十七話「仔ヤギの行方」
大暑が近づくにつれて、夏の暑さも本格的になる七月下旬。気温も二十度を超えてうっすら汗ばむ陽気になってきた。でも私は、秋の味覚が好きなので、秋が待ち遠しい。
王都を出発して二十日、村に滞在するようになってからは十九日も経った。あれよあれよという間に月日は流れていく。
相変わらず雲一つない晴天だ。私がこの村に到着してからは、雨は一度も降っていない。通り雨や小雨すらない。ここまで降らないのは異常事態だ。転生十回目の人生を送っている中で、二週間という長期間まったく降らないなんてことはなかった。
私がたまたま居合わせなかっただけで、夜中に降っていることも否定はできない。でも、早朝に確認しに行っても地面は乾いたままだった。
天候に恵まれなくても、この村に滞在して五日目の時期に、水魔法を使って広範囲に散水した結果、茶色だった地面にはポツポツと緑が芽吹くようになった。それから十日以上経った現在は、青々とした草がそこら中に生い茂っている。
肝心の農作物も日に日に成長しているし、収穫はまだ先だが待ち遠しかった。
今日はまだなにも頼まれていないので、ゆっくり散策でもしようとしていた私のもとへ、一人の婦人が近づいてきた。
「エリスティアさん。うちの仔ヤギを見ませんでしたか? 黄色い札をつけてるんですけど……」
「……仔ヤギ? いいや、見てないよ」
「見かけたら教えてください」
「わかった」
息子の嫁になってほしいという、裏を感じる依頼の場合は断っていたけれど、仔ヤギと耳にしてほっとけなかった。
遥か昔。遠い昔。木漏れ日が差し込む静かな森林の奥地。そこにひっそり佇む木造家屋で、美しい容姿をした黒髪の母と、熊のように大柄だけど優しい父、それからヤギ、鶏、馬と暮らしていた記憶が微かにあった。
それだけでなく、青々とした草を食んでいるヤギの姿を眺めているだけで、とある人物の姿が脳裏に浮かんだ。金髪碧眼の彼だ。ここ最近すっかり忘れていたのに、王太子の存在を思い出してしまった。
王太子は、社会貢献の一環としてヤギを飼育している。きっかけは迷子のヤギを保護したことだったが、雑草を食べてくれることを知り、自らも育てて貸し出すようになった。学業や公務でどんなに忙しくても、誰かに世話を押しつけるようなことはない。
ヤギの健康面には細心の注意を払い、定期的に専門家を呼んで判断を仰いだり、弱っていれば自らミルクを飲ませたり、毛につやがあるか、鼻汁は垂れていないか、足腰はしっかりしているかなど観察していた。
「……誰かに食べられてないといいけど」
王太子が育てているヤギとは知らず、何者かが連れ去ろうとしたことは一度や二度ではない。家畜でも盗む人間がいることを知った王太子は、誰かに抱き上げられたら大声で鳴くように躾をした。一頭一頭抱き上げ、鳴いたらおやつを食べさせるという方法で覚えさせた。
窃盗犯が連れ去ろうとしたところ、ヤギは大声で鳴いたのですぐに衛兵が駆けつけ未然に防げた。未遂だったが、王族の所有物に手を出す行為は大罪だ。捕まえて拷問し、場合によっては裁判にかけられるのが大半だ。
ところが彼は、犯罪に走るのは、この国での役割がないからだと言い出し、あろうことか犯人に警備という仕事を与えてしまった。王太子はそういう人間だ。
「……いないね」
大人のヤギはいても、仔ヤギは見当たらなかった。こういう場合、便利な能力を持っている人間を頼った方が効率的だ。時間がもったいないので素直に頼むことにした。
教会のすぐ隣にそびえ立つ、石造りの立派な家屋へ顔を出したところ、お目当ての人物は優雅にお茶を飲んでいた。私と視線が合うなり、カップを置いて立ち上がった。
「どうしたんだ、エリスティア。兄さんに用事か? なんでも力になるぞ!」
「うん。仔ヤギの姿が見当たらないから、探してほしいんだ」
「そんなことか。任せなさい」
オーガストは、背後で待機していた従者を呼びつけ、村の地図を用意させた。机の上に広げるなり手を翳すと、ほんの数秒で手を止めた。
「──ここだ。仔ヤギはここにいる」
「ありがとう、兄さん」
「もう行くのか? 兄さんも一緒に行ってやろうか?」
足の速い生き物を探すのならば、来てもらった方が早く発見できるが、仔ヤギは草を食べるのに夢中になっていることが多いので必要ない。でも、私が見つけたわけでもないのに、これでは他人の功績を奪う形になってしまう。それに、私は水を出すことしかできないのに、捜索も得意だと勘違いされては後々面倒なことに繋がりかねない。
「……来たかったら、来てもいいよ」
「よし、行こう!」
我ながら可愛げない言い方をしてしまったが、オーガストには関係なかったらしく笑顔で頷いた。
行方不明の仔ヤギは中央広場にてすぐに見つかり、オーガストが抱えて無事に返した。お礼にヤギのミルクと鶏の卵を十個もらったので、蜂蜜を加えてプティングを作ることにした。
一人一個ずつのはずが、エリーゼとルシフェルに背中を押されて、もらった材料すべてを費やして大量に作ることになってしまった。
「二十個も完成しちゃったけど、こんなにどうするの……?」
陶器製の器がずらりとテーブルに並んでいる。プティングの器が足りないと漏らしたところ、オーガストは転移魔法で王都まで買いに行ってしまった。あっという間だった。
「オーガスト様たちと私たちが三個ずつ食べれば十八個、二個余りますが、オーガスト様たちだと揉める要因になるので、その二個は私がもらえば丸く収まるのでは?」
「……うん? まあ、いいけど……」
「ありがとうございます!」
エリーゼは、五個のプティングを前に嬉しそうにしている。そのうち一つを平らげると、残りに手をつけることはなかった。
「あれ、もう食べないの?」
「あとで食べますよ」
「俺もだ」
「……ふうん?」
二人とも一つずつ食べただけで手を止めたので、口に合わなかったのかなと首を傾げた。
昼食にと用意したライ麦パンと、煮込んだ鶏肉料理はぺろりと完食していた。
どのタイミングで残りのプティングを口にするのか観察していたものの、そんな様子は見られなかったし、器も私が食べたものを含めて五個しかないことに引っかかっていたが、わざわざ問い詰めるような野暮なことはしなかった。




