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第5話 流刑

 ――夢を見た。


 それはそれは恐ろしい夢だった。


 反乱が起きて、リヴィアは拘束された。

 父王は殺され、リヴィアは『王女殿下』の称号を剥奪される。父を殺したのは最愛の恋人であるシリウスで、リヴィアから称号を剥奪して牢へ閉じ込めたのだ。


 シリウスはリヴィアから秘密を聞き出すために近づいた詐欺師であり、リヴィアのことなどちっとも愛してなどいないのだという。


 閉じ込められた牢はよりにもよって平民が入るような地下牢で、石壁は湿っていてかび臭くて埃っぽいのだ。

 それに、寝台などはなく汚れた布がひいてあるだけの場所で王女であるリヴィアに寝起きをしろと言う。食事なんてもっと酷くて釘が打てそうなくらい固いパンと水で薄めたようなミルクしか出てこない。


 番兵は無礼で、王女であるリヴィアに敬意なんて一切払わない。他の囚人と話をしようとしたら棒で檻を叩いて罵声を浴びせてくる。


 本当に怖かったのよ、とシリウスに話すと彼は柔らかく微笑み「それは怖かったね」と慰めの言葉をくれる。


 そういえば、とリヴィアはドレスの袖口からハンカチを取り出した。


「これは貴方への贈り物よ」


 それはリヴィアがシリウスのために刺繍を施したハンカチだった。美しい顔を綻ばせながらシリウスはそれを受け取った。しかし、そこからシリウスは何も言わない。ただ、リヴィアに微笑みかけるだけだ。


「シリウス?どうしたの?」


 様子のおかしいシリウスをリヴィアは心配そうに覗き込んだ。それでもシリウスは人形にでもなかったかのように動かない。


「シリウス、シリウス?」


 いったいどうしたのだろう、と呼びかけ続けるが反応はない。

 途端にどこかからガンガンと響くような音がこだました。



 目の前には甘く微笑むシリウスはいなかった。最初に冷たい石壁が目に入り、次に鍋を棒で叩く番兵の姿が目に入った。


 「……夢?」


 こちらが夢であちらが現ならばとどれほどこの時考えたか。


「何を寝ぼけている。起きろ」


 どうやら起床時間らしい。投げ込まれた食事はいつものように固すぎるパンと薄いミルクだ。毎食豪華な食事をとり、おやつには果実やクリームを大量に使った菓子を毎日食べていたリヴィアにとっては量もさることながら内容もまったく満足出来るものではない。


 それでも、食べねばお腹は空くし喉も渇く。反乱で父王こそ亡くなったが、弑逆とは大罪である。諸侯がベルグシュタイン公爵家の暴虐をこのまま放置するはずはない。必ず、反乱は鎮圧されアレクシス以下、ベルグシュタイン公爵家に属する者達全員が一族郎党に至るまで処罰を受けるはずだ。


 それまでなんとしても生き残らなければならない。


 リヴィアは食べる気がしないようなパンにかじりついた。


 半分ほど食べ進めた辺りで何やら地下牢の扉が開く音がした。


 入ってきた男はリヴィアも見覚えのある男だ。


 ――ヴァルト・ラインハルト。


 リヴィアを拘束したあの男だった。


「この牢を開けろ」


 ヴァルトが番兵にそう命じると、急ぎ鍵束を鳴らしながら鉄格子を開けられた。


 ランタンの明かりが差し込む。薄暗い石壁に、ぼんやりと影が揺れた。


「久しいな、リヴィア王女殿下。いや、今はリヴィア・ミレイユとお呼びするべきか」


 家名がとれた名前で呼ばれ、リヴィアはキッとヴァルトを睨み付けた。


「貴女の刑は流刑と決まった。この私が移送することになった」

すしたと言うの!何もしていないわ」


 流刑になるほどの罪をおかした覚えなどない。反逆者どもがリヴィアにあらぬ罪を被せて死に至るよう場所への流刑を決めたとしか思えなかった。


「……何もしなかった。そうだな、貴女は何もしなかった。それが貴女の罪だ」


「何もしなかったことが罪?意味がわからないわ」


 何もしなければ罪になるなどと言ってしまえばこの世のあらゆる人が罪人だ。ヴァルトの言うことなど荒唐無稽な言い草に過ぎない。


「こんなこと絶対に許されないわ。王を弑逆した大罪人どもめ。今に諸侯が立ち上がって貴方達は全員死刑になるわ」


「……本気か?貴女の流刑を決定したのはその諸侯だ」


 「そんなの嘘っぱちよ!」


 ヴァルトの言葉にリヴィアは動揺を隠せなかった。


 「本当だ。死刑という意見も出たが、流刑は満場一致で決まった」


 そんな、というリヴィアの呟きが弱々しく石壁の中を反響した。


「セレスティア王女殿下に感謝されよ。貴女様の死刑の回避を必死で嘆願されたのはあのお方だ」


「なんですって?」


 地下牢に閉じ込められ、王女殿下の称号を剥奪され、屈辱にまみれている自分とは違い、セレスティアは王女の称号はそのままで自由に諸侯とも会える状況らしいのだ。同じ王女であるのにこの待遇の差はなんなのだろう。


「許せない……セレスティアのあの役立たず! お父様の仇も討たず、いったい何を――」


 その瞬間、ヴァルトの手が素早く伸び、リヴィアの顎をぐいと強く掴んだ。

 殺気を帯びた彼の瞳がリヴィアを貫く。燃えさかる怒りが、その目の奥で凄絶に揺れていた。


「その汚らわしい口を閉じろ。お前ごときが、あのお方の御名を軽々しく口にするなど……吐き気がする!」


 リヴィアは驚きと屈辱に目を見開くが、怯まずに睨み返した。自分の言葉がヴァルトの逆鱗に触れた理由がわからない。だが、彼の怒りが本物であることだけは、皮膚の下を這うような恐怖と共に理解できた。


 しばらくの睨み合いの末に、ヴァルトはゆっくりと手を離した。彼は骨の軋む音すら聞こえそうなほど拳を強く握りしめていた。その握りしめた拳を開くことなく、リヴィアに背を向けたヴァルトは絞り出すような声で部下に命令をくだした。


「――シリウス、この女に水浴びと着替えを準備しろ。終わり次第出立する」


「了解いたしました、閣下」


 ヴァルトが先に地下牢から出ていき、続いてシリウスに連れられたリヴィアが地下牢を出た。


 *



 鉄扉を抜けた先の細い通路を歩かされ、リヴィアはやがて、灰色の石壁に囲まれた部屋へと通された。

 湿気と苔の匂いが鼻を刺す。奥には、大きな桶と脱衣用の木台が置かれている。


「ほい、ここっす。風呂ってほどじゃねぇけど、まあマシなほうでしょ」

 背後から聞こえたのは、軽い男の声だった。


「そこに着替えと下着、置いときましたんで。終わったら声かけてくださいねー。逃げたら殺されるんで、そのつもりで」


 リヴィアがぎょっとして振り返ると、男は腕を組んで背を向けていた。

 扉は開け放たれたまま。見張り付き、逃げ場はない。


 視線の先には、くたびれた麻布の衣と粗末な下着。王女の頃なら、使用人に触らせるのすら躊躇したような代物だった。

 桶の水に指を入れると、びくりと肩が震えるほど冷たい。


「着替えられないとか言わないでくださいよ~? うちの妹でももうちょい手際いいっすから」


 震える指で下着を手に取り、リヴィアは桶の脇に膝をついた。濡らした布で身体を拭おうとしたが、動作はぎこちなく、手元もおぼつかない。肩が濡れる頃には、息が切れていた。


「え、まだっすか~? あの、別に覗かないんで急いでもらえませんかね。水、もうぬるい通り越して冷え冷えっすよ?」


 扉の外から響く軽薄な声に、リヴィアはぐっと奥歯を噛んだ。


「……黙りなさい。下がってなさいよ……」


「いや~、それは無理っすね。見張りって命じられてるんで。

 それにしても……いや失礼だけど、着替えってそんな難しいもんすか?」


 リヴィアは顔を真っ赤にして粗末な下着に手を伸ばした。

 肩を覆おうとしたが、背紐の結び方がわからない。乱れた呼吸に、冷たい汗が混じる。


「本当に何を手間取ってるんすか?うちの妹、まだ七つっすけど、自分で服くらい着られますって」


 背後で肩をすくめる気配がした。

 堪えかねてリヴィアが乱雑に脱いだナイトドレスの山を振り返って睨むと、男――兵士が、ちらりと何かに気づいたように目を細めた。


「ん? ……あれ、なんすか」


 ドレスの袖口から、布の切れ端がのぞいていた。

 シリウスは勝手に歩み寄り、かがんでそれを摘み上げた。


「へえ……ハンカチ。しかも刺繍入り。……手作り?」


 布地は王宮で使われる上質な麻。王侯貴族だけが使用を許された金糸が惜しげもなく使われた見事な刺繍は指し手の力量の高さが伺える。


「へええ~……これ、贈り物っすか? ってことはあれ? あんたみたいなのに、贈られて嬉しいってやつ、いたんすね」


 ぞんざいに指でひらひらと振ると、リヴィアははっと目を見開き、濡れたままの足でよろけながら彼に向かって詰め寄った。


  「それ……返して!」


 声が裏返る。

 濡れた髪が肩に張りつき、震える手がハンカチへと伸びる。


 だが、男は少し身を引いて、にやりと笑った。


「へー、そんな大事なんすか。見かけのわりにロマンチストってやつ? ふうん……」


 しばしリヴィアの必死な顔を見つめ、彼はようやく小さく息を吐いた。


「……冗談っすよ。ほら、盗ったりしませんから返しますって」

 

 手渡されたハンカチを、リヴィアは無言で受け取り胸元でギュッと抱きしめた。


「俺やりすぎたっすね。申し訳ありませんでした、この通りっす」


 急に騎士らしく謝罪の言葉を伝えるシリウスはバツが悪そうにまた後ろを向いて扉の前に戻った。


 手の中にあるハンカチを広げどこにもほつれや破れが無いことを急いで確認すると、リヴィアの瞳から涙が溢れ出した。


 シリウスは、しばらく沈黙が続いていることに気づいた。

 軽口を返してこないのも、物音ひとつしないのも、妙だ。


 気になって、そっと振り返る。


「……あれ?」


 リヴィアは、膝をついたまま俯き、肩を小さく震わせていた。

 頬を伝う涙が、床にぽたりと落ちる。

 細い指がハンカチをぎゅっと握りしめていた。


 シリウスの顔から、いつもの軽薄な笑みがふっと消える。


「……あー、ちょ、まじか。え、泣いてる?」


 完全に取り乱した声だった。


「えーっと……いやいや、そんなつもりじゃ……。ちょっとからかっただけっすよ? 本気で悪口言ったとかじゃなくて……」


 扉の内に一歩踏み出しかけて、思いとどまる。

 女の子が泣いてる。しかも下着姿だ。入っちゃいけない。それは本能が止めた。


「……ま、マジですんません! ごめん! あの、気にしてないでください! あんたの刺繍、マジですごかったし!」


 いつもの調子で軽くごまかそうとして、でも声が裏返る。

 リヴィアは顔を上げようとしなかった。だけど、耳がわずかに赤い。


「……あーもう、俺、ほんとダメっすね……。姫さん、悪気なかったんす。ホントに」


 シリウスは頭をかきながら、壁に頭を打ち付けるまねをした。

 それでもどうしても黙っていられなくて、ぽつりと呟いた。


「……そんな泣き方する人だと思ってなかったっすよ」


リヴィアって刺繍は結構上手なんです。不器用そうな雰囲気なのに。

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