知っている人は読まなくてもいい八卦掌の話
次の回を読む前に、八卦掌や、日本で八卦掌がどう受容されてきたかを知らない人にちょっと知識を入れてもらうために書きました。
一応そういうものだという共通認識が無いと、次の回で書く話の内容が完全に意味不明になるので、前提の説明として書いておきます。
Wikipediaの八卦掌の項目ぐらいの内容は知ってる、という人にはほぼ必要ないので飛ばして下さい。
先日、友人に「普通の人は太極拳以外の内家三拳について、全くかけらも、本当に名前すら知らない」と指摘されて、そういえばそうだったと目が覚めました。
ヘタレヘタレと油断して生きてきたのですが、気づいたら20年近くやってきたことになるわけで、特に質問も感想も受けないので大体みんな知っているものとして考えてました。
そんなわけで、今回だけはちゃんとします。
八卦掌という中国武術があります。
開祖の名前は董海川。
生誕は1797年説や1813年説といろいろ異説はありますが、特に実生活上の関わりのないみなさんは1800年前後に生まれた人物である、と考えておけばよいでしょう。
没年も1882年説や1889年説があります。
中国のwikiである百度百科では1797年—1882年と書いてあります。
北京に八卦掌の伝承者たちが寄り集まって立てた董海川の顕彰碑があるので、そちらから判断したのかもしれません。
中国は清王朝の時代。
北京のすぐ近く、河北省文安県朱家村出身でした。
若い頃から人より武に優れていたらしいことはどの説でも有力ですが、中国をさまざまに旅して武術を練り上げたとか、揉め事があって北京に入ったとか、宮刑によって宦官になったとか、北京以前のことは良く分かっていません。
北京では紫禁城に勤めていたと主張している人たちもいますが、粛親王府にいたという説が有力のようです。
職は護院。
紫禁城と粛親王府は互いに近いですが明らかに違う場所であり、紫禁城は皇帝の宮殿、粛親王府は皇帝の親族の住まいです。
事歴がある程度はっきりしてくるのは、北京で宦官として登場して以後になります。
ちなみに、宦官であったことに全く触れない団体や、清朝に反抗するレジスタンスのスパイとして宦官に化けて北京にもぐりこんだ(実際は宦官ではなかった)と主張する人たちもいます。
その時の彼の年齢は50歳前後であったようです。
彼の実力がどのようにして知られたのか、という具体的な事件は分かりません。
武術大会でお茶を運ぶ係をしていたが、いろいろあって会場内に入れなかったので飛び上がって壁を乗り越えた所を偶然目撃、達人であることが発覚したという伝説がありますが、信憑性はありません。
ただ、彼の実力がかなり高いものとして認知されたこと、既に他の武術で名をなしていた人間が何人も門下に入ったことは知られています。
拳ではなく掌を用いること、相手を中心に自身が円を描くように回る「走圏」と呼ばれる独特のフットワークを持つという特徴によって、よく知られています。
一周を八歩で歩き、足の場所はそれぞれ四正(東西南北)と四隅(北東・南東・南西・北西)の八卦の方位を踏みます。
技は森羅万象をあらわす、易経の八卦の理論を基にしているといわれています。
八大掌、八母掌、六十四手、七十二截腿といった八の倍数の技で構成した套路(形・型)が各派に伝わっています。
日本では、1950年代に台湾より来日した王樹金が伝えたのが最初ではないかといわれています。
彼は太極拳・形意拳・八卦掌の内家拳と呼ばれる三拳をまとめて伝えているスタイルをとっていました。
ただし、佐藤金兵衛氏などのごく一部の人々が伝えていることが知られているだけで、あまり八卦掌そのものの存在がアピールされたわけではありませんでした。
1970年代に現在は日本の中国武術研究の第一人者として知られる松田隆智氏が台湾の武壇という組織の伝える八卦掌に触れ、まとまった形で歴史やスタイルの情報が入ってくることになりました。
(ただし、彼が『神秘の拳法 八卦掌入門』と一冊の本としてまとめるのは1980年代に入ってでした)
それによって八卦掌が董海川が開祖である武術であること、八卦掌の中でも二つの大きなスタイルに分かれていること、円周を回る不思議な武術であることが知られていきます。
二つのスタイルというのは、尹派の牛舌掌と程派の龍爪掌のことです。
董海川の弟子の中でも、尹福の系譜の弟子が伝える掌を牛の舌のように指と指をくっつけて一枚の舌のようにするものが牛舌掌、程廷華の系譜の弟子が伝えている龍の爪のように五指を開いているものが龍爪掌です。
のちに、さらに様々なスタイルがあることが伝わってきましたが、最初に情報で入ってきたのはこの二派のものでした。
日本ではずっと台湾経由の中国武術情報が先行していましたが、中華人民共和国(以下、中国)との国交正常化によって、徐々に大陸の武術の人材や情報が入ってくるようになりました。
台湾と違い、中国では国家の方針として、労働者の体育としての運動の見直し、国民体操の一環としての太極拳の制定・普及などがありました。
民間で八卦掌を伝えている人々は、清王朝のもとで広まったことが「反革命的」である、という取り上げられ方をされるおそれもあり、外部の日本人にも分かるような形で八卦掌が出てくるまでには、ある程度の時間がありました。
董海川が清朝に対する抵抗勢力のスパイだった、という不思議な話を伝える派があるのは、そういった時期に中国共産党を刺激したくないと考えた人が生み出したのでしょう。
八卦掌には「海福寿山永 強毅定国基 昌明光大陸 道徳建無極」という20文字が伝わっており、拝師したものは伝承者の代ごとに一文字を受け取ります。
初代が董「海」川、二代目が伊「福」と、それぞれの名前に一字が入っているのが分かるでしょうか?
八卦掌の伝承者は、最初から数えて自分が何番目の字を受けたかによって、自分が開祖から第何代目であるかを知ることができます。
これを「字輩」といい、例えば三代目であれば「寿字輩」というように記録に残されます。
かつては秘密であったという話もありますが、現在は公表している人も多く、八卦掌は今は六代目の強字輩の人々を中心とする世代となっているようです。
八卦掌は別の流派である形意拳の人々と交流があったことや、さらに太極拳を学んだ人々、特に形意拳の達人として名高い清末民初の人物・孫禄堂(1860-1933)が「内家三拳」というコンセプトで他と一線を画すものとしてまとめたことから、太極拳の伝播と同時にその概念が広く知られるようになりました。
他の武術と弊習する人も多いようです。
太極拳・形意拳・八卦掌の三拳を伝えているスタイルの所では、だいたい最後に八卦掌を学ぶところが多いため、他の二拳に対して特に高度であると思われていたり、逆に八卦掌だけでは闘えないのではないかと誤解されることもありますが、もちろん八卦掌単体で教えているところはいくつも存在しています。
以上。
きっと漏れはないよね?
我ながら文体が嘘くさいなあ。
こういう情報を基にした上で、次の回を書きます。
八卦掌について適当にいじくり倒します。
タイトルは「数代で伝承者によって内容が大幅に違う謎の流派が出現する件(仮)」。
ただし、一度説明なしに適当に書きなぐった文章があって、そいつを再構成しなきゃならんので、今日明日には間に合わないかもしれません。
ちなみに、何かの間違いでこの回から読んだ方。
いつもの文章はもっと「だ」「である」調の、超カンジ悪い文章なので、次回はひどいですよ。
そして他の回もひどいですよ。