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達人の逸話や伝説のあれやこれや

 正月でめでたいので書いてみた。

 言い伝えの逸話が、よく捻くれ曲がる


 武術や武道には様々な達人の逸話がある。

 近年は活字記録も映像もあるので、有名な人であれば多数の証言があり、動きの映像も残っている。


 しかし、古い記録、何代にもわたってほぼ口伝てでのみ伝わっているような逸話については、事実を確認することは不可能である。

 話している人の記憶にしか存在していない。

 何人かの人がその話を聞いて、それぞれの人がまた別の人々に話している間に、伝言ゲームのような事故が起こる。 



 で、まあ、実際の武術・武道の修行者にどういう事が起こっているかというと、その人の記憶やら性向やら、もっと生臭く個人の立場の都合によって、元と違った意味で伝わったり、知っている人が少ない話の場合ですら作り変わってしまったりする。

 自分の所属する所に伝わっている内容と、とある道場に伝わっている内容とで、同じ系列団体なのに経緯が大分違ってしまっていることも良くある。


 筆者の所属する流派だけでなく他流他派他門においても、世間的な評価の高い人が実は不覚を取ってド素人にやられたが、あまりにみっともない敗北だったので関係者全員が黙っている話とか、人格高潔ということになっているある達人(とされている人物)が、ものすごくイヤな人間であったとか、普通にある。

 そのへんの会社とか学校とか地域社会に伝わる噂話とか都市伝説に近い。

 同じ団体内にいる者には、他派の人間がとても不快だった問題のある逸話が、「偏屈な達人」的な特別枠エピソードとして良さげな味付けで公表されている場合もある。


 とある達人とされる人が亡くなった後、そのお弟子さんが「実は今まで黙っていたが、○○先生はかの有名な△△先生を打ち倒した事があるのだ」などとどっちも亡くなっているので確認のしようがないことを書いた本を出していたりもする。

 「ご本人の名誉のために今まで公表しなかった」ということをわざわざ書いて出版しているのはどういうことだ、とまあ色々事情を考えると味わい深いものがある。


 今でさえそうなのだから、昔なんかは相当な事になってたと思われる。



 豪快な達人たちの話、超人的な逸話も、よくよく検証していくと夢のない話が明らかになってくることはままある。


 昔の拳豪が一撃で壁を崩した、という話の当時の状況を当時のその地域の壁は土でできた壁で補強が大して入ってないものだったとか。


 垂直な塀を駆け上がった(飛櫓走壁)とか塀を飛び越えたという逸話は、昔の塀はけっこう凸凹していてそこに足をかけて駆け上がることが出来たとか、塀がそんなに高くなかったとか。


 10メートル以上吹っ飛ばされたという話が実際に宙を飛んだ距離は1メートルかそこら、あとは着地してから足が踏ん張りきれずに足をもつれさせてバタバタバタッと倒れるまで動いた距離を含めて10メートルぐらいだとか。



 旅の途中、一人で夜道を歩いていて襲われたので、軽く突いたら全身から血を噴出して死んだとか、生き残った本人しか知らない光景を誰が話したのか?というタイプの話もある。


 19世紀の後半ぐらいから西洋的な活版印刷が日本や中国にも定着した結果として、かつては内輪の人間を対象に執筆された武術家本人の手による文章が、多くの人の目に触れる書籍という形で普及するようになった。

 その初期の頃は、深く関係の無い人々が勝手に広めた噂話を記録したものや、本人や近しい人々が直接記録したもの、これを両方比較することができて楽しい。


 現代のものであると、同じ人が話している内容なのに繰り返していくうちに段々話が大きくなっていくものを目にすることができる。

 筆者も達人の逸話が目の前で形成される瞬間を見たことがある。

 酒の席だが、相手が武術とか武道とか格闘技とか、それどころかスポーツにもあまり興味がなくて普通に話しても全然驚かなさそうなタイプの人に、「凄さ」を無理やり分からせようと話しているうちに、カンフー映画のワンシーンみたいな話になっていた。

 具体的にいつ・どこでがはっきりしない噂って、こうやって作られるんだなあ……としみじみ思い知った体験である。


 人間、聞く方も話す方も面白い話のほうがいいにきまっているものねえ。



 また、日本むかし話的なノリの「武術むかし話」みたいなものもある。


 当たり前のことだが、初心者の頃は基礎の鍛錬法であるとか、その場でただ突くだけの基本技であるとかは面白くもなんともない。

 「なんの役に立つんですか?」とか「こんなことを続けていて本当に強くなれるんですか?」とか聞き返すだろう。

 さすがに先生に直接言えない、というヘタレは先輩や仲間に言うだろう。

 そして出てくるのが以下の有名な逸話である。


 昔々、形意拳に尚雲祥という人がいた。

 李存義というとても有名な形意拳家の弟子となった。

 かれはとても不器用でドン臭かったので、一番基本の五行拳を覚えることが出来ず、最初に教えられる劈拳が満足に打てないため、一番単純な動作である崩拳だけを教えられた。

 日々ひたすら崩拳を打つ彼を仲間たちはさげすみ笑いものにしたが、かれはくじけずにひたすら崩拳を練った。

 師の李存義は各地を回って指導していたので、崩拳しかできない尚雲祥は特に目にとまる事もなく3年近く放置されていたが、ある時弟子全員が李存義の前でこれまで積んだ鍛錬の成果をお披露目するという機会があり、他の者が次々と自分の成果を見せる中、尚はただ崩拳だけを黙々と打った。

 周囲のものがその芸のなさを嘲笑う中、李存義は立ち上がり「良くぞここまで練り上げた!」と尚を賞賛した。

 かれは唯一つの技を3年間練り上げたことにより、いくつもの技を練習していた者よりもはるかに深い実力を得ることが出来たのである。

 その後かれは李存義に次々と技を伝授されたが、すでに高い功夫に達していたので、そのことごとくを身につけることができた。

 後に数少ない高い実力のある形意拳家の一人として名をあげ、さらには崩拳を得意技として、ほとんどの相手を崩拳の一撃で降したことから「半歩崩拳遍く天下を打つ」と称された。


 だから、単純でつまらない繰り返しの練習を続けるんだよ、という流れになるお話である。








 もちろん嘘である。

 

 10年近く前、日本で尚雲祥の伝系の形意拳を修行されている方とちょっとお話する機会があったのだが、

「なんでこんな『おはなし』が広がってるんですかね!?」

と大変お怒りであった。

 とりあえず「いやーマンガの『○○』のせいじゃないですかー」と当たり障りのない事を話したのだが。

 

 Wikipediaを読めば書いてあるようなことなのだが、尚雲祥は形意拳の門に入る前にすでに他の武術で相応の実力を身につけている。

 また、形意拳で最初に教えられる劈拳ができないということは起式から三体式にいたる形意拳の基本の構えの動作ができない(共通の動作が入っている)ということであり、なおかつだから崩拳を教えたということは、崩拳を「ただ中段突きを繰り返す単純な技」としか考えていない、ということでもある。

 形意拳を練習されている人が、後輩に「劈拳より崩拳の方が威力がつきやすくないですか?」と聞かれて「そう思えるんならお前は根本的にまちがっとる」と話されている場に立ち会ったこともあるし、また別の人の話で「もしもどの技で攻撃したら分からないぐらい困ったら、とりあえず何も考えず劈拳を打て!」と言われているのも聞いたことがある。

 筆者は形意拳はまともな形で教わったことはないが、劈拳という振り上げ・打ち下ろす動作を最初に身に付けさせるのは、形意拳は腰の縦回転(これは誤解を招く表現だが何となくそうなのかと思っておけばよろしい)が重視されているからではないかと想像している。


 まあ要するに教える順番にも相応の理由があるのだということなのだが、こういう武術むかし話は実際に修練している人にとっては「いくらなんでも」というものが多い。

 この手の単純な動作を我慢して続けたよエピソードとしては、同じく形意拳の郭雲深が3年間牢屋で手枷をつけられて虎撲を練ったとか、その弟子の王向斉が3年ひたすら站樁(この字は表示されるかなあ)だけを練らされたとか、3年という期間がやたら好きなようだ。

 三年小成、という言葉があって色んな分野でひとつの目安として使われるので、それにあやかっているのだと思うが、単純な練習を嫌う初心者をだまくらかして黙らせたり、外部の無関係な人に感心してもらうための話にしても、あまりに一般にそのウソ逸話が広まると思わぬ迷惑をこうむるようである。


 中国人の話は誇張がひどいというたとえに中国唐代の詩人・李白の「白髪三千丈」という表現があげつらわれることがあるが、中国語で発音すると音の響きがキレイ、詩の中で読み上げると美しい、というごくごく単純な理由がある。

 似たような理由で七とか八とか九とか十三とかの数字が技や一連の型の名前についていることがあり、どう考えても声に出すとかっこいいから、以外の理由が見つからないことがよくあるわけで、案外馬鹿にできないものである。

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