武術雑話 2 若き日の達人はたいていDQN
予約投稿その2。
「このあいだ酒飲んで女を抱いて、蚊帳の中で寝てたらさあ。
敵が襲ってきたわけよ。
ちょっと前にぶっ飛ばした連中でさあ。
トーゼン刀抜こうとするじゃん?
したら、女がそいつらの手先でさあ。
俺の刀、隠されちゃってるわけ。
さらに蚊帳を釣ってる紐も切られちゃって。
俺、網にかかった魚みたいになっちゃってるワケ。
絶体絶命じゃん?
さすがの俺ももうダメだと思ったんだけど、襲い掛かってくる相手の刀を奪ってさあ。
かぶさってる蚊帳を払いのけるように刀振って、危機脱出なのよ。
マジすごいっしょ!
そんなワケで、この刀法を極意にしようと思ったワケ」
ある流派の達人がそんな事を言い出したら、どう思いますか?
その男の名は伊東一刀斎景久。
極意の名は『払捨刀』ですよ。
筆者は伊東一刀斎の逸話なんかを読み返していると、時々、こんなヤバい奴が本当に実在したのか、架空の人物なんじゃねえの、と思うときがある。
また、後継者決定後に行方不明になってるけど、あんまりヤバいんで弟子の小野忠明が闇に葬ったんじゃねえの、と思うときもある。
これを読んでいる人が達人とか流派の開祖とかいう人たちにどういうイメージを持っているかは知らないが、自分で流派を立ち上げるぐらい才能のある人とか、ものすごい達人とかで、聖人君子といえるような人はあまりいないような気がする。
だいたい普通の人が持ってるエネルギー以上のものを武術に打ち込んでまだ余ってるとか、十代の頃には並みの人間とは思えない異能を発揮していたとか、そういうレベルの人が達人になるのである。
周囲の関係者が誰も実力で止められないので達人だった亡き祖父の兄弟弟子に無理やり預けられたとか、不幸にして人を殺めてしまったので右翼の大物の所に預けたとか、シャレにならないぐらい異常な力の持ち主だったので通りかかった達人が強制的に弟子にしたとか、フィクションでなく実話として存在しており、あんまり普通の人間の基準で考えちゃいかんのである。
中国武術の中では、争いに武術を用いなかった達人たちを「武徳がある」と表現したりするが、そういう人たちは若い頃は散々相手を血ダルマにしていたりして、何かちょっと強いんだけど争いに武術を使わないよ、というレベルではない。
その気になれば今でも相手をブッ飛ばせるけど、そんな事しなくても人は分かり合うことが出来るよねというのが武徳であって、ただ非暴力で解決しようとするだけのものは単に「徳がある」というのである。
それぐらい個性の強烈な人だったり、天才だったりすると、物事の判断基準がいろいろおかしい。
自分には簡単に出来るので他人に見られたら盗まれる、と隠した秘伝やら極意やらの内容に仰天することがある。
筆者は自分ではもちろん出来ないし、ほんの一部を知ってるかもしんないぐらいのレベルだが、「こんなものを技として残しておけば自分以外の人間にも出来る、と考えてたとか、確実にアタマおかしい」と思ったことが何度かある。
古くから伝わる由緒正しい武術、なんてものに何かカッコよさであるとか、重厚さを感じる人はいるだろう。
もちろん、古さにともなった内容であるとか、ずっと多くの人に伝承されてきただけの意味はある。
だが、そういう伝統武術というものの数を片っ端から見ていくと、ちょっと目鼻が利いて才能もあるような人間は、とっとと自分の流派を立ち上げて平気で「古い立派な流派」を飛び出す、または出て行かざるを得なくなる、というケースが実に多い。
もっともレベルの高い人間ばかりではないかも知れない。
ちょっとインターネットを検索するだけでも、筆者も含めてやたら武術のことを勝手に調べている奴、勝手に他の体系の武術の見地から自流を判断する奴、先生に黙って他流と交流する奴、ナントカ会とかナントカ流とか大した腕前でもないのに立ち上げる奴。
その程度の連中が昔からいた。
そんなものなのかもしれない。