研究施設があるのは変?
ついさっきまで一触即発状態だった夏代さんと、コロッと気分を一新してなごやかに親睦を深められる訳がない。無言ゾーンは必然だ。
卓上に並べられた二個のおにぎりを、黙々とつまむ。程よく握られたふっくらごはんの中には、シャケ、梅、たらこが入っているそうだ。
自己紹介前に一個食べたから、あと二個分の時間は稼げる。おにぎりの具で話題を作ろうなんて、そんな小賢しいことをしたら痛い目を見そう。きっと「梅ですね」「そうですね」で終わるんだ。
三個を余裕で食べられるように、おにぎり自体小さくできている。それをちびちび食べていると、夏代さんが何かを言いたそうな挙動をとった。
「ねえ」
「あの」
夏代さんの呼びかけにうまく被せて阻止。
「世奈から言って」
「なんでもありません」
さっきのヒドい言われようを根に持っているわたしは、さりげなく気晴らしをする。
夏代さんは納得がいかない顔をした。元々がキツめの顔だから、表情を変えたときに殺されるんじゃないかと思った。
後悔していると、首を傾げてからまた喋り出す。
「これからのことを話したいんだけどさ」
これから。帰ってから兄に掛け合って、それで終わりでいいんじゃないの。
引きこもりに戻れる空気になるまでは嫌々学校に行ってやるさ。
「ね?」
「ね、じゃねーよ! いきなり同意を求められても分かんないよ!」
家で自習した方が絶対有意義なのに。自分がやりたい一つの道だけを極められるのに。
世間体のバカヤロー!
「ほら、学校のヤツらが正気に戻ったら、世奈は居辛いだろ?」
「あ」
あの状態だから気にならなかったけど、わたしは数ヶ月間不登校で、いきなり復帰した引きこもりだ。風当たりが強そう。
主にヒソヒソ話をされるかも。なんかする度に教室が静まりかえる、なんて。
あのレインボー達に限って、そんなことはないか。
「だからさ、改めてパーティーでもどうかって」
えー。目立つじゃん。
「アタシがフォローするからさ、話が合う友達でも探してみろよ」
「紗夜果とかいるし」
「だからそんな消極的だからヒッキーちゃんなんだろ!」
引きこもりに向かって引きこもりって言うと傷つくんだぞ!
「もー決定だ。クラスに後ろめたさを感じなくなるぐらい目立たせてやるから」
そんなの人間のするコトじゃない!
わたしを咲蘭家の長女と知っての狼藉か!
心の中でスゴい反論してるけど、怒られるとコワいので表情には一切出していない。ネットで鍛えられているから、わたしの無表情には磨きがかかっているハズだ。あはは(無表情)。
「楽しい明日を迎えるためにも、まずは世奈の兄貴に話をつけないとな」
「楽しいかはともかく、兄には言っとく」
「大丈夫? ひとりで言えるか?」
……大きく開かれた障子、縁側の向こうに広がる庭を眺める。ここの庭は綺麗だ。静かで心が安らぐような寂寥感。山、川、海などあらゆる自然が、繁栄から衰退までの時間経過を一度に表現しているようであった。
「ねえ、お返事が聞こえないぞ。目もあさっての方向にいってるぞ」
わざわざ使ったことのないような言葉で褒めてるんだから少し待ってよ。
「アタシも一緒にいってあげよっか?」
いつ帰れるんだろう。言うなら早いに越したことはないよ。
「一瞬こっち向いたな」
「帰らせてください」
もう五時。良い子はさよならする時間。
おにぎり食べちゃったけど、夜ご飯に影響は出ないかな。変に残すとお母さんに何言われるか分からない。心配して風邪薬とか漢方薬とか飲まされるかもしれない。
わたしが壁にかかる時計を見て、夏代さんもつられる。それから夕焼けに赤く染まる庭を見て、時計の訴えに確証を得たようだ。
「ああ、もういい時間だな。うん。ウチが車出すから、送ってくよ」
「え、いいの?」
「気にしなーい」
「ありがとうございます」
残ったひとつのおにぎりが勿体ないから、思い切って丸ごと口に入れたら苦しくなった。
・・・・・・・・・・・
オープンに開かれた車の上。夏代さんと並んで心地よく揺られながら、咲蘭家の敷地に入った。家はもうすぐだ。
帰ってからのことを思うと緊張するけど、今のこの状況では緊張したくない。
「ねえ夏代さん」
「どうした?」
「車って、人力車なの!?」
自動四輪車の二倍ぐらい高い席でのろのろと進んでいる絵面が、大変おマヌケさんに見えていそうなのです。前で走るおにいさんには悪いけど、乗馬して公道を走るのと同じくらい異様だと思うのです。
単に見慣れていないからなのか。人力車は趣を感じたいときに使うイメージだから。次どこ行くー、人力車にしよー、じゃあおねげーしまーす、みたいな乗ること自体が遊びなシロモノだ。ちゃんと目的がある時は自動車を使った方が早いし疲れない。
「山上下一族は機械ダメなんだよねー」
「だって、フルオート自動車だってあるし……」
「それでも目的地とか設定しなきゃ動かないだろ?」
「えー。そっからですか」
「ウチは自転車が基本だ。あとたまに人力車。それさえあればどこでも行けるだろ?」
まさか自転車で動き回るために、一家全員武道で鍛えているんじゃないよね。
そんなに広くない国だから、意外となんとかなっちゃうけどさあ。機械なしでよくオカネモチになれたね。紙とペンだけでのし上がってきたの?
「父さんがいるトーゲマート本店はずっとソロバンでやりくりしてるぞ」
店舗数五千を誇る、この国で一番普及している「トーゲマート」は、みんなが大好きなスーパーだ。その一号店がアナログ経営だったなんてー。
「他の店舗は?」
「社員は機械が使えるからなあ。経営だけは山上下家がやらないと一瞬で赤字になるけど」
危ない橋を渡っているね。
山上下家はオカネモチだけど外国でドッサリ稼ぐことをしないため、毎世代ちゃんと社会に出ている。トウゲって呼ばれるのが嫌な夏代さんも、将来トーゲマートを経営しなければならない。こんなナリだけど責任重大だ。
兄も将来この国を背負うかも。わたしはどうにか抜け出す方法を探してやる。
国産オカネモチはこれだから辛い。
「お嬢、着きました!」
ノスタルジック車夫おにいさんが、動きを止めて首にかけている手ぬぐいで汗を拭う。
咲蘭家正門前で、降りやすいようにおにいさんが台を出してくれる。もうちょっと、庭の真ん中まで運んでくれてもよかったのだけれど、勝手が分からないのに文句を言ったら悪質クレーマーだ。
そういえばウチに紗夜果以外の同級生が来たのって、初めて?
一大事だ。家族に連絡入れてない!
「さ、行くぞ」
隣の夏代さんがとっとと人力車を降りて、屋敷に向かおうとする。
「ちょっと、なんで夏代さんが行っちゃうの?」
本気でわたしと一緒に兄のもとに行く気なのか。
わたしを置いて進む夏代さんを急いで追いかける。このままだと勝手に家の中に入りそうな調子だ。他人の家に抵抗はないのかな。
「博士博士の発明は有名だけど、実際に会うのは初めてだからキンチョーするわー」
「理解しようとしちゃダメだよ」
名前がハカセだから、敬称を付けられると面白いことになる。
父・英雄、母・ウェルシー、兄・博士。
わたし、世奈。
これって仲間はずれだよね。べつに変な名前にしろってコトじゃないけど、わたしの名前だけどこか違うよね。
ここの子ではないんじゃないかと一時期悩んだ。
「博士博士ってどんな人? ウワサ通りのヤバい人? 緑色の薬品が入った試験管を持ち歩いてドュフフって笑ってんの?」
「んー、それでいいと思う」
「……うわあ、大変だな」
一回本当にそんなことがあったから困る。
なんでも一日中撹拌しなきゃいけない実験らしくて、経過を観察するためにずっと手に持っていた。お湯が入った金属ナベの中で、スライムのような物体が入った試験管を揺さぶる兄。食事中にも片手で試験管を振り続けていた。
次の日、見事に寝不足の兄は、口を思うように開けられなくなってドュフフと笑っていたのだ。気持ち悪いというか、この人このまま死ぬんじゃないかと心配したくなる顔色だった。
マンガに出てきそうなマッドサイエンティストを、兄は一通りやってのけている。
山上下家の質素な庭と対照的な、オハナいっぱいの庭を抜けて玄関に着く。とりあえず夏代さんを招き入れ、壁にかかる所在地表を見た。
家の見取り図が表示される電子パネルの中で、低温室の場所に兄のマークを発見。
なんかやってるなあ。
「低温室に行くから、ちょっと寒いよ」
「そんなのあんのか……」
夏代さんはお邪魔しますと言って、わたしの後ろにつく。
同級生という未知の生物を家の中に入れてる事実が、わたしの足を重くする。ちょっと押されただけで転びそうだ。
気まずい距離感で廊下を進み、渡り廊下も突っ切って別棟に入る。
別棟には兄の研究部屋しかなく、人を寄せ付けない危険な雰囲気が漂っている。ドクロマークとか放射能マークとか、他にもカラダに悪そうな警告の標識が見えてしまうから、家族でも可能な限り近づきたくないと思う場所だ。
兄が言うには機械を動かさなきゃ大丈夫らしいけど。どうだかねえ。
殺伐とした空気に、声を出す気力を持って行かれた夏代さん。話したら死ぬ暗黙のルールができていて、山上下家にいたとき以上のガッチリした無言ゾーン。
二階に上がったところでスリッパに履き替える。土足厳禁らしい。
カスカスとムダに響くスリッパの音で気を紛らわしながら、無機質な廊下を進んで行くと、突き当たりに頑丈な扉の部屋が立ちふさがる。
頑丈そうな太い蝶番で、壁に密着した白い扉。低温室と書かれた札が貼られている。
「……なんか、おぞましい建物だな」
「背後に気をつけてね」
「えっ」
通気口からクリーチャーが出るかも?
扉の横にあるインターホンを押して、中の兄を呼び出す。スピーカーから打ち出された返答は、入ってこいとのこと。
取っ手を手前に引いて重い扉を開くと、中にもう一枚扉があるのに寒気を感じた。
「アタシ、今日が命日じゃないよな」
「それはあなたしだい」
「なにっ」
壁にかかっているもわもわコートを夏代さんに渡し、自分も袖を通す。背中に手が届かなくなるどころか肩に触れるのも一苦労になる分厚さだが、これくらいないと凍ってしまう。真夏に来ても外が恋しくなるだけ。カッコよく低温室なんて言っても、所詮は冷凍庫なのだ。
しっかりとコートを着込み、フードまで被って二枚目の扉に手をかける。
この二日間のことを思い出す。
無表情な生徒達に囲まれている印象ばかりで、他は学校に行って帰ってきた位だ。さっきのパーティーを除けば、特に気になることはない。
明日からもこんな調子で過ごせばいい。無表情が騒音に変わるだけで、わたしはただ学校に通えばそれで済むのだ。行って帰って、行って、帰って、それだけを繰り返せば、いつの間にか卒業式を迎えているだろう。
中学三年間もそうやって過ごしたのだし、今の環境を受け入れるだけで全てが元に戻る。
これまでのことは全部夢で、しっかり目を覚まして学校に行けばあの光景に出会えるだろう。
友好的で活発な夏代さんは元のオトモダチと一緒にはしゃいで、わたしはわたしのグループで過ごす。すべて元に戻るだけ。
自由奔放ぶりが浮いている紗夜果。
模範的であの環境では逆に目立つおとも。
不登校でなんの取り柄もないわたし。
いつもの三人で、無難な学校生活を送って終わる。
「世奈、ダイジョーブか?」
「うん」
取っ手を握ったまま固まっていたから、夏代さんがわたしの顔を覗き込んできた。フードで狭まった視界に、半分だけ出てくる夏代さんの顔。冷気が入らないようにしっかり覆うものなので、前髪と顔だけ出てイエティみたいだ。
なんか覚悟を決めてたのがバカらしいじゃん。
「視界が狭いから、机に置いてあるものを落とさないように気をつけてね」
「落としたら……?」
「取れるわ」
「そんなっ」
右手を引いて冷凍庫の扉を開け放つ。
マイナス二十度の冷気が、一気に顔に刺さってくる。コートで覆い切れていない膝から下にも容赦ない寒風が通過する。足と顔だけなのに全身が冷えたような錯覚。
小部屋の真ん中に堂々と実験机が置かれ、壁際にも細かい作業をしそうな散らかった机。その散らかった方の机に、西洋の鎧が座っていた。
扉が開かれたことにより、部屋の主が反応する。
「世奈お帰り。お兄ちゃんだぞー。ちょっと今超低温菌の代謝機構を解析してるんだ。用件だけ……、隣のはもしかして、友達か? 世奈の新しい友達か? おお? 世奈? やったか? やったぜえぇぇ!」