花売り娘は狂人と言われた冷血氷帝に優しく飼われる〜コーネリアが咲く頃に
思いのまま書いたご都合主義なところや、矛盾点が多くありますが、あまり気にせず軽い読み物として読んでください。
──「最低!」
もう何なのよ、あの男!
顔が良いだけの最低男。頭がおかしいわ!
やっぱり噂通りの狂人だわ!
女は顔を真っ赤にして出て行った。
真っ青な空が遙か広がり、庭の緑を舞う水粒が、温かな日差しを受けキラキラと輝いていた。
今日の始まりを期待するような、とても爽やかな朝を迎えていた。
そんな温かで平和な外とは真逆のある部屋の一室。
大理石が怪しく光る冷たい部屋の中、今日もけたたましい声を上げて去って行く女性の姿があった。
時はほんの少し前に遡る──
──「邪魔」
ベッドしかない広い冷え切った部屋の中、低い声が響く。
「邪魔って、私は貴方の婚約者としてわざわざ!」
女は顔を真っ赤にして小刻みに震えながら目の前の男を睨んだ。
「それに……何ですの? この下品な売女は?」
おいおい、売女って失敬なお嬢さんだねぇ。まあ近いっちゃ近いか? 本番無しで添い寝するだけで金貰ってるんだし。
「ユーリ、お邪魔そうなんで帰るわ」
薄い下着だけをまとい豊満な肢体を揺らしながら、女は今後の展開を予想しベッドから立ち上る。
「ぁあ? 何なら二人一緒に相手してやっても良いぞ? 手間が省ける。あ、自分で動けよ? この後デートなんで疲れるから。ほらさっさと脱げよ」
気怠そうにその長い髪を掻きあげながら卑猥な目で、女の顔から下だけの上半身を蔑むように視た。
シャツから見え隠れする彫刻のような上半身には、複数、薄紅の薔薇の蕾が押されていた。
「最低!!」
女は、けたたましい声を上げて部屋を出て行った。
「ユーリ……流石にアレは? 生娘だよ?」
私は、あの娘が可哀想で言ったんじゃない。この目の前の淋しそうな目をしている男が心配でつい言ってしまった。
「あ? 何か言ったか? 帰れ!」
──チャリン
高級娼婦が一晩で稼ぎ出すより多い金が、冷たい大理石の床に投げ捨てられるように置かれた。
あの子の凍ってしまった心を溶かす女性は、現れないのかしらねぇ……
金貨を無言で女は拾って、静かに部屋を後にした。
「面倒くさい。女なんかどれも同じだろ。この面倒な物をただ沈めるだけで」
それはもう何度目の出来事だろう?
城の下働きの者達も、もう気にすることもなく普段と変わらず忙しく動いていた中で、一人だけ肩をガックリさせていたシルバーグレーの髪を綺麗に整えた男の姿があった。
「坊ちゃん! これで何度目で御座いますか! アーデルハイド嬢は、クライネ・ブルタニア・フレーメンド公国の第六公女なのですよ?」
自分に背を向けてズンズン足早に去って行く長身の男を小走りに追いかける。
「あ? 何処だそれ?」
長身の男は少しだけ驚いた顔をして、自分を追いかけた男に振り向いた。
「え? 爺は何度も申したではありませぬか! 絵図もちゃんと! 今回こそは坊ちゃんも気に入って頂ける御方ですと。しかも向こうからわざわざ、氷帝、あ、いや……坊ちゃんのところへと」
「あ? 絵図? 見てないし。そんなことより朝から煩いわ。寿命が縮むぞ爺? 長生きしろよ? じゃあな。カール行くぞ!」
朝からよく噛まずに言えるな? 尊敬するわ。それより国名改名しろよ。
サラサラの少し紫がかった長い髪を靡かせ颯爽とエントランスに向かって行った。
「はぁ……今度こそはと思ったのに。いつになったら坊ちゃんのお相手が見つかるのやら。これでは亡くなったお父上になんと私は謝れば良いのか」
──坊っちゃんが全てを捨てた五年前のあの夜……
閉ざされた部屋の前でシルバーグレーの髪の男は座り込んでいた。
「よぉ。ユーリ、これで何度目だ? 今度のは中々の美人だって聞いたが?」
金髪碧眼の男が朝から馴れ馴れしく聞いてきた。
「顔見てないから知らん」
「え? お前見てもないのか? クライネ・ブルタニア・フレーメンド公国の公女だろ?」
お前ら天才か? 尊敬するわ。
「そんなに興味があるなら、カールお前が嫁に貰ったらどうだ? 腐っても大公だろう? 何ならお前が皇帝やるか?」
このカールと呼ばれた男、彼は「氷帝」と言われる男の四つ年上で、彼の腹違いの兄になる。
「冗談、俺には向いてねぇよ。無理無理」
金髪碧眼のイケメン男は手を顔の前で大きく振りながら笑った。
「俺が向いていると思うか?」
「少なくともクソ親父よりはな」
「……すまない」
──お前ほど皇帝に向いている男はいねぇよ。
周りは皆、その噂だけで冷血漢やら氷帝とか揶揄するが、クソ親父が残したこの国を、お前がどれだけ立て直すのに必死でこの五年間やってきたかは俺達臣下は全員知っているさ。
「気にしてねぇよ。お前がいなければこの国は東公国に今頃取られてたよ。あの馬鹿のせいでな。俺は一生お前の下で仕えるって約束したろ? あの時の恩は絶対忘れない。ユリウス・コーネリア皇帝陛下」
「フルネームで呼ぶな……」
「ん? フルネームではないだろ? ユリウス・コーネリア・ハインツ帝国皇帝って呼んだほうが良かったのか?」
「暑そうだな? 氷を所望するか? カール・ハインツ大公殿下よ?」
彼の綺麗な紫の目が鋭く光る。
「ちょ、待て待て待て。止め止め、悪かったって。そろそろ行くぞ?」
そこまでコーネリアの名前を嫌うか?
◇
──街は騒然としていた。
突然現れた彫刻のように整った顔で黒紫色の長髪の男と、金髪で柔らかな巻毛の優しそうな男に。
街の皆は驚きと、それ以上に恐れをなし皆が目を合わせないよう伏せたまま震えていた。
道を行き交う者は、まるで潮が引いた海の如く端に逃げ、普段は賑わう昼時の街は異様な空気に包まれていた。
「なぁ、お前さぁ、少しは変装するとか無いのか? 歩き難くて仕様がないのだが?」
カールが苦笑いしながら異母兄弟の男に言う。
「皆が道を開けるから便利だろ」
悪びれもせず真顔で言う弟に、こいつに言った自分が間違えだと思い反省した。
「そもそもさぁ、何でわざわざ馬具を見に街まで行くんだよ? 城に呼べば良いだろ?」
「あ? お前何言ってるんだ馬鹿か? 馬に自分の命を預けるんだぞ? 戦場で戦うにしても、その馬の馬具を自分の目で一番合うのを探すのが当たり前だろ?」
至極全うなことを真面目な顔で語るユーリの目には一切の迷いや曇りはなく、ましてや俺を鋭く睨んだ。
ただ既に諸外国とはあの戦以来、停戦の和平協定が結ばれている。
それでも尚、わざわざ皇帝自ら街の馬具屋に向かう、この真面目な年下の男に俺は改めて尊敬を覚えた。
大国から突然火矢が打ち込まれた時、若干十四歳の餓鬼が一人で城から母を連れ出してくれ、そのまま報復に行き全土を震え上がらしたあの日以来、俺はこの男の虜になってしまったのかもしれない。
◇
「無事、良いのがあって良かったな? ユーリ。俺のまで買って貰って悪かったな?」
「お前がいい加減すぎだからだ。馬具屋任せにする癖やめろよ」
──「いらっしゃいませ~~如何ですか~?」
「ちょ、マリアちゃん……今日は駄目だって、ほ、ほら……」
少しばかりふくよかな女性は、隣で大きな声で客引きする、笑顔が可愛いこの辺りでは人気者の娘を心配し制した。
「え? だって、これが売れないと今日の晩御飯のお金が無いんだもん。リリーさん」
そう言って彼女はその愛らしい頬を膨らます。だが、今日だけは駄目だ。絶対駄目だ。下手したら殺されちまう。
「マリアちゃん、今日だけは駄目だって!!」
リリーは止めたい一心で思わず大声を出してしまった。
「ハッ!」
その瞬間だった。
背筋が凍るような視線を感じた。
リリーは震えながら深く頭を下げた。
──それと時同じくして。
紫の髪を靡かせながら氷帝と皆に恐れられる男が、いきなり彼女らが店を構えていた露店へ一直線に歩き出した。
「ちょ、おい! ユーリ! あ、ユリウス! 止めろ! 相手は女で、ただの商人だぞ!!」
あまりの突然の行動に驚き、思わず普段の呼び名で呼んでしまう。
「わたあめ」
「は??」
一言だけ呟いて彼はどんどん歩く。
「待て待ておい! 止めろって!!」
リリーは打ち首か、奴隷とされるか自分のこれからの未来を震えながら覚悟していた。
柔らかな亜麻色の髪がふわふわと風に揺れていた。丸顔で白い頬は少し薄紅色に染まっていて何とも愛らしい童女のような雰囲気を持つ女性が目の前で、花を並べていた。
あ! そういうことか!
カールはやっと今、その言葉の意味が分かって納得した。
「いらっしゃいませ? お客様?」
こともあろうか目の前の「わたあめ」あ、いや女性が恐れることもなく、普通にユーリに話し掛けてきた。しかもお客様と。
この娘知らないのか? あのユリウス・コーネリアを。
「何でも良い。適当にこれで」
無表情で短く言い、金貨を一枚出した。
その様子に驚いたのは俺だけではなく、彼女も驚いた様子で少し戸惑っている。
ユリウス君、君は馬鹿なのかい? 金貨一枚あれば、この露店ごと買えるわ!
「あのぅ、お客様。もう少し小さなお金をお持ちではないでしょうか? お釣りがこれでは……用意が無いんです」
娘は申し訳なさそうにユーリに言う。
いやいや、そっち? じゃなくてさぁ。君分かってる? 目の前の男のこと。隣の御婦人泣きそうですが?
「ならば、ここの花全てならそれで足りるのか?」
「え?」
「はあ?」
いや、金貨一枚でも十分お釣りが出るでしょうけれど要らんでしょう? 君? 花に興味あるのか?
「カール、後で運ばせとけ」
それだけ言って、その長い髪を翻すように背を向け、何も無かったかのように歩いて行く。
俺は訳が分からず、とりあえずマリアと言った娘に、後で連れに取りにこさせるから。と、だけ言い奴を急いで追った。
「なぁ? お前、花なんか好きだったか? どうするんだよ? あんなに」
「お前の沢山いる彼女にやって良いぞ」
「沢山って……俺は自由恋愛主義者なだけで、クソ親父みたいに見境なくではないぞ? ちゃんと相手の同意済だし。結婚はしないってことも」
「お前の恋愛感に興味はない。好きにしろ」
「ん? お前だって人のこと言えないだろ?」
俺は此奴がたまに遊女を城に呼んでいることを知っていた。
「あ? だから勝手にしろと言ったろ? それに俺のはお前と違ってただの性欲処理班に過ぎんわ」
こらこら顔色変えずに言うなよハインツ帝国皇帝が。
ちゃんと愛せる女をそろそろ見つけろよ……
◇
「坊ちゃん。流石にこれ以上増えるのは……他の者も皆、自分の仕事が手一杯で」
爺こと、総監督役である執事のセレウスが、大きなバケツに無造作に突っ込まれた大量の花を見ながら困り顔をした。
この城には下働きの侍従は多くいる。だが、残念なことにその殆どが男性と、先代の時からいる年配の女性ばかりだ。
その理由は……言わずもがな。
「氷帝」の城と皆から恐れられているこの城に、若い女性が職を希望するはずはなかった。
「あ、ならば買い取れば良いのか」
ユリウスはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
その瞬間、その一帯の温度が一気に下がった。
◇
──次の日の昼下がり。
「おい、女。話がある」
女って……間違えではないけれど。
「何でしょうか? お客様」
私は少しムッとしたが、彼はあれ以来毎日花を買いに来てくれる上客だった為、飯の種と思って愛想笑いを浮かべた。
「この店いくらだ?」
いきなり何を言うの? いくら金持ちのお坊ちゃんにしても失礼じゃない? それ。
「どう言う意味でしょうか?」
私はムカついたけれど、一応まだお客である以上は冷静に言う。
「いくら払えば売る? と聞いている。それとも頭が悪いのか?」
ブチッ。
頭の中で何かが切れる音がした。
「いきなり何ですか? 失礼でしょう! 貧乏ですがこの店は売りません! だからどうぞお帰り下さい」
ああ、スッキリした!
何なのよこの男! ちょっと顔が良い、あ、いや? かなり良いとは言え、この失礼な態度! 何様よ! どうせ何処かで甘やかされて育った坊ちゃんでしょうけどね。
俺は少し驚いた。今までこんなに自分にポンポン言ってきた奴は初めてだったからだ。
物心ついた頃から両親は互いに俺には興味が無いにも関わらず、次期皇帝としての役割だけを押し付けられて育った。
当然次期皇帝に文句を言う奴など、この国には一人も、あ、いや一人、煩いじじぃを除いては、いなかった。
「面白い。ならばうちで花師として働くというのはどうだ? 住み込みにはなるがな?」
どうせ元々この店ごと買取り家に連れて帰る予定だったから同じことだ。
「花師? それって具体的には何をするのですか?」
「花を生けたり手入れしたり。室内の花の管理をお前に任せたい」
金持ちって凄い!
花を生けて手入れするだけが仕事としてあるの?
「ちゃんと給金は出す。今の売上よりは多いとは思うがな」
「それって家賃とか食事代とかは引かれるんですよねえ?」
「家賃? 空いている部屋で良いなら勝手に使えば良い。食事代までは取らない。その代わりちゃんと俺の指示に従って働くならだけどな?」
え? 家賃タダなんですか? しかも食費も?
「お願いします!!」
私はまるで神の降臨かと思って即答した。
明日から御飯の心配をしなくて良いだなんて! こんな幸せなことはない。この人の言うことさえ聞いていれば、御飯が食べられるだなんて!!
「では、荷物を持って明日ここで待っているが良い。家の者を迎えに来させる」
彼は少し笑って、いつものように颯爽と去って行った。
何だ笑えるんじゃない。いつもぶっきらぼうだから笑わない人かと思ったわ。
でも淋しそうに感じた……
◇
──目の前に広がる幾重にも繋がる石造りの城壁。大きな門の上には風に棚引く青い旗。
嘘でしょ……
これってハインツ帝国の国旗よねぇ……
もしかしてあの人って皇子様だとか?
私は、昨日彼に自分が言った言葉を思い出した。
額から自然と冷や汗が流れた。
私殺される?
「失礼でしょう」「帰れって」言ったような、言わなかったような?
やっと建物らしき物が見えたと思ったら、何故かまだ先に向い、漸く馬車が停まった。
いやいや、先に言ってくれませんかねえ? 心の準備ってものが此方も。
ズーーーーーーン。と言う音が聞こえて来そうなぐらい、そびえ立つ建物に私は目が眩みそうになる。
──「いらっしゃいませ。マリア嬢。私はこの城の執事をしておりますセレウスで御座います。何か分からないことが御座いましたら、何でも気軽に私にお聞き下さいね」
セレウスと名乗った紳士が笑顔で迎えてくれた。
うん。良い人そうでよかった。
しかし何だろうこの城……
この異様なまでの静けさ? と言うか冷たさ。何で全てが石造りなんだろう? 全く温もりを全く感じない空間。
──って何、此処!
セレウスさんに私の部屋となる所へ案内された。
が! 何ですか? これ。どういう趣味ですか? 窓は無いし壁は石だし! 監獄ですか?
私はセレウスさんを見る。
彼は無言で少し照れながら、その綺麗に整えられた髪の後頭部を掻く。
「えっと。これは……? 私って何か悪いことでもしましたか?」
「あ、いえいえ! 違います!! マリア嬢は何処も、いえ何一つ問題はありません」
ん? 今ちょっと?「は」を強調しました?
「爺、もう良いぞ。あとは俺が案内する」
「坊ちゃん!」
坊ちゃんって。やっぱり皇子だったのかしら?
「今日からお世話になります。マリアです。よろしくお願いします」
一応は雇い主なので、私は深々と頭を下げた。
「あ、そういうの必要ないから。付いて来い」
ちょ、はあ? そういうのって。
人が挨拶しているのにその態度って、どういう親に育てられたのやら……
お坊ちゃんってみんなこんな感じなのかしら? って。はや!
ろくに挨拶もさせてもらえず、彼は足早に必要最低限の説明だけをした。
「ここの部屋だけは絶対入るな! 以上! あ、間違えて入ったら殺す」
は? 案内って? それだけですか? 今、最後に凄い言葉混ざってませんでした? 気のせいでしょうか?
「あ、あのぅ。ところで何って呼んだら?」
まさかとは思うが、私も坊ちゃんて呼ぶのかしら?
「ユーリ」
短か!
「……ユーリさんね」
私がそう言うと、無言でいきなりその長い髪を掻きあげ、鋭い視線で見る。
「ユーリ」
「……」
怖! 殺されるかと思った……
「お前飯作れるか?」
「え?」
いきなりですか? 一応はなんとか?
「何でもいいや腹減った。何か作って持って来い」
え?? 私、花師では?
「あ? 何か文句あるのか?」
こ、怖い睨まれた。無理かも……
部屋付き食事付き。ちょっと、いやかなり惹かれるけれど……この人の圧。
私は不安になり、後退りする。
その時だった。
──ドン
イタッ!
ちょ、ち、近い……顔近い! 睫毛長!
彼の高い鼻が私の顔にあたるんじゃないか? と思うぐらいの至近距離で彼が私の髪に触れる。
「俺から逃げられると思うなよ?」
低く冷たい声で、耳に唇が触れそうな距離から呟かれる。
「は、離して」
私の手首を掴んだその手に一層力が入る。
「いいねぇ。その怯えた目。ゾクゾクするよ」
そう放った彼の目は、小動物をいたぶって愉しんでいるような目。
愉しそうに笑ってはいるが、目は一切笑ってはなく、冷たい深海のような暗くて無音の虚無な顔。
狂ってる……
でもこういう時は無駄に声を上げたり、怖がると余計に相手を増長させるだけ。事が終わるまでの辛抱……
タダで御飯を食べさせてくれるって聞いてホイホイ付いて来た私が悪かった。
言葉は少なく、無愛想だったけれど毎日花を買いに来てくれて、良い人そうだと勝手に私が思い込んでいただけ。
「離して下さい! どうせ貴方が金で買ったんだから、好きにしたらいいわ。でも心までは持っていかせない!」
「ふーーん。そのわりには震えているようだが? 心配するな。餓鬼の身体になんか興味ねぇよ。外で飯食って来る。帰りは遅くなるから寝てろ」
無表情のまま吐き捨て、足早に彼は去っていった。
足の震えが止まらない。
そのまま私は冷たい床にしゃがみ込んでしまう。
「優しそうな人? とんでもないわ……」
私は自分の手首に視線を移す。
彼が強く掴んだ痕がくっきり残っていた。
◇
「マリア、茶持って来い」
「マリア、肩揉め」
「マリア、窓開けろ」
ちょっと!! 何なんですか!
窓ぐらい自分で開けてください……
「えっと……ユーリさ、」
彼が睨む。
そう、あれからと言うもの彼はまるで私を召使か奴隷の如く、用事を言いつける。とは言え、お茶を持って来いとか簡単なことではあるのだが。
「腹へった。飯」
「いや、専属の料理人が……いらっしゃるかと……」
「あ? そんなに俺に作りたくないのか?」
「作りたくないって訳ではないですが……」
私は何となく? 否と答えなかった。
自分でもよくわからないが。
「なら作れ」
低く短く、そして冷たい声が高いところから落ちて来た。
目線を私に一切合わせることすらなく。
「返事は?」
短く言った彼が私の顔をじっと見つめる。
その吸い込まれそうな綺麗な瞳で……
否と言う選択肢を与えない空間に、私は坑がうことが出来なかった。
「はい……」
「いい子だ」
彼は静かに笑った。
彼が見せた先日の目に少し似ていたが、でもあの時ほどの嫌悪感や恐怖感を感じなかったのは?
それからも彼の要求は止むことはなかった。
◇
「着替える」
「なら、後で来ますね?」
答えたと同時にいきなり彼がシャツを脱ぎはじめた。
ちょ、脱ぐな! ここで!!
「ちょっと、ここで……」
「何が?」
「い、いえ何でも」
私は思わず目を逸らす。
「言え」
しまった。この感じは……
どう考えても寝た子を起こしてしまった感が。
「えっと、一応ですね。私も女性でありましてですね……」
何言ってるんだろ。私。
「あ? 何だそれ?」
「え?」
この人もしかして天然?
今のその顔はどう理解したら良いのでしょうか?
彼は普通に驚いた顔をした。
この人、自分の容姿というか……その無駄に溢れる色気って言うのでしょうか……
はっ! 何言ってるの私。
彫刻のような均整とれた上身に残る薄赤い痕に、直視出来ず俯いた。
「ああーーそういうことね。それなら貸すが? その代わりちゃんと俺を満足させる自信があるんだろうなぁ?」
私の目を一切見ることなく愉しそう笑った。
その笑いはとても不快に感じる、いや私を嘲笑うかの如く美しい氷の彫刻だった。
「ああ、初めてか? 優しくして欲しいのか? それとも激しくして欲しい?」
薄ら笑いを浮かべながら、長い髪を気怠そうに掻きあげ、長く靭やかな足を、私の膝の間に割って入れる。
首に手を回され、妖しく甘い声で囁いた。彼の熱い吐息と、甘いムスクの薫りで酔いそうになる。
「時間ないから此処で良いよなあ? で、どっちが好みだ?」
艶やかな唇が首筋に下りてきて、そのまま覆われそうになった瞬間──
──パチン!
「馬鹿にしないで!」
私は思わず、その美しい氷像に手をあげていた。
そして堪らず部屋を走って出てしまう。
「あの女……ハハハッ。ハハハッハハハッハハハッ」
きっと彼が心から笑った初めての日であった。
◇
あれ以来彼は、あまり私にそういうことをしなくなった。
それに前より少し優しくなったような?
最近は、ご飯を持って行くと「座れ」と言われ、結局はこうして一緒に食べるようになっていた。
「ユーリ、何でいつもお野菜残しているの? ちゃんと食べて下さい」
「草嫌い」
「草って言わない!」
「ならお前にやるよ」
「駄目です。はい食べて下さいな?」
ワナワナワナ……
何だ? 目の前のこの光景は幻か?
あの泣く子も黙る諸国を震撼させた男が、少女の様な女と、しかも楽しそうに飯を食っている?
あ! これは何かの儀式か? 悪魔のミサとか言う類のか? それとも、とうとう頭がおかしくなったのか?
幼女趣味にはしるとか?
それはそれで……でもあいつの趣味って幅広すぎんか?
確か一回り近く上のパトロンいた時期あったよなあ?
「おい! 何しに! あ、いや。何か御用ですか? カール・ハインツ皇帝?」
「は? お前何言っているんだ? 皇帝はおまっ 寒! 止めろ!!」
紫の目が光った瞬間、一気に温度が低くなる。
俺は直ぐ様、彼女の方に視線を移す。
「失礼、食事中でしたか? 急ぎの用向きです。ユーリ大公殿下」
おいおい言っていないのか? と呆れて見るが、無言の圧が返る。
「マリア、先に食べとけ。良いな?」
朝の日差しを受け、その紫の瞳が綺麗に煌めいていた。
「はぁい。行ってらっしゃいユーリ」
何なんだ……このゆるーい雰囲気は? 寒! ってそんなことを言いに来たのではなかった。
◇
「で、ユーリ大公殿下? っていつまで俺は呼ばされるんだ?」
「……」
珍しくばつが悪そうに奴が下を向く。
常に前だけを見て、切ればその血が噴き出しそうなぐらい激しく突っ走って来た男がだ。
俺は一瞬腰が抜けそうなぐらい驚いたが、可愛い弟の初恋? を揶揄うのも可哀相に思えるぐらい目の前の紫の悪魔、氷帝と言われた男が、今は恥ずかしそうに少し頬を染めて伏し目がちで立っている。
何とも可愛いではないか。
「お前さぁ、いつまでもは誤魔化せんぞ? いくらなんでも。それに城内にいれば、直ぐ分かることだろ?」
「裏門の母屋側しか見せてない」
先程まで恥ずかしそうに俯いていた男が、普段の顔に一瞬にして戻った。
「にしても時間の問題だろ? あ、そんなことを言いに来たんじゃなかったわ! 忘れてたわ! 大事な用。これを」
俺は弟に茶封筒を渡す。
「ん? 何だ?」
手に取り中の紙に視線を向け、一瞬少し不快な表情を見せただけで、直ぐに紙を封筒に戻した。
「知っていたのか?」
目の前の男は無言だ。
「ああ? 爺さんか。流石元ハインツ帝国諜報部のトップだな」
だが問題はそこではない。
「だから言ってないのか? あれは仕方ないだろ? あのままだと、うちの民が同じ目にあっていたのだし。お前がやらなくても俺も同じことをしていただろうし、寧ろ本来はお前が出るより俺が出なければいけない話だったんだから……」
「いずれちゃんと話すつもりだ」
「ところでその様子だと、まだ食ってないのか?」
「ゴホッ。お、お前のような獣と一緒にするな!」
獣って……君にだけは言われたくはないが。
十四の餓鬼が、金の為にどれだけその心を売ってきたか。
全ては国を立て直す為とは言え……
いくら止めるように言っても聞かなかった。
まるで自分のしたことを、自ら罰するかのように、心を閉ざし狂気に堕ちて行った。
そんなお前が? 嘘だろ?
まさか一緒に住んでいて未だ手も出さずか?
遊びと思っていたから放置していたのに。
そのうち直ぐまた飽きると思って。
俺は目眩がしそうになった。
そりゃぁちゃんと愛せる人を見つけて欲しいとは思うが、相手が悪すぎる……
「おいおい、まさか本気で?」
目の前の男は俺の質問に答えることは無かったが、その目は決して笑ってはいない。
おいおい嘘だろ……
相手はお前が皆殺しにしたあの国の公女だぞ?
しかもショックでか? それ以前の記憶がないと。
でもよく生き残っていたなぁ。あの時、豚の縁者は全て消したと思ったがなぁ。
「何か問題でも?」
おい。その目はどういう意味だ?
問題でも? 大ありだろ!
自分の母親を処刑した男だぞ? そんな男を……
目の前の恐ろしいぐらい綺麗に整った顔の男は、俺から目を逸らすどころか、射るような鋭い目で俺を見る。
分かったよ。
借りは返すぜ。弟よ。
「俺の負けだ。ユーリ。出来る限りの協力は惜しまないが、いつまでもは隠せんぞ? 知っているのはセレウスだけか?」
「いや、こっちで働いている奴は俺が大公ってことは全員通達済みだ。ただ公女だったってことは爺だけだ」
何とも手際の良いことで……
「まぁ残党が残っているかもだし、あっちを追い出されて流れて来た兵崩共もいるだろうからな、用心はしろよ?」
「ああ、それはセレウスにもちゃんと言ってある」
まぁ花売りしてたぐらいだ。俺らの網にも当時引っかからなかったしなぁ?
心配はないだろうけどな。
俺は、わたあめのような愛らしい娘が、記憶を戻さないように神に願った。
何があっても、お前とあの娘は今度こそ俺が絶対守ってみせる。
親殺し? あの時、見捨てたのは俺だ。
セレウスや城内の者を頼むと言われ、酒に酔って女と寝ているクソ親父を置いて来た。
殺したのはお前じゃないよ。
だから、もう自分を責めるな。
もう一人で全てを背負うな。
幸せになって良いんだ。お前は。
金髪巻毛のイケメン男は、いつになく嬉しそうに笑って城を後にした。
◇
「マリア、今日は少し帰りが遅くなるから飯は作らなくて良いぞ」
「わかりました」
「じゃぁな」
最近、少しだけ変わったことがある。
あんなに冷たく強引だった人が、少しづつ話しをしてくれるようになった。
言葉は相変わらず少な目だが、前ほど彼が怖いとか? そういう気持ちは無くなっていた。
寧ろ……
無意識のうちにムスクの薫りを何処かで捜している自分を消し去ることで、彼の前で笑顔を保つことが何とか出来ていた。
ん? 何やらドアの外が騒がしいような?
私はゆっくりと開けてみた。
「何をしているのですか?」
「あらマリアさん? 飾り付けですよ。一緒にやりますか?」
最近は侍従の方達とも、こうして話せるようになって私は嬉しかった。
「飾り付け? 何のですか?」
楽しそうにしている年配の女性らに、気になったので聞いてみる。
「え? マリアさん知らないの?」
侍従の一人が驚いた顔をした。
「明日は、坊ちゃんの誕生日ですよ? 聞いてなかったんですか?」
「え? 本当に? 全く知らなかったわ! ありがとうございます。教えて頂いて!」
私は急いで自分の部屋に走った。
「ちょ、ちょっとマリアちゃん? ねぇ? ちょっとーー」
「どうしよう……誕生日なんて聞いてなかったわ……」
私は焦る気持ちと、何かしないと。と思う気持ちで浮き足立っていた。
お花!
私に出来る事と言ったらそれぐらいしか。
そうと決まれば急がないと!
あ! でもユーリから勝手に城から出たら駄目って言われていたのだが……
いつまでも私を子供扱いして。
きっと迷子になると思っているんだわ!
私にだってやれば出来るところ見せてやらないと。
◇
「ハァハァハァ……久々に走ったから疲れたわ。でも何とか無事に抜け出すことが出来たわね」
私は久しぶりに来た街をキョロキョロ見渡した。
「あれ? ここ何処?」
前はこの辺りが確かパン屋さんだったような? そしてその隣にいつもお世話になっていた花を扱う店が?
「はて?」
辺りを歩き周る。
「……また同じところに戻ってきちゃったみたい」
え? もしかしてこれって……
迷子?
辺りを見渡すと、既に薄暗くなっていたことに気づく。
「どうしよぅ……一応、書置きだけは残してはきたのだけれど」
私は凄く不安になった。
何だろう? この寂しさは。
一人になることなんて慣れっこなはずなのに。
──そんな時だった。
「よう? 姉ちゃん。こんなところで何してるんだい?」
「おやおや、一人かい?」
「お? よく見りゃこりゃあ上玉じゃねえか!!」
「おい。こっち来いよ。俺たちが可愛がってやるからさ?」
男達三人がニヤニヤしながら近づいて来た。
しまった……油断したわ。
寂しいからとは言え、薄暗くなったところでじっと立ち止まっているだなんて。
この数だと走って逃げても追いつかれてしまうわ。
どうしよう。どうしたら……
色々考えていたら、その中の一人が私の手を引っ張ろうとしてきた。
「や、止めて下さい!! 手を離しなさい!」
「ああ? 何だおめえ? 生意気な女だなあ?」
な、何これ。ユーリに初めて強引に手を掴まれた時と違って、この不快感。気持ち悪くて吐きそうになる。
「お高くとまってられるのも今のうちだけだ。ハハハッ」
「おい、連れてけ!」
「ハハハッこりゃあ良いおもちゃが出来たな? こんな上玉をよぉ」
い、嫌。来ないで!!
助けて!!
私は何故かユーリの顔が浮かんだ。
──チャリ
ユーリに貰った銀のネックレスが落ちた。急いで拾おうとするが、男達に腕を掴まれて取れない……
「おら、早く歩けよ! それともここでヤルか? ハハハッ」
どうしよう……
握り締めていたお金に願いを込めて一層力をいれる。
私は一縷の望みで男達に見つからないように、小さな銀貨を道すがらに置いておく。
ユーリ……
気づいて!!
◇
「ただいまマリア。もう飯食ったのか?」
ん? 返事がない。
この時間ならまだ寝てはいないはずだが?
喜ぶと思って菓子を持って帰ってやったのに。
「寝たのか? マリア?」
………
何処か具合でも悪いのか?
──ガチャッ
「マリア! どうした? 何処か悪いのか?」
…………
??
部屋の中を見渡すが、人の居る気配はない。
この部屋には窓は無いはず。
まさか?
俺は胸騒ぎがして、部屋を出た。
「セレウス!! マリアは?」
「坊ちゃん! 今、坊ちゃんに会いに行こうとしていたところです! マリア嬢がこれを」
『ほんの少し街に出て来ます。夕御飯までには戻ります マリア』
「ふざけんな! どう言うことだ! セレウス!!」
急激に温度が下がっていくのが分かるぐらい、空気が激しく震撼している。
「申し訳ございませんコーネリア陛下! 私の監督不足で御座います。この命を持って償いと!」
「あ? お前の命など要らんわ! 失せろ!」
その言葉とほぼ同時に、ユリウスは背を向けエントランスに向かって走っていた。
「あの馬鹿が!」
愛馬に急ぎ跨り、城を一気に駆け抜ける。
◇
「マリアー! 何処だ!!」
「マリアーーーーーーー!」
「マリア返事しろ!」
俺は一旦馬から降りた。
そう遠くには行ってないはずだ。
国境の門は全て閉めさせたから、外には出られないはず。
マリア……
その時だった。道脇にある石畳の隙間がキラリと光る。
「これは!」
俺は強く握り締め再びこの近くを走っていた。
ん?
また何か光る物が有り、手に取る。
旧銀貨? 今でもまだ街に流通しているのか?
マリア!
思い出した!
初めての給金の日、一枚だけ混ざっていた旧銀貨を手に取り「絶対良いことがありそう!」と、嬉しそうにしていた女。
馬鹿……
何が良いことだよ……
俺はただ無事であることだけを祈り再び叫ぶ。
「マリアーーーーーー!!」
その時だった。
古めいた小屋の板間から、亜麻色の髪が風に揺れ、俺の視界に飛び込んできた。
「マリア?」
◇
「おい、順番どうする?」
「俺が一番な!」
「何でだよ!」
「一層のこと全員でってのはどうだ? ハハハッ」
「姉ちゃんもそれが良いだろ?」
男の一人が顔を近づけて来る。
逃げようとしても手首を縛られ、どうすることも出来ない。
ユーリ……
「や、止めて……お願いだから」
「さっきまでの威勢は何処行ったんだ? まぁ大人しいほうがこっちも犯りやすいけどなハハハッ」
「大人しくしてりゃ、優しくしてやっても良いんだぜ? ハハハッ」
──「なぁ? それ俺も混ぜてくれよ?」
「あん? 誰だお前?」
「ユーリ!!」
俺は腸が煮えくり返るぐらい目の前の女に腹が立っていた。
俺の命令を無視して外に出たことにも腹が立っていたが、この状況で大人しくしていることに。
俺にあれだけの啖呵を切った女が、何だこの様は?
「馬鹿か? お前? 何で逃げない?」
「ん? 兄ちゃん、この女の知り合いなのか?」
「馬鹿女。そのまま犯られちまいたいのか? あ?」
「い、いや……」
私は冷たい顔をしたままの彼に助けを求めた。
「聞こえない」
有りったけの声で叫ぶ。
「助けてーーーユーリ!」
「おせぇよ! 目瞑っとけ! 俺が開けて良いって言うまで絶対開けるなよ?」
私は黙って何度も頷く。
──ズサッ ドサッ
「や、やめろ」
「止めてくれえええええええ」
錆びた鉄の臭いがしたが、想像することを消し去った。
「煩い。消えろ」
──ズサッ
「帰るぞ」
ムスクの薫が仄かに残る上着を頭から被せられたまま抱えられ、馬に乗せられた。
彼の香りに包まれる中、助けに来てくれた安堵と、浅はかな自分への情けなさで、頭がぐちゃぐちゃになるのを怺えるのが、今は精一杯だった。
──「開けていいぞ」
上着を取られ、ゆっくり目を開ける。
「何か言うことは?」
彼が私の目の前に立ち、真っ直ぐ見つめてきた。
「ごめんなさい……」
「馬鹿か? あれほど勝手に出るなって言ったよな?」
その言葉とは裏腹に、彼の顔は怒っていると言うよりは辛そうにしているように見えた。
「ごめんなさい」
「何故出たのか、正直に言ってみろ」
「誕生日って聞いて。それで、お花を買おうと思って……こんなことになるとは。ごめんなさい」
「あああ? 何だそれ? で、誰のだ?」
え?
驚いた顔をする彼に私は逆に驚いた。
「え? 貴方の??」
一瞬の沈黙のあと、彼が天井を仰いだ。
「馬鹿か!!」
いつになく、大きな声で怒鳴られる。
「だって……ヒックッ。ヒックッ……」
「もう……勘弁しろよ……どれだけ心配したと……」
頬に伝う涙に、彼が優しく手を触れようとした瞬間、私は咄嗟に拒んでしまった。
だって……
あんな男達に……
「あ?」
「ごめんなさい……」
「悪かった……今日はもう寝ろ。俺は違う部屋で寝るから」
そう言って彼が部屋から出て行こうとした。
「行かないで……」
無意識に出ていた。
「は?」
拒否したのはお前では?
あんなことの後だ。だからと思い引いたのに? 何故引き止める?
「拒否したのはお前だろ?」
「ち、違う」
「はあ?? いいからもう怒ってないから早く寝ろ」
その言葉に止めどなく涙が溢れ出す。
「お、おい……何? もう怒ってないって言ったろ? その代わりもう二度と一人で勝手に出るなよ?」
何でそんなに優しい瞳で見るの……
いつものようにもっと怒るか、汚い女って言われたほうが……
ましなのに。
「そうじゃない……」
目の前でマリアが泣き崩れる。
「おい! マリア!」
気づけば俺は、愛しい女をこの手に強く抱きしめていた。
「ごめんなさい、私……汚れて……ヒック、ご、ごめん……な、さい」
「本当に馬鹿だな? 汚れている? こんなにも俺を掻き乱すのに。頼むからもうこれ以上俺を……狂わすな」
彼が天井を仰いだ瞬間だった。
その美しい顔に一筋の水滴が流れた。
「ユーリ?」
私は彼の頬に思わず自分の両手を伸ばそうとしたが、その瞬間、彼が低い声で強く言う。
「近づくな! 壊してしまいそうだから」
そんな泣きそうで、優しい瞳で言わないで……
そんな顔で言われたら……
「壊してくれてもいい! だから! お願い行かないで!!」
去りかけた彼の背に縋っていた。
「……お前。自分で今、何言ってるか分かって言ってるのか」
彼が振り返り、私の目を見ながら言う。
「好き……です。貴方のことが」
何でだろう。言うつもりはなかったのに。
彼に惹かれて行く自分を怖いとさえ思った。
激しく突き刺さるような目で見るかと思えば、まるで大事なものを慈しむような優しい目をする時。
私は彼に金で買われただけの女。それ以上の関係を願ってはいけないと。
それなのに……
「……馬鹿女。俺より先に言うなよ」
その言葉とは逆にとても優しい顔で呟く。
「本当に良いのか?」
「はい……」
「途中で怖くなって止めてくれって言っても、止まらないぞ?」
優しく、そして真っ直ぐ私の目を見て言う。
私はそのまま目を閉じた──
「イ、イタッ」
激しい激痛に襲われ思わず声をあげていた。
彼の長い睫毛で覆い被された瞳が露わになり、優しく確認するかのように憂いを帯びて私を視る。
睫毛が小刻みに震えている。
そんな彼が堪らなく愛しく想え、全てを受け入れたくて私は隷属となる。
「直ぐに慣れる。受け入れろ」
優しく唇を塞がれた。
と思った瞬間、激しい鼓動が伝わり彼の身体が熱を帯びる。
突き上げられるような激痛に何度も襲われ、気を失いそうになるのを必死に堪えるが、あまりの痛みに彼の背に思い切り爪を立て、しがみつく。
痛みと幸福の間で彼の美しい顔が歪み苦悶に満ちている。
それを嫌うかのように強く彼の唇で視界が再び覆われた。
「力抜け。直ぐに連れいってやる」
より奥深く突き刺さる痛みに息が出来ないぐらいの感覚を感じた時、私は頭の中が真っ白になり、今までに感じたことない衝撃が身体中を走り抜けた。
「あっ」
もう何度目かの峠を越えた時、私は意識を手放していた。
「気を失ったか……」
ふわふわの亜麻色の髪を慈しむように優しく何度も何度も撫でる。
──目を閉じ、髪を掻きあげながら天井を仰ぐ。
ゆっくりと正面に向き返り瞳を開けた瞬間、憎悪と狂気に満ちた顔は、まるで鬼神の如く紫色の瞳が燃えるような赤色に変わった。
◇
「セレウス! 今すぐ禁軍旗揚げろ! 表の城門開けろ!」
空気が凍り付いた夜の静寂に、沈黙を切り裂く怒号が飛ぶ。
だが、既にそれを予想していたかの如く、目の前は幾重にも連らなる赤い大群で視界を覆っていた。
軍服に身を包んだ金髪碧眼の男は、すっと片膝をついた。
「ユリウス・コーネリア・ハインツ皇帝陛下。では参りましょうか」
「カール?」
「借りを返す時が来た」
柔らかな金色の髪を持つ男は立ち上りニヤリと笑った。
「ハハハッ。なぁに、ただ后の義父殿に結婚の報告に行くだけさ。セレウス、マリアを頼んだぞ? 朝飯までには戻る」
「承知しました。明日の朝は坊ちゃんの好きなチョコレートケーキをご用意してお待ちしますね」
◇
夜空に浮かぶ月が、まるで氷の如く青白くぼんやり照らす。
沈静な闇を切り裂くように馬の蹄の音だけが幾千を超え、だんだんその数膨れ上がり地面を揺らす。
暗闇の中、綺麗な赤い帯が遠く丘まで繋がっていた。
目指すはたった一つ。
目の前の砦を次々と黒い波が潜り抜け、目的地に向け一直線に駆ける。
眼下に広がる建物目掛け、一斉に赤い火の玉が、覇音を挙げて放たれた。
それはまるで、漆黒の空を切り裂き、気高く美しく咲き誇る薔薇の花が激しく啼いているようだった。
「宴の始りだ」
目の前の男は短剣を抜き、自らの指腹を切り、切り口から滴り落ちる血で紙に大きく線を入れた。そして彼はその血を自らの唇に塗る。
真っ赤に燃え盛る炎を背に、薔薇色した唇と、妖艶な赤い瞳で笑う顔は、泣きそうなぐらい美しき彫像だった。
「血祭りにしてくれるわ!」
◇
突然の来襲に城内は、真夜中だと言うのに騒然としていた。
目の前がどんどん真っ赤に染まって行き、出口付近は黒い山の塊となる。
「よう? 久しぶりだな?」
突然背後から現れた男の声がする方にゆっくり顔を向けた。
首には冷たい銀色の鉱物がスッと当てられた。
その先端は鋭く、そして怪しい光を帯びていた。
「ひぃいいい。お、お前は! ハインツ帝国の! む、紫の悪魔!!」
「おいおい、失礼だなぁ? 親父殿。こうしてわざわざ丁寧にご挨拶に来てやったのになぁ?」
「お、おや、親父どの? 誰が?」
目の前の男に震えながらたずねた。
「ここで自分で死ぬか、俺にこのまま斬られるか、それとも火の渦で焼き殺されるか選べ」
紫の目が妖艶に光る。その白き頬に形の整った唇は、朱色に染まる部屋の中、血の色を帯び赤く艶やかにゆっくりと横に開いた。
「あ、悪魔。悪魔が現れた! 誰ぞ! 誰ぞおらぬか!」
大きな腹を揺らし足をバタバタとさせるが、少しでも上半身を動かすと、太く短い首に赤いものが流れた。
「ひぃぃいいい」
「和平協定! そうだ! あれがあるはず! それなのにどうしてだ!」
泣きながら、男は目の前の男に訴えた。
「あ? これか?」
自らの血で大きく斜めに線を入れた紙の真ん中目掛け剣で突き、壁に刺す。
「お、お前! なんてことを!」
「長ぇよ。早く決めろよ! 折角、慈悲を掛けてやったのに。お前の子飼いが俺の妻を襲撃したんだろ? あ? 何がそれで和平だ? 何ならあの時みたいに全土焼き尽くすぞこら! さっさと選べ!」
「え? あ、貴方様のお、奥様をで、ですか? 選べと言われましてもですねぇ……これ全て……」
「耳と目どっちが先に要らない? 選ばせてやるわ。優しいだろ? 俺って? ハハハッハハハッ」
燃え盛る炎の中でゆらりと立ち上がり、壁に突き刺した剣を抜き、赤い目をして妖艶に笑う。
「ひぃ、悪魔、や、止めてく、くれえええええ」
「うるせぇよ。豚。まだ宴は始まったばかりだろ? 楽しもうぜ? あーそう言えば、国歌あったろ? 歌えよ。最期の宴に歌わせてやるから。優しいだろ? ほら歌え!」
「え? 歌うのですか?」
「早く歌えよ! 豚!」
「き、ぃよぉ~きぃ、こ、心~にぃ~」
国王は泣きながら歌う。その足元には大きな水溜りが出来ていた。
「長ぇわ。何が清い心だ。あいつを泣かせていいのは俺だけなんだよ。消えろ! クズ」
東公国の兵士の紋章がついた上着の切れ端とボタンを、震え泣いている男の口に突っ込み、黒い外套を翻し、真っ赤に燃え盛る炎の真ん中を颯爽と去って行った。
──ドサッ
終宴までは呆気なかった。
当然である。平和惚けし金欲と堕落に墜ちた王の下の軍である。
日頃の鍛錬など、ろくにしておらず、五年間ユリウスとカールが心血注いで一から作り上げたハインツ帝国軍の前には、戦いは愚か抵抗することさえ出来なかった。
東公国の城壁にハインツ帝国の青い国旗が旗めいた時には、既にユリウスは愛馬の背にあった。
◇
「あ! またお野菜残しているじゃない!」
「草嫌いなんだって」
「ちゃんと好き嫌いなく食べないと大きくなれないですよ?」
「それお前に言われてもなぁ……もう少し……」
目線が少し下に下がるのを確認する。
何よそんな目で見なくても、これから育つかもしれないじゃない……
「ユーリ? 何処を見ているんですか? あぁ、そうよね? ユーリはもっと豊満な女性がタイプなんでしょ?」
「は? 別にそんなこと言ってないが?」
「嘘! 今見てたし!!」
「あ? 朝から犯されたいのか?」
「っちょ、何でそうなるのよ……」
わたあめのような柔らかな髪と、まるく白い膨れ面が堪らなく愛おしくて、ついつい苛めたくなってしまう。
俺の大事な宝物……
「冗談だよ。馬鹿」
「馬鹿って。ひどーーい」
「分かったって。痛いって髪、絡んでる」
「いやん。大変!!」
「あ、馬鹿! 動くな。痛い!」
朝の優しい陽が差し込み、温かな部屋の中で、笑い声が聞こえていた。
総大理石だった城の中には至るところに季節の花で溢れ、壁には温かな絵画が掛けられた。
その中にたった一枚だけある肖像画。
柔らかな陽射しの中、父と母に抱かれた紫色の髪した赤子の絵。
背景には彼の誕生を記念し両親が植えたコーネリアの薔薇が、赤子の誕生を喜んでいるかの如く、優しく淡く描かれていた。
あの閉ざされた部屋の中で、壁一面の仲良く笑う夫婦の画が全て切り裂かれていた中、たった一枚だけ、まるで宝物のように大事に残されていた画。
「愛する息子─コーネリアへ」と書かれた絵。
庭には沢山のコーネリアの薔薇の花が咲き誇っていた。
かつて城の庭中にあったコーネリアの花が、五年ぶりに満開となり、窓を開ければ甘いムスクの匂いが風に舞って訪れる。
「ねぇ、ユーリ今日こそは、ちゃんと衣装決めてよ? もうお式まで日にちないんだから~~」
「いいよ。俺のは何でも。お前のが良ければ」
「駄目です!」
「良いのか? 主役持って行かれるぞ?」
真面目な顔して言うの止めて貰っても良いですか? 貴方が言うと冗談になりませんから。
相変わらず憎まれ口ばかりの、私の大好きな優しい旦那様。
──煙に巻かれ意識を手放しそうになったあの時、赤い焔の中で美しく笑っていた貴方が やっぱり私は大好きよ。
ユリウス・コーネリア・ハインツ皇太子殿下。
(完)
「お忙しい中、最後までお読み頂き大変ありがとう御座います」
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