十二話「疫病」
王都を出てから一週間。兄たちが滞在してからは四日くらい経っただろうか。そろそろ帰らないかと思っていたところ、オッペンハイム公爵に領地視察を任されたらしく、渋々帰って行った。次来るときは、必ず土産を持ってくると言われ、なにもいらないと首を振ったが、答えないといつまでも帰らなさそうだったので、王都では手に入りにくいバターを頼んだ。
さて。今日も、乾いた畑や地面に水を撒いて歩く一日が始まる。それは日が暮れるまで続く。
だがしかし。村の『焼き日』から一夜明けた午前九時。いつもなら賑やかな子どもの声がするというのに、家の外に出ても周辺は異様なまでに静まり返っていた。誰一人として歩いていなかった。昨日までの、和気藹々とした雰囲気とはすっかり様変わりしていた。
先に異変を感じたのか、出払っていたエリーゼいわく、年齢にかかわらず、村民の半数以上が原因不明の高熱と下痢で苦しんでいるという。裏手の奥方も、子どもたちも、家を貸してくれた大工も、腹を下して寝込んでいると聞かされた。
私は聖女ではないので《光》魔法のような治癒はできない。司祭が対応しようにも、一人しかいないので間に合わないだろう。
こういうときにオッペンハイム兄弟がいれば、王都から医師を連れてきたはずだ。でも、視察に出ているので自力で解決しなければならない。
そんな私の背後からは、コツ、コツ、コツ、と杖で地面を突く音がした。
「オメェさんらが、ここを廃村にするために、王都の病原菌を持ちこんだんじゃろ!? 若者は騙されてもワシは騙されんぞ!! 今すぐ村から出てけッ!!」
初日に散歩中の老人に無視されていたが、その老人にいきなり詰め寄られた。
「……エリスティア!」
「とまれ! ルシフェル!」
杖をこちらに振り上げたので、私の背後に偶然いたルシフェルは、すぐさま腕を伸ばして老人を突き飛ばそうとした。
しかし、怪我をさせるわけにはいかないので、寸でのところで制止した。老人は、ただこちらを威嚇しようとしただけだ。もしも危害を加えるつもりならば、せっかちゆえに早めに行動に出ていただろう。今日まで大人しくしているはずがない。
「大丈夫だから、ルシフェル」
「だが……!」
「それよりお爺さん。少し時間をくれないかな。この村になにが起こったのか、原因を探ってみるから」
「……フン。勝手にせい!」
ルシフェルを抑えてから老人に話しかけると、そっぽを向かれたが暴れることはなかった。そして、また杖を突きながら歩いて行ってしまった。一方的に文句を言って満足したのかもしれない。
「ルシフェル。なにがあったのか、聞き込みしてくれるかい?」
「御意」
高熱や下痢の症状が出ているとなると、まず疑うのは食品だろう。私も片っ端から聞き込みして回ることにした。
まず一軒目は、家屋を貸してくれた大工の家だ。高熱と下痢のほかに、粘液便も出ているとげっそりした顔で言われた。
聖女セラフィナだったら、治療して回ることができるのに、私には不可能だ。でも、なにか役に立てることがあるかもしれない。
鶏肉や豚肉、玉ねぎやニンジンなどは過熱しているし、リンゴは拭いてから丸かじりしたと言っていた。食品ではなさそうだ。別れ際、井戸水を口にしたと言っていた。
次に裏手の奥方に事情を聞きに行くと、やっぱり生の野菜や果物は口にしておらず、喉が渇いたので井戸水を飲んだと耳にした。
私が世話をして回った牛たちは、相変わらず元気で食欲も旺盛だという。そこだけは幸いだと、みな口を揃えて言っていた。
井戸は何か所かある。水位が下がっていたので満杯にしたはずだ。
あと数軒、事情を聞いてから井戸を確かめに行こうとした私のもとへ、三十分ほど前に別れたルシフェルが戻ってきた。八つくらいの子どもと一緒だ。
「ほら、なにをしていたのか正直に話せ」
「…………や、やだよォ!」
「俺が話してもいいのか?」
「うう……」
どうやら、なにか知っているらしい。けれど、誰かをかばっているのか言いにくそうだ。
村のどこかで挙動不審な動きをしていたところ、ルシフェルに見つかったに違いない。怪しい動きをしていなければ、さすがに捕まえてはこない。
「ねえキミ。そこのお兄ちゃんと違って、私は絶対に怒らないから、正直に言ってごらん。言わないなら……」
「言わないなら?」
「もう二度と、キミたちに水魔法を見せてあげない!」
「い、言うよォ! いうからァ!」
少々大人げなかっただろうかと思いつつも、今の私は十歳だ。作戦が効いてよかった。
「き、昨日の朝なんだけどね、にいちゃんがバケツに入った牛のうんこや、人間のうんこを持ちだして、井戸の中に入れたんだ! そんなことしたら、ぼくたちも飲めないよって言ったのに、ガキはミルクを飲むからいいんだって……」
村に設置された井戸水は三か所。そのすべてに牛の糞と排泄物を投じたのだという。体調不良の原因は十中八九これだ。高熱と下痢の他に下血もあるというので、赤痢になっているのだろう。
大雨が原因で井戸に排せつ物が混入し、飲み水が汚染されて赤痢に悩まされることはまれにある。
私やエリーゼ、ルシフェル、そして牛たちが無事なのは、水魔法のおかげだ。自力で出せるので、井戸水を口にすることはない。
「正直に打ち明けられてえらいね」
「う……うん!」
「でも、私が浄化した後にまた同じことをやられてしまうと、今度こそ死人がでるかもね」
「え、死人!?」
「そうだよ。キミたち……いや、キミのお兄さんは、危うく人の命を奪うところだったんだ」
「そんな……」
このまま原因が特定されず、高熱と下血、そして脱水症状が続けば、体力のあまりない幼児や老人は命を落としていただろう。それを伝えると、少年はショックを受けたのか、目に涙を浮かべて泣きそうになっていた。
「……ご、ごめんなさい……」
私とそこまで背の変わらない少年の頭を、ぎこちない手つきながらも撫でる。なんとなく、そうしたくなったんだ。
「キミが教えてくれたから、早めに原因を特定できたんだよ。だから泣かなくていいよ」
「う……うん……ぐすっ」
「この前、水遊びで披露したときよりも、もっとすごい水魔法を使うところを、特別に見せてあげる」
「や……やったァ!!」
ようやく笑顔を取り戻したので安堵した。
「ルシフェル。エリーゼと協力して、症状の出ている各家庭に、清潔な水を届けてくれる?」
「わかった」
「……その前に、これ以上被害が増えないように井戸の水を全部抜いて浄化しないとね。これはなかなか骨が折れそうだ……」
悪戯をした少年とその親については、エリーゼに任せることにした。二度と繰り返さないためにも、やったことを説明する必要がある。
後から聞いたところ、両親と祖父から大目玉を食らい、症状の出た全家庭に謝罪して回ったらしい。がっつり叱られた少年は、終始泣きべそをかいていたという。可哀想だが、やったことが悪質なので擁護はできない。これに懲りて二度とやらないでほしい。
こういうときに、風魔法が使えるオーガストがいれば、嬉々として水を運んでくれただろうな。でも、実家に帰ったばかりなのでさすがに呼び出すつもりはないけどね。
エリーゼとルシフェルが、荷台を引いて清潔な飲み水を配っているその裏で、私は水の精霊に頼み、井戸の水を全部抜き、汚染された井戸を浄化して満水にするという作業に専念した。しかも三度だ。なかなかに大変だった。
「お疲れさまです、お嬢様」
「うん……さすがの私も、今日は疲れたよ……」
魔力が枯渇しないよう、こまめにジンジャーブレッドを口にしていたが、それでも足りなかった。ああ、お腹が空いた!
エリーゼも疲労しているはずなのに、笑顔で夕食の準備をしてくれた。豚肉の塊をじっくり炙り焼きにして薄く切ったものと、ライ麦パン、茹でたニンジン、アスパラガスで食欲を満たした。豚肉は何回かおかわりした。
「エリーゼもルシフェルもお疲れさま。早めに寝なね」
「そうします」
「ああ」
腹ごしらえをして眠くなったので、着替えて休むことにした。




