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どうしようもなく体の固い俺が、高い位置への蹴りというものについて書いてみる。

 まず最初に。


 柔軟性は大切である。

 まだ十代の人、全然大丈夫!

 どんなにきつくても回復力がある!

 25越えてからは色々取り返しがつかないことになってくるから……。


 筆者は体がとても固い。

 さすがに何も対策をとらないのは体に良くないので、一応は立った状態の前屈で両手の平が地面に着くぐらいまではあきらめずにやってみたが、この十数年それ以上の進展がない。


 開脚前屈は絶望的である。

 そもそも脚が開く角度が90度ぐらいなのである。

 そして上体が前に倒れない。

 脚を閉じれば足先が掴めるぐらい倒せる。


 この程度の人間が高角度への蹴りについて語るのだ、ということを前提にして。

 さてまず結論だけ言ってしまうと、高い蹴りは放てなくとも別に問題はないようだ。

 と、いうよりも高い位置への蹴りが威力を発揮する相手との距離というのはかなり限定されていて、見た目がかっこいい割りに使いどころがあんまり多くない、というのが実際のところのようだ。

 当たり前だが上半身への攻撃は手で行なう方が確実で動きも速い。

 筆者が体験したものの中にも、臍から上は手の領域、臍から下は脚・足の領域で互いの界は絶対に犯さない、としているものもあった。

 

 じゃあこういう考えの武術は上半身への攻撃がないのか、というと全くそんなことはなくて、発想の逆転で相手の腕や衣服をつかんで上半身の位置を下げた所に蹴りをかますのである。

 また、現代の日本では考えとして抜け落ちがちだが、相手か自分がなにがしかの武器を持っている、というのが前提にあるようで、相手の武器をかわす機動力の確保や、自分が存分に武器を振るうためには足を不用意に地面から離してはいかん、という考えが徹底している。

 相手の中心線に向かって蹴り込む中段蹴りが、威力としても確実性としても一番有効、といっていた所もあって、まあそれはかなり極端なのだが話は分からんでもない。



 古いものは膝から下を踏むとか蹴るとか、そういうのが大層充実している。

 むかし足を踏み込む動き、振り出す動きは「暗腿」といって隠された蹴りを意味しているッ! とか書いてある本があって、純真(馬鹿で単純ともいう)な筆者は


「ふっふっふ、そうか、特別なことを知ってしまったぞ!」


と得意げにニヤついていたのだが、今になって振り返るとわざわざ広く出版されている本を読むまでそういう発想がなかったというのはかなり鈍い人間だったと言わざるをえない……。


 

 現在は高い蹴りは空手にも中国武術にも見られ一般化しているが、歴史的には相当新しいものだ、という話はよく言われている。

 多分にテコンドーの影響が大きいのだと思われる。

 

 近年、日本で嫌韓感情が高まったことによって韓国ではさまざまな文化や学問を自分たちが起源だと主張している人々がいることが知られ、その反論のための検証の中でテコンドーが近代以降の日本の空手から発展したという歴史などが表に出てくるようになったが、大きな回転運動を伴う高く大きく華麗な蹴りは、テコンドーが「発明」して広まったのだと筆者は思っている。

 テコンドーの創始者とみなされている人物は、韓国独自の武術として体系を作っていく中で、大きな回転運動を入れて加速することによって体重による威力の差を埋める、という発想に至った。

 以後、韓国で生み出された武術や、「古くからあった」とされる武術のほとんどが大きな回転運動や跳躍を動きに組み込んでいる。

 「回転武術ホイジョンムスル」とかいうそのまんまの名前の武術さえある。



 ちなみに脱線ついでに書いてしまうが、 古くて実戦的とされる武術の多くは地味で単純なものが多い。

 中国武術はカンフー映画でイメージが固定されて、高い蹴りや跳躍が多いように思われているが、今も映像が残っていて確認できる1990年以前の中国本土の武術の映像を観るとそういうものは圧倒的に少ないということがわかる。

 中国は武術を新体操や器械体操みたいなスポーツにしてしまおうという動きを強烈に推進しており、それと連動してやたら難度の高い跳躍技が増えていったという歴史がある。(当然、テコンドーや空手からの表現の影響はある)

 テコンドーでのそれは、いきなり空手から入った人間が考えて生み出したために起きたブレイクスルーではなかろうか。

 

 日本の剣術において、江戸時代初期まで介者剣術という鎧を着けている前提での剣術があったのだが、平和な時代になってから素肌剣術といわれるもの平時の服装を前提としたもののに内容が移り変わっていった。

 具体的に何が違うかというと、鎧や兜がないのでもっと自由に動けるようになったのだ。

 代表的なのは雷刀と呼ばれるもので、それより以前のものでは兜が当たるので肩の前に刀を立てて構えるぐらいが斬り下ろし動作の限界だったが、それが一気に頭上に刀を振りかぶれるようになった。

 袈裟懸けの斜め軌道で振り下ろすことしかできなかったものが、振りかぶって真っ直ぐ斬り下ろしたり斜めに斬り下ろしたり、向きを変えたら横の相手にも斬り下ろしたりできるようになったわけだ。

 テコンドーの場合、空手との関連性を断ち切るためだったのか彼らが空手の武器術を学ばなかったのかは不明だが、武器を前提とした構えや動作から自由になることができたのではないかと思っている。 



 で、捏造だなんだといわれる韓国武術であるが、テコンドーの元になった、ということでむりやりテコンドーの歴史に組み込まれているテッキョンという武術に関しては、案外これだけは昔からあった武術ではないか、と思っている。 

 あくまで個人の印象だ、と断っておくが、まず地味である。

 そして、他の武術と比べて独特のリズムとフットワークが特徴で、踊りとも共通性がある。

 何かの武術に対してあれは踊り(ダンス)だ、というと悪口となる場合が多いが、今はそういうことではなく、韓国の人々が独自に持っている生活の中の動きに通じるテンポ、ということで、これは日本の武術が独特のリズムを持ち、舞や踊りと共通点が語られるのと同じ意味で述べている。

 もっとも、それは今から10年~20年ぐらい前の、70歳以上のテッキョンの伝承者とされている人物の映像を観た時に抱いた感想で、現在のテッキョンはテコンドーからの逆影響によるものか、高い跳躍も回転運度も入りまくりで、はっきりいってしまえばほとんどテコンドーと印象が変わらないものになっている。

 まあ武術は生き物だから仕方がないが、実に残念だ。

 地味~で泥臭い動きのものは動きに大変味があって、それはそれで好みなのだが。





 さて話を戻そう。

 では高い蹴りは別に出来なくていいのかというと



 そんなことは全くない。

 むしろ出来る方が絶対にいい。



 まず、股関節・膝・足首の柔軟性は高ければ高いほどいい。

 固いと相手を攻撃した時の反作用が流せず、簡単に痛めてしまう。

 そして、脚の柔軟性と弾力はフットワーク(歩法)に強く反映される。

 上半身の動きが生きるために下半身との連動は必ず必要となるものであり、地面に直接接している足の粘りがなければ打撃に威力が乗らない。


 そして、この「なろう」を読むような人は年代が若い人が多いだろうから全く実感がないかも知れないが、人間の老化・衰えは脚からやってくる。

 膝が固くなる。

 股が固くなる。

 足首が悪くなる。

 歩幅が狭くなる。

 脚が上がらなくなる。

 これらは全て若いときからどれだけ継続して柔軟性に取り組んだかによって、決定的に変わってくる。 


 また、生まれつき体の柔らかい人には分からないものかもしれないが、例えばすごく固い、直立しての前屈でやっと足首に手が届くか程度の人間が、すごくがんばってどうにか床に両手がつくぐらいになると、それだけでも本人の主観的には自分の実力が倍ぐらい上がったかと感じるぐらい動きの変化が起こる。

 こういうのはどうしたって本質的に柔らかい人に比べると差が出てくるもので、散々苦労していやあ俺もだいぶん柔らかくなったと喜んでいたら、自分で自分のかぶっている帽子を蹴って払い落とせるレベルの人を目の当たりにして、もう本当に素質とか才能って何だろうと思ってしまうことはよくある。

 だが、柔軟性が上がったことを実感した喜びも、動きの中で確かなものとして感じる内部の、外見にはあらわれない本質的な意味での「柔」の感覚は決してかりそめのものではない。

 昨日の自分よりも境地が進んだことを素直に喜ぶべきなのだろう。




 また話はさらに戻って高い蹴りというものについて。

 日々の地道な練習の中で高く蹴る訓練を繰り返すのは、柔軟性を上げるという意味では大変重要であるという体作り的意義とはまた別に、攻防の中で全く使えないかというと、実はそうではない。


 何だか一度ひっくり返したことをまた戻しやがってと思われるかもしれないが、多用するようなもんじゃない(スタンダードではない)ということであって、奇襲技・隠し技として使いどころを間違えなければとても有効だ。

 古い形を残す武術の中でも、ときどき秘密の実戦用法としてピンポイントで高い蹴り技があるものがある。

 多分その流派の歴史の途中に、足がアホみたい自然に高く上がって速く確実に蹴れる人が出現したのだろうと思う。

 技が少なく秘密主義だった時代の武術は、よほどこれは使えると思った人間が出てこないと技は残らない。

 そして高い蹴りというものがありえなかった時代には予測できない攻撃として十分使えたのだろう。

 ただしある一人の人間に対し、その相手の一生の中で一度使う技としてである。

 同じ相手に何度も使う必要がなかった時代である。


 今でこそ広く知られてしまって簡単には決まらなくなっているが、かつてテコンドー的な回転系・跳躍系の蹴り技が相当な脅威だった時代がある。

 20世紀後半のごく短い時期、空手のフルコンタクト競技化から総合格闘技と呼ばれるものが出てくるまでの間だが、その一時期にテコンドーの踵落しや上段回し蹴りが空手とは別の独特のタイミングと微妙に違う距離、技の組み立ての中で使っていたことによってやたら決まっていたのだ。

 記録され研究されたことによってその状況は数年で消えたが、それは逆にいえば隠されていれば今でもなお有効な秘密技術としてこっそり通用していたかもしれない。


 まあこれは広く伝える事が前提である現代武道・武術、多くの人の前で見せる事が禁忌ではない競技格闘技ではそもそも不可能なのだが……。




 過去の文章でも書いたと思うが、古流などで中心的な鍛錬や用法とは別に「こういう技がある」「こういうコツがある」と脇道的に教わるものには、本当にその場限り、サギみたいだけど有効で、知られてしまうとその相手には二度と使えないものがあって、これを隠して伝えるかどうかというのはみんな色々考えてしまう所だと思う。


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