23話
目を開けると、知らない天井だった。
身体を半分起こす。深みのある茶色の天井が見える。
ベッドサイドには小さなランプ。
周りを見ると、椅子とテーブルが置かれている非常にシンプルな部屋のように見える。
「確か……トレヴァー兄さんの屋敷に来て……」
立ち上がろうとしたけど、全身に痛みが走る。鋭い痛みと鈍い痛みの両方で、息が一瞬詰まった。
(こんなに長距離を歩くとは……)
おまけに、悪路を無理やり歩いてきた。
ドアがノックされ、返事をする。
トレヴァー兄さんと、もう一人の若い銀髪の執事が何かを押しながら入ってきた。
部屋の電気をつけながら、兄さんは私に視線を向ける。
安堵したような顔で、椅子と簡易テーブルをベッドサイドに持ってきた。
「気分はどうだ?」
「えっと……全身が痛いです」
「だろうな。……あぁ、そうだ。こっちは、シリウス。この家の筆頭執事だ。シリウス、俺の弟のジャックだ」
「お噂はかねがね聞いております、ジャック様。シリウスと申します。以後、お見知りおきを」
「よろしくお願いします……」
噂、とは何だろう。専属治癒師を降ろされたこと?
それとも教会で起こったことだろうか。
私の顔を見て、何か察したのかシリウスは咳払いをする。
「旦那様から、ジャック様について様々な話を伺っております。天才、自慢の弟と何度も。ここに仕えている者全て、ジャック様の事をとても身近に感じております」
「そんなに話してたか?俺」
「えぇ」
幼さが残る顔のシリウスだが、立ち居振る舞いは一流の執事そのものだ。
(何歳なんだ……彼は……)
というより、トレヴァー兄さんが執事を雇っているとは思わなかった。
シリウスが食事を用意してくれている。
「俺が見ておく。あと、酒を頼む」
「……辞めたはずでは?」
「一杯だけだ。ジャックがここに来るのは初めてなんだから、記念にな」
深いため息をついて外に出るシリウス。
ウィスキーのグラスとボトルを手に、戻ってきた。
「一杯だけですからね」と、念を押し彼は部屋から出ていった。
兄さんはボトルから酒をグラスに注ぐ。
琥珀色のそれを、ライトに透かして目を細めている。。一瞬だけ苦い顔をしたかと思うと、彼はその液体をぐいっと煽った。
私は無言で食事をした。トマトと野菜を煮たスープ。小さなパンをスープに浸しながら、食べる。
「……どうして、一人で来たんだ?」
ぽつり、と独り言のように兄さんがつぶやいた。
私はどこまで説明するか悩んだ。全て説明をしたところで、兄さんは信じてくれるかわからない。実際、ほかの人たちは私の話を一切聞かなかったからだ。
押し黙る私を見て、ふふと笑うトレヴァー兄さん。
「まぁ、言いたくねぇよな」
「……兄さんは、どこまで知っているんですか?」
「全部だ」
「そう、なんですか……」
ぎゅっと、両手に力が入る。
何から話せば、いや。
(そもそも、言い訳にしか聞こえないのでは……)
トレヴァー兄さんは合理的な人だ。
あらかじめ私が話したとしても、どういう判断をするか分からない。
身内だけど、身内だからこそ。
(話すのが、こわい……)
もし、他の人と同じような反応をされたら。
もし、すぐにここを出ていくよう言われたら。
もし……。トレヴァー兄さんに信じてもらえなかったら。
手の震えが止まらない。
抑えようにも、逆に手が震える。
呼吸が少しだけ荒くなる。
そうか、私は……。
(話すのが、こわいんだ……)
今まで、起こった出来事は全て手紙に書いていた。
それに対して、一つ一つ丁寧に返信をしてくれたとレヴァー兄さん。
少なくとも私の話を聞いてくれる。そう確信しているのに。
じわり、と目の前が歪む。
鼻の奥がツンとしてきた。
(ここで泣いても、何もないのに……)
「ジャック?」
トレヴァー兄さんが優しい声音で、名前を呼んでくる。
「その……なんというか……」
自分で出した声に笑ってしまう。あまりに、ぐずぐずだ。
「えっと……その……何から話したらいいか、わからなくて……。あ、トレヴァー兄さんの方は、どうなって――」
「怖いか?」
部屋に響く凛とした声。
顔を上げると、トレヴァー兄さんが真剣な顔で私を見ていた。
核心を貫かれたようだ。
ゆっくりと頷く。
ぽたぽたと雫がベッドに落ちる。
「こわい、です……すごく」
「何が、怖い?」
ゆっくりと静かに聞いてくるトレヴァー兄さん。
どうしよう。
(話していいのだろうか。兄さんだって、大変なのに)
「俺に嫌われることか?それはないな。じゃあ、失望されることか?それもない」
「なんで……」
そこまで、信じられるんだろう。
私ですら、もう今の私を信じることが出来ないのに。
「お前は俺のたった1人の身内だ、ジャック。信じる理由なんて、それだけで十分だ」
力強い声で、全てを見通すような目で、私に言い聞かせるように宣言した。
私は手で顔を覆い、下を向く。
拭っても、拭っても、涙が止まらない。
私の後ろ汚い気持ちを話しても、いいのだろうかと。
「たまには、愚痴も言わなきゃな。……いや、ジャックの愚痴じゃない。正当な主張だろ」
私の罪悪感を減らすような言い方だ。
もう、我慢できなかった。
「……っくやしかったんです……!」
今の姿を見たら、私の周りにいた人はどういう反応をするのだろう。
必死に涙を拭い、意味のない言葉を吐こうとする口を必死に制御し、言葉を紡ぐ。
「わ、たしだって……、わたしだって!やっていた!っ、……なのにっ……なのに……!」
「うん」
兄さんは静かに、優しく頷く。
目の縁が痛い。
喉が上手く動かない。
顔を上げられない。
「どうして……っ……!どうして、わたしはっ……」
負の感情は捨てたはずだった。教会にお世話になると決まったあの日から。
教会で負の感情を喋るなんて、と。
なぜ、マリーは私の話を信じてくれなかったのか。
なぜ、ユウシは変わってしまったのか。
なぜ、エリーゼ王女は何も言わなかったのか。
その言葉を吐けば、今までの私の努力は何だったのか。自分で否定をしてしまうことになる。
それでも、考えが止められない。
なぜ、なぜ、なんで、なんで!
「わたしは……っ……!信頼されていなかったんですか……!」
咆哮だ。獣のように、顔を上げた私は部屋中に響くように叫ぶ。
兄さんの顔を見る。彼は、真剣な顔で静かに頷いている。
「トレヴァー兄さん!私は、馬鹿だ……。私なりに頑張ってきた……なのに……どうして……!結局は、ユウシが……ムライが……本物だった……!本当の天才だったんだ……!エリーゼ王女の病気だって……!私じゃなかったら……治せてたんだ……すぐに……」
エリーゼ王女のあの目が忘れられない。
怒りに染まり、射殺すような目で私を睨めつけている、あの金の目が。
「ユウシが……ムライが……何を言っていたかは、わからない……。あの、治癒魔法は本物です……!けれど、この世界がゲームだったら……わたしは……。っわたしは……なんだったんですか……!」
頭の中で、彼の言葉がリフレインする。
『別の世界からやってきた』
『ここはゲームの世界で、ジャックはNPC』
『王家専属治癒師の称号がほしい』
『ユウシの魂?しらね、俺の姿なのにその中に別のやつが入ってるとかキモい』
本当にユウシは死んだのか。いや、そもそもあの姿は本当に『ユウシ』だったのか。
身体だけユウシで、魂はムライ?
稀だが、人格が分裂することがある。
ユウシの人格がなくなったから『なくなった』なのか。
もしくはムライが演技をして、ユウシに成りすましていたのか。
「……ゲームでも、俺たちは生きてるだろ」
ぼそっと、低く重い声が聞こえてきた。兄さんは、怒りの表情を滲ませ両手を体の前で組んでいる。
「俺たちは、生きてる。ゲームの中だろうが何だろうが、俺たちには意思がある。……ユウシくんも、生きてたんだろ」
多分、と小さな声で付け足す。
「そう、です……彼は生きてたんだ……」
ユウシは、どうしてあぁなったのか。
もしかしたら、私が分からなかっただけでずっと相談しようとしていたんじゃないか。
「なんで……ユウシ……マリー……エリーゼ王女……」
涙が止まらない。
身体を支えられず、頭を抱えるように前へと倒れる。
私の背中をゆっくりとトレヴァー兄さんが、さする。
「おう、泣け泣け。対処は俺が何とかやれるから」
「う、ああああああぁぁぁ……!」




