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伝承者によって内容が大幅に違う謎の流派が出現する話

 もう分かってると思うけど、八卦掌のことなんですがね。

 別に大東流でも合気道でも太極拳でも沖縄空手でも○○拳でもいいのだが、というか、つい最近○○拳で思いっきり似た話を聞かされたことが動機なのだが、それはあまりにも狭い範囲で伝わった話なので書くわけにはいかん。

 そういうことで、ちょっと前に八卦掌関連でかなりの数の人たちが、いっせいにカムアウトして、もうそれに当たり前のよう触れていることがあるので、今回採り上げてみる。


 その前に、みんな八卦掌の動画を観たことあるかね?

 youtubeで「八卦掌」とか「bagua zhang」とか打ち込むと、死ぬほど出てくるので浴びるほど観られるぞ。

 中国の動画サイトであるyouku(優酷網)とか56.com(我楽網)とかTudou(土豆網)とかなら「八卦掌」だけでイケるけど、ウイルス対策は万全にな!


 八卦掌の話である。

 なんだかよく分からなかったり、分かったと思ったらそうでなくなったりする謎の中国武術である。


 いや、はっきりしているといえばしてはいるのだ。

 成立した年代が19世紀とそれなりに新しい上に創始者も董海川と分かっていて、生年も没年も諸説あるが、そういう人がいたことは確からしい。

 その弟子の程廷華と尹福になると、これはもうはっきりと写真記録も残っていて、義和団の変に話が出てきたりと、確実に「いた」人たちである。

 ブルース・リーが学んでいた世界的にメジャーな知名度の詠春拳が、伝説上の南少林寺などという本当にあったかなかったか分からない寺が焼き討ちされて、そこを逃れた厳詠春とか方永春という名前の尼さんが創始したとか、分かっている範囲でも伝承者は手の早そうな男ばっかりで本当かいな、という、そういうのに比べるととてもはっきりしている。


 しかし、伝わってくる話の周辺に奇怪なものが多い。


 董海川は宦官だったとか、宮宝田は阿片中毒だったとか、普通はあんまりおおっぴらにならない話もそれなりの大きさの情報で伝わってきて、大丈夫かいなという気にされる。

 一方で、前回も書いたように、宦官だったと言う話には一切触れない団体もあれば、あれは宮廷に入り込んだレジスタンスのスパイだった! と主張している人もいる。

 一般中国人の意識における宦官はたいてい悪人、それも極悪人のイメージなので、開祖が宦官なのはちょっと色々……、ということで何とか擁護する話を作ろうとする気持ちは分かる。

 清代に乱を起こした宗教的秘密結社に八卦教というものがあるので、そこからの連想で生まれた説のような気がする。

(八卦掌は用法が悪辣だったり、戦闘法が最大に効果的な状況が乱戦とか狭い屋内戦っぽくて、どういうことか「実は暗殺拳だ!」といいだす人が多い。その辺からの連想もあるのかも)


 董海川は50歳過ぎて北京に出てきたとか、宮刑(男性のペニスを切断する刑罰)に処されて宦官になったのはその後だとか、本当は何の罪で宮刑になったのかはっきりしていないとか、官位が良く分からんとか、しかも八卦掌の遣い手だとばれて周囲の人間に教えだしたのはその北京以降の話なので、50を過ぎてから初めて教えだしたことになるが本当かいなとか。


 また、董海川が塀を軽く飛び越えた、という伝説をはじめとして、軽身功という、忍者みたいにジャンプしたり高いところに飛び乗ったりする技術を使う人間の話がやたらある。

 筆者も日本人なのでちょっと本当の所が理解できないところもあるが、こういう技術はどちらかというと「まっとうな」武術の感じがしないもののようである。

 要するに、武侠とか盗賊とか、ダークなイメージがつきまっているもので、門派の歴史上、一人二人いるぐらいだとそうでもないが、何人もいると怪しげになってしまうのである。




 伝承者は今に至るまで途切れることなく続いている。

 伝承者内部にとある一連の文字の順番が伝わっていて、どの字を継いでいるかを知ることによって第何代の伝承者か互いが知ることができる「字輩」というものがある、という話を前回書いた。

 が、秘密もなにも北京にある董海川の碑文に二十文字全部が堂々と刻まれていて、みんな知っていることなのだ。


 八卦掌業界では何十年かに一度、関係者が集まって董先生えらかったよね集会が開かれ、よっしゃ顕彰碑を建てようぜという動きが出る。

 それが光緒9年(1883年)の「董先生志銘」、光緒30年(1904年)の「文安董公墓志」、民国19年(1930年)の「董海川先生墓誌銘」なのだが、集まった連中やお金出した人たちが、これが正しく伝えてる人だよ、と石碑に名前を刻まれることになっている。

 その石碑がまた、「とあることから中年になって宮刑を受けてしまい、宦官にされた」的な、関係者全員知ってるから詳しくは書かないよ的文章で、どうしたものかという部分はあるのだが。


 確か最後の1930年の時の話だったのではないかと思うのだが、集まって、やあやあこんにちわ、よっしゃお互いに伝えるものを披露しようか、という事になったときに、互いの伝えるものがあまりに違うので衝撃が走ったとか。

 そこで、この字輩を伝えるものが正しい伝人にすることにしよう、とか、ちょっと伝える内容を統一しようという、話し合いがあったようだ。



 この、「じゃあみんな、そういうことだから」的な、定期的な全体同意が、最近になって日本の八卦掌業界であったように筆者は感じている。



 十数年ぐらい前に日本にもいろいろな八卦掌が渡ってきて、それぞれが自分たちのことを公表しはじめたことや、中国に行って直接八卦掌を学んだ日本人が、何人も帰国後に八卦掌を伝え始めたことが重なったのか、


 「八卦掌が派によってかなり違う」


ということが、ぼろぼろ言われだした。



 当時、現在雑誌『秘伝』を発行しているBABジャパンが同時に中国武術専門誌『武藝』というのを出していた。

 その記事だったような気がするのだが、笠尾恭二氏が1970年代ぐらいの中国本土の武術の大交流大会映像を見た思い出記事か何かで、「八卦掌は古いものほどみんなが思っているような八卦掌っぽくない」と書いていたような気がする。

(福昌堂の雑誌『武術うーしゅう』も含めて、2000年ごろに一度全部処分してしまって、手元に無いので「気がする」ばっかりで申し訳ない)


 そのあたりから、じわじわと「董海川は、生徒がもともと学んだ武術をもとに指導した」「生徒によって全く違う内容を指導した」「どうも八卦掌の型で一番古いのは単換掌・双換掌・順勢掌ぐらいで、他は全部あとから加えたらしい」……などと、それまである程度固まっていた八卦掌像を否定する話がどんどん伝わってきていた。

 さらには「まったく円周を回らず、直線を行ったり来たりするだけの直線套路の八卦掌があるらしい」などと八卦掌イメージの全てをぶちこわす話も伝わってきた。

(今振り返ると、劉徳寛系の八卦六十四手のことだったのだろう)


 この話の前の段階で、中国武術研究家の清水豊氏が自身の宮宝田系(伊派)の八卦掌は陳氏の太極拳と同じで、激しい動きの八卦炮捶があるだの、正しい八卦掌は羅漢拳(少林拳)が伝わっているようだ、だのと学んだものがそうなので本人が悪いわけではないのだが、我々武術オタクを惑わせる記事を発表したりしていたり、という一局面もあった。


 また、あの当時ネット上で交流していた人たちが、だいたい八卦掌の話題になるとごく初歩の話から先を話題にしようとすると、内容がだんだん通じなくなって、ひどく手探り状態だったことを思い出す。

 日本はやっぱり太極拳をやっている人が一番多くて(全体で見れば八極拳も多めかも)、その絡みで内家三拳を併習して学んでいる人もそれなりの数がいるのだが、太極拳や形意拳は話題が進んでも、八卦掌になるととたんにみんなの口が重くなる、という空気があった。



 そういう状況だったのだが、

「董海川という人は、特定の武術の形を教えたのではなく、もうすでに何かを学んでいた人が、それを基に実力を高めるエッセンスのようなものを個々人別々に伝えたらしい」

 そういう話がここ数年、どこの派でも普通に前面に出して言われてきている。

 何年か前まではごく内輪で、「どうもそうらしいよ」ぐらいの調子で話されていたのだが、先日気づいたら、日本の多くの団体の説明にしれっと書かれていて驚いた。



 ここでようやく今回の表題である「伝承者によって内容が大幅に違う謎の流派」である所の八卦掌、の話をできる所まで来たね。

 さて、こんな教授法は果たしてありえることなのだろうか?




 ありえる。


 筆者がこれまでの自分の経験や伝聞に照らし合わせて考えたことだが、というかあくまで自分の見聞きした範囲でのことなので、ヨタ話として読んで欲しいのだが、十分ありえそうだ。


 董海川が教授を始めたのが50歳以降のことらしいのだが、当時の50歳というのは今と違い、外見的・肉体的には現代の70歳代とか80歳代ぐらいの感覚である。

 60歳のことを還暦というのも、生まれ年の干支がちょうど60歳のとき重なって「還る」とされている名称で、一生はここで一度終わっているぐらいの扱いである。


 現在存在している多くの流派、現代武道を想像して欲しいのだが、80歳ぐらいの大先生が、全く最初の基本から生徒に教えるようなものが存在しているだろうか?


 滅多にないと思う。


 普通、初心者は先輩格の人間が教える。

 先輩は師範代に教わり、師範代や選ばれた弟子が大先生に教わる。

 なぜなら、その流派の肉体作りのための基本の動きや鍛錬法は、若い人間向けのものであり、はるか昔にそこを通過した大先生は自分流にカスタマイズしてしまっていたり、わざわざそんな大きな動作のものを行なわなくてもよくなってしまっているため、同じことが出来なくなっている。

 ほんのちょっと先に進んでいる人間が教えると、その次の段階までの欠点や変化が分かりやすいが、一つの体系の中でレベル差が隔絶していると、初心者の側からは全てが違っているので全く理解できず、大先生の側からはもはや出来ることが当たり前なので初心者が理解しづらい。


 しかも、董海川自身は学んだことや経験したこと、創造したものを自分の中では融合させているが、50過ぎまで人に伝えていなかったことを考えると、他人に教えられるレベルで体系化していたとは考えられない。

(董海川の生前には「八卦掌」という名称自体もなかったのではないかという説がある)


 単換掌・双換掌・順勢掌が最初にあったという話だが、本当にごくごく一部でだが、董海川の生前にはそれすら今の形ではなかったのではないか、と疑問を持っている人たちもいる。

 基本とか基礎の身法というのは、ある地点に到達した人間が「今の俺の境地までスムーズに上がってくるためには、何をどういう順序で教えたらいいかな」と、現状から逆算して、要素を分割していって取り出し、組み上げるものなので、だいたい最後に作られたりするからだ。

 もっと極端な話だと、最大の特徴ともいえる走圏すら後から作ったんじゃないか……という恐ろしい話もあるのだが、話が無駄に大きくなるので、今回は無視する。


 ずっとそれをしてこなかった人が、50歳を過ぎていきなり基本から考え始める、というのはかなり無謀なことだ。

 董海川の門下には、他門の武術を修めてすでに名を成している連中が入ってきた(既に他の芸を修めた人間がさらに師につくことを「帯芸投師」などというらしい)、というのは、もちろんその実力の高さにもよるのだろうが、ど素人どころか中級クラスの人間も董海川の指導についていけなかった、というのがあるのではないかと思う。


 


 筆者が八卦掌のこの話からまっさきに連想したのは、合気道と大東流合気柔術のことである。


 合気道の植芝盛平の教授法というのは、基本的には弟子が技をかけられるか、誰か別の弟子が投げられているのを観察するしかなかった。

 各々の弟子が他所から鍛錬法を持ってきたり、植芝盛平の動きからこれを行なえば力がつくのではないかと、新たに基本の技法を作り上げたことによって、今の合気道が出来たといわれる。


 植芝盛平に大東流を教授した武田惣角はさらにもっと極端で一方的な教授法であり、参加者を一通りブン投げたり固めたりするだけ、というものであった。

 しかも伝書として書いて与えたものの内容が、実際に伝えたものと違っているというおそるべきもので、結局、各々の弟子が自分の掴んだ感覚を基に「合気」を追求したため、各派で技も内容も完全にバラバラである。

(共通しているのは「上げ手」といわれていたらしい、合気上げだけじゃなかろうか)


 これらも伝える人物によって内容が違う流派である。

 ただ八卦掌と違うのは、証言がかなり残っているので変遷が分かること、そして個々人に指導したという董海川の教授と真逆で、恐ろしく不親切だということだろうか(笑)。



 ちなみに、ごくごく狭い範囲の話なので別に武術の歴史的なトピックとして扱われないが、現代でも完全な我流で実力があるけど教えるたびに内容が違う人とか、天才的な実力があるけど根本的に他人に指導が出来ない人とか、自分が教えると伝書通りにならないので弟子を指導しない大先生とか、その流派の原理で自在に動けるので個々の技を忘れてしまい、演武会の直前に一夜漬けで型を覚えて終わったらまた忘れる先生とか、そういういい加減な人たちは案外いっぱいいます。


 実際の八卦掌の技法について書くと果てしなく脱線するうえに、だれかが興味を持つとは到底思えないのでこの稿では触れない。

 また、郭雲深の唱えた明勁・暗勁・化勁の三層の功夫の最終段階である「化」は、加齢や老化と関連があり、いったんそこに到達した人間は明勁や暗勁を示演しても根本的な質が違うため、全く別物になってしまうのではないか? というここ数年疑問に思っていたことについても触れようかと思ったが、ひょっとしなくてもすでに十分マニアックな内容なので割愛。


 というか、書き上げてから誰がこれを読むんだろう、と今更後悔しているのだが、書いてしまったのでアップしますよ。


 わざわざ八卦掌の概要説明の回を前回書いたのに、合気道と大東流には前説なしで書くというこの杜撰さ。

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