過ぎない。


 強気でいけ。


「拙者はおぬしに聞いておるのだ。答えられぬのか」


「うふふ、素直な方。本当に嘘がつけませんのね。可愛らしいわ」


 勢いよく叩き付けた声もすんなり切り返された。舌戦における劣勢を、鷹晃は認めないわけにはいかなかった。会話における搦め手はあちらが一枚も二枚も上手だった。そもそも直情的な鷹晃にこの手のやりとりは向いてなかったのである。


 鷹晃は首を一つ振り、もっと簡単な言葉を紡ぐことにした。


「ウォズ殿。拙者はおぬしを信用していた。半年前のガイスト・メルゼクス事変の時、拙者とおぬしは共に戦った戦友だった。それが何故に、敵とならねばならぬ?」


 ウォズは笑んだまま、むしろ楽しげに鷹晃を眺めている。彼女が何か答えるより先に、さらに言葉を重ねる。


「大方メルゼクスにでもそそのかされたのでござろう。オーディス殿とも手を組んでおるのか? それともフライスと共謀してオーディス殿を暗殺したか? なんにせよ失望したでござるよ。おぬしはもっと誠意のある人物だと思っておった」


 鷹晃としては出来る限り辛辣な言葉を浴びせたつもりだったが、ウォズは何の痛痒も受けていないようだった。ただただ、こちらの反応を見守って楽しむように、鷹晃の言うことをじっと聞いていた。


 もう我慢がならなかった。


「ウォズ殿、結界を解いてもらえぬだろうか。出来れば、女人を斬りたくはない」


 声に抑えきれない怒気が篭もっていた。ウォズの裏切りが許せなく、悔しく、やるせなかった。裏切られた自分が不甲斐なく、哀しく、情けなかった。それでも信頼していた人間に刃を向けることには抵抗があった。だから最後通告のつもりでそう言った。しかしそれも、


「いいえ、御門様。残念ですけれど。あなたはここで死んで頂きますわ」


 無情に踏みにじられた。


 もはや鷹晃に躊躇は無かった。すらりと音を立てて刀を抜いた。


 結局のところ、自分は何もわかっていない。自分の周囲がどのように動いているのかも知らない。ウォズが何を考えているのか。どうして自分を裏切ったのか。それさえも。オーディスのこともメルゼクスのことも聞けなかった。ただ一つわかったのは、〝クライン〟最大の魔女が自分の敵に回ったと言うことだけだった。


「もはや問答無用、でござるな」


 切っ先を美貌の女へ向ける。今なお微笑みを崩さない彼女は、応えるように全身から揺らめき立つ魔力を高めた。音を立てないのが不思議なほどの急激な昂りだった。


「本当のところを申し上げますと、私も残念でなりませんの。あなたは素敵でした。痺れるほど……ガイエルシュバイクのお子様が夢中になるのも理解出来るほど。でも、だからこそ、あなたが邪魔なのですわ。お許しになってね」


 最後にふと憐憫の表情を覗かせて、ウォズは高密度の魔力を解放した。


 爆発的に魔術が発動する。


 鷹晃は迷うことなく愛刀を振り上げ、振り下ろした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ