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今ごろ「発勁」の話1 「日本での『発勁』という言葉の歴史」

 今ごろ発勁の事を書くとは怠慢ですわ。(動転のあまり、お嬢様口調で)


 いや、本当に最初の頃に書いておくべきなんじゃないかしら、さっき気づいたけど。

 傷は浅いぞしっかりしろ。

 日本に「発勁」の情報が入ったとき、大変神秘のパゥワーみたいな感じで入ってきてしまったので後々大変だったんのですわよ、というそんな発勁のおはなし。

 日本に「発勁」という言葉が入ってきたのはいつか、正確には良く分からない。


 日本人としては、戦前に北京で通背拳を学んだ武田煕氏は聞いたことがあったかもしれぬし、1950年代に台湾から日本に中国武術の教授にやってきた王樹金が口にしたのを聞いた人間がいたかもしれぬし、戦前から戦中にかけて王向斉の大成拳を学んだ太気至誠拳法の澤井健一氏も耳にしていたかもしれぬ。

 が、彼らは発勁という用語を特に採り上げることはなかった。

 澤井健一氏は中国生活が長かった人だが、日本語で表現するときには「氣が出る」「氣が入る」と言っていたようであるから、発勁(あるいは発力)は「ちから(勁・力)を発する」というように普通の言葉として理解していて、ひとくくりの用語として意識していなかったものと思われる。


 とにかく、広く日本人の中国武術修行者に何かすごいらしいよという知識を植えつけたのが、70年代から研究の発表を始めた中国武術研究家の松田隆智氏だということは、確実ではなかろうか。


 松田氏は「勁」という用語を単なる「力」とは違うパワーがあるのよ、と区別しつつ○○勁、××勁と紹介していった。

 そうしてこういう勁を打撃に用いる事を発勁として紹介したのだが、いくつかの受け手側の勘違いなどもあり、中国には「発勁」という特殊な打撃があるように思われてしまった。


 松田氏がそれに気付かなかったのか、自身が大きく勘違いをされていたのか、中国武術を広めるために誤解に乗っちゃえ、と思ったのかはっきりしないが、とにかく日本では「発勁」というものが特別に存在するのだということになってしまった。


 打撃の距離に関する言葉として一尺の距離(約30センチ、前腕分ぐらいの長さ)でも強力だよという「尺勁」、一寸の距離(約3センチ、指の関節一個分ぐらいの長さ)でもすごいぜという「寸勁」、後は触れるか触れないかぐらいの距離の「分勁」だとか「毫勁」だとか完全に拳または掌が密着している「零勁」とかになるともう細かくてどうでもいいレベルだが、そういう距離でも威力を発揮するもの、という用語として使われる。

 日本でこれが「発勁」というものだとイメージされてしまっているのは、だいたい尺勁よりも短い距離の打撃だろうか。


 拳一個分も相手から離していない、とても全力を出せると思えないような距離からの打撃で、人間が後ろに大きく吹っ飛ばされる。

 多くの人が「これこそが発勁」として印象付けられているのはこういう絵ヅラの写真である。



 多分、最初は「勁ってのは力とは違うのよ」ということを分かりやすく伝えるパフォーマンスの一つとして寸勁などが演じられ、写真などで載せられたのだと思うのだが、それこそが、それだけが発勁であると、けっこうな人数の人が信じてしまった。


 また、いち早く松田氏は台湾の武壇と呼ばれる組織の「三大勁理論」に触れており、それを日本に紹介してしまったので、発勁とは全て沈墜勁・十字勁・纏絲勁の三つによって形成されているかのように思っちゃったりしたのである。

 武壇の三大勁理論は(厳密には違うのだが)簡単かつ乱暴に説明すると、重力方向に働く力、身体を中心に上下左右の十字方向に働く力、螺旋状に働く力が組み合わさって、発勁というものが出来るのよ、というやつである。


 この武壇の三大勁理論の大きな特徴は、「とても分かりやすい」そして「大抵の物がこの三つで説明できる」。

 これである。


 いやもう、松田氏が協力したマンガ作品『拳児』の影響もあって、中学生にも分かりやすいので、多くの人がそういうもんだと信じたのですよ。

 もちろん筆者も長らく信じてましたよ、ええ。

 後になって、あれは違ったなあ、というようなものについても、当時生半可な知識で無理やり当てはめて説明しようとすると出来ちゃう便利な理論だったので、片っ端から全部三大勁で出来るのだと思っていたのですよ。


 そしてみんながそれぞれのレベルで「分かった」と思った。(思い込んだ)


 腰を落とすような体を沈める動き。

 体を左右に開いたり上下に伸ばしたりする動き。

 関節をひねったり回したりする動き。


 あくまで原理を説明するための便法として、これが沈墜・十字・纏絲なんだよと示されたとしても、受け取り手が積極的に誤解し、それぞれの動作は俺にもできる、そうかこれを同時にやったら俺にも発勁が、と単純に考えるのが人情ってもんですよ。

 そうなると勝手に、自分でこれが発勁だと思った打撃を我流で始める人が大量に発生するのが自然の流れというもの。


 まあこんなアホウな事を試した人数が具体的にどのぐらいいたのか、統計をとった人間はいないのであくまで推測ではある。

 推測ではあるが、筆者が個人的に知っている範囲や、インターネット初期に発勁について語っていたオタク共(筆者含む)はだいたい三大勁理論で考察をしていたので、その数はそれなりの多数に上ると思う。

 まあ、ある程度以上のめり込んで武術を学んでいた人や、八極拳や形意拳や陳氏の太極拳以外の武術に進んだ人は、それぞれの門派の動きをやっていく上でいちいち沈墜だ十字だ纏絲だと強調される分があまりないので、そんなにかぶれる事はなかったかも知れないが。


 さてもう一つ、松田氏というととにかく八極拳最強伝説を日本に植えつけてしまった、どころか、逆輸入的に中国の方でも八極拳が知られるようになった原因の人である。

(ついでに言うと松田氏経由で、三大勁理論もちょっと大陸中国方面に紹介されちゃったりしたらしい)

 そしてまた、以前にも書いたが台湾武壇の八極拳というのは、足をばっしんどっしん打ち鳴らす「震脚」動作がこれでもかというぐらい特徴的で、これで沈墜勁が威力に加わってうんぬんという話に、もう威力のある武術には激しい震脚が不可欠なのだと思い込むわけですよ。

 震脚のいらない武術でも震脚を加えようとするダメな人とか、震脚がないから威力がないとか考えるアタマ悪い人とか、そんなひどいレベルの人が出てくるわけですよ。

 それらの責任を全部松田氏に負わせる気はないが、ひどかったですよということは言っておきたい。


 武壇の理論なので、武壇の中の武術(八極拳、八卦掌、劈掛掌、形意拳、蟷螂拳、太極拳などが教授されている)は全部が三大勁で説明がつくのは当たり前のことではある。

 が、武壇以外で同じ武術をやっている方の中では、教えて欲しいと言ってくる生徒に三大勁で解釈しようとする馬鹿がやってくるという被害をこうむっていたようで、とある形意拳の先生は「形意の『沈身』は決して『沈墜勁』なんてもんじゃねえ」と怒ってましたな。

 なんでキミ、そんなに無駄に体をひねったり回したりすんの、というのが来たりとか。




 今でもこの辺の誤解が解けたかというとかなり怪しいのだが、それは次回以降に。



 思ったより長くなったので、続く。

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