ぜんぶ機械まかせって変?
異常な一日だった。これがわたしの求めていた治安なのかもしれないが、思ってたのと違う中で過ごしたから疲れた。
まず一限、数学。
例によって先生が驚いた様子で授業を始めたが、真面目に授業を受けるクラスを見て、段々と上機嫌になった。後頭部があやしいおっさんが、途中でうふふと笑っちゃったのだ。
わたしと紗夜果も思わずうふふになってしまうと、すかさず隣から注意が入る。わたしと紗夜果に対して赤毛より真っ赤な髪の女子生徒Θが、人差し指を立ててシーっと。
二限の語学。
一限の授業を経験していたのか、先生は始めから上機嫌で授業を始めた。
予習として教科書の翻訳が宿題にされていたらしく、やってきましたかー、と。もちろんわたしはやっていなかった。知らなかったんだもん。
そして、気になるクラスのみんなも、誰一人宿題をやっていなかった。
そこには気を落とす先生だが、すぐやるよう指示すると、一斉に翻訳を始める生徒達。
三、四限は家庭科。調理実習。
真面目に説明を聞く生徒達に、家庭科の先生は苦笑い。というのも、ほとんどの人が実技に関してはまるっきりダメだったのだ。
まあ、おぼっちゃまおじょーさまの集団だし。おナベすら持ったことのない人がいっぱい。
わたしもね!
ナベを持てば転び、包丁を振ればただ生ゴミができる。そんな班が続出。学校側も想定済みなのか、各班にモップが備えられていた。包丁も手が切れないプラスチック製だ。
流動食のような粘性の高いお味噌汁が出来上がり、顔色一つ変えずに飲み干す班員。わたしはそんなことできない。だからといって残そうとすると、「飲んで差し上げます」と緑色の男子。
捨てさせてよ。
午前が終わって昼休み。
クラス全員そろって食堂へ。高等部専用の学生食堂は、中等部のものよりグレードアップして、広くて明るくて神殿みたいな建物だった。中等部は教会。少し暗い。
わたしが紗夜果、おともと一緒に長机のはしっこをとると、その隣からクラスの生徒がどんどん座っていった。
呆然とその光景を眺めていると、紫色の女子がわたしの前に、昼食ののったお盆を置く。
「久しぶりに咲蘭さんが登校したから」
と意味不明な言動。直後、桃色の女子が「明日、咲蘭さんの歓迎会を開きましょうよ」と、本当に意味が分からなかった。
ちなみに桃色の女子のスカートは切りすぎてほぼヒモなので、短パン小娘だ。スカートが丁度ベルトのように機能していた。
「明日パーティーを開きませんか」
「いいですねどこにしましょう」
「では僕の家で」
「いいえ私の家で」
「僕の家で」
「私の家で」
「……」
「じゃあ僕の家で」
「……」
わたしの意思を無視して、パーティーの話が盛り上がっていた。どうやらパーティー自体は決定らしい。わたしが参加することも。
賑やかな食事は、次の授業の十分前になると急に止み、全員ゾロゾロ教室に戻っていった。少し遅れてわたしたちが教室に到着すると、朝と同じく席について黙る生徒の森。
えー。
五、六限も午前と同じように進み、その日は終業。
軍隊みたいな同級生から逃れたくって、早歩きで教室を去った。紗夜果もおともも追ってこなかったので、すかさずメールアドレスを変更。着信拒否。その後に「またね」と入力したアドレス変更メールをおともに、「迎えにきて」のメールを兄に送った。
夕食の場で一日を振り返ると、精神に追加ダメージが入った。
でもまあ、本当に嫌になるほどではなかった。
朝食の間とは違い、夕食の部屋は『終末の晩餐』をイメージした作りになっている。席は長テーブルの片側に、身を寄せ合うような間隔で配置されている。話すときには一々横を向かなければならないが、大きな声を出す必要がない。
「で、兄。なにあれ」
「世奈が悩んでいた種を取っ払ってみたんだが」
隣に座る兄が、あっけらかんと言う。
雑作もないことでぇす、なんて思っているのかも。いやらし。
「誰でも人は常識というものを備えている。それに反抗して個性が生まれたりなんだり」
発明はできても説明はあまり上手くない兄。成果を報告できないから、研究者としては底辺扱いだ。アタマの回転が体の動きを上回っているので、言葉になったときはもう別のことを考えている。文が長くなる程差が広がるので、単語でしゃべってもらった方が分かりやすいことも。
「反抗心を抑制するよう音楽を流してもらい、以降登校という鍵刺激でどーにかなる」
「催眠?」
「おーそれだそれ。世奈は」
世奈はアッタマいいなあなんて言葉は嫌味にしか聞こえない。三秒だけ心を無にして一切の情報を遮断する。引きこもりなら誰でもできる技だ。
でも今日家を出てしまったわたしは、引きこもりではなくなる。段々と考え方がアクティブな方向に変わって、習得した技を忘れていくのは勿体ないなあ。
「世奈、明日、学校には行けるであろうか」
嬉しそうに父が乱入する。言葉はカタいが声が少しだけ高いのだ。
「……とりあえずは」
「んまッ! それはよござんすざます」
よござんすか。わたしは不安でいっぱいだよ。
最初に一日だけでいいって言ってたのに、コレが狙いだったんだね。
今日学校にいて分かったけど、生徒達の態度はちゃんとしていてもそれ以外が際どいから。無理して変なことさせたら事件が起こりそうなんです。調理実習の悪夢ざます。
「幸い集団教育というのは全員に共通の常識を刷り込むことができることにより安定した動作が保証された後に……仮想化……音楽……切り替え……」
「兄、一度に三十文字以上しゃべんな」
それ以上いくと、文の接続が危なくなって、最終的に途切れ途切れになる。
つまり。
学校の規則は無意識にアタマの中に入っていて、ルールは破るためにあるんだぜ的思考法を催眠音楽によって矯正する。そしてルールをちゃんと守りましょうモードになった生徒達が、今日のアレである。
学校に登校する行為が催眠の始まりだから、髪や服装はすぐに直せなくてあんなアベコベな形になったのだ。不真面目が真面目に生活する光景。
常識という曖昧なものは校則に集約されているので、意識をそこに向けるだけの単純な催眠音楽を兄が作った。作曲なんて超簡単だったぜって。
兄の話を要約するとこんな感じだろう。わたしの超翻訳さすが。
でも音楽一つで人間のアタマの中をコロコロ変えちゃって、いいのかな。大丈夫かな。
「よって集団心理を一種の触媒にして暗示の効果をより高め効果も均一化されやすいという利点が集団はある種の睡眠状態を提示する仮説がそうなったり」
「もういいよ、分かったから、落ち着こう?」
兄の書くレポートは、終始難解な言葉で構成されているから、読もうと思う人がいない。まず、自分の言葉を翻訳する機械を発明して欲しい。でも興味がないことには手が出ないんだ。
とりあえず、わたしは最後のハンバーグをほおばって、退席する。
「……兄、ありがと」
扉に手をかけながら小さな声で言った。手段はどうであれ、こんなにしてくれると引きこもりじゃダメかな、と思わされてしまったのだ。
どっちにしても、分厚い教科書は学校に置いてきたし、もう一回行かなければならないね。
明日のために、今日は早く寝よう。
「世奈ァ! 食器を片付けるざます!!」
お母さん! 空気読んで!
・・・・・・・・・・・
登校二日目は、昨日みたいに紗夜果がヘリで襲撃することはなく、平穏に登校できた。
なんて夢が見たかった。
ヘリで来ないと思ったら、今日はダックスフンドのような長い車で庭に乗り込み、勝手に敷地の中に入ってきた。朝食の間のガラス張りに張り付いて、叫び出したと思ったらガラスがスライドして開いたのだ。
あそこも開くんだ!? なんて驚いているスキに、全力疾走で私にぶつかってくる紗夜果。家族の微笑ましい表情が妙に記憶に残り、気付けば平東家の車内だ。
箸が使えなくなって今日はスプーンとフォーク。二刀流を装備したまま運ばれた。飲み物しか置かれていない車内で、食器を構えるわたし。なにを食べる気なんでしょう。
どうしようもないからシートの隙間に差し込んでおく。紗夜果がメールをしているのを横目に数分持て余していると、学校に入った所で車が止まった。
徒歩とはエラい違い。カバンが軽いのに勿体ない。
始業三十分前の学校には、ちらほら登校する生徒達が見られる。平東家の車以外にも、多くの車が並んでいた。見送りをするメイドさん集団と、お辞儀をしてからキチンとした歩行で校舎に向かう黄色い男子。
普通のオカネモチはあんな感じなんだろうな。現に紗夜果とわたしもスーツ集団に囲まれているし。
わたしのウチはそんなのいないので、兄が車を出す。でも自動操縦にしてずっと隣に座ってくる。兄はいいかもしれないけど、わたしにとって自動操縦は結構おっかないんだ。
「セナ、早く行くわよ!」
「はいはーい」
高等部の生徒の流れに合流して、おじょーひんにそびえる校舎へ。
「そういえばセナ! 昨日メールできなかったんだけど! さっきもできなかった!」
「え? なんで?」
朝からそういうデリケートな部分に触れてはいけません。
「おかしいじゃん! 最初は送れたのにさ!」
「うんおかしいね」
メールアドレスを変えたのに気付くのはいつになるだろう。上手く隠しておかなきゃ。
少し気になって、あのときのメールを全文読んでみたけど……。読まなきゃよかった。身の危険を感じるばかりであった。
「あたしの端末壊れたのかなあ。グミ食べた手で触ったのがいけなかったのかなあ」
「うんそれそれ」
グミ食べたんだ。
「帰ったら新しいの買ってもらうから、覚悟してなさい!」
「え?」
「昨日と今日の分が溜まってるんだから!」
「え?」
「もうね、メールしながら電話してやるわ!」
「え?」
「ぎにゃああああ!」
ちっこい紗夜果がわたしの肩に向かって一生懸命話しても、そこに耳はついていないんだよ。なんも聞こえなーい。
都合が悪いときは、お茶を濁していい方向に切り替えるのが一番。相手に同調してやんわり導けるとなおよし。
「そうそう、メールしながら電話で思い出したんだけど」
「なによ!」
「紗夜果は兄の発明のこと、知ってたの?」
強引な話題変更だと思った。
「発明?」
「ほら、今の学校、こんなじゃん」
紗夜果はこの状況に動じていなかったし、催眠にかかってもいない。
「あ、それのことね! エフォールク財閥が全面協力したのよ!」
エフォールク財閥は、紗夜果の祖父母が立ち上げた財閥だ。
この国に来る前、「平東」じゃなかったときの姓が「エフォールク」らしい。あちこちで高名なエフォールクを名乗っていたら、色々とトラブルの種になりかねない。
のんびりとしたリゾート暮らしを満喫するために、姓を変えたのだ。
おそらくこの先、数世代に渡って平東が続き、また起業するときにエフォールクに戻るだろう。紗夜果の一生は自由が約束されている。というかこのちいさいのが働く姿を想像できない。
後の世代がこの国から出て、起業して、成功したらこの国に戻る。財産がある程度減ったら、その家の子孫がまたこの国を出て働いてくる。そのサイクルが、ここら辺に住む大半のオカネモチのやり方である。遊んで暮らすために働くのだ。
そんな遊んで暮らす期間中に生まれた紗夜果は始めからこの国の住人なので、容姿以外はこの国色に染まっている。外国語なんて苦手教科。
「ここの会社、あたしんちの傘下だし? 機材とか手続きとかやっといたわ」
実際紗夜果は何もしていない。やったのは全部社員。すなわち先生。
ここ富薇恵学園を経営する会社は平東家のものだから、昔から色々とご縁があった。紗夜果と直接話したのは小学校に入ってからだから、幼馴染みと言えるかもしれない。
「社員もあれには困ってたからね。学長が喜んで資金援助したの」
理論を伴わない兄の発明は研究者から嫌われるが、なんでもない人にとっては大好物だ。デメリットが相当あっても、魔法を具現するような装置に手を伸ばさずにいられない。周りが見えなくなり、ついつい自分のものにしてしまう。
オカネモチが集まる学園では、お子様が学校に対してご不満に思われただけで一気に潰されかねない。
子供のわがままで潰そうとする経営者なんて、この国にくる前に倒産しそうだが。経営者も変わっている人が多いので、絶対とは言い切れない。
奇妙なバランスを保つため先生は厳しいことを言えない。
なら催眠状態にすればいいじゃない。苦情が出ない。
ウチと学校、利害の一致である。