ジャムと納豆のメランコリー
「パンは挟まないで!」
息子のショウ(5)がそう言ったのは、朝食に『ジャムパン』がいいとリクエストした後だった。
食パンを半分に切って、ショウが大好きな”ハリタのいちごジャム”を、挟んで出すのが習慣だった。
ーパンでジャムを挟まないと手が汚れるじゃないかー
と思った瞬間、私はハッとした。
私もショウと同じ感情を覚えている。
小学生から高校生まで、平日の朝食は決まって『納豆ごはん』だった。
『納豆ごはん』は、納豆とご飯がしっかりと混ざった状態で出てきた。
納豆も白米も大好物だったが、混ざった状態がどうしても受け入れられなかった。
本当は、納豆を白米の上に乗せたままの状態で食べたかったのだ。
親としては、子供が混ぜる手間を省き、食べやすくするための親切心だったのだろう。
しかし、私は混ぜる前の状態で欲しかった。
言い出せなかったのは、親が怖かったからだ。
言えば倍返ってくる気がしたし、何か申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
その影響で、今でも納豆と白米を混ぜて食べるのが苦手だ。
白米の上に納豆を乗せて食べるのは好きだが、混ぜた途端にダメになる不思議な感覚。
そして今、ショウの言葉が響いた。息子の言うことはもっともだ。
私が息子にとって良いはずだと思い込んでいたジャムパンの習慣。
それは私だけが良かった習慣だった。
ショウの「パンは挟まないで」という言葉が、私にとっての革命だった。
ジャムで手が汚れたっていいじゃないか。
大事なのは、彼が心から望む方法で食べられることだ。
【パンは勝手に挟まない】
そう心に誓った一日だった。
その日の朝、ショウは満足そうに1枚の食パンにジャムを塗って食べた。
彼の笑顔を見て、私は納豆ごはんの記憶が少しずつ薄れていくのを感じた。
私たちはそれぞれの方法で、過去の影と向き合いながら、新しい朝を迎えた。