武術雑話 3 読んで出来たら俺のもの
予約投稿はここまで。
この世には「『原理は良く分からんが資料をちょっと見てやったら出来たので、もはやこの技は俺のもの』の法則」というものがある。
いや、「ある」って、筆者が勝手にそういうのはあるなあ、と思っているだけなのだが。
これは決して「パクリ」などというものではない。
もっと罪のない、カジュアルなものなんである。
日本のそのテの創作武術シーンはよく分からぬが、というか単純にあんまり面白くないので追っかけていない、というのが正確なところなのだが、中国武術であるとか海外の武術であるとかの人たちは、実に気軽に他派他流の武術の技をつまんでいなさるのである。
もちろん悪質な、パクリと言われるような、ヨソの物を自分のもののように主張しているものもある。
だが一方でもっとシンプルに、ジャポンでこんなジュージツの技があるらしいよ、写真で一部だけ載ってるよ、やってみたよ、何かできたよ、ぐらいのレベルで悪気なくやっちまってる人であるとか団体とか流派がかなり存在する。
中国武術系はもっと確信的にやる。
確かにこれは日本の柔術の技みたいだし、実際本で読んだものをやっている。
だが、私は○○拳の身法で入り、○○拳の力の出し方で腕を抑えており、外形はかなり似ているといわざるを得ないがしかし、実際に意識するポイントが違う、というものである。
あるいは、ここに効かせるアイディアはいただいたが、それ以外は全部○○拳でやっている! というものである。
武術に正統とか邪道とかがあると思っている人には理解できないかもしれないが、これは昔からあるやり方だ。
ある意味で真っ当な武術感覚ともいえる。
使える武器は転がっている石だって使うというのに、何でわざわざ雑誌や動画で紹介してくれている上に、今やって出来たものを、もともとは自分たちで考え出したものじゃないから使わない、なんて変なこだわりで使わないわけ? 何か悪い?
ってなもんである。
もちろん基本的な肉体の鍛錬法であるとか、力の出し方が違うのでフォルムが変わったりするが、平気で套路(中国武術の一連の型の動作)の中の一つとしてぶちこむとか、まるまる一つの套路をそういうので構成したりする。
あんまり表に出さないけど。
彼らの、こういうやり方が有効らしい、と思ったときに切り替え方の現金さはすごい。
名前は出さないが日本のとある流派で、ある達人に一方的に技をかけられるスタイルで伝授されたのだが、全くやり方が分からない。
ところが、全く教わっていない、自分で考え出したコツを併用すると、受けた流派の技っぽいかかり方を出来る。
ただし、そのものではないし、原理的に同じかはさっぱり分からない。
でもかかる。
と、いうことは、一見同じように見えるがこれらの技の全て自分が見出してできるようになったもので、もともとかけられた技はヒントにはなったが内容が連続しているとは思えない!
よって新流派を立ち上げました!
というものもある。
一部で強烈に悪口を言われていたりするが、筆者はその新流派の初代宗家の言う事には一理あるな、と思っている。