ゴーチェ①3
ため息をつくと鏡越しに侍女のジーナが笑いかけた。
「みんな、お嬢さまのことを心配しているんですよ。」
「そうは思えないわ。」
「この屋敷の者はずっと心配しています。四年前の事件から剣を振るい馬で駆け回るお嬢さまのことを。」
「ジーナも私のことをじゃじゃ馬だって言いたいのね。」
「違いますよ。あ、でもそうかもしれません。」
ジーナはあはは、と笑った。
「でもほら、見てください。たった三か月で肌は透き通るように白くなり、金色の髪は艶やかに輝いて、昔のお美しかったお嬢さまが帰ってきました。立場があればどんなお相手でも叶うでしょうに、変わり者と噂される公爵さまと婚約されるというのが心配なのです。私たちのような使用人のいらぬおせっかいですが……。」
ジーナはそう言いながらせっせとラウリーヌの髪の毛をブラッシングする。ラウリーヌは目を閉じて好きなようにさせることにした。
立場があってもなくても、それこそ王女であっても自由に好きな人と結婚できるわけではない。ましてや結婚せずにいることなど叶うわけがないとラウリーヌだってわかっているのだ。
だが会ったこともない人と、というのが不安になる。
(面識のある父や兄に聞いても『会えばわかる』と言うばかりだし……。なんだかにやにやしていたのが気になるけど。)
ラウリーヌは婚約が決まってからの何度目かのため息をついた。
そしてその夜、夢を見た。
*
『ラウリーヌ、こっちだよ。』
『待ってよ、リオン。』
子供の時の夢だ。隣の領地に住むリオンと初めて会ったのは、ラウリーヌが十才でリオンが十三才の時、内乱が起きる少し前のことだ。
リオンの両親が先代との代替わりで王都からやってきて挨拶に来た時だった。
ベルジュラックの屋敷で大人たちが集まって難しい顔をして話し合いをしている間、二人で抜け出して庭で遊んだ。年上で優しくて美しい友達ができたことがとても嬉しかった。
思えば、あれがラウリーヌの初恋だったのかもしれない。
それからたびたびお互いの領地を訪れるようになり、彼が当時飼っていた牧羊犬の仔犬の躾と称して庭を走り回ったり、木の枝で剣の真似事をして使用人たちに渋い顔をされた。
それでも輝く銀色の髪と澄んだ水色の瞳のリオンと、負けず劣らず輝く黄金の髪と琥珀の瞳のラウリーヌは可愛らしさと美しさで周囲から甘やかされていた。
ラウリーヌは、大きくなればリオンと婚約するものだと思っていた。
*
朝焼けの冷たい空気と共にゆっくりと覚醒する。
(……あれからもう四年も経つのね。今ではすっかり大人になっていることでしょうね。)
婚約を前に彼の夢を見たのは、やはり未練があるからだろうか。
*
ベルジュラック公爵が訪れる日になり、屋敷中が朝からバタバタと準備に追われているかたわら、ラウリーヌも最後の仕上げに追われていた。
「そんなに頑張ったって変わらないよ、ジーナ。」
「キーファーさまは黙ってて下さい!」
兄が部屋の入り口の壁にもたれてくすくす笑っている。
「しかしまあ、公爵も物好きな……。」
「兄さま、淑女が準備している場にいるなんてマナー違反ですわよ。」
「淑女……。ふっ。せいぜい頑張って。」
失礼な兄である。
「それはそうと、公爵はこちらに滞在しないとか。」
「ええ、お忙しいのとお体のことで迷惑をかけられないと。」
両親とも兄とも、この三か月で十分別れを惜しんだし、ラウリーヌの行く先はこの辺一帯の中心部であるベルジュラック領都のメリザンドで、父も兄も仕事で訪れる。
母も買い物や観劇などで訪れることがあるし、ラウリーヌの侍女のジーナはベルジュラック邸に連れて行くことになっている。
考えれば考えるほど、この婚約はラウリーヌにとって恵まれたものであるのだ。