屋上にて
「なにしてるの」
学校の屋上で一人の男子生徒が柵に寄りかかっていた。しかも前のめりで、今にも落ちそうだった。
ネクタイの色は緑。俺のは青。つまりは先輩にあたる。
でも俺は敬語なんか使わない。だって一年早く生まれた人なんかにペコペコするのなんて、バカらしくてやってられない。
「ぇ、ぁ、駄目だろっ、屋上は立ち入り禁止なんだから……」
先輩は振り返って、後ろに何かを隠した。
そんな先輩の足元に落ちている屋上の鍵を指さすと、先輩は声を漏らして頭を掻いた。
左手は背中に回したままで、何かを持っていることは明白である。
俺は先輩に歩み寄った。先輩は俺に合わせて後ずさろうとするが、柵にあたってそれは叶わなかった。
「で? なにしてるの?」
俺は質問を繰り返した。
先輩は困ったように視線を巡らせる。嘘をつくつもりだと分かったので俺はポケットから両手を出して、先輩が後ろに隠している物を奪い取った。
それは半紙だった。文字が書いてある、書道の半紙。
先輩は俺からそれを奪い取って、俺より低い位置から睨み付ける。
身長低いな、この人。
「ちょっと、勝手にみないでくれないかなっ」
「隠されると見たくなるでしょ。人間の心理」
俺は先輩のおでこを軽く指で押した。俺と違って清潔感のある短い前髪。
俺は隙をついてまた先輩から半紙を奪い取り、半分に畳んであるそれを広げた。
基本に忠実で、綺麗な字だった。
「お前! 返せよ!!」
俺に飛び掛かってくる先輩を軽く受け流して、じっくりとその字を眺めた。
先輩はバランスを崩したのか豪快に転んだ。俺はそれを半紙越しに眺める。先輩はめげずに立ち上がり、軽く涙目になりながらも赤い鼻を擦って俺を睨む。
「これ、先輩のなの?」
先輩は立ち上がって、ブレザーの前を払った。砂のついた自分の手を叩いて綺麗にしながら、俺にその手を突き出した。転んだ拍子にすりむいたのか、先輩の手は赤くなっている。
返せというらしい。だが俺の質問に答えてないので俺はそれを許さなかった。先輩は唇ぎゅっと噛む。
「そうっだけど……っ!」
俺は半紙をたたんで、ポケットに両手を突っ込む。
半紙は脇に挟んでおくが、油断しないで先輩に取られないようにした。
「なんでそんな恥ずかしがるの?」
「……下手、だろ……。捨てようと思ったんだよっ。もう書道なんてやめようと思ってっ……!」
先輩はとうとう泣き出してしまった。袖で涙をぬぐいながら、ここに居た理由を話してくれる。
どうやら、書いた字が賞をとれなかったのでこの半紙をびりびりに破いて、書道を止めようとしていたらしい。
俺は両手をまた出して再び半紙を広げた。ざっと眺めて、そして先輩に渡す。呆気なく返してくれた俺に先輩は俺を疑うように見つめた後、奪い取るようにそれを受け取った。
俺はすかさず先輩の赤い手をつかんだ。
「!? なっなにするんだよっ」
「先輩書道やっているんでしょ? なら手が商売道具じゃん。怪我させたの俺だから、手当てしてあげる」
そして強引に先輩の手を引いて、屋上を出る。
屈んで屋上の鍵を拾い上げて、鍵を閉めて階段を降りていく。先輩が抵抗しても俺は振り返らなかった。
「話聞いてなかったのかよっ! 俺は書道やめるんだよっ!」
じたばたと暴れる先輩をよそに、俺はひたすら一回の保健室を目指す。
先輩の手首は細かった。
悔しかったんだろうな。きっと努力してきたんだろう。俺にはわからないけれど。
「止めないよ。先輩は止めない。だってまた、賞に出さないといけないでしょ」
俺は保健室の扉を開けて、先輩をソファに突き飛ばした。扉を閉めて先輩の前に膝待付く。掌を広げて傷の具合を見た。
下から見た先輩はもう泣き止んでいるけれど、俺を不思議そうに見た。
「俺は……やめるんだよ……」
まだ繰り返す先輩の掌に消毒液を垂らす。染みるのか眉間に皺を寄せた。
俺は先輩の掌を握って、そして笑ってやった。
「先輩、リベンジって言葉、知ってます?」
先輩は俺が手を握ったのが痛かったのか、また泣き始めてしまった。