二話「前世の私が眠る地へ」
──八年後。
白い雫型をしたスノードロップの花が咲き乱れる四月上旬。十歳の誕生日を迎えるまで、あと数日。
オッペンハイム公爵に引き取られてからというもの、何不自由なく順風満帆な日々を送っていた。温かい食事に清潔な衣服を与えられ、末娘として丁重に扱われている。これが魅了魔石の効力ならば、修道院に預けられたときとの違いはなんだろう。
三人の兄たちは、暇さえあれば私の部屋まで顔を見にくるし、珍しい食べ物があれば分けてくれるし、学校が休みになると、鬼ごっこやかくれんぼ、ボール遊び、鷹狩りの見学や乗馬の練習など、なんでも誘ってくれる。実の妹のように可愛がってくれる。順調すぎるくらいだ。
王族や貴族の男子は、七歳から十八歳までの間、王立魔導騎士学校に通う。学校があるのは男子のみで、女子は家庭教師から言語や言葉遣い、宮廷マナー、裁縫、ダンスを教わる。私にも恩師はいるものの、貴族の令嬢として生きるのは四回目なので、すでに知っていることだらけだ。欠伸を我慢しなければならないことがちょっとだけつらい。でも、無知な振りをするのも慣れてきた。
そんな私にも、気がかりなことくらいある。恐ろしいほど美しい魔女の顔は覚えているのに、どういうわけか名前が思い出せなくなっていた。今まで百八十年分の記憶を保持していたというのに、一番肝心なものを忘れてしまったらしい。
それだけではなく、九回目の人生でもちょっとした異変は見られた。私が転生するときは、死後一年から二年経過していることが多く、それは八回目まで続いていた。
でも、九回目の転生では生まれ変わるのに三年も経っていたし、十回目にいたってはさらに長く、六年もの歳月が過ぎていた。空白期間の記憶はもちろんない。
転生の間隔が長くなっていることと、魔女の名前を忘れてしまったことが、無関係だとはどうしても思えなかった。
今日覚えていても、明日も覚えているという確証は持てない。新たに一つ忘れている可能性を否定できない。
やむを得ないけれど、あれを取りに行こうか。
愛用の小型トランクを手に取った私は、予定よりだいぶ早いがとあるものを回収しに行くことにした。
「お嬢様。おでかけですか?」
「うん。ちょっとそこまで、ね」
「ご同行します」
「え、いいよ一人で。そこまで遠くに行くわけじゃないし」
「ダメです」
こっそり部屋を抜け出そうとしたところ、箒で床を掃いていたメイドのエリーゼに見つかってしまった。一人で大丈夫と言っても聞き入れてはくれず、握っていた箒を片付けた。
拒絶しても怪しまれるだけなので、仕方なくメイドを連れて行くことにした。
馬車に乗り込み出発して一時間。向かった先は、王都から東に位置するそこそこ大きな町──ダノンレイヴンだ。ダノンレイヴンの教会を目指す。
「教会は王都にもあるのに、わざわざ隣町まで来たんですか?」
「忘れ物を取りに来たんだ」
「忘れ物……ですか?」
「すぐ済むから、ここで待ってて。教会の敷地内にいるから」
一緒に降りようとしたので手で制した。
「五分で戻らなければ、探しに行きますからね」
「せめて十分にして」
「わかりました」
後を追っていないことを確認してから、私はとある場所を目指した。墓石がたくさん並んでいる。以前、見たときよりも当然ながら増えている。
あった。リーリエの墓場だ。
十二年も経っているので心配していたが、ちゃんと墓石は残っていた。リーリエは男爵令嬢だったので、今も誰かが花を手向けているらしく、白くて可愛らしいハート形をした花びらのプリムローズが供えられていた。
「まだ死を悼んでくれる人がいてよかったね、リーリエ」
そう声をかけながら、小さなスコップで墓の下の方を掘り起こす。本来ならば、国の許可なく墓を掘り起こすことは禁止されている。だから人目を忍んで掘っている。五十センチほど掘ったところで、なにかがぶつかるようなガチ、ガチという音が響いた。さっそく発見した。
「あった」
周囲の土を掘り出し、穴から取り出したのは陶器でできた中くらいの入れ物だ。割れることなく形を保っている。
蓋を開けて中身を確認すると、赤や緑、青紫色をした小ぶりの宝石や、銀貨や銅貨で埋め尽くされていた。額面の大きな金貨はほんの数枚だ。陶器はあと二つあり、そちらにもぎっりし詰まっていた。
「全部あるね」
約二十年という短い人生を、どうにか快適に過ごしたくて金銀財宝を土に埋めるようになった。信用のおける機関に預けたとしても、私は必ず死んでしまうので遺族以外は受け取れなくなる。自分で自分に残すには、埋める以外考えられなかった。転生しても記憶は残るので、うってつけだ。
この『来世に楽をするためだけの試み』は、二回目の転生で子爵令嬢のルミアンナとして生まれたときに、取り組むことにした。死ぬ一年前に庭先に埋めてみた。
そして三回目の人生が始まり、少し成長してから堂々と庭先まで掘りに行くつもりだった。ところが、生後間もなく捨てられ奉献児になり、修道女になることを余儀なくされた。修道院での集団生活では、抜き打ち検査があるため、財宝を所持していれば分不相応と言われて没収されかねない。神に身を捧げているのに、そんなものを持っていれば不義を疑われるだろう。それだけは避けたかったので、掘り起こしに行けたのは四度目の人生のときだった。
だがしかし、二十年ぶりに子爵令嬢時代に住んでいた邸宅の庭先を覗いたところ、その場所には、別の誰かが建てた立派な家屋が並んでおり、せっかく銀貨を埋めたのに回収することは叶わなかった。近辺を掘ろうとしても、不審者として追いかけ回されるだけだ。
悔しいけど、きっと見知らぬ誰かが私腹を肥やしただろうね。私のお金なのに!
だから、今度は墓場に埋葬することにした。わかりやすいように、自分の墓を選んだ。さすがによっぽどの理由がない限り、掘り起こされることはないはずだ。拡張することはあっても、移動させた話は聞いたことがない。
二回目のルミアンナのときに植えた金は回収できなかったが、五回目の伯爵令嬢ナタリアのときに埋葬した宝石や銀貨は、六回目のアリーがまた修道女となってしまったので埋葬場所を変え、七回目のリナリーが無事に回収して役立てた。そこでようやく成功した。
そのあと、『来世に楽をするためだけの試み』をもう一度成功させ、先ほど掘り起こして成功は三度になった。男爵令嬢のリーリエは、転生八回目の私だ。そこに九回目であるエマリエが埋めに行っていた。そうして地道に財を蓄えた。
小型のトランクに中身をすべて収め、陶器も収納したのでずっしりと重くなった。あとは掘り起こした土だけでは足りないので、その辺にある土を勝手に拝借して元通りにすれば、誰も掘り返したとは思わないだろう。
「……ん? あれは……」
この時、周囲に誰もいないことを確認したはずなのに、どういうわけか帰り際、王太子の側近らしき人物を見かけたような気がした。でも、王太子は王立魔導騎士学校にいる時間帯だ。学業に専念している間、側近は学校付近で待機するか、別の用事で出払っていることが大半だ。見間違えだろうね。
世の中にはそっくりな人間が複数人いるとされている。きっとたまたま似た人が通りかかったんだろうと、深くは考えなかった。
「おかえりなさい。用事は済んだんですか?」
「うん。ところで、さっき、誰かこっちに来なかった?」
「いいえ? お嬢様しか見かけていませんよ」
「……そう。ならいいか」
なんとなく引っかかったものの、無事に目的を果たせたので王都ヴァランクールに戻ることにした。
馬車を走らせること一時間。右を見ても左を見ても草原だった風景が一変して、門を潜れば見慣れたヴァランクールの均等の取れた街並みが眼前に広がる。財布も潤ったことだし、ちょっとだけ奮発して美味しいものでも食べようかと、屋台に立ち寄るために途中下車すると、丁度、授業を終えたらしき王太子とその学友が前方を歩いていた。
どうしよう、話しかけた方がいいだろうか。でも、一人じゃないし、気づかない振りでもいいかな?
声をかけるべきか、知らんぷりするか。右往左往していると、偶然、会話が聴こえてしまった。
「……ずっと気になってたんだけど、どういう経緯で婚約者を決めたんだ?」
「俺も知りたい。六つも年下なんだろ?」
それについては私も知りたい。盗み聞きするつもりはないけれど、どう答えるのか興味があった。本人に尋ねても教えてくれないんだ。
「……煩わしくなる前に、手を打っただけだ」
それを耳にした途端、やっぱり聞くべきではなかったなと落胆した。王太子という立場上、婚姻は避けては通れない。だから、八歳という早い段階で便宜上の婚約者を決めておけば、煩わしさから早々に解放されることを見込んで私を選んだらしい。
なんだ。そうか。別に、誰でもよかったんだろうね。あの日、たまたま私があそこにいたから、名指しされたに過ぎない。
こうなることはわかっていたのに、まだ烏滸がましく期待してしまっていたみたいだ。反省した。
私が誰かに好かれていたのなら、こうして十回も転生していないのにね。
「お嬢様? 声をかけなくていいんですか?」
「うん……邪魔しちゃ悪いし、やっぱり帰ろうか」
気分が削がれてしまったので、買い物せずにまっすぐ帰ることにした。前を歩く王太子は、後ろにいた私たちに気づくことはなく、街の中心部へと消えていった。




