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技は隠されているか

 ユニークが2000を越えていたので書いてみた。

 以前に途中まで書いていたネタが5つぐらいあったが、途中で放り出したネタとか、改めて続きを書くのって面倒くさくないですか?(いいわけ)

 韓国武術ネタとか、なかなか愉快で一時期調べてたんだけど色々韓国がらみのニュースが続き、シャレで笑い飛ばせない状況に。

 うーん。

 空手や中国武術には一人で演じるためのに複数の技を繋いで構成した型・形・套路というものがある流派がある。

 無いところもあるが、その話はまた。


 が、何だか実際の使い方がよく分からない奇妙な動きをしていたり、面白くもクソもないごくごく単純な動きを行なっていたりする。

 今の日本は平和ないい時代だからか、見せないと生徒が来なくて金にならないからか、見せてもどうせ出来ないからいいと思っているからか。

 とにかく理由は色々あるだろうが、かつては表に出てこなかった具体的な技の使い方・かけ方の情報が、雑誌記事や映像やホームページ上で公開されることが多くなった。


 見たまんまという技ももちろんあるが、ちょっとそれは解釈が強引じゃないかとか、そんな手や足の動き入ってなかったやんというものや、実は実戦では足の移動が入るのでこの角度で使うとかいうが普段は練習してないのにいきなり本番でそんな事できるんかいな、というものが見られる。

 その説明は絶対おかしい、というものもある。

 こういう場合、秘密主義のために実際の技の使い方は固く隠されていたため、このような現象が起きるのだという話があるのだが、今回はこの話について書く。




 筆者が学んでいるものは型とか套路がほとんど重視されず、最初から攻撃側と防御側を決めて二人で練習する相対のものを中心としているのだが、はっきりした形の技を教示されることもある。

 先生が誰かに直接指導している中で、「○×拳に××××という技があるけど、この動作は本当はこうやるんだがね」とか「これは実際はこの部分で打つ」というような形で、「君、じゃあやってみて」と一回見せられただけでやらされ、出来たらそれからいくつか立て続けに応用を教わる場合もあるし、出来なくて「じゃあいいや」と言われてそれっきりな場合がある。

 いきなりパッと見せられてその場で出来なければ、基本的に二度と同じものは教えてもらえないので、稽古後は喫茶店なんかに仲間全員で集まってノートに必死に記録しあっているのだが、まあそれはいいとして。


 そういうような方針で教わって気づいたこととして、型や套路があるととても便利、ということがある。

 一部であれは踊りだの使えないだの、そういう批判もあるが(今はよく知らないが昔はあった)、技のカタログとしてとても都合がよろしい。

 十二式だとか三十二式だとか六路だとか、質はともかくとりあえず外形だけ覚えておけば、関連付けで技とその使い方を記憶できる。

 またそうやって違う方向から考えていくうち、ものすごい特殊な用法であるとか強引な解釈にみえる技の中に、とりあえず思いついたやり方があるが、独立した一個の技にするほどでもないので何か体の使い方やら姿勢やらにちょっと共通点のある技に強引に関連付けて残している、というようにしているものがあるようだ。


 また、それなりに長くやってくると、一人で練習している時に、最終的な技の形になる以前の掴むのだか打つのだか投げるのだか分からない動作のものは、いちいち最後までやると打つ動きと投げる動きを別々に分けて練習するのが大変面倒くさくて、そういう動きに応用できると「自分だけ分かってりゃいいか」という感じに最後を省略してしまう、という感覚が分かってくる。

 武術というのはごく近年になって集団体育の考え方が入ってくるまでは、一度に大人数を教えるという形にはなっていなくて、長らく一人の師に数人の生徒がそれぞれのペースで教わるという形で細々伝わったいたものが大半だ。

 同じ一門の中でも宗家や一族以外では、だれだれはこの型を知らないとか、この套路が伝わっていないというのはかなり普通にある。

 この辺は伝承ということと関連しているのだが、実際に戦ってどっちが上かという事とはまた別で、その流派の内容を全部知っている先生の息子さんが、昔からその先生に学んでいるが一部の技は教わっていない古い生徒に実力で圧倒的に劣る、ということは現代にもよくある事である。(そして宗家死後の後継者問題で揉めたりするわけだ)


 いや、また話がそれた。

 つまり多くの人に分かりやすく教えるというように整理されていない。 

 ごくごく内輪で伝えられていたので、基本的に教え方は親切とはとても言い難く、効率的でもない。

 日本の武術は江戸期に武士の教養の一部に入ったので武術を教えるだけで生活していける人間がいたが、特に中国の場合はごく一部のメジャーなものを除き、お金をすごく積むとか、物凄く熱意があるという人間がたまに寄ってくる以外、少人数で細々と伝えられたものがほとんどである。

 人間関係の密な状態で、その空気の中で徐々に伝わって身につくものなので、外からちょっとのぞいて見ても分かるようになっていない。


 大抵の場合、技は隠されているというロマンのある話はほとんどなくて、その流派門派の内部に入って経験を積んでいくと、その体系が抱えているコンセプトに従って全ての用法は構成されていて、隠されているように見えたけど実は隠されていない、という不思議な状態になる。

 積極的に「隠す」というより、わざわざ親切に全部を見せる必要もないのでやっていないという消極的な態度というか。

 もちろんびっくりするような用法はあるし、これを思いついた人間は天才だ、と思う技の使い方は存在するが、相手の全ての攻撃に同じ形で対処できるわけでない以上、ピンポイントで凄くはあるが、それだけを大事に抱えていてもあまり意味は無いし、そういう用法はスペシャルなもので他のほとんどの用法ではそんなものは無い。

 外から見ると(理解できないので)隠されているように見える、という話である。

 人前で見せる場合は、最後まで使い方を見せていない型や套路を演じれば済むので、自然と技術を流出しない形になる。



 

 もちろん、明らかに間違っているものが公開されている場合もある。


 理由はいくつかあるが、まず勝手に解釈して「こう使える」と書く場合。

 こういうことはよくある。

 だいたい一昔前の教え方でもまだ、勝手に分かれ・勝手に強くなれ・教えるものは教えたから後は自分でやれという傾向が残っていた。

 実際にはいくつかの技で何通りかの使い方を示した以上は全く伝えないということがあったので、十分強いと認められて独立が許された後も、よく分からない技がいくつも残っているということはあった。

 何しろ40個か50個の技があったとして、大勢の前で何度も公開試合をして敵に研究される危険もあまりない時代、ごくごくシンプルな得意技のいくつかがあれば間に合ってしまう。

 その得意技以外はあまり詳しくないのが大多数であった。

 ところが今はそんな時代ではないので、教室などで生徒に聞かれて、とりあえず適当に考えてその場で勝手に作ってしまったりするのだ。

 これは悪いかというとそうでもなくて、昔はそれで間違いを指摘されることもなく、なんとなく皆がそうなんだと納得して終わっていた。

 こいつが後に写真や記事で残ってしまって、後になってあいつ嘘を教えたとか言われるのはちょっとかわいそうかもしれない。 


 一応そういう知らなかったり不得意なものを教える場合の解決法として、同門の兄弟弟子であるとか自分の先生の関係者を探すと誰か一人は得意な奴がいるので、そういう人を呼んで指導してもらったりする。

 昔はせいぜい隣村や近くの町ぐらいに行けばそういる流派の身内がいたのだが、今は生活圏が広がってしまったので独立してしまうと、おいそれと呼べない距離に住んでいるということが起きている。


 次に、その人が先生に嘘を教えられている場合がある。

 一昔前に日本人の中国武術修行者に起きたパターンがこれで、嘘の技で金をぼったくられるケースがあった。

 今でも中国人が日本人に本当の武術を教えることなんか滅多にない、と固く信じている人が上の世代にいるが、そういう人たちはこれに散々引っかかっている。


 最後に、嘘と知っていて嘘の技の使い方を見せる場合がある。

 こういう秘密主義のものは今はあまり見かけないけれど、筆者が知り合った人で、「外部の者に見せる場合はここをこう変えて打つ」「用法は間違ってるものに差し替える」とはっきりと「嘘のための技」を伝えられている人がいた。

 これは日本人中国人に関係なく、身内以外は絶対に信用しないというものだ。

 もっとも今はそういう時代ではないのでそんな極端な秘密主義は取っていないとの事。

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