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今ごろ「発勁」の話3 「そもそも『勁』ってなんなのよ」

 今回は、じゃあ「勁」ってなんなのよ?


 という話を。


 中国には様々な武術があるが、100年かそこら前にはほとんど人間同士のつながりによる口語の情報が主であり、別に用語に厳密な定義があったわけじゃないだろう、という事はおさえておきたい。

 時々文字記録として拳譜(日本の武術などでいう伝書みたいなもの)を書き始める人間が出て、後の人間がそれを書き写して伝える、ということで繋がっていくのだが、大半の野郎どもは文字とか学問にあまり強くなかったことを忘れてはいけない。


 拳譜なんか、「譜」というだけあって、技の名前や伝人の名前がずらずら書いてあるだけ、というものもあるわけで、いってみれば忘れないためのノートみたいなもので、たまに頭のいいヤツが理論を書き加えていた程度かもしれないのである。

 拳譜への関わり方も様々である。

 この拳譜というのを穴が開くほど見つめて理論を突き詰めたて、さらに文章を追加したものを後代に伝えた連中がいる。

 もらったらあとは一回も見返さずに後継者にそのまま渡した(人によっては失くした)というず太い人々もいる。

 一文字も読めないがありがたいお守りみたいなものとして伝えた人もいる。

 文才が無かったけれど頑張って弟子用に書き写したけど、誤字がありまくったので後代の人間が理解に苦労する羽目になった、なんて人もいた。

 「中国武術には高度な理論が」なんてものは一部の話なんでありますよ。


 以前、秘伝だとか隠されているとかいう件について、すごく狭い範囲でだけ通用しているものは外から見るとさっぱり分からないという部分もあるだろ、というものを書いたことがある。

 それと同じで、○○勁などというのは基本的に内輪向けに分類して説明したものが多い。

 あるいは外部向けに、これまできちんと定義していなかったものを「○○勁」として発表するとか。


 どんな流派門派でも、最初から全部の技の名前や力の出し方があったわけではない。

 最初は「それ」は出来たやつだけのものなのである。

 そいつは自分が判ってさえいればいいのだから、別に名前も説明もいらない。


 ところが人に説明しようとする時、教えようとする時になると言葉が必要になるので、例えば「もっと波打つように体を使え!」などと言葉にし、文章にしてくれと言われるとじゃあ「波浪勁」で、というような事態が起きるのだと思う。

 こじつけみたいなものもあるが、自分が出来て初めて「名前の通りだった!」と実感に感動することもあるし、普通に使ってる力と違うんだよということを表現したいばっかりにわざわざ名前をつけてみました、というのもある。


 筆者の経験から言うと、「なるほど、まさに『○○』勁! 名前をつけた奴は天才や!」とその字を選んだことに感動したこともあるが、一方で「言いたいことはわかったけど、普通の人間はそれを『○○』って言わないよな」と思ったこともかなりある。



 また別の話として。

 離れたところから相手を操るような(気功のパフォーマンスで見るようなもの)ものを「空勁」と名づけた人が北京にいたとする。

 そうではなくて仏教の一切「空」のような自分の力の感覚が全くなくなるものを同じく「空勁」と名づけた人も上海にいたとしよう。

 両者は全く別の武術をしていて、それぞれは別個に存在していると思っていたら、いつの間にかどこかで謎の融合が起きて、両方は同じもので自らが空となった時に触れずに人を打つことが出来る! と「空勁」なんて言い出す人が香港で出てきちゃったりするのである。

(その場で適当に思いついて書いた例としての名前なので、現実に「波浪勁」「空勁」などというものがあったとしても一切無関係です)


 ○○勁というものがあってこれがないと××拳とはいえない、と大いばりで主張している人がいて、ほんじゃ○○勁ってのを見せてくれろというと、その人しかやっていない動きを見せられ、「自分の所だけが本物の××拳」って言いたいだけじゃない、ということはよくありますな。


 勁の名前はある外部に見える現象であったり、主観的に感じる感覚であったり、とにかくすごそうな単語を組み合わせたものであったり、単に動作のことであったり、哲学的な意味があるものであったり、その名前のつき方には基準がなく、その人なりその門派なりで名づけたてんでバラバラのものが存在している。

 共通しているのはただ一つ、「そのへんの普通の人が使っている力とは違うもののことだよ」ってだけです。


 そんなわけで、創作で「勁」という言葉を使うとき、どう使ってもOKだ!

 案外適当についているぞ。

 ただし現実にあるものと同じ名前にすると、色々突っ込まれることがあるので注意しよう。

 また、筆者のように「あの作品の××勁ってのは実在しないんだよねー、あ、△△拳に@@勁っていう似たようなのがあるからあれが元ネタなんじゃねえのー?」などとムカつくしたり顔のゲスが湧いてくることもあるが、有名税みたいなものと思ってあきらめよう。




 次回は最初に戻って、世間で言われている中国武術特有の特殊な打撃、という意味での「発勁」のことを書こうかどうしようか、という予定。

 一部書いていたが、気がつくと自派の技術について書いていて、それはいくらなんでもまずいのでもっと一般的な内容で書くべく推敲中。

 文章量が稼げなかった場合は予定は自然消滅します。

 「功夫」という言葉も「『時間』を意味し、武術においては鍛錬によって作り上げられた力を指す」と色んな所でもっともらしくいわれるが、もっと分かりやすく言うと要するに「年季が入ってる」ということである。

 なんでそんな実力をつけることが出来たのか理由が分からないから、とか、具体的にどうやってその実力をつけたのか言いたくないので、「とりあえず時間のせいにしてみました」という言葉でもあるので、もし同じようなものを身につけたいと思ったらそこで納得せずに頑張って色々と食い下がってみよう。

 同じ年月をかけてもそんなものを身につけられない連中がいっぱいいるのだから、何かその人だけが掴んだ特別なことはあるはずなんである。

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