二次創作武術について
何かを色々踏み越えているような気がするが、きっと気のせい。
「二次創作武術」と「二次創作武道」とでは、後者の方が語呂がよいと思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか?
今回のタイトル、内容としてはより広い範囲を含む「~武術」を選んだが、「~武道」と続けた方が言葉の音声の流れとしては、耳の触りが良いのではないだろうか、と思うんである。
そんな世界観の存在に関わる重要な苦悩の元にお送りする今回のお話。
「なろう」を読んでいるような老若男女は、みなさん二次創作やオタク系同人誌について大変ご理解のあるものと信じている。
特に説明は必要ではないだろうが一応書いておくと、オリジナルな創作物を基にして、その設定やストーリーから派生して、オリジナル創作者とは別の第三者が二次的に創作する小説や漫画・造形物などを指す。
たとえば日本の中国武術少年漫画の金字塔『拳児』をもとにして、パロディを作ったり、まったく原作にないサイドストーリーの小説を書いたり、主人公の少年・剛拳児と日本編のヒロイン・風間晶が隠れ逃げ込んだ横浜中華街の路地で強引にエロい行為に及ぶ漫画を描いたり、香港編のヒロイン・閻勇花と九龍城の逃避行中におねいさんがいたいけな少年にエロいことを教えてあげるという漫画を描いたり、台湾編で武術家・蘇崑崙によるちょび髭ダンディおぢさんの同性愛レッスンが行なわれるやおい漫画を描いたり、作品の最後まで関わってくる悪役にしてライバルのトニー・譚と「拳児……お前を俺のものにしてやるぜ」「っ……やめてくれ……トニー……ああそんなとこ」みたいな耽美筋肉質少年同性愛漫画を描いたりするような創作的活動による作品を作ったりすることである。
なお『拳児』を例にしたのはあくまで武術に何かしらの興味を持っている人であれば、当然知っているメジャーな武術漫画作品を出せば分かりやすいであろうという、真剣に読者のことを思ってのことであり、何かちょっと思いついて書いてみたら楽しくなったので最後までやりきってしまったということでは、決してない。
筆者の説得力かつ誠意あふるる澄んだ瞳をお見せできないのが大変残念である。
なに? 分かりづらい?
すると、夏目漱石の『こころ』を例にとった方が分かりやすかっただろうか?
もういいですかそうですか。
さて、二次創作物についてすでにご存知の方は、日本の代表的イベントであるコミケ等の同人誌即売会や通販、あるいはインターネット上のファンサイト等でも、様々な二次創作物を目にされていることと思う。
(もちろん人目に触れない二次創作も存在するけど)
それらの人々の中では、二次創作とは別に一次創作、つまりオリジナルのものを製作し、後には商業誌で作品を発表していく者もいるだろう。
そこで大きく羽ばたいて商業作家として順調に進まれる人もいるだろうが、一方で「オリジナルになると面白くない」という人が出てくることがある。
二次創作作品というのはある種いいとこどりであり、元々持っていたものの魅力だけを取り出して、一番の盛り上がりの話を見据えていたり、その時には快感になっている設定を背景に話を展開することが出来る。
オリジナル創作者が、主人公の成長のために短期的には盛り上がらない話を地道に積み重ねていたり、あるいはよくある展開であるために逆に避けてしまうような部分、またはそこに至るまでに用意した前提を、平気でスキップし、踏み越え、共有し、話を作ることが出来る。
もともと面白く人気のあるもの、メジャーではなくともファンが魅力を感じているところを拡大し、利用することが出来る。
全くオリジナルと反する展開であっても、「一次作品を下敷きに」二次創作で提示することが出来る。
ところが、完全にオリジナルだと全部最初から自分で担っていかなければならない。
登場人物の行動の説得力も、その小道具が出てくるための世界観も、ちくちくちくちく自分で加えていかなければならない。
キャラクターの名前も、服のセンスも、個人でやんなきゃならない。
比較して考えてみてください。
すんごい大変ですよ。
で。
ここで急に話は変わる。
想像と仮定の話だが。
あなたが何かちょっと武術的なコンセプトを思いついたとする。
こいつを基本の運動の基本としたり、まったくよそ様の技の理屈の読み解きに使えるなあ、と思いついたと考えてみねえ。
さてそこで、一から全部体系を作っていくのは大変ですよね。
そして、基礎、応用、奥義、全体を貫く理念、そのコンセプトにたどりつくまでの変遷、そして技や構えの名前。
全部を自分のセンスでまとめたとして、それは果たして自己満足センスの域を超えることができるだろうか? という悩みは発生しないだろうか。
また、あなた個人が何か広く他人に訴えかける魅力のある人であるならともかく、あなたの思いついたコンセプトを縛るような流派会派または人物の下に所属し、あるいはかつてしていたとか。
またはどれもこれも短期間で、ほとんどそのようなバックボーンが無い場合。
裸一貫すべて自前で提示するものが、例えどんなに自信のあるものでも、他人に魅力的であったり、説得力を持ったりするだろうか。
うーん。
……おや。
こんな所に、今は全く伝えている人がいないが、昔すげえ達人だったよという人が書いた書物が。
親戚流派は残っているが、だいぶ昔に分派していてこの地域では全く伝承者が存在しない武術の伝書が。
存在自体は消失しているが、資料だけはいっぱいある流派の名前が。
古事記や日本書紀で、猛々しい神様がいたとか、それなりに名前のある武人がいたという記述が。
驚愕! 現在の自分自身の姓が、有名な流派の剣豪と同じ!
またはまたは父系や母系を遡ったらどこかの時点で同じ姓の時期が!
なにか伝説でこの地に古代アトランティスの子孫が辿り着き、色んなものが伝わったという話のなかにほんのちょっと武術をにおわせる描写のある奇書が!
これを下支えに、または骨組みに、または技名などを含む世界観を使うと、きれいに自分の思い描いている「あるべき流派」みたいなものが出来上がるよ。
ああ、いやいや、違う。
断じて違う。
黙って使うわけではない。
きちんと公開する流派の沿革をよく読むと、そういったものにインスパイアして創作したんだよ、って書いてあるから。
まあでもこっちが後付けで加えたものまで、古くからあるもの、これこそが古流、と無関係な人が誤解しても責任はとれないけれど。
また、勢いあまって「古流では」なんて現代武道を批判したりもするけど。
そういうものが現代のこの社会の中に、ありませんか?
ありませんか?
一応念を押しておくが、筆者にそういうのを非難するつもりは全くない。
ないというか、多分こういうようなことは歴史の中でずーーーーーーっとあってあり続けたことであって、何かそれを指摘して貶めるとか、優越感に浸るとか、そういう態度をとっても何もいい事はないだろう。
ただし、知ると面白い。
世の中に一貫性のある人間が滅多に存在しないのと同じで、武術だって人間の営みであるからには、突発的に出てくるし、グダるし、思いもかけない変容を遂げる。
だから武術というのも、結局伝える人そのものであるし、生きて変化し、あるいは消える事だってある。
だから面白くて魅力的なことでもあるんじゃないですかねえ。
と、いい話し風に一旦感動的に締めたところで、話を戻して続けるが。
だいたいハイセンスな人間というのは世の中に滅多にいないので、技の名前とか、読んだ人間が酔うようなリズムの文章というのはそんな簡単に生まれたりしない。
地域性丸出しの独特な名称がある場合もあるが、他に聞いたこともないようなカッコイイ名前というのを編み出すのは大変だし、見た目または理屈と名称が一致していないと整理に困るし生徒が覚えるのに納得が生まれないし、ゼロからってのは色々大変じゃなかろうか。
すごいものについては「すごい」と分かってもらわないとならない。
本当にいいものであっても、筆者もそうだが世の大半の人間はボンクラなので、それなりに前置き――歴史であるとか有名人であるとか偉い人の評価であるとか――がついてないと、寄ってきてくれたりはしないんでありますよ。
10年もやれば素晴らしさが分かると自信があっても、実際に10年付き合ってくれるかどうかはまた別の話である。
その辺の無名の一般人で、爺さんがいいこと伝えていたといっても話をきいちゃくれないが、自分が何かの権威であるとか、爺さんじゃなくて戦国とか江戸とかの時代から代々伝わってきたのよ、というのとでは説得力とか納得力が違う。
そういう善意であったり、自信であったりするものが、武術における二次創作的な何かを生み出していくこともあるのではないかしら。
まあそれはそれとして、小説のときはそこそこだった人気がアニメになったら爆発しましたとか、同人二次創作分野では大人気とか、アニメと連動したお店に人がやってくるようになりましたとか、色々おきかえるとなかなか興味深いものがあったりするかも。