三話「珍しい花」
数日経った四月下旬。私は十歳の誕生日を迎えた。あの旧市街に捨てられて、今日で十年経ったんだ。もう人生の半分が過ぎ去ってしまった。あっという間だ。
三人の兄たちは、誕生日パーティーを開くんだと朝からはりきって準備しており、整うまでは庭先で遊んでいるように言われた。だから、適当に散歩をして時間を潰そうとしていたところ、馬のヒヒーンという嘶きとともに一台の馬車が停車した。郵便か、それとも公爵だろうかと振り返ると、そこに停車していたのは、王家御用達の頑丈な造りをした立派な馬車だった。
「エリスティア」
地面に降り立つ誰かに名前を呼ばれたので恐る恐る近づくと、漆黒に菫色の瞳が輝かしい王太子の姿があった。しかも、見慣れた紺の制服姿ではなく、真っ白のジャケットにシャツ、ズボン、靴とラフな格好をしている。
「……アルディオン様? どうしたんですか。学校では……?」
兄たちは家にいるが、それは仮病を使って休んでいるからだ。平日と誕生日が重なれば、毎年そうしている。金曜日の午前中なので、本来ならば学校にいる時間帯だ。
「……そうだ。でも、学校に行く途中でこれを見かけた」
王太子が手にしているのは、古代から栽培されているとされる純白で大きなユリの花。修道院にいた頃、写本や聖母像でよく目にした象徴的な花でもある。ユリの花を見せるためだけに、わざわざオッペンハイム家まで足を運んだんだろうか。
それに、学校に行く途中と言いながら、どうして制服姿ではないのか気になった。この前、街で見かけたときは制服姿だったのに……ね。
不思議そうに首を傾げていた私に、王太子は手にしていた花を差し出した。
「これを今すぐ、部屋に飾るように!」
「……ありがとうございます」
ユリの花を押しつけられてしまった。手にした途端、どこか懐かしい、ふわりと甘い香りが漂ってくる。修道院時代に、同僚が育てようとして失敗していたことを思い出す。
本では何度も見かけていても、生花を手にするのは二度目だ。もうあまり覚えていないけれど、気が遠くなるほど昔にもらったことがある。
「………………誕生日、おめでとう」
「え?」
「……では、もう行く!」
まじまじとユリの花を観察していた私に、それだけ伝えると、王太子は馬車に乗り込み、一目散に走り去ってしまった。束の間だった。
この花、もしかして、誕生日のお祝いだったの?
質問しようにも本人の姿はもうない。仕方ないので、言われた通りに部屋に戻って花瓶に生けることにした。
公爵邸の一階にある炊事場にて花瓶の手配を頼むと、自室へと続く階段を上る。花を手にしているので、すれ違う使用人はみな笑顔だ。
「お嬢様。今、呼びに行こうとしていたんですよ。って、その花、マドンナリリーですよね。どうされたんですか?」
メイドのエリーゼが花の名前を教えてくれた。マドンナリリーというのか。ユリだとはすぐにわかったけれど、さすがに名称までは知らなかった。
「王太子にもらったんだよ。道端に咲いていたんだって」
「え、その花が……ですか!?」
そのまま伝えたら、普段は冷静沈着だというのにエリーゼは声をあげて驚いた。
「なに、そんなに珍しいの? この花」
修道院で生活していると、見かけない日はないくらいだったので珍しいという感覚は持ち合わせていなかった。
「忘れたんですか? 長年、花を育てているベテランでも、リリーの育成には失敗していたって、お嬢様が言ったんじゃないですか」
「ああ……そうだったね。そんなに希少なら、今度連れてってもらおうかな」
修道院での出来事は、濁しながらも前に話したことがあったので、エリーゼに突っ込まれて当然だ。
もしかすると、肥料を費やし手入れの行き届いた修道院の庭先だから失敗したのであって、自然のまま放置している道端の環境の方が育成に適しているのかもしれない。それを正直に伝えると、草花に詳しいのか「そんなわけないじゃないですか」と冷静に返されてしまった。
そういえば、昨年の九歳の誕生日当日にも、王太子はわざわざ公爵邸まで足を運んでいた。学校帰りに買ったというプディングを二つ渡された。おやつに食べようとしたそのときも、メイドのエリーゼは「それ、今流行りの有名店のもので、朝から並んでも買えないんですよ!?」と興奮気味に力説された。そこまで興味がなかったので知らなかった。
気がつけば、毎年なにかしら贈り物をされていたので、誕生日パーティーに王太子も誘うべきか迷ったけれど、三人の兄たちいわく『十六歳になるまでは家族だけで祝うものだ!』と取り合ってくれなかった。
過去、三回貴族の娘として生まれたことはあるが、男爵家、伯爵家、子爵家だ。そこでも、独自のちょっとしたルールがあった。
長女は生涯おかわり禁止だとか、用事があっても弟妹を最優先にしなければならないとか、弟妹が欲しがれば自分のものでもあげなければならないとか、長女が領地の収益を管理するだとか、領民の苦情を聞きに行く、なんていうのもあった。
熱を出した弟妹の看病を任され、治ったと同時に体調を崩せば軟弱だと怒鳴られた。でも、そういうものだと信じて疑わなかった。その点は、平民も貴族も変わらないんだと思った。
だから、公爵家では十六歳の誕生日までは家族でお祝いすると言われ、ここではそういうルールなのかと納得した。
「お花のお返しに、ジンジャーブレッドでも作って差し上げたらどうですか?」
「え、食べるかな?」
ジンジャーブレッドとは、蜂蜜とパン粉に、生姜、シナモン、胡椒などの香辛料を加えて煮詰め、型に流したものを軽く焼いて固めた菓子のことをそう呼んでいる。素朴な食べ物なので、王太子が口にするとはどうしても思えなかった。
村人として生まれた転生一回目のときに、村の子どもたちによく振る舞っていた。腕が鈍らないように転生してからも度々作っていたところ、休憩しているはずのエリーゼに目撃されてしまった。いない隙に作ろうと炊事場に行ったのに、あっさり見つかってしまい、どうして作ることができるのか聞かれて困った私は、『作り方を本で学んだんだ』と咄嗟に誤魔化した。
「食べますよ、きっと」
「ええ……そうかなァ」
王族や貴族は、普段から豪勢な食事を口にする。果たして素朴な菓子など好んで食べるだろうか。
俄かに信じられないけれど、作るだけ作ってみては、というので準備することにした。




