魔王サマ、ご帰還
俺は全瀬真央。日本の男子高校生だ。
さっきまで学校で数学の授業を受けていたはずなんだが、瞬きをしたら、ホラーゲームの洋館にありそうな薄暗い部屋のバカでかいダイニングテーブルのお誕生日席に座っていた。
えー、なにこれ。
あ、わかった。夢か。なら授業の終わりまでは寝よう。
「あの」
「うわぁぁぁぁっ」
突然横から話しかけられて、俺は椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。
見るとすぐ真横に、黒い三つ揃えのスーツを着て片眼鏡を掛けた、銀髪の男が立っていた。片手を胸に当て、ほんの少しだけ腰を折っている。
その顔を見た瞬間、俺の心臓が、ドクンと大きく鳴った。
「セバスチャン」
俺が名を呼ぶと、セバスチャンはぱぁっと表情を明るくした。
「お帰りなさいませ、魔王様」
魔王。
その言葉を聞いた途端、俺は悟った。
そうだ、俺の前世は魔王だった。俺は魔王だ。
俺は魔王で……魔王で……えーと。
いや、それ以外なんも思い出せないな?
「悪い。魔王だったこと以外何も覚えてない」
「何も問題ございません。魔王様が無事にご帰還下さっただけで十分でございます」
「いや、困るし。説明してよ」
「……」
セバスチャンがにこやかな笑みをひっこめた。無表情になると妙な迫力がある。
生意気すぎる言葉遣いだったか。そうだよな、セバスチャンの方が年上だもんな。前世が魔王だったからって調子に乗りすぎた。
「あ、いや……」
「もちろんご説明させていただきます」
俺が謝ろうとすると、セバスチャンはにこーっと再び笑った。
「①わたくしと魔王様の馴れ初めから語りつくす七日間コース ②わたくしと魔王様の思い出を抜粋した三日間コース ③わたくしと魔王様のダイジェスト五時間コースがございますが、どれになさいますか? お薦めは①の七日間コースです」
「五分で」
「承知しました。では五分で……」
心なしかしょんぼりとしたセバスチャンが、懐から大きな四角い箱を取り出して、テーブルの上にドンッと置いた。え、どうなってんの。マジックバックとか空間収納とかそういうやつ?
そしてパチンと指を鳴らすと部屋の明かりが消えて、壁に影絵が投影された。なるほど映写機だったわけね。
するとセバスチャンが歌い始めた。ミュージカルかよ。しかも無駄に声いいな。
「大陸の~西側統べるは我らが魔王~♪」
「不っ死身の、無っ敵っの、我らが魔王~♪」
「人間を~いたぶり殺すぞ我らが魔王~♪」
「暴虐、殺戮、我らが魔王~♪」
「勇者の聖剣に貫かれど~♪」
「異界で魂癒しては~♪」
「何度~も何度~もよっみがえる~♪」
セバスチャンが映写機の前で激しく踊るせいで、全然影絵が見えない。
「二十の年月経た後に~♪」
「幾度~も幾度~もよっみがえる~♪」
「四天王とセバスチャンを従えて〜♪」
「世界を闇に陥らせ~♪」
「全ての命を根絶やしに~♪」
「あ〜あ、孤高の我らが魔王♪」
「あ〜あ、気高き〜、我らが〜、魔〜王〜〜♪」
最後、ものすごーくビブラートを効かせて、セバスチャンの歌は終わった。
「おわかりいただけましたか」
「いや何もわからん。ていうかセバスチャンだけ名前が入ってるのな?」
俺が指摘すると、セバスチャンは頬を染めて照れだした。
「それはもう、魔王様に頂戴した大切な名前ですから、魔王様の偉大さと共に未来永劫残しておかないと」
お前が作詞者なんかい。薄々気づいてたけど。この分だと作曲もこいつか。
「でもさ、一人だけ個人の名前って、魔王より目立ってない?」
「はうわぁぁ!!」
セバスチャンの顔面が崩れた。美形が台無しだ。
「で、魔王は勇者に負けて、異世界で魂を癒して戻って来たってこと?」
「魔王様は負けたわけではありません! 憎っくきあの勇者は、寝込みを襲った卑怯者です!」
「魔王城の守備を突破してきたんなら卑怯ではないだろ」
城にいた部下たちを倒して来たんなら、そんな有事に呑気に寝こけている魔王が悪い。
「その時、魔王様はお一人で外出中だったのです……」
セバスチャンは悲壮な顔をした。魔王を守れなかったことを悔いているようだ。
「あれほど勇者の村の近くには出向かないで頂きたいと申し上げたのに」
ああ、自分から行ったのか。
「ケットシーに化けて昼寝なんてなさるから、毛皮目当てに狩られることになるんですよ」
ん?
「なんで猫の姿で昼寝? 勇者を倒しに行ったんじゃ?」
「いえ、日向ぼっこに理想的な木の枝を見つけたとかで」
日向ぼっこ目当て……!
何やってんだよ魔王!!
「毛皮目当てって、勇者は魔王だって知らなかったのか?」
「ええ、なにせその時勇者は八歳でしたし」
「子供!!」
「その前はゴブリンと仲良くなったとかで宴会後に酔いつぶれている所を襲われ」
ゴブリンと間違われて巣穴ごと討伐されたんだろうなぁ。
「スライムの姿でどこまで巨大化できるか挑戦中に満腹で動けない所を襲われ」
食うと膨らむんか。
「渦潮でサーフィンしてくると仰ってそのまま渦に呑まれたこともありました」
もはや勇者関係ない。
「我ながら毎度間抜けな死に方だが、まあ、記憶がないんじゃ反省もできないか」
そう言うと、セバスチャンが、つつーっと視線を逸らした。
「毎回記憶がないんだよな?」
セバスチャンの顔をのぞき込むが、尚も視線を逸らされ続ける。
「まさか、記憶ないの今回だけ? しかも原因知ってる?」
セバスチャンは視線を(略)
「セバスチャン?」
「大変申し訳ありませんでした!!」
セバスチャンがスライディング土下座した。
「魔王様お会いしたさに我慢しきれず、お呼びすればいいかなー……と」
「召喚したってこと?」
「はい。いつもはご自身で渡って来られるのですが」
「召喚されると記憶がなくなるのか?」
「いえ、おそらく、時期尚早だったのでは、と」
「あ!」
さっきセバスチャンは「二十の年月」と歌っていた。
俺はまだ十七歳だ。魂が癒えきっていなくて記憶が戻っていないのか。
「マジかー……」
俺は頭を抱えた。
「申し訳ございません!」
魔王の自覚だけはあるが、中身は高校生でしかないわけで、正直「魔王」をやれる気がしない。部下を従えて人間と戦争とか無理だろ。
でも――。
「まあいっか」
なんとかなるだろ。
「さすが魔王様です。お変わりなくて安心しました」
いや、それは全然嬉しくない。死因を聞くに前世以前の魔王は間抜けすぎる。
「見た目は全然違うよな?」
もっとムキムキしていた気がする。記憶はないからなんとなくだけど。
「今回の魔王様も素敵です」
「そうか。ならまあ――」
「ポスターにブロマイド、フィギュアにアクリルスタンド……忙しくなりますね!」
「なんて?」
「あ」
セバスチャンが自分の口を塞ぐがもう遅い。
「魔王のグッズ展開されてんの?」
「えーーーっと……」
再びセバスチャンが視線を逸らす。
その左手が懐を押さえているのを俺は見逃さなかった。
「魔王公認なのか?」
「もちろんです!」
マジか。俺なら絶対許さないと思うんだけどな。
あー、でもさっき聞いた死因の感じだとそうなのかも。
「とりあえず出せ」
「はい……」
セバスチャンが内ポケットに手を入れた。
すると出てくる出てくる。ダイニングテーブルの上があっという間に埋まった。
さっき言っていたポスターやらフィギュアやらの他、縫いぐるみやら下敷きやらトレカやらTシャツやら果ては抱き枕まで。
多いな!
描かれている姿は髪型や服装が違うものの似たりよったりで、どれも予想通りガッツリ鍛えている大人の男だ。今の俺とは似ても似つかない。
見てもピンとこないのは……記憶がないからだよな。
記憶が戻ったら俺も鍛えてこうなるんだろうか。いや、無理じゃね……?
自分の顔から下だけがガチムキになってるのを想像して、ないわー、と思った。
「なあ、なんでこれだけヘタってんだ?」
他はピカピカなのに歴代の抱き枕だけ使用感がある。
「毎晩ご一緒しているからに決まってるじゃないですか!」
セバスチャンが抱き枕をぎゅっと抱き締めたので、俺はそれをペイっと取り上げた。
「あああー!!」
「他はいいけど枕はダメだ」
なんかヤダ。
「そんなーー!!」
全て部屋の隅へと追いやる。
「あと、新作を作るのもナシな」
「なん……だと……」
セバスチャンは絶望に染まりきった顔をした。
「そこをなんとか」
「嫌だ」
「魔王様っ!!」
滂沱の涙を流して縋り付いてくるが知らん。グッズになるなんてごめんだ。
「あと、魔王が復活したのもしばらく内緒な」
トップの記憶がないのは混乱の元だ。落ち着くまではこのままにしておきたい。
「え?」
「え?」
「もう国中にお触れを出してしまいました」
「いつの間に」
さっき俺がこっちに来てからずっと隣にいなかったか。さすが魔王の側近と言うべきか。仕事が早い。
「いえ、今からお呼びしますよ、と」
見切り発車かよ!
「通達してしまったものは仕方がない。失敗したとでも言って、なかったことにしろ。無理だとしても俺は人前には出ない」
「あー……」
セバスチャンが意味ありげな顔をした。
なんだよ、まだなんかあるのか。
「もう遅いかもしれません」
「だから何が――」
突然、バァンッ、と激しい音を立てて部屋の扉が開いた。
* * * * *
「お、今度の魔王様はちっせぇなぁ!」
豪快に笑いながら入ってきたのは、赤い髪を逆立てたガチムチの男。片方の胸がはだけていて、腰にごつい剣を佩いている。
「……」
無言で入ってきたのは、青いおかっぱの細身の男。こっちは逆に首元までしっかり着込んでいて、弓矢を背負っている。
「魔王様、久しぶりッスね〜」
ひらひらと手を振りながら入ってきたのは、黒の短髪の小柄な男。身軽そうな服だ。武器は見える所にはない。
「やだぁ、魔王様、かぁわぃぃぃ!」
最後に入ってきたのは、白い髪のナイスバディな美女だった。丸っこい耳と尻尾を持つ獣人だ。容姿に似合わず大斧を背負っていた。
「こちら、四天王です」
ああ、そういや歌詞に入っていた。
話に聞いた魔王の様子からして、もっとザコくても不思議ではないが、四人ともしっかり幹部っぽいオーラがあって、囲まれると俺がカツアゲされてるようにしか見えない。
四天王とくれば「やつは四天王の中でも最弱……」とかやりたいとこだけど、この中で誰が一番弱そうかって言えば……圧倒的に魔王だな!?
「えーっと……」
俺はセバスチャンに助けを求めた。みんなの名前が分からん。
「赤いのが煉獄のゼルガ、青が氷華のリーヴェ、黒いのが虚空のヴァレオン、白いのが獣牙のグラドです」
一度に言われて覚えられるわけがなかった。
よし、色で呼ぼう。
「なんだよセバスチャン、俺たちの名前なんざ今更」
「もしかしてぇ、魔王様、記憶がないのぉ?」
赤と白が鋭い。
「……」
青は無反応だ。
「ンなわけないっしょ。いくら魔王様でも記憶を吹っ飛ばしたりは――」
黒が笑い飛ばそうとして、セバスチャンを見て止まった。
セバスチャンが明後日の方向を向いて口笛を吹いていたからだ。
誤魔化し方下手くそか!
はぁ……。
俺はため息をついた。仕方ない。幹部四人には伝えておこう。変に期待されても困るし。
「そういうわけだから、よろしく」
「おいおいマジか……」
赤が口元を手で覆った。
「……」
青はやっぱり無反応。
「プッ、記憶喪失とか、さっすが魔王様」
黒はケタケタと笑っている。
「えぇぇ魔王様、アタシのことも忘れちゃったのぉ?」
白は残念そうだ。
「私のことは覚えて下さっていました」
セバスチャンがドヤった。
「ずっるぅぅい!!」
「ね、魔王様?」
キラキラした視線でセバスチャンがこっちを見てくる。
会った途端に名前を呼んだからなんだろうが……。
「ん、あ、あぁ……名前だけな?」
「それだけでも至上の喜び。魔王様がつけてくださった名前ですからね!」
……言えない、執事っぽかったからセバスチャンって定番の名が口をついて出ただけだなんて。
「な、なあ、魔王様、記憶がないってのは、どの程度なんだ? まさか魔法の使い方もわからないとかじゃないよな? な?」
赤が俺の両肩をがしっとつかみ、激しくゆさぶった。
「あー、いや、わかんない」
魔法ってどうやって使うんだ? 「ファイア」とか言えばいいのか。
「剣の使い方は? 魔王様は格闘技も得意だっただろ!?」
剣なんて持ったこともないし、格闘技は体育の授業で柔道をかじっただけだ。やればできるという気も全くしない。
「覚えてない」
きっぱりと言うと、赤は、ものすごく顔を青ざめさせた。
かと思うと、頭を抱えてブルブルと激しく震え始める。
「そ、そんな、魔王様が戦えないなんて……終わりだ……もう俺たちは終わりだ……勇者に殲滅させられるんだ……」
え、そんなにヤバいの。
でかい図体した豪快な男が縮こまって震えてる図はだいぶ不安を煽る。
「大丈夫ですよ。今まで勇者が魔王城に来たことなんてないんですから。ゼルガは攻撃担当のくせに少し怖がりなんです」
少しってレベルじゃないんだけど。
でもそうか、勇者は魔王城に来たことはないのか……。
「そうだ、アタシのことも早く思い出してもらわなきゃだからぁ、今夜もいつもみたいに一緒にお風呂入ろう!」
白が俺に抱きついてきた。むぎゅっと顔に豊満な胸が押し付けられる。
一緒に風呂って、え、俺たちってそういう……?
でも、不思議なことに、ナイスバディな美女に抱きつかれるなんて健全な男子高校生にとっては興奮待ったナシのシチュエーションなはずなのに、下半身がピクリとも反応しない。
これが部下との信頼関係ってヤツなのか。
そんなことを考えていると、セバスチャンにベリッとはがされた。
「やめなさい! 魔王様とお風呂に入ったことなんてないでしょう!」
「えぇぇ、そこは黙っててよぉ!!」
「魔王様とお風呂だなんて、私だってご一緒したことないんですよ!?」
「オレはあるッスよ」
「「はぁ!?」」
黒の乱入に、セバスチャンと白が叫んだ。
なんかドス声が混ざってた気がするけど気のせいだよな……?
「あぁん? 魔王様と風呂ってどういうことだよ手前ぇ!」
あ、気のせいじゃなかった。
白が黒の胸ぐらを掴み、ドスの効いた声で食って掛かっている。
「そのままッス。たまに城下の銭湯に行くんスよ」
「ずっるぅぅい!! アタシも行くぅ!」
元に戻った。なるほどよく見れば喉仏があるし、声も裏声使ってるな。だから俺も反応しなかったのか。
「それは駄目ッス」
「何でだよゴラァ!」
忙しないなぁ。
「嫁が怖いんで……」
黒がすっと遠い目をした。
「奥様はヴァレオンを深く愛しておられる方でして」
セバスチャンが俺に説明してくれる。
「姐さんのことはもちろんオトk……そんな関係にはなり得ないことは説明済みなんスけどね」
途中で白にギロリと睨まれて、黒は上手く言葉を言い換えた。
奥さんが嫉妬深いと言うことか。
「バレなきゃいいんじゃ?」
実際浮気ではないんだし。
「バレなきゃ……ねぇ……」
黒がハハッと乾いた笑いを漏らした。
「隠密担当のヴァレオンの部下でもある奥様は、ストー……諜報活動に長けていらっしゃるので、絶対にバレます」
セバスチャンが断言した。
「ヴァレオンは数々の浮名を流していたので、結婚するとは思いませんでしたが」
「外堀を埋められたんスよ……」
黒が遠い目をする。
「脅s……恐k……政治力にも長けていらっしゃって、ライバルを薙ぎ倒したそうです」
さっきから言い換える前の単語が怖ぇ。
「まあでも、極稀に露見しない時もありますね。先日飲み会に行った時も――」
「ストーップ!! それ以上は駄目ッス」
黒がセバスチャンの口を塞いだ。
その途端、ゾクリと背筋に悪寒が走った。
視線を感じて扉の方へと目を向けると、扉が薄く開いており、爛々と輝く瞳ががこちらを覗いていた。
「あー……バレた……もう終わりだ……」
黒が頭を抱えてうずくまる。
ビビリ散らかしている赤と、同じく嫁にビビっている黒。そして後ろから俺を抱きしめて離さない白。
うーん、カオス。
そんな中、欠片も動揺していない青が俺には頼もしく見えた。
知的な見た目からしても、こいつが四天王の中の知力担当なのは一目瞭然だ。
「なあ、お前はどう思う? 魔王に記憶がないの」
「……」
アドバイスが欲しくて、聞いてみたが、青は無反応だった。
「リーヴェ、魔王様があなたに質問をされていますよ。魔王様はあなたのことを全く覚えていらっしゃいませんが、どう思うかって」
「覚えてないの?」
あ、しゃべった。
「ああ」
俺がうなずくと、青は「ガーン!!」とものすごくショックを受けた顔をした。
え、今さら?
「防御担当のリーヴェは実力は折り紙付きですが、少しばかりバ……飲み込みが遅いのです。わかりやすく話してあげてください」
知力担当とは真逆だった。
赤:攻撃担当。ただしビビり。
青:防御担当。ただしバカ。
黒:隠密担当。ただし嫁がストーカー。
白:お色気(?)担当。ただしオネェ。
銀:執事。ただし魔王グッズを多数所持
大丈夫なのか、魔王軍は。
「ちょっと色々考えたいから、一人になりたい」
「ではお部屋にご案内しますね」
セバスチャンが魔王の自室に案内してくれたが、やっぱり何も思い出せなかった。
* * * * *
セバスチャンは「魔王様ご帰還の宴会を〜」と言っていたが断り、食事は部屋に運んでもらって、一晩寝たら思考がすっきりした。
俺は魔王であることには間違いがないのだから、記憶があろうがなかろうが、魔族と魔物を導いていかなくてはならない。
ならば、魔王の仕事を学ばなければ。
最大の仕事は勇者を倒すことなんだろうけど、それ以外にもトップなんだからやることはあるよな。
俺はセバスチャンを呼んで、聞き取り調査をすることにした。
「魔王って、いつもは何をしてたんだ?」
「そうですねぇ……城下に降りたり、狩りに出たり、遺跡の発掘に行ったり……と、よく出歩いていらっしゃいましたね」
「仕事は? 書類見たりとか、会議とか、あるよな?」
「いいえ、そういう雑事は私がやっていますので、魔王様のお手を煩わせることはありません」
「え、毎日遊び歩いていたってこと?」
「まあ、そういうことになりますね」
まさかのニート。
「魔王なのに、それでいいのか?」
「はい。魔王様は魔王様としていて下さるだけで十分ですから」
「いや、それにしたって、魔王がいないと困ったことも、少しくらいあるだろ?」
「もちろんありますよ!」
だよな。さすがにな。
「私が寂しいです!!」
「え?」
「魔王様がいらっしゃらない二十年は本当に長くて長くて長くて。せっかくご帰還されてもすぐに異界に行ってしまわれますし。ずっと魔王城にいて頂きたいです!」
すぐに異界に行く、というのは、すぐに死んでしまうから、ってことだよな。あの間抜けな死因で。
「そういう、個人的なのじゃなくて、魔王としての仕事だよ。ほら、人間との戦争とか」
「人間との戦争は、魔王様が魔王様となってから五百年、一度も起きていません」
「え、そうなの?」
魔王って人間と敵対する存在なんじゃないのか。その人間の筆頭が勇者で。
「はい。魔王様が先代の魔王の魂を粉微塵にして代替わりをした後、毎回魔王様復活の神託を受けて人間側は準備を始めますが、仕掛ける前に魔王様が異界に行ってしまわれるので、開戦まで至りません。――ですが!」
セバスチャンが両手をぐっと握りしめて前のめりになった。
「今回こそは人間どもを蹂躙し、魔王様の支配を大陸全土へと広げましょう。前回ケットシー姿の魔王様を射殺した憎っくき今代の勇者もまだ現役です。しかるべき報いを受けさせなくては!」
「四天王があれじゃ無理じゃないか」
昨日の赤青黒白の様子を見る限り、まともに戦えるとは思えない。
「彼らは日常ではあのような有様ですが、戦いとなれば話は別です。訓練は欠かしておりません。現在人間と友好な関係でいる魔族たちも、すぐさま態度を翻し招集に応じるでしょう」
「人間と友好な魔族もいるのか」
「もちろん、人間たちを油断させるための見せかけですよ。人間たちの生活に密着し、情報や資金を集めているのです。全ては魔王様のお声が掛かる時のために。魔王様が一声命じて下されば、いつでも開戦できます。それとも、今すぐに始めますか?」
キラキラとした期待に満ちた目を向けられる。
「…………いや、もう少し情報が欲しい」
「そうですか……」
セバスチャンはがっかりしたように肩を落とした。
「どうしてそんなに人間と戦争をしたいんだ?」
魔族の性だからなのか?
「だって、人間を駆逐して勇者が生まれなくなれば、魔王様は異界に行くこともなく、ずっと魔王城にいて下さいますよね?」
きょとんとした顔でセバスチャンが言った。
なるほど。そういう動機なのか。
どんだけ魔王のことが好きなんだよ。
「魔王がいない間に戦争を起こそうとは思わなかったのか」
「勝手に開戦してはならないと魔王様がお命じになったので」
俺は覚えてないんだけどな。
「もう一つ聞きたい。どうやって魔王を召喚した?」
「魔王様が異界からこちらに渡ってくる術の応用ですので、魔王様の方がお詳しいのですが――」
そう言って、セバスチャンはあの食堂の真下にある部屋を案内してくれた。
でかい魔法陣が床に描かれている。
「こちらが魔王様がお書きになったメモです。この部分を逆転させて、こちらの世界から引き寄せるような陣になっています」
初めて見る魔法陣と文字のはずなのに、セバスチャンの説明がするすると頭に入ってきた。
説明されていないことまで理解できて、このメモを書いたのは紛れもなく魔王なのだなと実感する。
だから、これを使えば――。
* * * * *
数日後。
瞬きをした俺は、教室の自分の席に座っていた。
どうやら魔法陣は上手く発動したようだ。
不在だった数日間、こっちの世界ではどうなって――。
「真央、海外旅行どうだった?」
前の席の級友が振り返って聞いてきた。
なるほど、そういう扱いになっているのか。この分だと、家族の方も記憶の辻褄が合うようになっているのだろう。俺が戻ってこなければ、死んでいたことにでもなっていたのかもな。
「なあ、どうだったって」
「面白い経験だったけど、二度と行かないかなぁ」
「そんなに!?」
セバスチャンから話を聞いた後、俺は四天王や他の魔族にも話を聞いた。人間の領域にも行ってみた。
魔族たちは皆、人間との戦争を望んでいた。赤でさえも、ビビりながら。
だけど、人間と上手くやっているようにも見えた。騙しているんだと言いながらも、人間の世界に溶け込んで、人間と結婚している奴もいた。人間の方も、魔族と知り疑いながらも、それでも共存している。
魔王がいなければ、戦争は起こらない。
決め手は魔王の日記だった。魔王にしか開けないように魔法の鍵が掛かっていた。
帰還後は毎回同じことが書いてある。二十歳の誕生日に魔王であることと帰還の方法だけを思い出し、転移したところで全てを思い出して帰還を後悔する。こっちの世界を見て回り、やっぱり魔王は不要だと結論づける。
元の世界に戻ろうにも、記憶を取り戻し魂が完全に癒えてしまった魔王は存在が強大すぎて、向こうの世界に渡ることができない。だから、死ぬしかなかった。自殺だと疑いをもたれないよう、わざと間抜けな死に方を選んで。
だけど、俺は違う。魂が不完全で記憶も取り戻していないから、世界を渡れる。
だから、戻ってきた。
こっちで死ねばまた魂は向こうに行ってしまうけれど、それまでの間、何十年かは向こうの世界は平和でいられるだろう。
セバスチャンには手紙を残してきた。
不完全な魂を癒すために向こうの世界に戻ること。次に無理をしたら魂が崩壊する恐れがあるため二度と勝手に召喚したりしないこと。
これだけ伝えておけば十分だろう。魔王の命令は絶対だ。
遊び惚ける生活も魅力的ではあったけど、旅行は終わりだ。現実に戻らなきゃな。
チャイムが鳴って、朝のHRの時間になった。
ガラッと教室のドアが開き、担任の教師が入ってくる。
その後ろに、一、二、三、四、五人の人物。
どこかで見たような……。
「突然だが、教育実習の先生と、転校生四人を紹介する」
カカカカッと黒板にチョークが走る。
世羽須 智也
煉獄 是留我
氷華 凛舞
虚空 晴雄
獣牙 来良人
五人目の女子が、最後の「人」を手の平でこすって消した。
担任に促されて、最初に立っている教育実習生が一歩前に出た。教室全体を見回し、俺を見てパァッと顔を明るくさせる。
「魔王様っ、お呼びできなかったので、来ちゃいました!!」
ぶんぶんと大きく手を振ってくる。
「真央、あいつ知り合い?」
「知らない」
「え、でも真央様って呼んでたけど?」
「知らない」
あいつら……側近と四天王がこっちに来ちゃうとか……あっちはどうするんだよ……。
いや、平和なら、なんとかなるのか。
俺の心の平穏は、こいつら五――六人のせいでどっかに行っちゃったけどな。
ドアの隙間からじっと転校生の一人を見つめる目を見て、俺はため息をついた。