第七章 マイクロ波
――北上物流第四倉庫。
倉庫の周りに守衛らしき人影は見当たらない。倉庫の中央扉は閉まっているが、右側に小さなドアがある。鍵は掛かっていない様だ。
金城はドアを静かに開くと、左手を少し上げて三人を手招いた。
倉庫の中は荷物が何も無く薄暗かった。倉庫の天窓から薄っすらと白夜光が差し込んでいる。
四人は辺りを見回しながら倉庫の中を進んだ。
「奴等は、何処にいるんだ」
中村課長がそう言うと、上の方から声が聞こえた。
「ここだよ、中村君」
四人は倉庫の中二階を見上げた。
中二階にあるクレーン室の扉が静かに開いて、室の中から金田と三人の男達が現れた。金田は黒の背広姿だが、他の三人は迷彩色の軍服を着ている。
金田はクレーン室の手摺りに肘をついて四人の姿を眺めた。
「おい金田、約束通り、ブラックウエハの評価データーとサンプルを持ってきたぞ」
中村課長が上を向いて金田に話し掛ける。
「ほっほう、さすがだね。中村君、君の部下達は優秀だねえ」
「相川真理さんを返せ」
「お嬢様は、お前らの目の前にいるぜ」
金田が仲間と一緒に鉄の階段をゆっくりと降りて来る。
金田は階段の下まで降りると、壁にあるブレーカーボックスの扉を開けてスイッチを入れた。
倉庫のキセノンランプが唸りを上げて点灯すると、天井照明は徐々に明るくなって、倉庫の中を薄黄色く照らした。すると倉庫の奥に相川の姿が見えた。相川は椅子に縛られて眠っている様だ。
「真理ちゃん!」
神崎が相川の元へ駆け寄ると倉庫に銃声が響いた。
銃弾が神崎の足元をかすめて火花を散らすと、神崎は驚いて立ち止まった。
「神崎君、フライングだよ」
金田が拳銃を構えて神崎に照準を合わせると、相川が銃声に反応してハッと目を覚ました。
「神崎さん、逃げて! こいつら何をするか分からない連中よ!」
「おやおや、お嬢様、お目覚めかい」
金田は相川の方に振り向いてニヤリと微笑んだ。
「君達、サラリーマンなんだから、商品はちゃんと納品してくれないと困るねえ、ビジネスの基本だよ」
金田が顔をしかめてケラケラと笑う。
「データーをこちらに寄こせ!」
金田が首を捻って仲間の男に指示を出すと、仲間の男は神崎から紙の資料と光ディスクを奪って、それを金田に手渡した。
「おい、サンプルもだ!」
金田がまた首を捻ると、別の男が田町からサンプルを奪った。
「金田、約束は果たしたぞ、真理ちゃんを返せ!」
「いいだろう。俺はこれでも義理堅い紳士だからな、返してやるよ」
神崎は相川の元へ駆け寄ると、ロープをほどいて彼女を抱き寄せた。
「大丈夫か、真理ちゃん」
「うん、大丈夫よ、神崎さん」
「おい、お前ら! こんな事をして後でどうなるか分かっているんだろうな!」
相川が瞳に涙を溜めて神崎に抱きつくと、金城は金田の顔を睨みつけた。
「おや? サラリーマンじゃない奴が一人いたな。すまん、忘れていたよ、名探偵の金城君。後でどうなるかって? 簡単な事だ、この倉庫に死体が転がっているだけさ」
「何だと!」
「ははは、もう、お前らに用は無い!」
金田はそう言うと、また顔をしかめてケラケラと笑った。
日が傾いて倉庫の天窓から陽光が射し始めると、薄っすらとしていた倉庫は全体的に明るくなった。そして、陽光は金田と仲間の男達を照らした。
金田が右手を上げると、仲間の男達は一斉にライフル銃を構えた。
「そのサンプルは偽物よ!」
「このサンプルが偽物だって?」
「そうよ、本物のサンプルは別の場所に隠してあるわ! もし、神崎さんの解析結果が間違っていたら、どうなると思うの?」
「ははは、見苦しいぞ、相川真理。お前から殺してやろうか?」
「殺しなさいよ、そうすればブラックウエハの製造工法は二度と分からないわよ」
「ふっ、気の強いお嬢だぜ! おい、念の為にウエハを確認するぞ!」
金田は仲間の男に指示を出して、サンプルケースの蓋を開けさせた。そして、ウエハの端面を両手で持つと、それを傾けて陽光でウエハの表面を確認した。
《CN3600―GP4365―02EL》
(プロセスナンバーはGP4365、スライスナンバーは02ELだ。間違い無い、これは本物だ)
「何だ本物じゃねーか、プロセスナンバーもスライスナンバーも全部合ってるぜ。それに、このウエハの独特な周辺回路パターンは見覚えがあるからな、間違い無く本物だ。こら、お譲、嘘をつきやがったな、お前から先に死んでもらうぞ!」
金田がウエハをサンプルケースに戻して、相川に拳銃の銃口を向けると、同時にウエハから妙な唸り音が聞こえた。そして、金田の拳銃と仲間の男達が持っているライフル銃から火花が散った。
「何だ? 何だこれは?」
金田が突然の出来事に驚いて声を上げる。
大きな破裂音が鳴り響いて拳銃とライフル銃が暴発すると、金田と仲間の男達は頭を抱えて苦しみ出した。そして、サンプルケースに入ったブラックウエハが虹色に輝き始めて、金田と仲間の男達は青白い炎に包まれた。
「みんな! 目を閉じて床に伏せて! 前を絶対に見ちゃダメよ!」
相川の指示に従ってみんなが目を閉じて床に伏せると、アーク放電の様な強烈な閃光と地響きを伴う大きな爆発音が発生して、倉庫の天井が一気に吹っ飛んだ。そして、倉庫の天井を支えていた強固な鉄骨が次々と金田達の上に落ちて来ると、断末魔の悲鳴が倉庫に響いた。
――しばらくして。
天井の崩れる音が鳴り止んで倉庫がシーンと静まり返ると、金城はゆっくりと起き上がって体についた埃を払い落とした。
「由香里ちゃん、大丈夫か?」
「私は大丈夫っすよ! 課長! 中村課長!」
「ふぅ~、田町、俺は生きてるか?」
「中村課長、大丈夫っすよ、まだ生きてるっす」
金城は二人の無事を確認すると神崎の元へ駆け寄った。
「神崎、大丈夫か?」
「ああ、何とかな!」
「真理ちゃん、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫よ」
神崎が相川を抱き上げて立ち上がる。
「おい、見ろよ、神崎、倉庫の天井が半分吹っ飛んじまったぜ! いったい何が起こったんだ!」
金城は倉庫の天井を眺めて愕然とした。
「ブラックウエハに過電流が流れて超伝導回路が臨界動作したんだ」
「何だって?」
金城が振り向いて神崎の顔を見つめる。
「真理ちゃんは、ブラックウエハの秘密を知っていたんだね」
「うん、でもあんなに凄いと思わなかったわ」
相川は神崎にそう答えると、神崎と一緒に倉庫の天井を見上げた。
「神崎、何を言ってんだよ、俺にはさっぱり理解出来ないぞ!」
「ブラックウエハは紫外線で光発電して動作するんだよ。でも、その紫外線量が強過ぎたから、超伝導回路が暴走してマイクロ波が発生したんだ。まあ超強力な電子レンジみたいなものさ」
「何だそう言う事か、しかし、これは途轍もなく恐ろしいパワーだな、これじゃー軍事兵器にもなるじゃねーか!」
「ああ、そんな使い方も可能だな」
「そうか、分かったぞ、金田達はその秘密を狙っていたのか!」
「真相はそうかも知れないな、ブラックウエハを軍事兵器として研究していたのかも……」
神崎は相川を抱きながら金城に答えた。
「あっ、神崎さん! 何してるんっすか?」
「えっ、何だよ?」
「近寄り過ぎ! 離れて、離れて、セクハラっす!」
「いやだもーん!」
田町が右手を横に振って神崎に合図を出すと、相川は両手を広げて神崎にぎゅっと抱きついた。
「きゃ! こらっ! お譲! 離れなさーい!」
田町が相川を指差しながら、黄色い声を張り上げて相川を叱りつける。
「はぁ……」
神崎は二人の行為に呆れて溜息をつくと、吹っ飛んだ倉庫の天井から見える青空をしばし眺めた。
――その日の夕方。
ニュースでは、この事件について《湾岸倉庫で謎の爆発事故》と報道された。その後、この事件は極秘裏に調査されたが、真相については何も分からなかった。