第10話 何もしなかった王女
「教えてください……お願いします。この地で、何があったのか……」
イザベラに向かって深く頭を垂れるリヴィアの瞳は、真剣そのものだった。
「わたくしは――いえ、私は知らなくてはいけない。そんな気がするのです。お願いします」
リヴィアは自分が嫌われるのも憎まれるのも相手のせいにしてきた。違うのかもしれない。私は何も知ろうとせず耳をふさぎ、甘い言葉だけを聞いて生きてきた。綺麗なドレスを纏い、王女らしく華やかに装っていれば――父はいつか、私を見てくれる。そう信じていたから。
「……今更、知ってどうする?死んだ人間をあんたは生き返らせる術でもあるかい?壊れた家を直せるのかい?今更なんだよ。手をついて謝ったってあんたの謝罪に価値なんて無いよ」
「それでも……それでも、知りたいの!もう、自分から逃げたくない。だから……教えてください!」
深いため息をひとつ吐いて、イザベラは沈黙したまま視線を外す。やがて重い口を開いた。
「わかったよ。ただし、あたしが話すのは、あたしが見たものと、聞いたことだけだ。それ以外は――自分の目で確かめな」
語られた話は、胸を抉るようなものだった。父王の蛮行は、同じ国の民に対する行為とは思えぬほどに冷酷で身勝手。
たとえ命を捧げたとしても、償えるとは到底思えなかった。
――そろそろ現実見たほうがいいっすよ。
シリウスの言葉がリヴィアの胸に突き刺さる。そこでリヴィアはようやく、目を背けてきたものと向き合う決意を固めた。自分は特別でも、大切な王女でもない。王女らしい振る舞いすら身につけられず、ただ怠惰に、虚飾の中で生きてきただけの愚か者。
それに比べてセレスティアは――どれほど立派な王女だったことか。あんな人に嫉妬し、張り合おうとしていた自分が、どれほど滑稽だったか。
(まるで道化人形ね……)
姉はそんな自分を生かしてくれた。貴女のようなはなれないけれど、少しでも近づかなくてはいけない。
それが、リヴィアに課せられた道なのだ。
*
「領主様、おかえりなさいませ」
リヴィアは、ほんの数日前からしっかりとヴァルトの目を見て挨拶をするようになった。
相変わらず陰気な雰囲気は纏っているが、視線をそらさないその瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
「何か変わったことは?」
「――リヴィアが、リヴィアが……ご相談したいことがあるそうです」
イザベラがちらりとリヴィアに目をやり、それから代わりに口を開いた。
「なんだ」
ヴァルトの視線が向けられると、リヴィアは何かを言いかけては口を閉じる動作を繰り返し、やがて小さく震える唇から、絞り出すように言った。
「私を……フェルシェルの町へ、連れて行ってください」
「ダメだ!」
反射的に、ヴァルトは声を荒げた。
「危険すぎる。君はセレスティア王女殿下から託された身だ。危険にさらすわけにはいかない」
リヴィアは怯むことなく、ヴァルトの怒声を真正面から受け止めていた。
その顔は蒼白で、口元は震えていたが、それでも視線を逸らさない。
「……承知しています。危険なことも、許されないことも。けれど……私は、知らなければならないのです」
ヴァルトは口を噤んだ。
何かを言いかけて、代わりに深く息を吐く。
「君は、自分の立場をわかっているのか? 今はまだ復興がそれほど進んでいない。カリクスト二世への憎しみを糧に生きている者も大勢いる。そんなところに、その娘である君が行けば――どうなるかわかって言っているのか」
「はい。それでも、私は……」
リヴィアは拳を握りしめた。その目には、かつての彼女にはなかった炎が灯っていた。
「私は、何も知らないまま、ただ人に与えられたものだけを享受して生きてきました。美しいドレスも、甘いお菓子も、すべて人の手でつくられたものだった。でも私は、その人々を見たことがなかった……この目で、一度も」
「……」
「せめて、知りたいのです。見たいのです。自分が、何を知らずに生きてきたのかを。……でなければ、私はこの先、何をしても、何になっても、きっと――許されない気がするんです」
ヴァルトは黙ったまま、リヴィアを見つめていた。
その視線は厳しくもあり、どこか困惑したようでもあった。
そのとき、イザベラがふっと、呟くように言った。
「領主様、私もご一緒にお連れください」
ヴァルトの眉がわずかに動く。
「……イザベラ」
「この子が、本気かどうか。自分の目で確かめさせてください。あの町を見たからって、すぐに何かが変わるとは思っていませんよ。でも、見ようとすることが――この子の変わるきっかけになるかもしれない」
ヴァルトは黙ったまま、二人の女を見つめた。
やがて小さく息を吐く。
「……明日の朝、町へ行く。俺の側を離れないなら連れて行く。それ以上の便宜は図らない」
リヴィアの肩がぴくりと震えた。
「本当に……いいのですか?」
「俺がそう言ったんだ。無駄に繰り返すな」
そう言って、ヴァルトは踵を返した。
だが、その背中に語気の強さはあっても、苛立ちの色はない。
「準備をしておけ。気まぐれで取り消すかもしれん」
それだけを言い残し、ヴァルトは廊下の奥へと姿を消した。
その場に残されたリヴィアは、信じられないような面持ちでイザベラを見つめた。
「……あの、ありがとうございます」
まさかイザベラが、自分に助け舟を出してくれるなんて――思ってもみなかった。
だが、イザベラは鼻で笑った。
「あんたのためじゃないよ。あんたは、あたしの憎い男の娘だ。いびる相手がいなくなったら、困るんでね」
*
翌朝は、雲ひとつない快晴だった。
ヴァルトの指示で、木の器や麻布、水の入った桶、大麦の袋と干し肉や干し野菜などを馬の背に積み込む。荷馬は一頭きり。そのため、人が乗る余地はない。
ヴァルト自身はというと、大きな荷を背負っていた。
中身を尋ねれば、「大工道具や縄」とそっけなく答える。
何に使うのかと首を傾げたが、「行けばわかる」とだけ言い残し、手綱を引いて歩き出した。
領主邸から村までは、徒歩での移動になる。
馬に乗れるのはヴァルトとリヴィアだけだったが、今回はその一頭に物資を載せているため、誰も騎乗できない。
そもそも馬自体が不足していた。フェルシェルへ同行した騎士たちは、それぞれの駐在村へ馬で移動しており、領主邸に残されたのはこの一頭のみだ。
頼れるのは、自らの足のみということになる。
「リヴィア、イザベラに手を貸してやってくれ」
高台に建つ領主邸から村へ向かう道は、なだらかではあるが長く続く下り坂だ。
老いたイザベラにはこたえるだろう。
リヴィアは素直に頷き、黙ってイザベラに手を差し出した。
だが、次の瞬間――その手は勢いよく振り払われた。
「人を年寄り扱いするんじゃないよ!」
イザベラはピシャリと言い放つと、足取りは重いながらも凛とした背中で、前へと歩き出した。
リヴィアは、振り払われた手をそっと引っ込めた。
手の甲に残ったわずかな痛みに、むしろほっとした気がした。今の自分には、これくらいがちょうどいい。
誰の手も借りずに前を歩くイザベラの背中は、たしかに年老いてはいるけれど、どこか頑丈な一本の木のようでもあった。
――自分も、あんなふうになりたい。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
朝の空気はまだひんやりとしていて、草原を渡る風が、汗をかいた背をそっと撫でていく。
ヴァルトは無言で馬の手綱を引いたまま、やや先を歩いていた。時折後ろを振り返ることもあったが、何も言わなかった。
それが、かえってリヴィアにはありがたかった。
三人と一頭、しばらくは黙々と坂を下った。
しばらくして、目の前に木造の橋が現れる。橋の向こうには、フェルシェルの村が広がっていた。
だが、リヴィアはそこで足を止めた。
遠目にも、村の様子が分かる。
崩れかけた壁、屋根を藁で覆った粗末な小屋。野ざらしのまま立ち尽くす骨組みだけの家。
復興の最中とは聞いていたが、想像していたよりも――ずっと、荒れていた。
かつてはそれは美しい街並みだったと聞く。
それが父の命により、これほどまでに変わり果てるとは、リヴィアは震えが止まらなくなった。
「怖いか?」
突然、ヴァルトの声が背後から投げられた。
彼は立ち止まり、振り返ることもせずに言った。
リヴィアは答えないまま、町の入り口へと足を踏み出した。
その足取りはかすかに震えていたが、決して後ろへは戻らなかった。




