十六話「リヴェリア」
人里離れた森の奥。深い深い森の奥。木造だけど大きな家で私──リヴェリアは生まれた。次の誕生日がくれば、確か十六歳になる。
右を見ても、左を見ても、あるのは大小さまざまな木々。種類はわからないが、なにかから守るかのように、そこそこ太い幹の大木に囲まれていた。
家の裏手には、広々とした畑があり、葉物野菜や果物を育てている。ヤギや羊、鶏、馬小屋があるので、それらの管理はすべて私の担当だ。
「今日は卵が五個もある……。ゆで卵にスクランブルエッグ、あとはどうしようかな」
朝になると鶏の卵を回収し、ヤギのミルクを絞れば柵のある牧草地に放し、農作物に水をやったり、雑草を抜いたり、時には収穫することもあるし、夕方になると小屋にヤギたちを戻す。日が暮れたら家に入って食事を済ませて、父から読み書きを学んだり、昔話を耳にしたり、有意義に過ごしてから一日を終える。
雨の日は、卵の回収と乳しぼりだけは朝のうちに済ませ、家の中で機織りや衣服の修繕作業をしている。それでも暇になったら、掃除や料理に没頭して時間を潰していた。
一緒に暮らしているのは両親で、大柄だけど優しくて手先が器用な父は、無数に生えた木をひたすら切り倒し、薪に加工したり燃やして炭にしたり、乾かして椅子や机、箱などを作る。私が眠る寝台も、ご飯を食べる食卓や椅子も、家にある家具はすべて父のお手製だ。
そんな父は、月に二度ほど荷馬車で出かけ、町で売り捌くと、鶏や魚、小麦など食材を買って帰る。私と母への土産も忘れない。
一方、私を産んだ母は、カラスの濡れ羽根色のような長い黒髪に、やたらと煌めく隻眼をしていた。比較対象が自分と父しかいないけれど、ずば抜けて美しいということだけは理解できた。
普段は簡単な料理を作るくらいで、掃除や洗濯は手が荒れるからとやったことはない。だから私がまとめてやっていた。
そんな浮世離れした母のもとへ、どこからともなく相談にやってくる者がいた。相手の年代は老若男女問わず様々で、じっくりと話を聞き、薬草など調合したなにかを渡して金を受け取る。それだけだ。客人が帰ってから尋ねると、ちょっとした薬剤だと言っていた。それ以上は教えてもらえなかった。
そして、私は最近とあることに気がついた。母の容姿についてだ。父は年々、しわが増えていくのに対し、母はちっとも変わらず綺麗なままだ。十年経てばしわの一つや二つ、増えそうなものなのに若々しかった。疑問だったのはそれくらいだ。
貧しくはないし、かといって裕福でもない。近隣に住民はいないので比べようがないけれど、それなりに充実した日々を過ごしていた。
私は、時間があると父が時折話してくれる、昔話が好きだった。知識はそれでつけていた。ここ以外でも暮らしている人々がいることや、世界はもっと広いということを学んだ。父の子どもの頃は、人が大勢いる町で育ったという。
どうして人のあまりいない不便な場所で生活しているのか。それとなく母に聞いてみても『暮らしやすいからよ』と答えるだけだ。
母にとって暮らしやすくとも、私にとってはそうとは限らない。私にも好奇心というものがある。
そんなある日。皿洗いをしながらぽつりと漏らした一言を、母に聞かれてしまった。
「……私も、町へ行ってみようかな」
独り言のつもりだった。
「だめよ」
「どうして?」
「あなたの外見では目立つからよ」
そうはいっても、母のような黒髪に隻眼ではない。鏡なんて高価なものはこの家にはないので、水面に映る姿でしか見たことがないけれど、私の外見は、父と同じブラウンの髪色と瑠璃色の瞳だ。珍しくないことくらい知っている。
「どうして町に行けるのはお父さんだけなの?」
「お父さんはいいのよ。──だから」
「なに?」
はっきり聞こえなかったので問い返すと、母はあからさまに不機嫌な顔つきになった。
「あなたは知らなくていいの」
冷たく言い放たれてしまい、それ以上なにも言えなかった。前に口喧嘩をした際は、一週間外出禁止にされた。外に出ようと扉に手をかけると、なぜかビリッとした痺れに襲われ出られない。早朝でも日中でも深夜でも、時間に関係なくそうだった。でも、父や母はなんともないので、母がなにかしたということだけはわかった。
農作物と家畜の世話は父が代わってくれたものの、室内に軟禁されるのは辛かった。文字の練習はもう何度もやったので覚えてしまったし、針仕事も、炊事もすぐに終わってしまう。なにもやることがなくなってしまう。
だからそれ以来、なるべく母の機嫌を損ねないよう気を遣っていた。
***
平凡すぎる暮らしの雲行きが怪しくなったのは、町へ向かった父がしばらく経っても帰って来なくなってからだった。いつもなら、十日もあれば往復している。天候が荒れたとしても十四日。それなのに二十日過ぎても戻る気配はなかった。
「どうして帰らないのかしら……」
「お母さん。様子を見に行った方が……」
「だめよ」
「心配じゃないの?」
「心配に決まってるじゃない! でも、だめなのよ……」
「……それなら、私が行ってくる!」
「待ちなさい、リヴェリア!!」
煮え切らない母の態度に、とうとう私は家を飛び出した。名前を呼ばれたが、生まれて初めて無視をした。
大小さまざまな木々の間をひたすら突き進む。町までどのくらいの距離があるか知らないのに、食べ物も飲み物も持参していないのに、私はひたすら歩く。無我夢中だった。方角があっているのかもわからない。
ところが、目の前に広がる景色は一向に変わることはなく、振り向いても、家の見え方に変化がないような気がした。信じたくないので、さらに十分ほど歩いてからもう一度背後を確認したところ、やっぱり進んでいなかった。なにかが作用して、私をその場に留めている。
怖くなった私は、思い切り走ってさらに遠くへ行こうとした。けれど、距離が開くようなことはなく、ここから先へ進めないことを悟ってしまった。絶望的だった。こんな不思議なことを可能とする人物がいるのならば、それは母だ。母以外、考えられない。
家に戻る気にはなれなかったが、外にいても仕方がないので大人しく戻った。私の顔を見ても母はなにも言わなかったし、私もなにも聞かなかった。
それから三年。父が戻らなくなってからは、当然ながら収入は一気に減り、貧しくなった。農作物は育てているし、家畜はきちんと世話さえすれば、いずれ子が生まれるので卵とヤギミルクは入手できる。でも、天候に左右されるし、飼料も必要だ。畑の面積を増やすことでなんとか対応していた。
肉や魚を食べられなくなってしまったことは辛かったが、母が時折、来客の対応をした際に食料を受け取っていたので、なんとか暮らせた。
私は小さい頃からずっと、紫色の宝石のついたペンダントを身に着けている。これは、私が誕生した祝いにと母が作ったものらしい。これを町に持って行けば、もしかすると金になるかもしれないのに、母は許してはくれなかった。
「ああ……あの人はもういない。私には愛が必要なのに……」
母の溜め息と独り言が増えた。この人はなにを言っているんだろう。明日、食べていくのも困難な状況だというのに、それなのにまだ『愛』だなんだと繰り返している。
母は以前からそうだった。よく父に対して『私のこと、愛してる?』と執拗に確認していた。その時はなんとも思わなかったけれど、父が帰らなくなってからは、美しかった顔に陰りが見え始め、少しだけ老けた気がした。
もしかすると、あの確認作業は若さを保つためだったのかもしれない。
「ねえ、どうしてあなたは、あの人のように私を愛してくれないの?」
視線が合うなりそう問いかけられ、言葉に詰まってしまった。
「私の顔がこんなになったのは、あなたが私のことをまったく愛していないからよ……」
そんなこと言われても、知らないよ!
私のことを、こんな森林の奥地に閉じ込めておきながら、愛していないのかと問われても困るだけだ。今回ばかりは、無視することができなかった。
「愛なんて……不要だよ!」
首からぶら下げていた紫色の宝石が、心なしか熱を持った気がした。でも知らないふりをした。
「リヴェリア! あなた、なんてことを言うの! はやく撤回しなさい!」
頭ごなしに叱られ、どうしても我慢ができなかった。
「……私の人生に、そんな押しつけるような愛は不要だ!!」
「あなた……なんてことを言うの……。私の子なのに……生涯、一人しか産めない子なのに……。ああ、あの人は、死んでしまってこの世にいないのに、一体、誰が私を愛してくれるの……!?」
知らないよ、そんなの。
その途端、私が持っていた紫色の宝石はさらに熱くなり、首に下げていたペンダントを放り投げた。
こうして私は呪われた。母が──魔女ドラヴェナが、勝手に生成した魅了魔石に呪われてしまったんだ。
「……あなたに呪いがかかったのは、あなたのせいよ」
「……そんなの、どうでもいいよ」
もうすぐ、二十歳の誕生日を迎える。私に死期が近づいていることは、母の態度でなんとなく察していた。布団で死を迎えるよりも、夜空を眺めながら迎えたかったので外へ出た。
「あなたは……二十歳を迎える前に死ぬのよ。でも、死を回避したいなら──」
この生き地獄から出られないのなら、もうどうでもよかった。死んでここから解放されるなら、早く解放されたかった。
「……あなたの負けね、リヴェリア」
こうして私は、リヴェリアとしての短い人生を、十九年と三百六十四日で終えた。
私が命を落としたあと。生前の父から、森林の奥地について聞いていた青年が、遺品と最後の売り上げを届けに訪れたそうだけれど、当然ながら私は知る由もなかった。




