●受難、現在進行形 1
「拙者、こう見えても男でござる」
などと言う女がいたとして、すぐにそれを信じる者はいるだろうか。
すらりとした長身に、高い位置で結った黒髪は尻へ毛先が届くほど。白のカジュアルジャケットに黒のシャツ、ブラックジーンズという簡素な格好だが、それがより一層その流麗さを際立たせている。
きりり、とした東洋風の美女だった。
男と言い張るには全身の描く曲線が優美に過ぎたし、何よりも内側から衣服を押し上げている胸が、どんな言葉よりも雄弁にその性別を語っていた。
爽快な声で言われた言葉を、信じた者は勿論いなかった。
「はぁ?」
他の誰でもない、『何だ女ぁ!』と言い放った本人がわざとらしく聞き返した。彼としては『仕事中』に入ってきた邪魔な女を恫喝したつもりだった。逃げるなら良し。刃向かってきたらなお良し、その時は一緒に『処理』するつもりだった。しかし。
「おぬしが言ったのでござるよ。拙者を女と。だから拙者はこう見えても男だと──」
「ンなこと誰も聞いてねェンだよ!」
男は女の台詞を怒声で叩き潰した。男は職業柄とても気が短い。むしろ怒り狂うことこそが彼の仕事だった。鮮やかな手並みで心頭に怒りを注入すると、彼は周囲の仲間に顎で合図をする。
状況は単純だった。と言うよりも、単純な状況しか彼には作れない。そこまで頭を使うことがまずないためだ。
建物と建物の間に出来た隙間。そこに自分を含め男が五人。『獲物』の女が一人。たまたま運悪くここに居合わせてしまった女が一人。
男達は黒い服を着た『獲物』を取り囲んでいていたのだが、そこに招かれざる客が現れたのである。
彼らが何をしようとしていて、自称〝男〟の女が何を止めようとしているのかは、明々白々だった。
自称〝男〟の女は笑った。穏やかな笑みだった。
「いやぁすまぬすまぬ。詰まらんことを言うて怒らせてしまったか。まま、そう怒らずに。出来れば穏便に事を納めたいのでござるが……」
女が喋っている内に、男達はその周りを囲んでいた。四方を塞がれて、次第に女も表情を静かにしていく。
「無理でござるか? そこの御仁は拙者の知り合いなのでござる。出来れば荒事は見せたくない」
かちり、と金属的な音が立った。見ると、女は腰に武器を下げていた。黒塗りの鞘に収まった、一振りの刀。
「はっ」
と男は鼻で笑った。すると仲間達もつられたように下品な笑みをぼろぼろと零す。下卑た臭気が男達からにじみ出て、大気を汚染しているようだった。
男達は闖入者の全身を舐め回すように眺めた。上玉だ。ここにいる『獲物』は仕事で泣かせなければならないが、うまい汁が吸えるなら過剰労働も悪くはない。自分は男だと言い張る女を、ちゃんと女らしく啼かせてやるのも真の男の務めではないだろうか、などと救いがたいことを考える。
男達は、飛んで火に入る夏の虫を歓迎することにした。
「へっ、テメエのおつむの弱さを呪いな、姉ちゃん。──やれ」
最後の一言は仲間に向けてのものだった。次の瞬間には四人の男達が女に襲いかかり、すぐに塞がれた口からくぐもった悲鳴があがるはずだった。
悲鳴はあがらなかった。
打撲音が四つ。
糸の切れた操り人形のように、四人の仲間が崩れ落ちた。
「?」
男はうまく現実を認識できなかった。彼はその目でしっかりと、女の刀が鞘に収まったまま仲間達を叩き伏せていくのを見ていた。それでも彼は理解できなかった。眼前の出来事が彼の狭い理解の範疇を超えていた。
突如、男の視界がぶれた。何が起こったのかわからず、彼の意識は急速に遠のいた。
「ミカド・タカアキラ様でございますね」
黒い服の女は確認の問いを放った。今の今まで粗野な男共に囲まれていたとは思えない。無表情で、冷淡な声だった。
女──御門鷹晃は気持ちの良い笑みを浮かべて頷いた。
「そうでござる。そちらは〝プリンスダム〟の方でござるな? して、この者達は一体?」
「シュトナ・ラフマニンと言います。以後お見知りおきを。ほぼ間違いなくオーディス派かウォズ派の人間かと」
一礼して自己紹介を済ませると、シュトナは続けざまに質問に答えた。
青のラインが入った丈の短いナースウェアの色は黒。細い両足を包むオーバーニーソックスも黒。頭の上にちょこんと乗っているキャップも黒。それら全てに刻まれている十字は全て青。ナースウェアには所々、銀色の鎖や鋲などの装飾が施されていて実に危険な雰囲気を醸し出している。
青みがかった銀の髪と落ち着いた群青の瞳を持つシュトナは、まだ全体的に少女と言っても良い幼さを身にまとっていた。顔に引っかけた水色の眼鏡の位置を修正すると、
「このようなことは日常茶飯事です。気になさらないでください」
肩に掛かる髪を後ろに払いながら、淡々と言う。まるで鷹晃の表情からその心情を読み取ったかのように。
最後の一人を気絶させたのはシュトナ本人だった。鷹晃に気を取られた隙を狙って後頭部への一撃。淀みのない良い動きだった。感心した、と鷹晃は表情で言う。黒髪の女は何度も頷き、
「なるほど。流石は『戦闘医療集団』と名高い〝プリンスダム〟の方でござるな。大した腕でござる」
顎に手をやり、真面目くさった顔で褒める。鷹晃もまた、どことなく幼さを残す顔立ちをしていた。身長も高く、均整のとれた体をしているので大人びて見えるが、実年齢はまだ十七歳だった。おそらくシュトナもほとんど違わないだろう。
「しかし、オーディス殿もウォズ殿もこのようなことをしているのか。折角ガイスト・メルゼクス事変も片づいたというのに、何とも困ったことでござる」
見た目に似合わずおかしな口調で言って、眉をしかめる鷹晃。シュトナはその表情をきっちり三秒間見つめると、
「先程は助けていただきありがとうございました。約束の時間通りでございますね。時間に誠実な方で嬉しく思います」
洗練された優雅な動きで頭を下げる。黒衣の少女は一挙一足が上品だった。よほど良い生まれのようである。
鷹晃もシュトナに倣って一礼する。
「これはご丁寧に。して、話とは何でござる? 場所が場所な上、悪漢までいたとあっては穏やかな話ではなかろうが……」
昨日のことだ。鷹晃宛に手紙が届き、指定の場所と日時、そして『一人で来て欲しい』との文が添えられていた。『戦闘医療集団〝プリンスダム〟』に関する話は、少しそこらを突けばいくらでも出てくる。噂では、女しか登用しないとか。一人の命を助けるために十人殺すとか。白衣の天使ではなく黒衣の悪魔が跋扈しているとか。その他色々。何にせよ良い噂は悪いものと比べて随分少ない。
そんな集団からの名指しの呼び出しだ。警戒しないのは愚鈍に過ぎるだろう。鷹晃が帯剣しているのも無理はなかった。勿論、武装している理由はそれだけではないが。
「ご慧眼恐れ入ります。私の上司があなた様のお力を拝借させていただきたいと願っておいでなのです。まずお呼び立てしてしまった非礼を詫びるためにも、よろしければ私共の病院までお越し頂けないでしょうか?」
シュトナの滑舌は淀みない。まるで良く出来た機械人形のようでもあった。
鷹晃は頷く前に、確認するべき事を確認する。
「その前に一つ聞いても良いでござろうか?」
「はい、何でしょうか」
「拙者達の体を元に戻せるかもしれない、というのは本当でござるか?」
シュトナの表情がミクロン単位で変化した。だが、その機微を悟れるほど鷹晃の感覚は鋭敏ではなかった。じっと答えを待つ。
「院長先生は少ない可能性を取引に持ちかけたりはいたしません、としか私の口からは申し上げられません」
用意されていた脚本を読むようなシュトナの答えだった。