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今ごろ「発勁」の話2 「一方で『発力』という言葉もあるのだが」

 会派や団体の公式サイト以外で発勁を語っているのはイタい人。



 ばっかりに見えることに、我ながら先を続けるのが躊躇われる今日この頃。


 書いているうちに、昔の恨みをぶつけているような感じになってきましたし。

 個人的に色々出てくる情報に、思春期の私は振り回されまくりましたから。


 当時は「中二病」という言葉はなかったわけですし、「オタク」という言葉も今のような汎用性はなく、ただただ「俺は人には理解してもらえない趣味を突き進んでいるらしい」という自覚だけがありました。

 シンプルに武道が好きというのと言い切るには、方向性に歪みがありましたから。

(自分で自分のことを「オタク」というのは、「社会不適合変態ゲス野郎です」と宣言するに等しいものがありました。まさかこんなに言葉として一般化するとは)


 設定だけ取り出すと虐げられていた人間が強さを志す、というように少年漫画の主人公要素がいろいろあるわけですが、根性とか隠された才能とかヒロインとか、そういう重要な成長要素が無え。

 そしてそういう少年漫画主人公はきっと持っていないであろう、アニメとSFとサブカル全般にどっぷり漬かっているという設定がてんこ盛りで……。


 そんないけない過去の扉が開いてきたのを、全力で目を背けつつお贈りする発勁の話。

 今回は発勁の混乱話の別側面、「発力」という言葉について。

 日本では松田隆智氏の紹介・研究が大きな部分を占めつつ中国武術の「勁」というものが知られてきたが、その「発勁」とは別に「発力」という表現が入ってくるようになってきたのは戦後早くから王向斉の大成拳(意拳)の流れである澤井健一氏の太氣至誠拳法があったからであろう。


 ここから先の脱線は長いのだが、日本での武道メディアの中の武術、というか打撃系格闘技関連情報では大成拳(意拳)・太氣至誠拳法のウェイトはかなり大きかったので触れておかねばなるまい。

 と、いう前提で筆者の趣味全開の説明が入るので、細かいことに興味の無い人は前半は飛ばしてください。(弱気)



 正式名称が長いので以後「太氣拳」という名称で書いていくが、太氣拳は極真空手と(互いに色々思惑があったのであろうが)かなり交流があり、空手系の雑誌メディアで極真側の人間が言及していたためもあって、日本での情報の露出は早くからあった。

 もっとも澤井氏は実戦派といわれるところや他派交流のさかんな団体や会派に片っ端から接触していたり(試合や演武会の来賓名簿にやたら名前がある)、目についた若者に「私の所で学んでみないか」と手当たりしだい声をかけまくっていたという証言が色んな人の回想資料に登場している人である。

(ある種の名物おじさん扱いだったのかもしれないが、さすがにリアルタイムを知らないので断言はしない)

 極真空手との交流だけが知名度がある理由とはいえないだろうが、『空手バカ一代』みたいな漫画も含めたメディア露出が上手かった団体との関係があったために「実戦派中国拳法の雄」、というイメージはかなりあった。

 そういうわけで、当初は通り一遍の、なんだか中国ですごい達人だよ、といわれていた人が作った拳法の流れを汲むらしいよ、という情報から、だんだんとこれの元となった意拳とか大成拳とか呼ばれている武術はいったいどういうものなの? という情報が伝わってくることになる。


 中華人民共和国との国交回復の後にその意拳情報が徐々に入ってくることになったのだが、出だしはかなり遅い。

 国交回復自体は70年代だが、文化交流でも中国は「おれたちの見せたい中国文化」というものがあるわけで、武術としては太極拳が一押しで、各派太極拳の著名老師は時々日本にやってきていたものの、中国共産党政府推薦の国家制定太極拳を中心に情報を伝えることになっていた。

 それまで台湾(中華民国)の中国武術情報が先行していたのだが、台湾には国民党政府の主導で設立したの国術館に関わっていた武術家がわんさかいた。

 で、彼らは国民党が追われるのと一緒に台湾に追われていた上に、後に文化大革命のあおりを食らって香港経由で逃げてきた武術家も合流していたわけで、そうなると「これはもう中国本土の武術は滅んだに違いない」というような噂が飛んでいたようである。


 実際には滅んでいなかったわけであるが、「文化的に高級な」武術の情報は積極的に伝えてくれるが、実戦派の武術の情報なんてものはなかなか中国側も伝える気がない。

 日本の太氣拳も実戦派ということになっているが、中国の意拳も方々の武術に押しかけては挑戦していたようで、昔は「喧嘩を売って回っている武術」として評判が悪かったという話を聞いたことがある。

 別方面で、とある大成拳の実戦派とよばれた人が、北京の武術家の会合に参加したときに「北京には大した武術家はいませんな」と発言し、それにとある有名な太極拳の人が「試してみますか?」と立ち上がったので周囲があわてて止めた、という話があるのでその辺が膨らんだの噂なのかもしれない。

 80年代に入ると、中国で意拳を学んでいた孫立氏が日本で教えるようになり、ある程度まとまった情報がもたらされる。


 1988年に太氣拳の澤井健一氏が亡くなる前後からその弟子たちが中国本土の意拳関係者と連絡を取り合うようになり、死後はルーツ探しとしてより多くの情報が日本に入ってくるようになる。


 さて、長く長く違う話をしてきたが、これらの情報の流入の中で、意拳では日本人が「発勁」と思っているものを「発力」と呼んでいるらしいよ、ということが知られてくる。


 王向斉の武術は、当初は他称である「大成拳」の方が知られていたらしく、まあ要する流派を超えた集大成の拳法という意味でつけられたようだが、一応正式名称は意拳ということになっている。

 ただし本人はどうも「拳学」という呼び方を好んでいたようだ。

 筆者の個人的な感想なのであっているかは全く保証しないが、ちらちらと著作の『意拳正軌』内の言説を見るに、実際に流派門派を超えたコンセプトとして形を無くして力の原理原則を練る、科学的なものを志向しようとしたらしい。

 意拳と太氣拳の基本的な構成は、站椿(太氣拳は立禅)といわれる、力を養成する立ち方を基本に、その力を保ったまま打てるような単純な打拳の繰り返し、力を保ったまま歩き打つ鍛錬、力を保ったまま相手をしばき倒し続けるための組手練習、ということになっていて、いくつもの決まった形の技をセットにする形(套路)というものがない、武術の構成要素をばらしてギリギリまでシェイプしたものとなっている。

 だから、「○○拳」というような、従来の門派にさらに新しいものが加わったというよりも、そういったもの全ての上に存在する学問のつもりで、「『拳』学」としていたのかもしれない。

 いやまあ、実際に内容が科学にのっとっているかというとあまりそうでもないんであるが、革新的なものをぶち上げたという意識があったことは確かで、「矛盾力」だとか「争力」だとか「六面力」などといった、力のベクトル図を想像しやすい用語を導入している。


 日本は、東洋の中では西洋の物理や科学の用語を漢字として翻訳しなおしていたため、同じく漢字使用国である中国は、日本の翻訳用語をかなりの部分そのまんまの文字のまま、積極的に取り入れていた。

 そのなかで、日本でも当時の中国でも、それまでの意味での「力(power」)ではなく、物理化学用語として「力(force)」を用い始めていたため、意拳でもそれを念頭に、学問的な表現として、「勁」ではなく「力」を用いたのかもしれない。

 あくまで個人的な推測だけど。


 まあほんでもって、そんな事情は知らない我々日本人は、中国武術研究家の人は「勁は力と違うんだ」というんだけど、いったい「力」というのと「勁」というのと、どっちをどう使うのが正しいの? と思ったりするわけですよ。

 だいたい筆者なんか頭の程度もそんなよろしくない学生だったし。


 そんでもってさらに南派の拳術でも「発力」というらしい、というのだから、もう訳わかんなくなっちゃうわけですよ。




 で、まあこの混乱時期を色々経過した後、どうやらこの「勁」というのは力ではない、というのではなく、「お前が思っていたり普段使っていたりするような力じゃない」というのが、回りくどいが正しい表現であろう、というのがわかってきたりするのである。

 「力」を使っている門派も同じである。

 区別をつけるためにいつも使っている方を「拙力」などと表現する。


 さらに多くの情報が入ってくるにつれ、どうもこの勁とか力というものは、定義が人によって違ういい加減なくくりらしいぞ、というのが分かってくるのである。



 そのあたりの、うわーいいかげーん、という話や、食らうとどんな感じなの? 打つ方はどんな感じなの? という実感の話は次回に。

 異論歓迎。


 そして補足。

 意拳には複数の技をまとめて一本に構成した形(套路)が無い、と書いたが、その一方で立ち方はおそろしく厳密であり、守らなければならない要求が数限りなく存在する。

 「打つ」という究極の形を追求した結果、並の人間がくじけたり、先の見えない鍛錬に心折れてしまう、シンプルだけど深みのありすぎる内容になってしまった。

 また、技の種類をあまり作らなかった代わりに、力を養成するための立ち方が何種類もあり、逆に色々面倒くさい、という状態も生まれていたようである。

 案外、形意拳に回帰するかのような人々や、教えるための都合上、再び技や套路を構成して新門派となってしまった人々もおり、結局は人間のやることであるから究極の拳法が出来たので終わり、とはいかなかったようだ。

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