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力を使わない武術(笑)

 突然だが、書こうと思っていた韓国武術ネタが、話の主軸となる韓国合気武術「ハプキド」で絶賛行き詰まり中。

 ちょっと調べなおしていて熱くなってくるので、クールダウンしたいところ。

 悪口を書いても仕方が無いので違う書き方をしたいのだが、なかなかうまくまとまらないものです。


 で、つい最近知人と話した一部「高度な技術(笑)」について書いてみる。

 脱力を利用した技術、力を使わないとされる技などは、インチキ、こけおどしとしての批判はここ10年ほど拡散していると思う。


 世の中には「力を使わない」といわれて紹介される技や技法がある。


 数年前に一部で「古武術ブーム」というようなものがあり、実際には古武術自体ではなく、研究家?紹介者?である甲野善紀氏の長年の「一般メディアへの働きかけ」が実を結んだ成果だと思われる。

 甲野氏に対して筆者自身は色々思うところがあるが、外部の武術ファン・マニアの興味を引く話の運び、それっぽい例えや運動モデルの提示、達人への憧れを上手くくすぐってくれる描写など、この人の文章は面白い。(本を何冊も出しているが、初期の頃のものは読み物としてしっかりしている)

 

 メディアが武術を取材する時、凄いですねー素晴らしいですねー神秘的ですねー面白かったですねー終了、で終わるが、甲野氏の場合は何かちょっと「実はこうなんだぜ」と観た(読んだ・聞いた)人が他の人に伝えたくなるような「おみやげ」があり、何か得をした気分になれたのが大きいと思う。

 この時、実技として示す技の数々が、力を使わずに素人でもその場で簡単にできる効果的なものが多かった。

 その説明も素人が納得できる(ような気がする)ものであった。

 これが後に、ふだん興味の無い人々を食いつかせるために効果的だとメディアの側も学習したせいか、色んなところで似たような事が行なわれることになる。


 テレビなどの露出はごく一部だったが、それを見た人々の中で「ひょっとして、こういう簡単で効果的なものがいっぱいあるのでは?」と気付いた者が相当数出たようで、この部分の技術だけを追求する人々が現れ、あまつさえネット上での公開を始める者も出てきた。

 パソコン通信時代の閉じた会議室からインターネット初期にかけて、つまり今から20~15年前ぐらいの期間だが、それぞれの時代で20歳代を中心に、ネットを通じての愛好者達の情報交換に新鮮な興味を感じた世代がやたらめったらネット上で自分達の試行錯誤やら、自分の所ではこうしているといった内部の事を話し始めていた。

 そういった情報の共有があったせいか、この手の技術の知識だけはかなり流出していると思う。


 ある程度以上の世代の人々が力を使わない技法なり脱力的な技法を取り上げる際は、かなり力を入れた練習をガンガンやってきて、もうこれ以上筋肉をつけるのも無理そうだし、これから歳をとって体力は落ちていくのだけれどどうなの? という危機感がまずあって、そこから追求を始めるような気がしている。

 目標とする達人老人師匠みたいな人がいたとしても、実際には自分より年上で修行年数もあるけれど自分と大してレベルが変わらないか、はっきりと自分より落ちる先輩がいた場合、自分がこれ以上実力をつけられるのか、それとも衰えていくのかという切実な感情は自然と出てくるものと思われる。

 筆者もそうなのだが、ある時から筋肉痛が一日遅れて出るというような症状や、それがなかなか抜けなくなるという衰えを自覚するようになる。

 男はいくつになっても心はガキのまま、なんていう詩的なフレーズがあるが、精神的な「老い」というのはなかなか自覚できないのだが、肉体的な老いはかなりはっきり分かる。

 筆者はずっと痩せ型でどんなに食っても太らない体質だったのだが、30代後半に入って突然ウエストに脂肪がつくようになって、本当にびっくりした。

 またこの脂肪が、体重を減らして筋肉量を増やしてもなかなか減らないのよ。


 途中から個人的な話になってしまったが、技術の方に話を戻すと。


 そういった時代の一時期から出てきたものは情報が先行したためか、最初から力が要らない、最初から脱力による技術を志向する人が多くなる原因となったと思う。

 若い頃にさんざん体を鍛え「力」を求めていた人々が、その力とは別の次元の力にシフトしていくというのが旧来のパターンであるとすると、新しい世代は最初から後になって得られる力の獲得を目指す、というものである。

 これが昔の武術マニアとは違った知識先行の武術オタクを生み出した面はあったのじゃなかろうか。


 もちろん、ヘタレであった筆者は当然そういった武術オタクに属する。


 筆者のようなヘタレの思い込みの一つとして、力を使わない入れない武術は、きっと修行が楽であろう、体力が無くてもついていけるだろうというものがあった。

 ところが、そんな上手い話はそうそうない。

 その誤解はとある練習時に二人一組となって互いに脱力した腕を全力で振り回し、前腕をぶつけ合うという鍛錬で木っ端微塵にされたのである。

 あまりの痛みに「ギャーッ!」という悲鳴が響き渡る。

 途中からは腕の感覚が無くなって、死んだ魚のような目になって互いの前腕をぶつけあう姿になっていく。

 そうすると、練習会場を見回っている先生が「痛いのはまだ力が入ってるから! 入ってないと痛くない!」と脱力した自分の腕を打ち込んでくるのだが、これがまた骨の芯に突き通るような衝撃で、新たな悲鳴が発生するのだ。


 数時間後、練習会場の近くの電車の駅に、前腕が青紫色に内出血で変色したうつろな目の集団(筆者含む)が出現することになるのだが、このように脱力を利用する技法は「それ以上力をつけなくていい」というような現状維持ではない。


 もっと積極的に、現在持っている力すらもどんどん抜いていくことが求められる。

 しかもここまでなら自分の意志で力を抜ける、という限界を強制的にとっぱらうため、一時的にかなり無茶なことが必要になる。

 小さい頃から学んでいる場合はもっと段階を踏んでいくし、一方では正常な身体体力の成長育成も求められるので、このような荒療治は必要ないらしい。

 が、なにしろ筆者は途中からの編入組でそちらのカリキュラムは体験していないのでよくは知らない。

 十代後半以降、成長が止まってある程度出来上がってしまった肉体を躾ける場合、元からの体の癖が根深いので、一度ぶっ壊さないと進んでいくのが大変なのだ。


 こういった限界突破させる質の脱力感覚の面白い所は、一度限界を体験するとしばらくインターバルを置いても体が覚えている事である。

 しばらく脱力の鍛錬をしていない時期があっても、次に感覚を取り戻す時はかなり期間が短縮される。 



 脱力を利用する具体的な技術については詳細を書く気は全く無いが、次にこの力が抜けた状態で体を動かすにはどうするか、という段階に進んでいく。

 普通に考えたら当たり前だと思うが、真に全身の力を抜けば、当然人間は地面に倒れてクラゲみたいにぐにゃぐにゃのたくってる状態になってしまう。

 で、あるからには、脱力のアドバンテージを維持したまま動くために、脱力している部分とそうでない部分をちょうどいい状態で保ったまま動くという、相応の体の使い方をしなければならなくなる。

 肉体労働といった一般的な意味の「力仕事」をしていると、この脱力状態を維持するのが大変で、なにやら昔から「力を使わない高度な武術」(ということになっている武術)を身に着けた人物で達人と呼ばれる人々の一部に学者や富豪がいたりするのはそういった理由による。


 現状持っている力も抜くためには、まずそれが「力」だと意識できなければならないわけで、別の方法論としては一度MAXまで力を入れることを学んで、そこから力を捨てていくという方法論もある。(こっちの方がスタンダードかもしれない)


 もう一つ、気が遠くなる時間繰り返し同じ動作を行なうものがある。

 そちらは型(形)だけのお飾り武術・踊りと無用にけなされている場合があるが、そういう所の話を聞くと一日6時間から8時間の繰り返しを最低1ヶ月以上、という普通の人間がついていける範疇を超えるのでこっちはこっちでかなり大変なんだそうな。

 現代の日本で社会生活している人間には不可能に近い。

 2、3日では意味が無く、短期で効果が得るためのプログラムが「百日功夫」と言われるように、それはだいたい3ヶ月ぐらい継続すると質が変化すると考えられている。


無責任にも次回に続きます。

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