95時限目 暗雲
「何っ…………」
痛む頭を抑えながら、瞬間そう叫んだ。
物音はそれきり静かになっている。
ダイニングの方から鳴った。一階だ。
「…………」
誰かいるのかもしれないし、ただのネズミや虫の類いかもしれない。
今なお、黒光りする虫が廊下や階段の隅に、目に見えるほど溜まっている。
死ぬほど叫びたくなる狂気を強引に抑えて、深呼吸をした。
「落ち着いて……、落ち着いて」
自分にそう言い聞かせる。
ダイニングに向かうか、一刻も早く此処から立ち去るか。二つに一つ。
無限遠に感じる廊下。外から聞こえる大粒の雨音。
何もかもが恐怖を助長させる引き金となっていた。
あまりの怖さに、呼吸を忘れてしまいかねないほど。
「…………下の階に行こう」
――――――真っ暗闇の階段を降りた先に、髪の抜けた人形がいる。
人形は動いている訳では無いが、そばにいる虫たちのせいでほんの少しだけ動いているようにも見えてしまう。
唾を飲んで、垂れてもない汗を拭う仕草をする。
ダイニングの扉までの道でさえ、暗くてわからない。玄関に向かえばこのまま帰れるというのに、自身の真相を知るがために、強行に出ていた。
「っ……どこ」
静かに震える声で言葉を零す。
誰にも聞こえるわけではないのに。
扉を見つけるまでの一分二分が、果てしなく長く感じた。
扉を透けて中に入る。
窓から月の光なども一切入らない空間は、暗すぎて何があるのかも分からなかった。
視界が奪われた感覚に陥り、恐怖で立ちすくむ。
ダイニングで物音がしたのは間違いない。
ダイニングまでの扉は閉まっていた。
つまりは、今この空間に誰かがいてもおかしくはない。
この立ち入り禁止の家に誰も居るはずはない。
こんな不気味な遺体現場に人が居るわけがない。
そんな前提すら覆されるかもしれない心の底からの恐怖が、焦燥を掻き立てていた。
その瞬間、二回目の物音が鳴る。
「――――ッッッ」
何も見えない。だが今回は一つだけ分かったことがある。
音の正体は、踏まれた床が軋む音。
間違いなく誰かが、いる。
「(っ……! ――――)」
あまりの恐怖に、声にならない声が抑えた口元から洩れる。
殺した息が熱くこぼれ出た。
怖い。怖い怖い怖いこわいこわいこわいコワい怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖わい怖いこわいこわい怖いこわいこわいこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい壊怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい壊怖い怖いこいコワい壊怖い怖いこいコワい壊怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい壊怖い怖いこいコワい壊怖い怖いこいコワい壊怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワ壊怖い怖いこいコワい壊怖い怖いこいコワい怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい怖い怖いこいコワい壊怖い怖いこいコワい壊怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこいこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖いこいコワい怖い怖い怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい怖いこわいこわい。
思考を埋め尽くす恐怖が、世羅賽花の足を強引に外に行かせた。
瞬間、くぐもって聞こえていた雨音が、鮮明に聞こえ出す。
「っはぁっ、っはぁっ、っはぁっ……」
道路には誰も居ないものの、部屋の中よりは幾分か灯りがあり、視界が澄んでいた。
止まっていた息を取りもどし、自身の手を見る。
――――やはり雨粒は透けている。
死んでいるには変わりないが、それでも尚。自身の無事を確認したかった。
少しずつ呼吸が戻り、ゆっくりと後ろを振り返る。
家の外観は何の変化もない。『keep out』と書いてある黄色いテープが張られており、それ以外は至って普通の住居だった。
「――――っ」
誰が居たのかは分からない。
もしかしたら世羅賽花と同様に霊の類かもしれない。
だが、確かに聞いた、生きた人間の足音は霊には絶対干渉できないものだった。
考えられるのは父親か、警察くらいだろう。
だがしかし、暗闇の中で何かをするには不審過ぎる。
「――――――…………一体、誰が」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪
『もし~? ごめん遅れた』
『雲雀、遅い』
『…………んに』
「静かに。さっさと始めるよ」
『つっても何話すのさ~?』
『…………文化祭って……出店……ある?』
『そりゃあるでしょうけど……目的はそっちじゃないでしょ?』
「今回の目的を忘れてもらっては困るよ」
『大丈夫大丈夫! ちゃんと覚えてるよ!』
『ん…………神藤知の、確認』
『そもそも、神藤知がその学校にいるのか分かんないんだけどね~』
『でも、武蔵の調べがついてるんでしょ?』
『…………うん。…………凪は口は割らなかったけど、怪しい』
「わかってるなら大丈夫だけど、――――武蔵、なんか電波悪い?」
『…………そうでもない。…………またいつものとこに来てたから』
『もうそこには用がないでしょ? なんであんな不気味な人形屋敷にいるのさー?』
『うーん…………。さっき誰か、来たような気がした、から?』
『なにそれ?』
『武蔵は無視していいから。早く本題に!』
「焦らない焦らない。辰美はもう少し心の余裕を――――」
『私たちを招集したのは后心でしょうが!』
『…………辰美、…………話が逸れる』
『あぁもう!』
『ははは~~! で、あたしたちは明日どう動けばいいの?』
「――――まずは適当に回ってもらって大丈夫。神藤知を見つけられたら報告を頂戴。それと、今回はあと二つだけやって欲しいことがあるの」
『やることって?』
「三人にやってもらいたいことは、一つは文化祭のある題目を中止させること」
『それって、この前話してた桜音祇なんちゃらってコの? 良いの? そんな邪魔みたいなことしちゃって』
『…………后心がいいなら、汝は賛成』
『それと、もう一つは?』
「もう一つはあそこの高校に通う生徒。鳴上雷斗、鬼灯夏燐、無響透乎、氷室零、卯月咲夜――――これら五人の、トップランカーの排除」




