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第2話 秘密の恋

「みんな嫌い! 嫌い! 大っ嫌いよ!」


 手紙を書き終え、遅い夕食を済ませたリヴィアは人払いをし、離宮の庭で声を荒げていた。

 アメジスト色の瞳からは、絶え間なく涙がこぼれている。


「わたくしは、完璧な王女でなければいけない。美しく、賢く、誰にも愛される存在で……。なのに」


 下級貴族の娘に侮られ、侍女たちの視線に嘲りを感じるたび、胸の奥がひりつく。


 なのに、どうしてなの……?


 新調したドレスは仕立て屋が舌を巻く出来。髪型は流行を研究し尽くし、香水は選び抜いたローズの香り。

 どこから見ても、完璧な王女のはずなのに。


(あの三人の顔なんて思い出したくもない……でも、このまま終われるわけがない)


 頭を垂れさせ、リヴィアの前に二度と現れないほどに――

 こてんぱんにやりこめてやる方法はないかと、悶々と考えていた。


(でも、こんなとき、相談できる“友人”なんて……)


 心のどこかで、頼れるのは“あの三人”くらいだと理解していた。

 侍女にでも話せば、きっと乳母に伝わってしまう。


 そんなとき――。


「リヴィア様」


 静かな夜気を震わせる、柔らかく甘い声が届いた。


 リヴィアははっとして振り返る。

 泣き腫らした目に、あの人の姿が映った。


「シリウス……待っていたのよ」


 ――シリウス、と呼ばれた男性はリヴィアの前までたどり着くと地面に剣を置き、騎士の礼をとった。

 彼はシリウス・エヴァンス。準男爵家の嫡男であり、彼自身も準男爵に叙されている騎士だと言う。

 しかし、彼の容姿は無骨な騎士のイメージとはほど遠い。クセ一つないサラサラの金髪、吸い込まれそうな空色の瞳は暖かな春のそれを思わせる。まるでおとぎ話の王子様がそのまま現れ出たような彼の容姿は王都一の役者と言われても納得してましまう。

 何を隠そうシリウスはリヴィアの秘密の恋人である。


「リヴィア様、どうなさったのですか?」


 心配そうに覗き込むシリウスの瞳からは確かな愛情が灯っている。この暖かな眼差しを確認するだけでリヴィアのささくれだった心が癒されていくのを感じられる。


 シリウスは胸元からレースのハンカチを取り出すとリヴィアに手渡した。


「どうぞ涙をお拭きください。お美しいお目が腫れてしまいます」


 リヴィアはそれを受け取ると目元に押し当てた。シリウスのハンカチからは薔薇のような華やかな香りがした。しがない騎士にすぎない彼には少々不釣り合いではあるが、薔薇の花のようなシリウスのイメージからはこれ以上ないほどに彼らしい。だから、一瞬の違和感も、彼のイメージに包まれた瞬間、リヴィアの心からかき消えていた。


 ハンカチでひとしきり涙を拭ったリヴィアはシリウスをガゼポへと案内した。

 王族だけに伝わる秘密の通路を使って通ってくる恋人とはお決まりの密会場所である。

 下級貴族に過ぎないシリウスとの密会のためだけにリヴィアはシリウスにこの通路を教えたのだ。


 リヴィアはシリウスに今日の出来事を話して聞かせた。


「……なんという。私がリヴィア様の側にずっといられたらお側でお守りしますのに」


「シリウス……貴方がわたくしの護衛騎士であればどれだけ心強いことでしょう」


 聞けばシリウスはベルグシュタイン公爵家に仕える家騎士のようだ。近衛騎士でない以上、シリウスがリヴィアの護衛につくことはない。でも、もしシリウスがリヴィアの護衛騎士だったらどれほど毎日が違うだろう。身分差があってもこれほどまでの美青年を恋人にしていると知ればあの三人はどんなに悔しがるか想像しただけでも胸がすくような思いだ。


「必ず貴女様のお側にいられるように私は武功を立てます。だから……待っていてくださいますか?」


 家騎士風情が王女と結婚するなど、天地がひっくり返っても難しいことくらいリヴィアにもわかっている。それでも自分との未来を考えてくれるのだと思うとリヴィアの心は浮き足立った。


「もちろんよ」


 リヴィアとてまだ十六歳になったばかりの恋する乙女である。ついそんな出来もしない約束をしてしまっても無理からぬことだ。


 現実的にはあと数年のうちに他国へ輿入れする際に護衛騎士として同行させる、などが関の山だろう。その為には近衛騎士まで出世が必要だ。彼がどれほどの騎士かはわからないが、本気で努力すればそれくらいは可能だろう。


 リヴィアの返事に嬉しそうに笑うシリウスを見て、リヴィアは初めて出会った日のことを思い出していた。




 それは、三か月ほど前のことだった。リヴィアは王宮で催された舞踏会に出席していた。

 王族は父である王と、リヴィアだけである。父の公妾が数人出席し、父から声をかけられる順番を巡って争っていた。

 后を亡くしてから未婚の王である父は妾が大勢いるが、再婚する気がないのか独身を貫いている。妾達は后の座を虎視眈々と狙っているようだ。特に今日は妾達を窘める姉――セレスティアが不在とあって妾達の嫌味の応酬はいつもより過激だった。

 そのやり取りが気に触ったのか父はどこか苛立っている雰囲気だった、いつもなら姉の後にリヴィアにも声をかけてくれる父だったが、その日は誰にも声をかけることが無いままに父が退席してしまった。そこからが大変だった。主催者である王と第一王女が不在となったことで必然的にリヴィアがこの中で最も地位が高い立場となってしまった。


 頭痛がするとでも言って早々に退散しなかったことをリヴィアは後悔することになった。


 オープニングダンスを老齢の大叔父と踊ったかと思えば、招待客達を地位が高い順に声をかけ挨拶しなければならない。

 途中で逃げ出そうとした頃にはリヴィアの周囲に人が集まっていて、とても逃げ出せる状況ではなかった。


 社交会デビューしてからなるべく舞踏会は避けていた。

 出席したところで父に声をかけられた後は、そそくさと退散していたのだ。何しろ大抵の場合、姉セレスティアが人々の注目と関心をさらって行っていた。第二王女であるリヴィアはまるで置物かたのような扱いに腹が立っていたのと、ダンス自体が苦手だというのも理由だ。

 リヴィアが踊ればどうしたってセレスティアと比較するような声があがる。

 嫌味なことにあの姉はまるで背中に羽根が生えたかのように優雅に踊るのだ。リヴィアとて、それなりに踊れるのに姉と比較するとどうしても不格好に見えるようだ。


 そんなリヴィアは貴族達の顔や名前がまったくわからない状況だった。後ろに控えている乳母が必死に耳打ちしてくれるが緊張と慣れない場の雰囲気で何度か言い間違いをしてしまった。

 相手は驚きながらも、すぐさま馬鹿にしたように笑うのだ。


「わたくしはモルゲンハイン伯爵です。モルデンハイン伯爵と改名せよとのご命令ですかな?殿下」


 それくらいならまだいい。未婚のご令嬢に侯爵夫人と呼びかけてしまった際などは最悪だった。

 

「……わたくしはまだ未婚です」


 令嬢が顔を伏せ、肩を震わせて泣き出した瞬間、リヴィアは胸の奥がチクリと痛んだ。


(……なによ。少し間違えただけじゃない)


 言い訳にも似た思考が脳裏をよぎる。


(大体、あんな落ち着いた服を着て、既に嫁いでいるような顔をしているのが悪いんじゃなくて?)


 表情には出さぬまま、軽く口元を歪めて言葉を継ぐ。


「まぁ……お年頃ですから、てっきりご成婚されたものとばかり。お気を悪くされたのなら謝りますわ」


 声は柔らかいが、その実、謝罪というよりも“わたくしは悪くない”という自己弁護に満ちていた。それでも令嬢のすすり泣く声は止まず、リヴィアは僅かに眉を寄せる。


(泣くほどのことかしら。ああ、厄介。なんでいつもこうなるの?)

 


 「……まるでお優しいセレスティア王女殿下とは大違いですわね」


 それは、リヴィアの耳にもはっきりと届く距離だった。


「セレスティア王女殿下なら、きっとすぐに手を取ってお慰めになったでしょうに……」


「ねえ、ああいうお気遣いが自然に出来るからこそ、皆に慕われるのよね」


 小声のはずの囁きは、意図的に聞かせるように響き、リヴィアの頬がぴくりと引きつった。

 小さな嗚咽と皮肉の囁きが混ざり合う空気の中、リヴィアはじっと立ち尽くしていた。

 顔が熱い。背筋に冷たい汗が伝う。

 周囲に視線をやれば、あからさまに目を逸らす者、わざとらしく扇で口元を隠す者、哀れみすら帯びた目を向けてくる者……。


 ――何よ、何なのよ、わたくしは王女なのに!


 心の内で叫ぶが、誰一人としてリヴィアに跪こうとはしなかった。

 声をかけてくる者すらいない。どこまでも冷たい社交界の空気が、彼女の存在を無言で拒絶していた。


 「……っ!」


 リヴィアは踵を返すと、背筋を張ったまま早足でその場を後にした。

 舞踏の会場を抜け、誰も追いすがってこないことに余計に惨めさを感じながら、外へと出た。月明かりに照らされた庭園の片隅に辿り着いたとき、彼女はようやく吐息をついた。


「みんな……みんなわたくしを笑ってるのね」


 声に出した瞬間、込み上げていた怒りと悔しさが堰を切ったように溢れ出す。

 手に持っていた扇を思い切り地面に叩きつけ、ヒールのかかとで何度も踏みつけた。


「どうしてよ……何がいけなかったの……! あんなに努力して、あんなに着飾って……どうして……どうしてあの女と比べられなくちゃいけないのよ……!」


 絞り出すような嗚咽と怒声が、静かな庭園に虚しく響いた。


「お一人で?」


 不意にかけられた男の声に、リヴィアは思わず振り返る。

 月光の中に浮かび上がる騎士服を纏った美しい青年――庭園の奥の影から現れたその男は、会場では見かけなかった顔だ。


 リヴィアの涙に濡れた目が、その人影を捉えた。


「あなたは……誰?」


「……ただの、夜風を愛する通りすがりです。王女殿下」


 優雅な所作で一礼するその男の瞳はリヴィアへの甘さをはらんでいた。

 

お読みいただきありがとうございます。

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