武術雑話 4 同門他派のはなし
外野として実際に体験した話。
まとまりがないので今回は雑話あつかいで投稿。
先日、同じ流派の別会派同士の人のweb上のやりとりを見ることがありまして。
(というかその場の会話者のひとりとして参加してた)
会話の立ち上がりは普通だったのだが、片方の人が提示した自派の定義がなにかもうひとりの人の地雷を踏み抜いたらしく、突然すさまじい非難と罵倒が始まってびっくりしましたよ。
いやあ何というか。
武術とか武道とか研究とか好みとかBLの組み合わせとか、遠くて共通点のないものよりも、同じジャンルや同じ作品内の意見の相違の方が激しくぶつかるのですな。
何やら最終的には貴様には地獄すら生ぬるいというレベルの所に突入して、決裂して終わったわけですが。
筆者も同じ流派の違う会派について、他流派に対する態度よりもはるかに激しく批判的になってしまうのだが、ああいうのは近くで外部の人間が見聞きするとドン引きさせてしまうのだと大変実感した。
もっと心を広く持ちたい。
なあなあで済ませるのも問題があるのだろうけど、広い意味では同門なんでそんなに攻撃することはないんじゃなかろうか、と外側の視点で見れたのでありますよ。
その場にいた第三者として「うわあこの流派内ギスギスしてるわ」と精神的耐久力をゴリゴリ削られました。
そのことがあって思い出したことだが、何年も前に某団体の人が別の某団体の人に
「おうおう、お前のとこの正統○○流という名前、同じ流派のわしらに喧嘩売っとるんか」
と絡まれてる場所に立ち会ってしまったことがある。
絡まれた人は自身の流派の成立についてよく知らないひとだったので、
「師伝がそうなんだからそんなこと言われても困る」
「知らんからといって許されると思っとるんか、無知を開き直るんも傲慢だろ」
というどうしようもない水掛け論に終始して、これもまた最終的には最初にふっかけた方が捨て台詞と共に去るという結末に。
後から筆者が色々と事情を調べてみると、その流派全体は××派○○流とか△△○○流とか○○流■■会といくつも分かれた上で、それぞれが別個に独立して存在している所だった。
本家筋・宗家筋というか、代々伝えていた一族も別個に残っているが、統一組織のようなものはない。
その中でとある師範が、伝えている技の相違によって分かれてしまったが、そもそも○○流とは如何なるものだったのか、その○○流を○○流たらしめている根源的なコンセプトとはなんだろうと研究を積み重ねた結果、初期に分かれた重要な各派の技法をトータルに見渡した上で、その後の各派の技法も含めつつ新たにひとつの形に纏め上げた。
そうしてその人は、これが最初にその流派が成り立ったコンセプトを貫きつつも、現在の時代に即したブラッシュアップされたものであるとして、単に「○○流」と述べた。
新派を立てたつもりはなく、あくまで様々に分化する以前のものの核は見失わずに、その後の各派を統合する今日的な姿にしただけである、というのがその師範の見解であったようである。
良し悪しを全く考慮せずにいうならば、これは一つの主張ではある。
しかし、その人がまとめあげた形とある特定の個人(師範自身)だけがイコールでくっついている時は問題がないのだが、一つの団体の内容として伝わってそのお弟子さんの代になると、さて俺が伝えられた「○○流」とは名前の前後に何もついていないが明らかに他派と違うよね、という問題が生じてくる。
組織を継続し、その内容を広めて行くにあたって、他派と比べて一体いかなるポジションに位置するものであろう、ということを決めにゃならんという時がくるわけですな。
開祖の血筋は別に存在しているし、先代はそこの直接の弟子でもない。
あくまで技術上の統合を、個人が主張したものである。
うーん、しかし先代は自分が創出したものこそが「○○流」だと言っていたよなあ。
……よし、じゃあ他と区別するために「正統○○流」と名乗ってみようか!
そんな経緯がありました。
これを知っていたら絡まれた人も別の対応の仕方があったかもしれぬ。
ただ武術は、最終的には「武」術であるがために、
『ここに何かを主張する○○拳がある。
それとは別の主張をする○○拳がある。
お互いに戦って最後に立っていた奴が正しい。』
みたいなことを口走る過激でアルティメットな老師もいて、ついでに口走るだけじゃなくて実際に実力行使で黙らせる人なんかも出てくる。
それに比べれば議論のやりとりは平和的ではある。
ただし最終的には喧嘩別れして無視し合うことになるにしても、自分たちがどこによって立っている存在なのかは大事なことなので、ある程度知って自覚しておいた方がいいと思う。
知らなきゃ済むかというと、知らないことでかえって相手の怒りに油をそそぐ場合だってある。
みんなで仲良くいきたいけどねえ。
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関連した別のはなし。
特に知識もなく外部の人間の勝手に想像してしまうことの一つに、××派○○流と名乗っている人たちは本家本流に対して「遠縁の親戚」みたいな自覚があるのだろうと思ってしまうことはありませんか。
フィクションの中の金持ちや貴族の一族の話に出てくる、本家が分家を下に見て、分家は本家に媚びへつらうという設定みたいなものが、流派の関係にもあると思ったりはしませんか?
現実の話として、そこに所属している人でそんなことを考えている人間は存在しない。
よってうかつにそんなことを相手に口走ったりしてはならない。
そういう人々の中には「ウチの会派にはウチの会派なりのよさがある」と思っている奥ゆかしい人はたまにはいるが、基本的には「本家が別にあっても一番強くてイカすのはウチの会派」と思っている。
同じ流派の中で実戦派と呼ばれる会派があるような時も、それ以外の会派の人はウチは実戦ではあそこより弱いと思っているかというとやっぱりそんな事はない。
客観的な根拠は全くなくても、最終的には自分の会派こそが最後に残ると思っている。
そういうものである。
だから「本当は何々流の宗家の所に入りたかったけど近所になかったので、仕方なく何とか会に入りました」というのは本当にそう思っていても口にしちゃダメよ。
そこでずっと続けていればいつかあなたも「最初は仕方なく入ったけどここで良かった」と思うようになる日が来るのだから。
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