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3年かけて良師を探せというけれど

 「3年かけて良師を探せ」という文句は、最初の出典がどこなのかは浅学にして不明であるが、今の時代に限らず、どこまで適用できる言葉なのかは何ともいいがたい。


 小さな頃からころからキッズカンフー教室、あるいは地元の古武術保存会に学校活動や地域活動で半強制的に参加させられた、大会に出てレベルが分かっている、などというものでもない限り、良し悪しが分かるような「基準」を持てるのかどうかすら分からない、というのが実際のところではなかろうか。


 成長期の子供が学ぶ内容は、特に体育的な要素が強いわけで、本人の「やりたい」という意志以外の、先生であるとか保護者の意向が関わってくるので、まず武術を武術と自覚してスタートをしているわけではないだろう。

 一方、高校生以上や社会人は、武術に対して動機の軽い重い(単なるレクリエーションから真剣に武を志向するものまで)を別にして、最初からある程度自覚的に入門・入会する。


 しかし、そういった人々は、何が良くて何が悪いか、先生・老師の上手下手は判断できるのだろうか?


 体育的な効果、すなわち体力をつけたい、高く跳べるようになりたい、速い動きを身に付けたい、というのは大会や映像で判断する事ができる。

 カッコいい動きが出来るようになりたい、というのであれば、これは完全に好みの問題なので、やはり映像や、あるいは許可されているところならば体験入門して分かりやすく見かけで判断すればいい。

 入った先での本人が実際に上手くなるかどうかは別問題だが、そこの教え手や所属する先輩に動きは似てくるものなので、自分がどういう方向性で上達するかの未来図はある程度予測できるだろう。

 そして、教え手と別に上手いと思える生徒が何人かいた場合、その先生だけの話ではなく、団体として上達のためのプログラムをある程度持っていると判断できる。

 同じ団体内で相談相手が何人もできる、という見当もつくだろう。


 これが、「実戦的」(色々な考え方があるのであくまで括弧つきで書いておく)なものを求める場合、何をもって良師とすべきか、判断できる材料は格段に減る。


 だいたいそういう所は、所属人数が少ない。

 どのようなものが実戦的かどうか、果たしてド素人に判断する自信があなたにあるだろうか?

 そして日本人は特に場の空気に影響されやすく、「それって本当に使えるんですか?」とか堂々と言える人はそうはいないのではないか。


 当然ながら、筆者は純然たる気弱な日本人であったので、「これって本当に大したものなんじゃろうか」などと大変懐疑的な感想を抱きつつ、ズルズルと継続する羽目に。


 対外的な評判も、自分で見た判断も、「実力がある」と思える人がいたとしよう。

 そういう人の所は、生徒のレベルが高く、まずその先生の目に留まるだけの実力があなたになければならない。

 そうでなければ、その先生にとってはあなたは単なる月謝を運んできてくれるだけの人であったり、自分の本当の弟子のための実験材料(肉体的な練習相手や、弟子の指導の練習に適当な人間である場合がある)にさせられたりする。 


 逆に実力があるのが分かるのに、生徒が少ないという所も要注意である。

 なぜなら、目利きがボンクラなあなたですら「明らかに実力がある」と思えたわけであるから、それまでにもあなたより素質が上だったり下だったりした人が何人も入門していたに違いなく、それが全部辞めていったと思って間違いない。

 なにせもともと素質と才能と根性がある人が先生になった場合、こっちが体を壊すようなレベルの練習内容を「普通」だと思ってやらされたりする。

 それを乗り切ったら、きっと後から心の底から良かったと思う日も来るかもしれないが、途中で挫折してしまうと全てが無駄になる。

 また、そのような所では良くも悪くも「濃い」人ばかりが残っているという可能性もあり、その中に新しく入って人間関係を作っていくのは時間がかかるかもしれない。


 以前知り合った、ヘタレな筆者よりはるかにハードな環境や体験をされた方の話で、「師匠は選べるが兄弟子は選べない」というかなり切実な一言を訊いた事がある。

 

 級段制度や大会が無ければ、上達の実感が感じられにくく、挫折や自然退会してしまいやすい。

 それでもあきらめずに続けて、その団体・流派の中での実力をつけて、ようやく教えられた内容が判断でき、「本当に身になる指導をしてくれたのだ」と思えたりするやもしれず、逆に「いつか辞めると思われて適当な指導をされていたのか」と別の実感を持つことになったりすることも往々にある。

 それはまた、その先生が良師であるのかの判断は、かなり時間が経たないと無理だということを意味する。

 広い意味での「良師」ではない。

 「あなたにとって」という限定がついた上での良師である。


 何年か経って、この先生でよかった、と思うときが来るだろう。

 いくつもの団体を渡り歩いた後に、しまった、あそこの先生が一番よかったと気づく時も来るだろう。

 何年も経っても未だに「ここだ」という所が見つからない、と思い続けているかもしれない。



 実は「3年かけて良師を探せ」なんてのは、相当難しいことを要求されているわけで、そんな事をしているうちに3年なんか平気で経っちゃったりするのである。

 最終的には「運」とか「縁」といった、偶然が大きく左右する。

 なお、今回の話は元々才能のある人にはあまり該当せず、筆者のようなボンクラを基準とした内容である。

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