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引きこもりはがんばって生きている  作者: 風三租
1話 御嬢様式復学法
2/23

庶民風の朝ごはんは変?

 さて、わたしは更生と称して外に放り出されるという、命の危機に直面しそうなのだが、どうしたものか。今すぐお部屋大好きの引きこもりにランクアップしたいが、家族がこんな状態では、ライフラインが断たれるだけ。


 政治の中核である咲蘭家に、引きこもりがいるのはいただけない。独裁者状態の父が、娘一人に振り回されるようでは国民にナメられてしまう。

 まあ、この小さな国に反乱起こして政治を良くするー、なんて言う人はいない。交通技術は十分に発達しているから、そんな労力があるなら外国に移住する方がずっと楽な世の中なのだ。向こうの方は物価が安いしね。


 それに、ぽっつり浮かぶ小さな島の、さらにたった四十分の一程度の我が国土では、征服したって達成感はそこまで大きくない。

 みんなそれが分かっているので、それぞれ伸び伸びと暮らしているのだ。やる気がないともいう。


 そこら辺のことはさておき。

 とにかく、あってもなくても同じような世間体を守り抜くために、家族は血眼になってわたしを学校に行かせるだろう。咲蘭家の半分は見栄でできているのです。


「世奈」


 わたしから二十五メートル離れた、テーブルの向かい側に座るメガネ兄が、なんか呟く。叫び声じゃないとほとんど聞こえない。たぶん呼ばれただけなんだろうけど。


「なによ」


 向こうもおんなじだ。言葉を受け取ってから文章化するのに一々ラグが生じてじれったい。


「……おにいちゃんが明日から学校に行けるようにさせてやる」


 受信、翻訳。ざんねん、理解できません。おにいちゃんってなんでしょう?

 兄の妄言は今に始まったことではない。気にせず机のお箸をとった。邪魔になる長い髪を適当に払っておいて、放置されていた朝食をいただく。出汁がしっかりしたウチの味噌汁は冷めてもおいしい。


「絶対に家から出ないわ。おうち大好き」


 聞こえてないけどこれだけは言っておかねばならぬ。あんな目に毒な学校に、絶対戻ってなるものか。わたしの決意は固いのだ。


「……世奈が学校に行くなら、かっぷらあめん? を買ってあげるざます」

「えっ」


 母の口からかっぷらあめんなんて言葉が。

 極端すぎる栄養の偏りから、ウチどころか、荒れ放題の学校ですら存在しえない代物だ。かく言うわたしも、引きこもるようになってから初めて知った。

 唐揚げの衣のような脂ぎった麺に、粉をお湯で溶いただけの食品とのこと。栄養のグラフは山と谷がハッキリしていた。恐いもの見たさで、ずっと食べてみたかったのだ。


 しかし、こんなエサに釣られてはいけない。物に釣られるのは、愚かな子供がすることだ。

 わたしは通信教育で高校を卒業し、通信大学で全課程を終わらせて、ネット社会にその身を投じる。そして仮想現実大規模少人数オンラインゲームなるものを自分で作り、夢の世界で一生を遂げるのが将来の夢なんだ。

 しっかり人生計画を立てたわたしが、外部の誘導に乗せられる筋合いはない。


「娘よ、高等学校に戻るならば、経済的援助もやぶさかではない」

「うっ」


 ネット社会に身を投じるには、先立つものが必要? 大学卒業後から数十年と使用するコンピュータには、莫大な額をかけてやるべきだ。容量、処理能力、さらに未知の技術に耐えられるようなでっかいものは、わたし一人の力では用意できないのだ。


 でも、ここで譲歩してしまったら。

 学校に行くことで、逆に無駄な時間を浪費してしまうかもしれない。自分を磨くこの期間に、遊びたがりの学生達の溜まり場へ飛び込めば、未来は死あるのみ。大人になって化石となったアタマで、新しい技術を磨くには遅すぎる。


 正面遠方でなにか動きがあり、そちらに注目して身構える。どこからともなく取り出した拡声器を、わたしに向ける兄である。

 拡声器から打ち出される三人目の言葉は、わたしの心に止めを差しにくるのだ。


「世奈、学校に行けばいいことだらけだぞ」

「衛生放送なら見てもいい」


 拡声器は、集音マイクも兼ねている。よくひとりごとと称されるわたしの声も、損失なく拾える性能だ。最初から使えばいいのに。


「見るだけじゃ身にならんぞ。行ってくれれば、世奈の部屋に新機能つけてやるから」

「くっ」


 わたしの部屋には快適な生活を送るための便利機能が実装されている。

 本日未明、わたしがボタン一つで兄を落とした「どこでもダストシュート」も、便利機能の一種だ。

 それが新たに増えるなんて。イスの上で全く動かず、ありとあらゆること出来るようになるじゃない。

 快適な作業環境に高性能のマシーン。かっぷらあめんは妥協できるが、他は心を揺さぶるようなでかい条件。より引きこもるために引きこもりを脱する。明らかに矛盾しています。


「明日だけでも、どうだ?」

「うっ」


 並ぶ朝食に誰も手をつけずに、そろってわたしの目を見てくる。

 右を向けば母、左を向けば父、正面には兄。斜めを向けば、二人の視線ビームが両耳に打ち込まれる。二十五メートル離れてたって威力は落ちない。


 明日、一日だけ。違う、学校に行って帰ってくるだけ。およそ八時間の拘束は、無限に広がる引きこもりの世界への対価だ。秒針が四百八十周するのを数えていれば、眠りにつくことができるのだ。

 でもね。わたしがこんな条件に屈するとでも思ったか!


「は、はははっ! 兄! 寝言は、寝てから言いなさい!」


 家族の視線がトゲを含んだものに。それはただのトゲではなく注射針で、深刻そうなメッセージを直接送り込んでくる。

 ネゴトデハナーイ。

 コンドコソガッコウニイッテモラウザマス。

 ソノタメニハツメイシタンダー。


「お、お母、さん……。制服、どこ」


 三対一という理不尽な勝負の結果は、戦う前から決まっているのである。




・・・・・・・・・・・




 憂鬱な状態で一日を過ごしていたら、あっという間に運命の時がやってきた。

 具体的に言えば、朝食後にはパソコンをいじったり、昼食後は携帯端末をいじったり、夕食後にパソコンをいじったり。現実逃避していた。

 脳内に潜伏していた二百五十六色の記憶が集中の妨げとなり、深い現実逃避には至らなかった。惰性でマウスを動かしていたので、昨日の記憶がほとんどない。


 そんな世間から浮いたような気分をいまだに引きずりながら、淡々と学校に行く準備をする。学校に行くのはもう決定事項だ。


 自分で言うのもなんだが、超過保護なわたしの家族が、無理矢理学校に行かせるとは思えない。危険地帯に放り投げるようなものだ。

 学校に行かせるためのエサを充実させる以前に、エサまでの道をならしてあるはず。

 それがことの発端になった、脱引きこもりプログラム。アタマがおかしい兄の発明だから、きっととんでもない代物だ。


 その前提がなかったら、もっと必死になって断っていただろう。引きこもりらしくない行動力で家中を駆け回り、部屋に閉じこもって体育座り。介護しなきゃ死んじゃうよー、みたいなオーラを出して家族の哀れみを誘い、ライフラインを確保。結果、めでたく引きこもりのレベルが一段階上がる。厄介者極まりない。


 家族の支援があるにしても、やっぱり学校という二文字にはバイオリズムを掻き乱される。希望を見つけたり手放したり、わたしは忙しいのだ。

 心の安息を少しでも得るため、昨日友達の一人にメールをした。記憶に残る唯一の出来事だ。学校がある時間帯に、「学校行く」とだけ打ち込んで送った。

 引きこもりで不登校なわたしによる突然の復帰宣言だから、少し照れくさかったが、味方の存在が分かると心強い。

 三時間後に返事がきて、良くも悪くもいつもどうりで安心した。


『えゆ』


 メールの内容は、パッと見では意味が分からなかった。熟考を重ね、自分でもその言葉を打ち込んでみて、やっと解読できた。

 本人は「うん」とでも打ちたかったのだろうが、緊張して手が震えていたのだろう。わたしと相手のどちらもメール機能は滅多に使わないので、送られる方はいつも不意打ちなのだ。返信までの三時間と「えゆ」の中には、きっと壮絶なドラマが入っているに違いない。そんな情景を浮かべるような深い暗号だった。


 ちなみに、もう一人友達がいる。もう一人。一人だけ。高校入学の時点で正気を保っていたのは、わたしと、メールの相手と、そのもう一人だけだった。

 でもヤツはめんどくさいので着信拒否だ。


 めんどくさいけど数少ない味方を信じて、自分を奮い立たせる。

 引きこもりなわたしでも、家族と友達には恵まれている。だからわたしは自分の殻に引きこもらないで済む。学校とか同級生とか、大きなカタマリでの影響力が強すぎて、家の中に閉じこもることしかできなかったのだ。


 用意されていた制服は新品の夏服だった。いつの間にか衣替えが行われたらしい。

 オカネモチ学校の制服は、当然のことながら高級で、有名ブランドによってデザインされている。入学時に制服の着方ガイダンスまで行われているのに、聞かなければならない人はすでに半裸とか能面だ。それでも表情ひとつ変えずに講演を続けたデザイナーの人には、今後のご活躍をお祈りするばかりだ。


 制服を着る流れで寝癖も簡単に直す。父の黒髪と外国人である母の金髪がなぜか混じってできた、山吹色の髪。遺伝の法則が乱れた。

 地毛とはいえ、どっち付かずなこの色は、意外に目立ってしまって居辛いのだ。同級生の髪色がスペクトルになっていないと浮いてしまう。風紀の乱れが、結果的にわたしを目立たなくしているから複雑な気分だ。兄は真っ黒なのに。腹立つ。


 いい加減なわたしは五分で準備を終え、ほぼ新品の教科書が入った鞄を持つ。大学付属中高一貫校なので、高校の時点で早くも分厚い専門書が加わり、ムダに鞄を重くする。ネットでは鈍器の愛称で呼ばれる本が三冊も入っているのだ。

 中学校から大学まで在籍させる気満々。途中で進路変更することもできなくはないが、残念ながらこれ以上の偏差値はもうこの国に残っていない。転校などわたしには効かない。


 両手でしっかり鞄を持ち、色々な所にぶつけながら朝食の部屋へ。一階に行くのに階段を下りるところが結構辛い。腰にくる。

 緊張で、胃の中に冷たいものが入っている気分がして。一日の始まりにしてだるい。

 部屋を堂々と守る、高さ五メートルもの大扉。の端にある、普通の扉から朝食部屋に入ると、いつものように家族が座っていた。


「……おはようございます」


 制服姿を見られるのが気恥ずかしくて、朝日に向かって挨拶。


「おお娘よ、若い頃の妻のようだ」

「ワタクシがオバサンですと?」


 二十五メートル先から皿を投げる母と、よそ見して直撃する父。兄が席を立ち、入り口にいるわたしに接近する。


「世奈、輝いているぜッ」


 兄のメガネがキラッと。

 わたしはイラッと。

 わたしの頭に手を置いてメッチャクッチャに動かしてきたので、鈍器の集合体である鞄を思いっきり振り、兄を吹っ飛ばした。あれ、お母さんと同じことしてる?


 入り口で照れていてもラチが明かないので、さっさと自分の席につく。

 食欲はないけど、とにかく栄養を詰め込もうと事務的に朝食をかき込む。ご飯と味噌汁、アジの干物に豆腐と、理想的な和食である。


 オカネモチと言ったら一流コックが作った高級料理なのだろうが、咲蘭家は基本的にそういうのを雇わない。私欲のために人を使うことはダメー、と言うのが父の言い分で、家事全般は母の仕事だ。


 毎日三食、計算された栄養バランスのメニューで食事を作る母。兄の作った掃除機片手に、広大な屋敷を掃除して回る母の姿。金髪縦ロールで、ざますな母。見た目と行動が全く合っていないのが、この国一番の主婦、母である。


 そんな母の頑張りで気を紛らわしていると、遠くから重低音が聞こえてきた。次第に近くなってハッキリ聞こえる轟音は、分厚い窓ガラスを震わせ、お味噌汁の表面まで揺らす程に。鼓膜どころか胸の辺りを直接叩かれるような音量。

 窓から見える庭の植物は、音源が起こしている強風でその身を曲げられている。あんなに曲がったら、しばらく立ち直れないだろう。


 何かすごいのが近づいてきている。その姿を見せないまま、大型機械のエンジン音と強風の源が動きを止めた。正面玄関の方で着地した気がする。

 朝食の間から正面玄関までは距離がある上、死角に入っているため、ここからではどうやっても見えない。それでもここまで影響をおよぼすダイナミックなマシーン。

 なにごとじゃ。




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