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わからない感情

考えられない。それが俺の感想だ。

ああやって、好きな男のそばに居るためになら、好きな男に目を向けられるためになら、たとえそこに愛情が無くても問題無いとでも言いたげなあの女の声。

あのセリフがぐるぐると頭の中で回る。

確かに、あの後輩、和義は稀に見るイケメンだと思う。だとしても、そんな。あんな軽い態度で自分の体を差し出すことができるのか。

恋って、愛ってそういうものなのだろうか。考えられない。

少なくとも俺にはそんなことはできない。

遊びなんて絶対に嫌だ。付き合うのなら自分だけを見て欲しいと思うし、自分と同じくらいの愛情を相手にももってほしいとも思う。

違うのだろうか。

あいにく、恋というものをしたことが無い。そういうものに興味が無かった。ずっと書道ばかりやっていたから。

俺、こんなんで良いのだろうか。


玄関につったままの俺を母さんが見つけ、心配そうに眉を顰める。

「どうかしたの?」

俺は慌てて靴を脱ぎ、そして鞄を胸の前に抱えた。

母さんの隣に立ち、そこで立ち止まってしまう。

「なぁ、恋ってどんな感じ?」

今俺を悩ませている問題はこれだった。

別に気にしなければ良いと言えばそれだけなのだが、どうにも気になってしまう。恋とはどういうものなのだろうか。


母さんは俺の顔をじっと見つめ、そして額を触った。熱があるかどうか確認をされたみたいだ。

そんなに変なことを口走ったつもりはない。

母さんは何度か頷く。

「疲れているの? 最近は篭って字ばかりを書いていたでしょう? たまには休んだらどうかしら?」

軽く頷く。

だが、字を書くことを止めるつもりはない。こんなことをダラダラ考えているときに字を書くことはよくないけれど、何かしないとこの件についてずっと悩んでしまいそうだ。

まあ、人の価値観の問題なのかもしれない。

自分とは小さなもので、それで大好きな相手が少しでも満たされるのならと思っているのかもしれない。

それがあの女の考え方なのかもしれない。


廊下を進んで、俺は襖を開いた。

字を書こう。俺に今できることはそれだけだ。

青春中の男子には考えられないことなのかもしれないけど。

でも俺には恋が分からないから。


 + + + +


「あのさ、お前の同級生で和義っている?」

聞かないつもりでいたのに、やはり気になって問いかけてしまった。

珍しくそんな質問をする俺に対して後輩は眉を大げさに歪めた。

俺は知らず知らずのうちに声を潜めて、身を乗り出していた。

そんなに知り合いとか友達が多いわけでも無い俺にとって、生徒会の一員であるこの後輩は貴重な情報収集源だった。


後輩は手の中で器用にシャーペンを回転させた。

「和義……あぁ、小張のことですか?」

小張。小張和義。

俺がくじけそうになった時に道を示してくれた男の名前。

そいつに俺はお礼を言って、そしてそいつに告白をしている女子生徒を目撃してしまって変な気分になっている。

縁を切ろうとは思っている。

「あいつはあんまり、そうだなぁ……こういっちゃあなんだけど……」

後輩は俺の顔色をうかがってくる。

他人の悪口をホイホイいうような男ではないようで安心をした。

後輩は俺が口を出してこないので続けようと思ったのかちらりと室内を見渡す。今も生徒会室には俺とこいつしかいない。

二人で作業する時間が最近多くなってきて妙な感じだ。

後輩は頬杖をついた。

「知っているかもしれないですけど、あいつ結構なイケメンだし、あんな性格だからもてるんですよ。だから、その、やっぱり女遊びとかで悪いうわさが絶えなくて……」

大体いいたいことは分かっている。だから驚かない。と、そう思っていた。でも実際にきくとやはりなんとなく心臓が締め付けられた。

やっぱりそういう奴だったんだ。何で俺はこんなに衝撃を受けているんだろうか。

俺を助けてくれたから。

あんなに追い詰められたのは初めてで。それで書道を止める勢いだった。

それを考え直させる余裕を持たせてくれて。

だから、きっと俺はどこかで期待をしていたんだ。まともなやつだって。

そんなことは無かった。

昨日の光景がフラッシュバックしてくる。

最低な、奴なんだ。

言い寄ってくる女を全員ああやってそばに置いておくんだ。

最低な、奴。

この後輩だって、小張のことを話す時は何となく不愉快そうだ。

「で? なんでいきなり小張のことなんか訊いてきたんですか?」

後輩は自分の頬を摘まんで引っ張った。多分小張のことを話しているときの自分の仏頂面を直すためだろう。

「……いや、別に」

言葉に詰まった俺はそんな変な返答しかできなかった。


小張和義のことを聞いたことを軽く後悔した。自分の中だけでいい奴だって決めつけて置けば、もっとすっきりと別れをつげることができていたかもしれないのに。俺にそんなことできないかもしれないけど。

自然に距離を置こう。奴と関わることは無い。

そう考えながら筆を半紙につけると、字がややぶれる。どうして、こんなにアイツのことを考えてしまうんだろうか。


俺には、書道があればよかった。

幼いころから、俺は素直になれなくて。そんな俺で文字だけには素直に感情を込めることができた。少ない俺の本音の意思表示の方法だったのである。

自分に嘘をつくことなく筆を滑らせると凄く落ち着いて、心の中のごちゃごちゃした物が消えていく感覚がする。

それが快感で、止められなくて。

そして何より、父がほめてくれるのだ。

字を勉強して、成長して俺の特技になって。

とびぬけて上手い俺の字を見て、父はほほを緩める。母も。みんな、俺の字を見て笑ってくれる。

賞を獲れば、頭を撫でてくれる。まるで、えさをもらえる方法を覚えた犬のように。

熱心に続けてきた。

褒められるために。他人に認められるために。自分を認めるために。

自分の中で負けられない物になった。自分を認める方法だった。

俺は昔から自分が嫌いだったのだ。そんな俺が唯一自分を慰めることができるもの。

お前は字が上手いから。書道で必ず賞を獲れるから。だから、大丈夫。俺は俺を愛している。

そう思うことができていた。

でも、あの日俺は賞を獲ることができなかった。

一気に自分が嫌いになって。

「先輩、小張とは関係持たないほうが良いですよ」

心配そうに俺を見てくれる後輩。俺はその表情に気おされながらも頷いた。

確認をしてほっとしたのか、後輩は下がっていた眉を上げた。そして仕事に取り掛かる。

俺はため息を吐いて前髪をかきあげる。そこにようやくほかの生徒会員が入ってくる。

「お前ら熱心じゃねぇ?」

「そうか? ただ時間まで教室に居ても暇なんだよ」

俺は後ろを振り返ることなく呟いた。


あの教室に居ると、あいつに会いそうだった。

あいつが、やってきそうだった。

こうやって距離を置いて行こう。

俺だって、あいつと関わらないほうが良いなんてことは始めからわかっているんだ。

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