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第二章 侵入者

 連れの金城剛司は高校の同級生で親友マブダチだ。学生時代、金城は柔道部でインターハイに何回も出場していて、連続優勝の記録も持っている。筋肉質でバリバリの体育会系。金城は体育大学に進学して工業高校の体育教師をしていたが、何を思ったか今は教師を辞めて探偵をしている。


 ――駅の跨線橋こせんきょうを上り下りして駅前商店街に出ると、行きつけの居酒屋が見えた。

 神崎は店の暖簾のれんをくぐって金城の姿を探した。

 金城が店のカウンター席に座って、楽しそうに笑いながら店長と話をしている。

「あっ、神ちゃん、いらっしゃい!」

「おお、神崎、こっち、こっち」

 店長がこちらを向いて手を上げると、金城は手招きをして神崎を呼んだ。

 金城は笑いが止まらないらしく、涙を流して腹を抱えている。

 神崎がカウンター席に座ると、金城は自分でグラスを取って神崎にビールを注いだ。

「金城、何がそんなに可笑しいんだ?」

「いや、店長が冗談ばっかり言うからさ、笑いが止まらなくて、もう腹が痛くって大変だよ」

「へぇー、そうなのか」

「店長は昨日の新装開店で『客が駅の改札口まで並んだ』って言うんだよ」

「えっ、凄いじゃないか、それは快挙だね」

「神崎、よく考えてみろよ、この店から駅まで何メートルある? 五十メートル以上あるぜ。嘘だよ、嘘、こんなチンケな居酒屋から駅の改札口まで並ぶわけがないじゃないか」

「ああ、そうか」

「それに駅前までなら、まだ許せるんだけど、『駅の改札口』だぜ、駅の改札口は跨線橋の中にあるんだから、それは絶対に有り得ないよ」

「あはは、そりゃそうだな」

 金城の話を聞いて神崎も腹を抱えてゲラゲラと笑った。


 神崎と金城はこの店の常連客だ。二人は日頃のストレスをこの店でよく発散させている。二階建ての小さな店だが、安くて旨くて店長が面白いので結構流行っている。


 店長の冗談話で二人が盛り上がっていると、二階の座敷から誰かが降りて来た。

「あっ、神崎さん見っけ」

 神崎が振り返ると、後ろに田町が立っていた。

「あれっ、田町じゃないか? お前は先に帰ったんじゃないのか? こんな所で何してんだ?」

「へへぇ、今日は課長がご機嫌なんで、事務所のみんなを集めて飲み会っすよ」

「へぇー、そうなんだ」 

「神崎さん、聞きましたよ、例の評価レポートの件!」

「えっ」

「もう、中村課長が神崎さんをベタ褒めなんだから~神崎さんも二階に来たら?」

「今日はダメだよ、連れと飲んでいるんだからさー」

「あら、隣のお兄さん、神崎さんのお友達? 初めまして、神崎の愛人、田町由香里で~す。よろしくっす!」

 田町が右手を上げて軽くウインクする。

「えっ、神崎! こんな美人の愛人がいたのか? 俺はマジ悔しいぞ!」

「こら、田町! 嘘を言うな!」

 田町はへへっと笑いながら少し舌を出して、化粧室の方に走って行った。

「――ったく」

 神崎が振り返ると、金城は化粧室を見つめて固まっていた。

「いい! とってもいい! 由香里ちゃん! す・て・き!」

 ぶっ!

 神崎が飲みかけのビールを口から噴き出す。

 金城はどうやら本気らしい。

「えっ、マジか? 止めた方がいいと思うけど……」

「ほんとに、お前の愛人じゃないんだろうな?」

「ちがう、ちがう、ただの同僚だ」

「じゃ、俺が彼女をお嫁に貰っちゃう」

 田町が化粧室から出てくると、金城は椅子から立ち上って田町に名刺を渡した。

「金城剛司と申します。よろしくお願い致します」

「……?」

「由香里さん、もし良かったら、俺のGTRで今度一緒にドライブでも如何でしょうか?」

 ※GTRは日産のスポーツカーで、スカイラインGTRの事。

 田町が受け取った名刺も見ずに、金城の顔を三秒程ポカンと見つめる。

「無理! 以上!」

 田町は金城に即答すると、神崎の頭を右手でポンポンと軽く叩いて階段を上って行った。

 金城が階段を見つめて、また固まっている。

「いい! とってもいい! 由香里ちゃん! そんなに照れなくってもー」

 ぶっ!

 神崎が飲みかけのビールをまた口から噴き出す。

「はぁー? お前、どんな感覚してんだよ! 俺には理解出来ない!」

 神崎が両手を上げて店長の顔を見ると、店長は爆笑していた。


 ――次の日の朝、神崎は少し寝過ごして会社に出社した。

「ふぅ、ギリギリセーフ」

 神崎が息を切らして居室のドアを開く。

 定例の朝会が終わると、神崎は田町に作業記録のPC登録を頼んだ。

 ※PCはパソコンの事。

「田町、昨日の作業記録をPCに入力してくれよ」

「昨日の作業記録って? 私、神崎さんの業務報告はまだ聞いてないっすけど」

「記録表に記入してあるよ。昨日、別の事務員が書いてくれたんだ」

「えっ、別の事務員っすか?」

 田町がデスクの上から赤いファイルを取って開く。

「あれっ、ほんとだ。記入してあるっすね……誰っすかね?」

「『誰っすかね?』って、派遣かアルバイトの女子事務員がいるんだろう?」

「いないっすよ、この事務所にいる女子事務員は私だけっすよ」

「えっ、田町だけなの?」

「そっすよ」

(それでは、昨日の作業記録は誰が書いてくれたのだろう?)

 神崎は首を捻って自分のデスクに座ると、本日の業務スケジュールを確認した。

「今日はA社のウエハ構造解析、C社のチップ熱応力評価、H社のポリシリコン接合評価、それからP社と新和開発社のサンプル返却予定日……あっ、忘れてた、例の評価サンプルの返却日だったな。他社の評価を早く片付けて返却しないと――」

 神崎が椅子から立ち上がって居室のドアを開ける。

 評価室に向かう途中、隣の技術営業課の前を通り過ぎると、今日も窓越しに中川の姿が見えた。

(昨日の女子事務員はいないのかな?)

 神崎が部屋の奥側を覗いて、昨日、廊下で擦れ違った女子事務員の姿を探す。

 技術営業課の部屋の奥側は、FAXやコピー機がずらりと並んでいる場所で、各課の共用スペースだ。各課にあるPCの出力は一括処理されて、この場所で印刷されるシステムになっている。

(彼女はいないな……)

 神崎は腕時計で時間を確認して評価室に向かった。


 ――本日の評価業務が終了したのは午後九時頃だった。

 神崎は本日分の評価サンプルを保管庫に片付けると、返却予定の評価サンプルを保管庫から取り出して梱包作業を始めた。

 評価サンプルはそれぞれ個別のウエハケースに収められていて、P社は汎用透明プラスチックケースで、新和開発社は黒色の帯電防止プラスチックケースだ。

 神崎がウエハケースをアルミラミネート袋に入れて真空包装機にセットすると、真空ポンプの動作音がして真空メーターの値が上がった。そして、しばらくすると真空包装が完了して装置が自動停止した。

「梱包完了、次は搬出だ」

 神崎が搬出ブースに評価サンプルを置いて扉を閉めると、評価サンプルは自動的にクリーンルームの外へ搬出された。

 神崎が田町のPHSに電話を掛ける。

(田町はもう帰ったのかな?)

 PHSは発信音を出し続けたが応答は無かった。

(今日はさすがに誰もいないか……)

 神崎は評価室を出て更衣室で作業服に着替えると、表の通路から評価サンプルを取り出した。

「資材部の宅配最終発送時間は午後十時だったかな?」

 神崎は腕時計で時間を確認すると、評価サンプルを両脇に抱えて解析技術課の事務所に向かった。

 事務所は部屋に明かりが無く非常灯が点灯して天井照明が消えている。

 神崎は評価サンプルを両脇に抱えたまま、右足の膝を少し上げて器用に事務所のドアを開けようとした。すると、突然ドアが開いて部屋の中から女子事務員が出て来た。

 神崎は体をそらして接触を避けたが間に合わず、女子事務員とぶつかってしまった。

「あっ、評価サンプルが――!」

 右脇に抱えていた評価サンプルが落下すると、神崎は慌てて右足を伸ばして、足の爪先で評価サンプルを受け止めた。

「ごめんなさい!」

 神崎の背後から女子事務員の声が聞こえる。

「こらっ! 田町! 気を付けろ!」

 神崎が振り返ると、女子事務員の後ろ姿が通路の奥に見えた。

 女子事務員は振り返らずに通路を右に曲がって走り去った。

「んっ? 田町じゃないな? 誰?」

 神崎が彼女の後ろ姿を呆然と見つめる。

 田町の髪型はショートカットだが、通路を走る女子事務員の髪型はセミロングだった。それに香水の香りがする。田町は香水を付けない。

「この香水の香りは……あの娘だ!」

 神崎はしばらく放心状態で固まっていたが、気を取り直して評価サンプルを持ち直した。

「あれっ、何か落ちているぞ」

 神崎が評価サンプルを下に降ろして、床に落ちている白いハンカチを拾う。

「ハンカチか……」

 神崎はハンカチを胸のポケットに入れると、技術事務所のドアを開けて天井照明のスイッチを入れた。評価サンプルをデスクの上に置いて、胸のポケットからもう一度ハンカチを取り出すと、微かに香水の香りがした。よく見ると、イニシャルが刺繍されている。

「イニシャルMA……」

 神崎はしばらくハンカチを見つめていたが、顔を上げて壁の時計を眺めた。

「いけね、時間だ。評価サンプルの出荷処理を早くしないと――」

 神崎は田町のデスクの後ろにあるロッカーを開いて、書類ケースから宅配の依頼伝票を取り出した。そして、ふと、田町のデスクの上を見ると、PCのアクセスランプが点滅していた。

(あれっ、パソコンの切り忘れかな?)

 神崎がPCのモニターのスイッチを入れてみると、PCのモニター画面にスクリーンセーバーが表示された。

(パスワードが分からないからPCの電源は切れないな、田町に明日注意してやろう……)

 省エネの取組みで、就業後、PCの電源は必ず消す事になっている。

 神崎は自分のデスクに戻って宅配の伝票処理を済ませると、事務所の天井照明を消して資材課に向かった。

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