コンニャクで戦争をしますか?
「ツルリンゼリーです」
「いや、プルプルゼリーだね」
奈津子と助教が、何やら討論……というより口喧嘩をしている。手には、小さなお菓子の容器。
どうやら、自分が好きなお菓子を相手に認めさせたい様子。
「どうかしましたか?」
そんな奈津子らの様子など気にしない風に、助手が執務室に入ってくる。
「いいところに来たわ。奈津子ちゃんが頑固なのよ」
「いえ、頑固なのはセンセイです。ツルリンゼリーが最高です」
奈津子の手にあるお菓子のパックを見て。
「ああ、コンニャクゼリーですか。流行っているようですね」
と、助手が言う。
今、女の子の間ではコンニャクゼリーがちょっとしたブームなのだ。
健康スリムな女の子が昨今のトレンド。
コンニャクゼリーはダイエット食品として低価格・効果的・美味しい、と3拍子そろい、女の子に大うけである。
今までは『プルプルゼリー』の独壇場であったコンニャクゼリー市場に果敢に挑んできたのが『ツルリンゼリー』。
いま、巷では『プルプル派』と『ツルリン派』が冷たい戦争状態である。
一部の過激なタイトルが売りの雑誌では『コンニャク戦争』なんて言葉も出てくる始末。
「はあ~~『コンニャク戦争』ですか」
助手が何だか遠い目で呟く。
「ふん、まったくコンニャク食品で戦争なんて大袈裟なんだから」
助教の呟きに。
「それが、そうでもありませんよ」
と、珍しく助手が言葉を返す。
「あら、どう言うこと?」
「だれかがコレで戦争してるの?」
奈津子と助教が身を乗り出して聞いてきた。
そんな、二人を見据えるように助手は。
「ところで、風船爆弾は知っていますか?」
と聞いてきた。
「ああ、先の戦争で大陸が使った渡洋爆弾でしょ」
「二千発も放って戦果無しだったんですってね。笑っちゃうような兵器ね」
「それに紙にコンニャクだなんて……他に何かなかったのかしら」
笑いながら二人の語ったのは、一般的な風船爆弾の評価だ。
「それが……そうでも無いんですよ」
助手の言葉は、何時に無く重かった。
「これは、僕が友人から聞いて話なのですが……」
その助手の友人とは、情報部員で南諸島で活動していたらしい。
助手は、風船爆弾の説明からはじめた。
一般に知られるように、風船爆弾の構造は簡単だ。
基本は、気象観測気球と同じ。
大きな気嚢に水素ガスを詰め、この浮力で機材を高空まで上げ、移動は風まかせ。
観測機材を積めば観測気球。
爆弾を積めば風船爆弾である。
初期の気嚢はゴムで気密を保った布が使われたのだが、気密性が低い上に重かった。
改良された気嚢はコンニャクコーティングされた紙が使われた。
これは、機密性も高く軽量であった。
気球の性能は飛躍的に上がる。
これが、コンニャク風船のはじまりとなる。
さて、列島の上空には偏西風と呼ばれる、北西風が強く吹いている。
この風は、大陸から列島に吹く風だ。
では、この偏西風に風船爆弾を乗せて飛ばせばどうなるか?
朝に飛ばせば昼には列島上空である。
タイマーでも使って爆弾を切り離したら、列島は空襲される。
もちろん、目標を決めた爆撃なんて出来ないし、一定地域に集中的に爆弾を落とすことも難しい。
散発的な無差別爆撃が出来るだけの兵器。
戦術的には意味が無い。
ところが、戦略的に考えると、これが意外に厄介な存在となる。
旧来の戦争は、前線で兵士が戦う。
ところが、近来の戦争は、国土の全てを戦場として考える。
銃後(つまり、弾や爆弾が飛んでこない場所)が戦場になる可能性が出てきたのだ。
ところが、戦線や要塞を跳び越して銃後を脅かす戦術が難しい。
空から前線を飛び越える。
これは魅力的な考えだ。
だが、航空機での長距離爆撃は、基本渡洋飛行が必要だ。それも夜間渡洋飛行が必要になる。
渡洋飛行の出来る爆撃機の開発には、費用も時間もかかる。
そして、夜間渡洋飛行の出来るパイロットの育成はとても大変。
船にしても、拠点を制圧する十分な数の兵を乗せなくてはならない。
さらに、海岸要塞からの攻撃に耐えながら上陸隊を揚陸させるのだ。
もちろん輸送艦の他に、列島軍戦闘艦を押さえる戦闘艦も多数いる。
両方とも、かなり困難である。
そんなわけで、先の大戦でも大陸軍機による渡洋爆撃は2回だけで、いずれも迎撃に成功している。
船舶による大規模な上陸作戦は、黒島以外には行われなかった。
そこで風船爆弾の出番となる。
渡洋に失敗する事も、爆弾が無差別に投下される事も承知の上で、大量に列島に向けて放つ。
無事に列島に着いた風船爆弾は千発に十発。そして、何らかの被害を与えたのは一発。他は、海に沈んだり無人の山野で爆発した。
一見ひどく効率が悪い。
だが、前線での打ち合いでも有効なものは1%以下だろう。
有効率0.1%は、決して悪い数値ではない。
しかも、無防備な銃後を無差別に爆撃されるのは通り魔事件と同じ。対応は後手後手に回り、手間がかかる。
国としても、これに対応しなくては、国民に不安や不満をつのらせる。
そして、この対応が難しい。
最も効果的なのは攻撃策源地への攻撃であるが。風船爆弾は放出されるのは大陸内陸である。
ここを攻撃できる手段を列島軍は持っていない。
列島軍は風船爆弾の迎撃と爆撃効果の隠蔽を行った。
爆撃効果の隠蔽は、情報部によってそつなく行われた。
問題は、風船爆弾の迎撃である。
これに対応した空軍は予想以上に消耗した。
末期には、迎撃機を攻撃対象にした空中機雷搭載型まで出てきた。
「……つまり、コンニャク風船爆弾は有効な兵器ということ?」
奈津子の質問に助手は首肯した。
「わざと偽情報を流していたのね。それほどの兵器だったなんて」
助教も呻きをもらす。
「幸いにして、コンニャク風船爆弾が投入されたのは戦争後期。有効な打撃を本土に与えるまでに戦争は終了しましたが……」
「また、使用されると同じことの繰り返しになる……ってわけね」
「まさに」
(さて、我が軍は、どう対応したのかしら?)
風船爆弾の厄介な点は、列島軍が同じ風船爆弾を使っても、偏西風の為に大陸に爆弾は運ばれない事だ。
地政学的な有利。
これは、覆せない。
(どうする、どう対抗する)
奈津子の脳は、フル回転をはじめる。
「でも、無差別爆撃は国際法違反でしょ? 風船爆弾も禁止できるはずよ」
助教の指摘に。
「我が軍も大陸も、次の戦争では大型弾道噴進爆弾。いわゆる長射程ミサイルが主力になるはずです。
これも、国際法に違反ですか?」
「それは……」
助手の問いに助教がつまる。
「勝てば官軍。有効な攻撃手段ならなんでも使う。それが戦争です」
実際に、国際法で戦争が変わった事はない。
「そうよ。コンニャクよ」
奈津子は呟いた。
「コンニャクを押さえればいいんだわ。たしか、コンニャクは蒟蒻芋からつくるのよね」
「半分正解です」
蒟蒻芋は量産が難しい作物だ。
嗜好品としての少量生産ではなく、戦略兵器として大量に作るには向かない。
また、多くの農地を蒟蒻芋に使っては主食の麦の生産量がへる。
奈津子はツルリンゼリーのパッケージを見た。
そこには『蒟蒻生産国:南諸島共和国』とある。
「南諸島……まさか……南諸島の独立って」
奈津子の問いに、助手は無言だった。
過去の南諸島は大陸の植民地であり、蒟蒻芋の栽培も盛んであった。
ところが、十年前に独立運動が各地で起こり、傀儡政権は倒れ、独立国となる。
誕生した南諸島共和国は列島と盛んに交易をする親列島国家となった。
(待ってよ……南諸島と大陸の風向きは貿易風に支配される……なら風向きは、南諸島から大陸へ……)
「南諸島の独立で、大陸は蒟蒻芋の入手が困難になり、列島は蒟蒻風船爆弾を大陸に対して使える拠点を手に入れた……って訳ね」
(なら、列島は密かに独立戦争を支援した……いえ、主導したのかも)
「まあ、それは僕の妄想かも知れませんよ」
人の悪い笑いを浮かべる助手。
「でも、僕らはこうやって」
そう言って、助手はコンニャクゼリーを一つ取り。
「これを食べている」
口に放り込む。
「うん、美味しいですね」
付け加えるなら、ここ数年の列島でのコンニャク消費量は世界一である。
そして、助手が語らなかった事実が、もう一つあった。
大陸軍が使ったコンニャク風船爆弾の総数は、情報部の把握では二十万発以上である。
だが、この事実は今も隠蔽されている。