94時限目 無月
「ねぇ私誘われてない」
「…………? あ、忘れてた」
さて夕飯を食うかと言う時に、我が姉は俺へそう言った。
最近は天気が悪かったが、それも今日の夜で終わりだそうだ。文化祭の二日間は天気が良いそうで何より何より。
「水瀬さんや夏燐から招待されてるのかと思ってたが」
「葵は『ハッハッハ、僕の連れと言うと厄介なことになるからねぇ』ってはぐらかしたの。夏燐ちゃんは忙しいみたいで会えてない」
「あぁ……ドンマイ」
言いそうだ。如何にも言いそうだ。
ここ数日忙しかったのもあり、俺から招待状を渡すのも忘れていた。御霊と桜音祇の件や、その他の人々と話していて、ロクに愚姉と話す機会がなかったのだ。ジト目でこちらを見る咲を他所に、バッグを手に取る。
「はいよ、招待状」
「やったー♪」
残り数枚の招待状を、咲に渡した。
咲はまじまじと招待状を見つめ、にこやかな顔をしていた。
そんなに喜ぶことはないだろうと思ったが、口にするのも無粋だと思い、そのまま眺める。
そいえば、結局マサに渡せてないな。
この調子じゃ会う機会もないし、渡せそうにない。
「結局コレ、誰に渡したの?」
「? えーと……満弦さんと拓真と咲ぐらいだな。水瀬さんは当然その場にいるし、他に渡す人も居ない」
「たっくんは分かるけど、満弦さんって?」
「あぁ、眼科の主治医で最近よく会う女の人だよ」
「何? 彼女?」
「ちげぇよ恋愛脳」
ニマニマとした顔でこちらを見る頭の愚かな姉は、邪推をしだす。
満弦さんとはそんな関係ではない。あちらがどう思っているかは知らないが、ひとまずはない。そもそも、他人の気心を慮るのは無理だ。
「あーあ、面白そうだと思ったのに」
「人の恋愛云々で面白がるな」
「あはははは」
人の気などいざ知らずの姉は、夕飯をつまみだした。俺も遅れて食べ出す。
明日からの二日間、何も無ければ良いのだが……。
自然と眉間に皺が寄る。
「なんて顔してんの。そんなに今日の料理不味い?」
「不味くはねぇよ。ただ――――」
「…………?」
「いや、何でも」
嫌な予感がする、というと本当に何かが起こりそうで、口にするのをやめた。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪
雨音。
暗雲。
「これ明日本当に止んでるのかなぁ……」
「予報じゃ止むらしいけど。そんなに楽しみにしてたの?」
「いや……」
窓越しに見える雨の様子に、葛星夜は不安な表情を浮かべていた。
いつもならもうそろそろ寝る時間というのに、就寝準備をしていない様子に世羅賽花は疑問符を呈す。
「結局、神サマも知らない様子だったな……」
「ね。まぁ仕方ないよ。あの人サイカのこと何も知らないようだし、そもそも知ってる人がどこにいるのかも分からないんだから」
「うぅん……」
先日のことを思い出して、葛星夜は唸る。それに対し、当事者である世羅賽花はまるで他人事のように振る舞う。
過ぎたことを掘り返す気は無いようだ。
「まぁ今度、校長先生に言ってサイカの家に入れるかどうか聞いてみるか」
「だねー。まぁとりあえず、明日明後日の文化祭楽しもうよ」
「それはそうだけど……。何も触れられなし何も食べられないんでしょ?」
「? うん、そうだけど?」
「楽しいの……?」
「失礼な。楽しいよ」
怪訝な様子で聞く相手に、世羅賽花は頬を膨らませて少し拗ねているようだった。
だが、害意は見受けられない。
「まぁ……。それならいいけど」
「早く寝よ? 明日楽しみ〜♪」
上機嫌に鼻歌を歌う世羅賽花を見つめながら、葛星夜は就寝準備をした。
「何の歌?」
「星の器。好きなんだぁ」
「知らない曲だ」
「ちょうどダンスのコ逹が流してたやつだよ。多分明日聴けるはず」
「へぇ……。じゃあやっぱり観に行かないとだな」
「うん! 一緒に観ようね」
「っ…………」
歯の浮いた発言に逡巡していた葛星夜だったが、そんな気なんて一切知らない世羅賽花はきょとんとした顔で星夜を見つめていた。
「どうしたの?」
「何でもない」
そう吐き捨てるように言うと、すぐに電気を消して床についた。
少し残念そうに、世羅賽花は佇む。
世羅賽花にとって睡眠や栄養摂取は不必要な事柄であり、同時に不可能なことでもあった。
睡眠欲や眠気というものは無く、夜は静まった空間で一人で考え事をする時間に等しい。
考えるのは、かつての自分自身のこと。
未だに過去の記憶の一部が思い出せず頭にモヤモヤを抱えていた。
頼りになる先は今のところ皆無に等しい。手がかりはない。記憶を思い出すトリガーもない。今のところ、こうしてのうのうと過ごすほかにない。
窓から透けて出る。
ひょっとしたら何か思い出せるかもしれない。と思っても、ここ数日、夜中も雨天で外を徘徊するのを留めていた。今日は何の気まぐれか、外に出たい気分だった。
手がかりに近い先生の言葉が、何かを駆り立てたのかもしれない。
降り注ぐ雨粒を見ながら、自分の愚かさに少し驚く。
「あ、そっか。濡れないんだ」
考えれば当たり前のことを失念していた。
当然、雨粒に触れることはできない。
これまでだって外に出ても何ら問題はなかったというのだ。
「あははっ、忘れてた」
おかしくてつい、笑ってしまっていた。
道路を見ても、日付が回るかという時間の雨天で人が居るわけもない。
ようやく感情の起伏が落ち着いてきた世羅賽花は、少し考え事をしてあることを思いつく。
「そうか…………透けれるなら」
葛星夜が居るならば無理だが、世羅賽花一人では可能なことがある。
それ即ち、世羅賽花の家に一人で向かうことだ。
地に足がつかないながら、ふわふわ浮いて少し眺めて進む。思えば幽霊になってから、自身の家に立ち入っていなかったかもしれない。
「なんで行かなかったんだろ……」
潜在的な忌避感か、はたまた別の理由かは全く分からない。だが、幸か不幸か今のこの状態なら入れてしまう。
葛星夜を少し裏切るような気がして、申し訳なさを感じつつ、世羅賽花は家へ向かうことにした。
♪♪♪♪♪
「お邪魔しまーす。……って言っても、サイカの家なんだけど」
割と呆気なく着いてしまった自身の部屋に、世羅賽花は不思議な感覚で透けて入っていった。
「なんか変な気分……。生きてる頃はこの家にずっと住んでたって言うのに、今はそんな感覚全くないや」
つい一ヶ月前まではここで生活をしていた。
親を殺し、死体と一緒に暮らしていた。
敷き詰められた人形と一緒に暮らしていた。
そんな感覚は、世羅賽花の中の記憶から一切合切消えてしまっていた。
「…………なんか、不気味」
誰にも届かないその言葉が、虚空に消えていく。
部屋は暗く、鍵は掛かっていて、家の中は遺体があったことで侵入禁止になっている。
家の中のモノは処分されておらず、散乱した人形や整ったダイニングはそのままだった。
変わっている部分は、遺体が回収されたことぐらいだ。
「…………」
二階に上がる。
人形の数が増えていき、目玉が飛び出しかけているものや、ホコリやゴミが髪に絡まったものが無造作に置いてあった。
どこか懐かしさと言うより、恐怖が勝ってしまう。
「…………っ」
鈍痛。
頭の中が痛くなる。
突然の頭痛に、混乱しかけながらうずくまる。
何か重要なことを思い出しそうで、大事なあと一歩が届かない。分からない。ただこの人形達を見ていると、大事なものを取り返さないと、という考えが、無闇に思考を覆い尽くす。
どうしてそうなのか、何を取り返すのか、あと少しでわかりそうなのに。
「痛いっ……痛いっ……」
刺されるような、覆われるような痛みが脳裏にまで響く。
ここの空気が悪いのかもしれない。すぐに家から立ち去ろうとした。その瞬間、ダイニングの方から
物音が聞こえた。




