7話
「提案、ですか」
「あぁ。そろそろ仕事の方がひと段落しそうなんだろ?」
「……誰から聞いたんですか」
「え?お前のレディから。この前、ちょうどうちの店に来ていただいたからな」
「……本人の前で言っていませんよね……その愛称」
私は頭を抱える。確かに兄さんの口はまぁまぁ堅い。今の話も、曖昧にしてユウシになんなのか悟らせないようにした。
だからといって、レディ呼びなんて殿下が知ったらまた不機嫌になるわけで。
「レディ……?ジャックさんって、婚約者がいるんですか?」
「いませんよ……まぁ、明日になればわかります。それより、兄さんは私に何を提案したいんですか」
「俺と旅に出ないか?」
「――っ」
にやり、と兄さんが笑う。私は、一瞬だけ息が詰まった。
(レドモンド殿下のあの話……。ウソじゃなかったんだ……)
何も言えない私とは正反対に、兄さんは話を膨らませていく。
「すぐには無理だろう?ジャックは色々と仕事があるんだし。まぁ、そこんところは何とかなるだろう。最悪、ユウシくんがなんとかできる」
「ユウシはまだ初級の治癒師です。私の仕事をすべて任せるわけには……」
「そこまではしねぇよ。それに、ユウシくんはジャックが見ているんだろう?素質がなかったら、お前は放り出しそうだし」
「え!?僕、放り出されるんですか?」
「しません!……兄さんも、変なことを言わないでください」
「変なことじゃない。ずっと、考えていたんだ。俺は手紙でジャックに旅の内容を話し、それに対して返事を返す。ただな、俺がジャックからの返事を読んで『ジャックも楽しそうだな』って思うわけがないだろう」
「っ、それは……」
「あ~、別に言わなくてもいい。……ただな、国からずっと離れるわけじゃない。一ヵ月……。……いや一年くらいなら離れても大丈夫だろ?」
「……」
ユウシを中級試験に合格させる。エリーゼ王女の病気を治す。その二つさえ終われば、あとは健康診断くらいだ。
「……兄さんは、私に王家専属治癒師の称号を返却しろと言っているのですか?」
じろり、と兄さんを睨む。王族の方に触れられるのは、私以外にはいない。ユウシは中級試験後、もしかしたら元のメンバーと合流するかもしれない。だから、ユウシには任せられない。ユウシの進路を狭めてしまう可能性があるからだ。
そして、王家専属治癒師は長期間の間、国を離れることが契約で禁じられている。
私の目線や考えに気づいたのか、兄さんは慌てて訂正をする。
「あぁ、いや。別に辞めろって言っているわけじゃない。ただ、6歳くらいから10年くらいずっと働いているだろ?しかも、休みもほとんどない。なら、一年くらい、構わないだろうって思ったからだ。レディ……、レドモンド殿下も言っていた」
「……それでも、私は王族の方を無視して兄さんと旅に行く事は出来ません」
「まぁ、そうだよなぁ……」
困った、と表情をしながら頭を掻く兄さん。
本当なら、行きたい。見たこともない景色、初めての料理、価値観の違う人たちと話をしてみたい。
(それでも……私の個人的な気持ちで……この国を離れることはできない……)
重い沈黙の後、ふいに隣で黙っていたユウシが手を挙げた。
「……めちゃくちゃ空気が読めないんですけど、レドモンド殿下って王太子ですよね?」
「え、あ、はい。そうです」
「え、俺、今名前言っちまったか?」
「言いましたね、トレヴァーさん。はっきりと。で、思ったんですけど王太子ってことは次の王様……。この国で二番目に権力がある人ですよね?」
「厳密にいうと、二番目ではありません。陛下の次に宰相や大臣が入ってきますから」
「手っ取り早く、二番目でいいだろ?……で、ユウシくんは何か気になる事でもあるのか?」
「王太子が許可を出しているんなら、ジャックさんが旅行に行ってもいいんじゃない?って思いまして。……あぁ、もちろん!僕が試験に合格した後の話ですけど」
「やっぱり、そうだよな!」
「ユウシまで……」
私に出て行ってほしいとか、いらないとかじゃない。レドモンド殿下も、ユウシも、兄さんも。二人に言っていないだけで、マリーや司祭様からも同じようなことを言われている。
『ずっと教会にいたんだもの。たまには、息抜きをしないとだめよ』
『ジャック、お前は常に王家の事を考え真摯に対応していた。その働きは、いずれ報われなければならない』
といっても、今更何をやりたいかやしたいかがない。5歳からずっと教会にいるのだから、私の居場所はここしかない。
兄さんは、ふっと息をつくと気が抜けたような顔で笑う。
「まぁ、今はそれでいいさ。あ、寄付金は司祭に渡しておいてくれよ?」
てきぱきと帰り支度をする兄さん。ユウシは気を利かせ「部屋の掃除、しておきますね!」と名乗り出てくれた。
さっと部屋を出る兄さんのあとをついていく。革靴の音だけが廊下に響く。私は、何を言えばいいか混乱していた。
「……そういえば、言うタイミングがなかったんだが……」
「ん?」
「髪。切ったのか?」
くるりと、振り返り自分の髪を指さす兄さん。私は、今までよりも風通しが良くなった首筋に手を置く。
「魔獣の毒を抜くのに、使いました」
「あー、それがユウシくんか!……お前、王女の病気は大丈夫なのか?」
声を潜め、私にしか聞こえないように話す兄さん。私は、消音の魔法を使って音漏
れがしないようにする。
「大丈夫ですよ。……恐らく」
「……まぁ、エリーゼ王女なら、そこらへんは大丈夫か。……ケーキでも、うちで注文するか?」
心配そうに眉を顰める兄さん。私は首を横に振る。
「いえ、下手に機嫌を取るような行為をすれば、逆に怒らせかねません。……頭を下げます」
「そっちの方が、いいか」
外に出て裏門に行くと、馬車が待っていた。
「商会の馬車ですか。珍しいですね」
「あぁ、すぐにここに来たくてな。職権乱用しちまった。まーた、従業員に怒られるわ」
頭を掻きながら、視線を馬車に移す兄さん。御者は、またかといった呆れたような笑顔で私たちを見ていた。
「……従業員の方に何も言わずに来たんですか?」
「いや、書置きはした」
胸を張り自信満々な態度で返事をする兄さん。
「……それじゃ、ダメでしょう」
「おう。今から怒られに行ってくるわ」
馬車に乗り込む兄さんを見送る。
「次は、どこに行く予定ですか?」
「しばらくはこの国にいるさ。……そうだ、これを渡しておかなきゃな」
兄さんは馬車から降りつつ、スーツからカフリンクスをとる。それを私の手に握らせると、踵を返し馬車に乗り込んだ。
「え?兄さん、これ……!」
「俺の屋敷に入る時に使え。執事や門番にも、言ってるから。住所は手紙で送る」
ゆっくりと馬車が走り始める。追いつけるわけがないのに、私は走り出した。
「なんでっ……!私は、ここから出ることはないんですよ……!」
兄さんは窓から身を乗り出して、叫ぶ。
「いいから、持っておけ!何かあったときのためだ!」
馬車はスピードを上げて、そのまま走り去っていった。私は、息を整えつつ手のひらにある金色のカフスリンクスを見つめた。
「……ここから出ることなんて、ないのに」




