第23話 三年後
フェルシェルの孤児院は、かつての荒廃が嘘のように整備されていた。
壁際の棚には、整然と並べられた絵本の数々。どれもリヴィアが自らの手で作り上げたものだという。
今日も、孤児ではない子どもたちが楽しそうに絵本を手に取り、借りていく。
そんな微笑ましい光景を見つめながら、ヴァルトはリヴィアの姿を探した。
「マザー・セラフィナ、リヴィアを見かけませんでしたか?」
「いいえ、領主様。今日はお見えになりませんでしたよ」
「そうか、ありがとう」
イザベラからリヴィアを探すよう頼まれたヴァルトは、孤児院中を見回していた。
「ああ、領主様。リヴィア様ならば、たまに町外れの丘の上で町の様子を眺めておられます。行ってみてはいかがですか?」
「ありがとう。行ってみる」
教会から馬を走らせ、町外れの丘の上に着くと、人影が見えた。
「リヴィア……?」
不意に足元から風が吹き抜ける。振り返ると、丘の上に一人、寂しげにたたずむリヴィアがいた。
「こんなところにいたのか?」
ヴァルトは声をかけ、ゆっくりと近づく。
彼女は振り返り、ほんの少し驚いたような表情を浮かべた。
この三年で彼女は大きく変わっていた。
以前のふくよかな姿とは違い、すっかり健康的に痩せていた。
目を引くほどの美人ではないが、自然と目が離せなくなるような可愛らしさがある。
肩から少し柔らかく波打つ栗色の髪を緩く結び、ほどよく引き締まった体つきは、男ならば守ってあげたくなるような、ほんのりとした柔らかさを感じさせた。
彼女を陰気に見せていた伏し目がちな瞳は、まっすぐに前を向き、ヴァルトを優しく見つめた。
「ここが一番、町が見渡せるんです」
「俺たちの屋敷よりもか?」
「えぇ、実はそうなんですよ」
この三年でリヴィアは、ヴァルトも知らないようなフェルシェルの姿を知るようになっていた。それが何とも嬉しく感じられた。
「領主様、見てください。農地にあんなにも稲穂が出ています。黄金色の絨毯みたいで綺麗ですね」
荒れた農地を整備し、種籾を植え、なんとか三年でここまで回復することができた。
リヴィアが指さす先の農地は、フェルシェルに住む皆の手柄であり、功績の象徴だった。
「イザベラが呼んでいる。一緒に帰ろう」
裾の長いスカートを履くリヴィアがつまずかないよう、ヴァルトは左手をさっと差し出した。
リヴィアは躊躇うことなく、自分の右手を自然に重ねる。
ヴァルトは彼女を自分の馬に横向きに乗せると、すぐ後ろにまたがった。
馬が軽く歩き出し、やがて勢いよく駆け始めると、風が二人の間を抜けていった。
後ろに流れていく景色があっという間に過ぎ去る。
リヴィアはその速さに少し驚いたように目を見開き、だがすぐに微笑む。
ヴァルトもまた、そんな彼女の表情を見て、心が和らぐのを感じていた。
「リヴィア、またあのドジ眼鏡がやっちまったんだ。あんたじゃないと対処できないよ。助けとくれ」
「また、グラシアン補佐官が……」
着任して以来、問題ばかり起こすメガネの青年に、リヴィアも周囲も毎度振り回されている。特に代理補佐官を務めていたリヴィアは、もろにその被害を受けていた。
エドモン・グラシアン――
彼は統計・分配・財政の分野で並ぶ者のない、稀代の数学者として文官になった人物である。
まさに数字の天才。だが、それ以外は壊滅的だった。
歩けば転ぶ、走れば滑る。帳簿は落とすし、書類は風に飛ばす。何をするにもドジを踏むのだ。
執務室に入ると、エドモンは案の定、泣いていた。
ボサボサの黒髪に、涙で赤く腫れた緑の瞳。十五歳くらいにしか見えないが、実際にはヴァルトより年上だというから驚きである。
「……これは……帳簿が……」
床には、数年分の帳簿が無残に散らばっていた。
「……恐縮です」
彼の手が帳簿を結んでいた紐に引っ掛かり、すべてが崩れ落ちたらしい。普通は、ならない。
「最近の帳簿管理はリヴィアしか分からないからな。頼む」
背後のヴァルトが、申し訳なさそうに呟いた。
リヴィアは小さくため息をつき、さっそく作業に取りかかる。帳簿を年や月で仕分けし、順番に整えていく。
ヴァルトも黙って手伝い、ようやく元の状態に戻すことができた。
「……恐縮です……」
先ほどから「恐縮です」しか言っていない。どうやらこれが彼の口癖らしい。
こんなドジが原因で、エドモンが辺境に“左遷”されたのは想像に難くない。
それでも、彼の来訪以降、帳簿の精度も統計の管理も大幅に改善されたのだから不思議なものだ。
――“ドジを治してやってくれ”
ヴァルトの元に届いたアレクシスからの手紙には、ただその一文だけが書かれていた。
まったく、アレクシスはヴァルトを“人間更生装置”か何かと勘違いしているのだろうか。
いくらリヴィアが変わったからといって、自分より年上の男の面倒を見るなんて、無理に決まっている。
* * *
復興が進んだ今、補佐官や騎士の補充も進んでいた。
補佐官はエドモンひとりだが、騎士は新たに二名加わり、ヴァルトの急な出張にも対応できるようになっている。
この騎士たちも、アレクシスが選んだ“癖のある人材”である。
「リヴィア、これ。巡回の途中で見つけた花なんだ。君にと思って」
事あるごとにリヴィアを口説こうとするのがマルセル。
しかし、当のリヴィアはまったく気づいていない様子で――
「マルセルさん、ありがとうございます。さっそく食堂に飾りますね」
――という具合である。
その隣には、ほとんど口を開かず、感情も読めないベルトランが控えていた。
二人は正反対のようでいて、意外と仲が良いらしい。
領主邸の規模が大きくなったことで、イザベラが一人で管理するのは限界があり、使用人の女性も二人、新たに雇われた。
彼女たちはカリクスト二世の虐政で未亡人となり、子どもを抱えて一人で生きることになった女性たちだ。
イザベラの推薦もあり、二人とも気立てが良く、家事の腕も確か。
リヴィアとも良好な関係を築いていた。




