十話「悪夢」★
★は王太子視点になります。
六月三十日──僕の十六回目の誕生日、当日。例年通り、楽しく過ごすはずだったこの日は、一言で表すと『悪夢』という言葉が相応しい一日となってしまった。
この日に着るためにと新調した衣装を、寝台から見える位置にかけ、指折り楽しみにしていた。そんな思いは、彼女によって踏みにじられた。
『私からのプレゼントは、こちらです』
普段のエリスティアは、赤や橙など暖色を好んでいるのに、全身が緑色というあまり目にしない装いで、珍しく笑みを浮かべていた。マドンナリリーのお返しに、なにを贈ってくれるのか。どんな言葉をかけてくれるのか。この時はまだ、淡い期待を抱いていた。彼女の異変を見抜けなかった。
けれど、彼女の取った行動は不可解なものだった。ピンクゴールドの綺麗な髪を、目の前でばっさり切り捨てられてしまった。婚約者や恋人、妻が夫の目の前で髪を切るということは、離縁を望んでいる場合だ。
『アルディオン様。私のとっておきの贈り物、気に入って頂けたかしら?』
「な……なッ……!」
『ふふ。王太子に無礼を働いたので、私はオッペンハイム公爵邸から去りますね。それでは、みなさま、アデュー♪』
どうしてエリスティアが、自ら髪を切って離縁することを選んだのか。僕を見限ることを決意したのか。
頭に次から次へと浮かぶのは「なぜ、なにがあった、誰のせいだ」という疑問だらけで理解が追いつかず、呆然と立ち尽くしているうちに彼女はいなくなっていた。追いかけることができなかった。
前兆はなかった……と思う。僕とエリスティアは上手くやっていた……はずだ。
騒然としているエントランスホールで動けずにいたところ、王妃が騒ぎに気がつき、来賓を広間に移動させてその場を収めた。けれど、とてもパーティーをしているような気にはなれなかった。
だがしかし、僕はこの国の王太子だ。大勢の招待客が足を運んでいる以上、それらを無下にすることはできない。一時間だけ適当に来賓の相手をした後、体調が優れないからと途中で退室した。
正直、なにを喋ったか記憶にない。気を遣って話しかけられても、普段通りに応対できるはず、ないじゃないか。誕生日に婚約者から離縁されて、目の前から逃げられたんだぞ!?
エントランスホールでなにがあったのか。経緯を知った王妃は、エリスティアが断髪して離縁したのなら、聖女セラフィナと結婚をすればいいと言い出した。やたらとセラフィナと二人きりになるよう仕向けられていたが、そこでようやく継母の魂胆を知った。
──冗談じゃない!
三人の娘はいずれ嫁ぐことになる。だから自分の王妃という地位を盤石なものにするため、身内である姪を引き入れたいのだろう。いくら相手が聖女だとしても、我が国ヴァランクールに必要な存在だとしても、応じるつもりは毛頭ない。
王妃の申し出は無視して、オッペンハイム公爵邸に向かう途中、エリスティアが着用していた緑色の服と似た装いをした少女とすれ違った。一瞬、本人と見間違えたが、少女の髪色はダークブラウンだ。その子に声をかけると、ピンク色の髪をしたお姉ちゃんが捨てた服を、拾っただけだと言っていた。
珍しい色の服を着るんだなと見惚れていたのに、さっきまで着用していた服をあっさり捨てたのか……。
こうしちゃいられないと公爵邸まで急ぐと、まだ事態を把握していなかった執事は、僕の話を半信半疑で聞いていた。エリスティアが断髪したと訴えても、信じてもらえなくて当然だ。僕だって、未だにあれは夢だったんじゃないかと思っている。でも、頬を抓ると鈍い痛みがある。信じたくはないけれど、これは現実だ。
オッペンハイム侯爵と夫人は、知人の葬儀とのことで不在にしており、父親の代役として息子三人で領地視察しているという。すぐさま長男のオーガストへ連絡をするよう指示すると、執事は魔力を注いだ伝書鳩を飛ばした。オーガストは、あっという間に転移魔法で帰還した。
あれほど大事にしてきた妹がいないのだから、さぞかし義兄弟は焦っているかと思いきや、オーガストは意外と冷静だった。妹の部屋を調べるから応接間で待つようにと言われたが、大人しく待てるはずもなく。無視して後を追うと呆れられたが、なりふり構っていられなかった。
机の上には、彼女に似合うと思って贈ったリボンやカチューシャ、ブローチなどの他に、二か月前に渡したマドンナリリーが一輪、枯れた状態で花瓶に生けられていた。丹精込めて育てた花だったが、数年前にアイリスを渡したときとは異なり、押し花にはしてもらえなかった。もしかすると、花の贈り物は迷惑だったのかもしれない。
オーガストからは、エリスティア直筆の手紙を渡されたが、そこに書かれていたのは一言だった。
《アルディオン様。どうぞ私のことはお気になさらず、自由に生きてください。では》
たったそれだけだ。理由は一切、書かれていなかった。文句の一つでもあれば、まだよかったのに、なにもなかった。なにもなかったんだ……。
「妹の行方は、我々家族が責任を持って捜索します。ですから、王太子はお帰り下さい」
「だ、だが……!」
「エリスティアが自ら髪を切ったのなら、我々はその気持ちを尊重します。こちらで調べて、なにか判れば使いを出しますから、今はお引き取りください」
「……くっ! 失礼する!」
悔しいが、その日は大人しく引き下がる以外の選択肢は用意されていなかった。
***
そして、翌日。王立魔導騎士学校へと通学する前に顔を出しても、不在だと言われるので、夕方になってからオッペンハイム公爵邸に顔を出したというのに、三兄弟の姿はどこにもなかった。今夜はもう戻らないと追い返されてしまった。王太子の方が立場は上とはいえ、オッペンハイム家の功績を考えると手荒な真似は賢明ではない。
それから二日、三日……と過ぎたが五日経っても進展は見られなかった。可能ならば四六時中、張り込みしたいところだが、生憎、僕はまだ一学生という身なので平日は学業を疎かにはできない。
オーガスト、エルンスト、ロジャーも同校の生徒なので、通学している姿は確認しているというのに、なぜか帰宅するはずの時間帯に邸宅の前で張ってみても、彼らが姿を現すことはなかった。密偵に調査させたところ、早朝に一度、帰宅していると確認が取れているので、どこか別の場所で一晩、過ごしているのかもしれない。そこにエリスティアがいるはずだ……!
僕も風の精霊と契約できていれば、オーガストのように修練次第で魔力を探知できたというのに、相性がよかったのは火と水だった。水なのは彼女と同じで嬉しかったが、風の属性と契約しようとしても見向きもされなかった。
「使用人を買収してもいい。三兄弟の動向を探れ!」
「ハッ!」
そして僕は、あれから毎晩悪夢を見るようになってしまった。髪の長いエリスティアが、僕の目の前で微笑んだ次の瞬間、髪の毛をばっさり切ってしまうんだ。手を伸ばして阻止しようにも止められず、床には彼女の髪の毛が無数に散らばってしまう。
僕をどん底に突き落としたことも知らずに、短くなった髪の毛を気にも留めず、可愛らしい笑みを浮かべているんだ。そして、立ち去る背中を呆然と見守ることしかできない。追いかけたいのに、あの日のように体が硬直して動けない。そこでハッと目が覚める。
そんな愛らしく笑わないでくれ。僕と縁が切れたというのに、清々しい顔を見せないでくれ──。
額にはびっしょりと汗を掻いているし、まさに『悪夢』だ。
ただ側近や密偵の報告を待つだけで居ても立ってもいられず、本当は使いたくない手だったが、やむを得ず聖女セラフィナを頼ることにした。エリスティアの現在地に心当たりがあるか、使いを出して尋ねた。
けれど、聖女からの返答は渋く、エリスティアが最大魔力を放出でもしない限り察知はできないとのことだった。聖女も、万能ではないんだな。
「アルディオン様……。そろそろちゃんと睡眠時間を取らないと、そのうち倒れてしまいますよ?」
「……ちゃんと休んでいる」
「いいえ。目の下の隈が酷いじゃないですか。セラフィナ様の治療を受けては──」
「断る!!」
ただでさえ王妃が目を光らせているというのに、今セラフィナを呼べば相手の思う壺だ。
エリスティアがどうして離縁を決めたのか原因が判明していない以上、余計な波風を立てないためにも慎重に行動しなければならない。
「……ヒーラーを呼べ」
「……わかりました」
あまり効果がないことはわかっているが、側近や周囲が口うるさいので、治療を受けているふりをすることにした。




