入れてはいけない
読んでいる人に共感してもらえる気が全くしない。
力が必要ない、という技術と力を入れてはならない、という技術のお話。
力が必要ない技術というが、正確には現状の筋力――普段使っている程度の力――でやっているというものが多く、厳密に言うと力が必要ないわけではない。
この辺の技術の特徴として、「知っているだけで使える」という点がある。
これを使っているのにこの技術の有利な理由を理解していない人間がかなり多数いて、現状は相当悲惨になっていると思う。
それは何かというと、つまり、教えなければずっと有利でいられるのに、苦労せずに手に入れたので自慢げに他人に解説してしまい、内容が流出してしまっていることである。
人間、苦労して会得したことは大事にするが、覚えてすぐ使える技術はホイホイ人に見せてしまうので秘匿性が薄れやすい。
この手の技術はど素人がど素人に使って効果が分かる、という条件が相当ゆるい技術であるのでかなり有用なはずなのだが、簡単にできて簡単に効果が分かることを、大したことのないものとみなしがちである。
しかし、実はそういう事こそ「秘伝」であったりする。
こんな簡単なことを隠して馬鹿じゃねえの、という人間がいるが、そういう人間は自分がその簡単な事に全く気付かず、さらには知らなければ一生知らなかったであろう事を考えるべきである。
もっともこういう人間は平気で秘伝などを話のネタに使うので、信用されない事が多い。
こういうある種の「秘伝」を本に書いたり人に教えたりして(それも値段もそんなに高くない本)いるのを読んだり聞いたりすることがあるが、内容が初歩のものや勘違いしたものが多く、多分その流派では初期段階で信用されずに適当な所で放り出されたのがひしひしと伝わり、痛々しい気分になることがある。
そういった簡単に出来て効果が得られるものが広まらないようにするための対策で、昔からよく使われているものとしては、かなりの高い金銭で教えるとか、修行が相当進んでから教える、というのがオーソドックスな所だろうか。
あれだけの金を払ったのだから、少なくとも同じぐらいの金を出さねえ奴に教えてなるものか、と思わせられれば流出はしないだろう。
もう一つの場合は、ここまで長くやってきてやっと教えてもらったものなので、少なくとも自分ぐらいは苦労した奴じゃないと教えられねえ、と思わせればいいわけである。
昔から技の内容が金次第、最後の奥義が高額だという批判を浴びている某流派があるが、筆者としては商売上のものもあればそういった流出の予防も面もあるのだから、ある程度責めても仕方がないことだよね、という気はする。
そう、この手の技術は武術という商売、売芸にも関連している…場合もある。
本来これらは何かと引き換えとされるものである。
現在、雑誌などのメディア出ている人はそんな事ないのでは? と思う人がいるかもしれないが、それらの人々は「有名になるため」「宣伝のため」それらの技術を公開する。
もう一つ、こちらはより厳密に力を入れてはいけない、という技術がある。
力を入れずに済むならなんと楽なことだろう、と思うかもしれないが、しばらくこの技術のものを修練していくと、だんだん、こんな事をしようという体系が正気と思えないものに感じられてくる。
人間は危機に直面したり緊張すると、筋肉が収縮する。
最終的には丸まるような姿勢、つまり内蔵などに衝撃が来ないようにかばう姿勢になるわけだが、護身術を中心に考える団体では、この自然に力が入ってしまう事を利用したフォームや対処が研究されている。
本能的な反応なので、それを利用して、一部をチョイと整えると立派な防御の構えになるというものだ。
大変自然な事である。
無理がない。
が、力を入れてはいけない系武術は、このような本能的な動作を完全に解体する。
そういう緊張・緊縮とかけ離れた所に真の力が現れる、と彼らは考えている。
脱力・リラックスによって得られる力。
リラックスすると対処できる、と教えている体系は数あれど、実際に対処できるようになると考えるのには相当な無理がある。
こういう事を教えている人間は、全く実戦というものに触れてこなかった幸せな凡人か、ヤバイぐらい完全にアッチ側に行った人間である。
よくよく考えて欲しい。
自分がぶっ殺されるか、相手をぶっ殺すかという状況で心身ともにリラックス出来る、出来ているのは正気であろうか?
道場の稽古などで鍛錬を続け、限定状況では出来るようになったので有効だと考えている人がいるが、というか結構な数いるが、それはあくまで経験したことのある状況まででしか試されていない、と冷静に考えることは必要だ。
ところが一方、表沙汰になってないだけで散々他人をそういう目に合わせてきた人間というものがあり、そういう人種でリラックスを唱えている、力を決して入れてはいけないという体系を組んでいる人間は、やばい。
「出来なかったら死ぬだけ」と言われたことがあるが、タカをくくっているとか、自分は大丈夫だと思っているとか、そういうものでは決してなく、いつだって一歩間違えたら自分が死んでたという事を踏まえた言葉で、独特の迫力があった。
「あ、これは俺には無理な世界だ」と筆者は早々に自分を見切り、一種の趣味でやる事を誓った。
自分が実際に実戦でどうとか、そういう幻想は以後やめようと考えたものである。
そんな人間がこれを書いてます。